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高畑耕治

Author:高畑耕治
愛のうたの絵ほんは、高畑耕治の詩と詩集の海です。
Profile 高畑耕治 たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪府四條畷市出身、早稲田大学政経学部中退。東京都多摩市在住。
詩集『銀河、ふりしきる』(2016年5月イーフェニックス)
詩集『こころうた こころ絵ほん』(2012年同上)
詩集『さようなら』(1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25)
詩集『愛のうたの絵ほん』(1994年同上)
詩集『愛(かな)』(1993年同上)
詩集『海にゆれる』(1991年土曜美術社)
詩集『死と生の交わり』(1988年批評社)
雑誌「エヴァ」に扉の詩(1996~1997サンマーク出版)を連載。
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高村光太郎「人類の泉」

 私は、高村光太郎と彼の詩、そして智恵子、『智恵子抄』がとても好きです。すでに数回私なりの思いを記しましたし著名でもあるので、今回は私が好きだというそのことをただ繰り返し私自身を励ますために、ここに咲いてください、とお願いしつつ書き記します。 

『智恵子の半生』の光太郎の次の言葉には、創作の本質についての真実があると私は感じ、深く共感せずにいられません。

『智恵子の半生』
「彼女の生前、私は自分の製作した彫刻を何人よりもさきに彼女に見せた。一日の製作の終りにも其を彼女と一緒に検討する事が此上もない喜であつた。又彼女はそれを全幅的に受け入れ、理解し、熱愛した。私の作つた木彫小品を彼女は懐に入れて街を歩いてまで愛撫した。彼女の居ないこの世で誰が私の彫刻をそのやうに子供のやうにうけ入れてくれるであらうか。もう見せる人も居やしないといふ思が私を幾箇月間か悩ました。美に関する製作は公式の理念や、壮大な民族意識といふやうなものだけでは決して生れない。さういふものは或は製作の主題となり、或はその動機となる事はあつても、その製作が心の底から生れ出て、生きた血を持つに至るには、必ずそこに大きな愛のやりとりがいる。それは神の愛である事もあらう。大君の愛である事もあらう。又実に一人の女性の底ぬけの純愛である事があるのである。自分の作つたものを熱愛の眼を以て見てくれる一人の人があるといふ意識ほど、美術家にとつて力となるものはない。作りたいものを必ず作り上げる潜力となるものはない。製作の結果は或は万人の為のものともなることがあらう。けれども製作するものの心はその一人の人に見てもらひたいだけで既に一ぱいなのが常である。私はさういふ人を妻の智恵子に持つてゐた。その智恵子が死んでしまつた当座の空虚感はそれ故殆ど無の世界に等しかつた。作りたいものは山ほどあつても作る気になれなかつた。見てくれる熱愛の眼が此世にもう絶えて無い事を知つてゐるからである。さういふ幾箇月の苦闘の後、或る偶然の事から満月の夜に、智恵子はその個的存在を失ふ事によつて却て私にとつては普遍的存在となつたのである事を痛感し、それ以来智恵子の息吹を常に身近かに感ずる事が出来、言はば彼女は私と偕(とも)にある者となり、私にとつての永遠なるものであるといふ実感の方が強くなつた。私はさうして平静と心の健康とを取り戻し、仕事の張合がもう一度出て来た。一日の仕事を終つて製作を眺める時「どうだらう」といつて後ろをふりむけば智恵子はきつと其処に居る。彼女は何処にでも居るのである。」


「人類の泉」(『智恵子抄』から)

 高村光太郎の「人類の泉」は、私が10代の頃からずっといちばん好きだった詩で、今も変わりません。
 私が好きな詩を思うとき、作品の全体から伝わってくる感動と同時に、忘れられず心に浮かんでしまう、好きでたまらない詩句による感動があります。愛する人のいのちそのものを大切に感じる思いと、その人の声の響きやちょっとしたくせや仕草、たとえば首の傾けぐあいが好きでたまらなくなるのと同じだと、私は思います。
 光太郎の詩「人類の泉」で繰り返し打ち寄せる波のうねりのような言葉「私にはあなたがある/あなたがある」が、私は好きでたまりません。
 詩の感動について私が信じていることは、作者自身が「好きでたまらないと感じて生まれてきた言葉」がもっとも、他の人にとっても深い感動を揺り起こす可能性を秘めているということです。光太郎が「私にはあなたがある/あなたがある」という詩句を深い感動にうち震えて書いたことだけは確かだと、私にはわかります。
 私は、私の作品を読んでくださる方が「好きでたまらない」と感じてくださる詩句をあらわし伝えたいとだけ強く願い創作しています。

  人類の泉

世界がわかわかしい緑になつて
青い雨がまた降つて来ます
この雨の音が
むらがり起る生物のいのちのあらわれとなつて
いつも私を堪(たま)らなくおびやかすのです
そして私のいきり立つ魂は
私を乗り超え私を脱(のが)れて
づんづんと私を作つてゆくのです
いま死んでいま生れるのです
二時が三時になり
青葉のさきから又も若葉の萌(も)え出すやうに
今日もこの魂の加速度を
自分ながら胸一ぱいに感じてゐました
そして極度の静寂をたもつて
ぢつと坐つてゐました
自然と涙が流れ
抱きしめる様にあなたを思ひつめてゐました
あなたは本当に私の半身です
あなたが一番たしかに私の信を握り
あなたこそ私の肉身の痛烈を奥底から分つのです
私にはあなたがある
あなたがある
私はかなり惨酷に人間の孤独を味つて来たのです
おそろしい自棄(やけ)の境にまで飛び込んだのをあなたは知つて居ます
私の生(いのち)を根から見てくれるのは
私を全部に解してくれるのは
ただあなたです
私は自分のゆく道の開路者(ピオニエエ)です
私の正しさは草木の正しさです
ああ あなたは其(それ)を生きた眼で見てくれるのです
もとよりあなたはあなたのいのちを持つてゐます
あなたは海水の流動する力をもつてゐます
あなたが私にある事は
微笑が私にある事です
あなたによつて私の生(いのち)は複雑になり 豊富になります
そして孤独を知りつつ 孤独を感じないのです
私は今生きてゐる社会で
もう万人の通る通路から数歩自分の道に踏み込みました
もう共に手を取る友達はありません
ただ互に或る部分を了解し合ふ友達があるのみです
私はこの孤独を悲しまなくなりました
此(これ)は自然であり 又必然であるのですから
そしてこの孤独に満足さへしようとするのです
けれども
私にあなたが無いとしたら――
ああ それは想像も出来ません
想像するのも愚かです
私にはあなたがある
あなたがある
そしてあなたの内には大きな愛の世界があります
私は人から離れて孤独になりながら
あなたを通じて再び人類の生きた気息(きそく)に接します
ヒユウマニテイの中に活躍します
すべてから脱却して
ただあなたに向ふのです
深いとほい人類の泉に肌をひたすのです
あなたは私の為めに生れたのだ
私にはあなたがある
あなたがある あなたがある


出典は、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)入力・たきがは、門田裕志、校正・松永正敏。
底本:「智恵子抄」新潮文庫、1956年。

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tag : 高村光太郎 智恵子 人類の泉 高畑耕治 詩人 詩歌 詩集

高村光太郎 胸中から迸り出る言葉

 日本の口語自由詩には伝統の積み重ねにより確立された形式面での詩学がありません。「日本語の口語を基本言語として書かれた言葉による作品」以上には共通の約束ごとはなく、詩を書く者それぞれが自ら「詩」と感じる方法、形式で作品を作っています。
 それでも詩を読み詩を書こうとする者の間で暗黙に共有されている了解事項があり、学校の先生に教わらなくても、詩が好きな人は詩を読むことで自然に受け継ぎ身につけているのだと思います。
 私は日本語の詩について10代のとき、高村光太郎の詩を感じることで先ず学び、自ら書き始めました。(萩原朔太郎の日本語の詩についての深い考察や他の詩人の詩論を考え、より意識化したのは20代からです。)
 高村光太郎の詩についての考えは、とてもシンプルで、次のわかりやすく力強い言葉に尽きています。
「生きている人間の胸中から真に迸(ほとばし)り出る言葉が詩になり得ない事はない。」

 以下に、光太郎が詩について語った『自分と詩との関係』と『詩について語らず―編集子への手紙―』の、要点となる言葉を抜き出しました。語っている根本は共に、「胸中から迸り出る言葉が詩」ということですが、加えて次の拡がりがあります。

 『自分と詩との関係』では、彫刻と詩の関係について、彫刻は一つの世界観であり世界を彫刻的に把握する、光太郎の詩は彫刻的である、と述べます。私は、光太郎の、構築する意思が強い長編詩や物語性のある詩、「雨にうたるるカテドラル」、「クリスマスの夜」などに、光太郎のこの方向の詩の豊かな芸術力を感じます。

 『詩について語らず―編集子への手紙―』では、音楽と詩の関係について、「言語による以上、言語の持つ意味を回避するのは言語に対する遊戯に陥る道と考えるので、その意味をむしろ媒体として、その媒体によって放電作用を行う」、意味を捨てずに書く、光太郎の詩の真髄とも感じる言葉を伝えてくれます。私はこの方向の高村光太郎の詩が好きです。「火星が出てゐる」は意味が過剰な観念的な詩とも捉え得ますが、私はこの「言語による発散放出」の真摯な迫力に感動します。

 私は光太郎の強い個の芸術精神までもが戦時に、『大いなる日に』『記録』などの大政翼賛に染まったをことを、とても悲しく思い幻滅し気が滅入ります。孤高の魂の詩人と感じさせる光太郎も、生き身の、社会関係に翻弄された一人の人間だという、当たり前のことを思い知らされるからです。
 詩人が詩に、一対一の男女の皮膚感覚のある間柄を越えて、社会的な「我ら」と無神経に書くとき、私は政治家が「国民の皆様」と呼び掛けるときの、奢りと媚びへつらいを感じてしまい共感できません。この虚偽感覚を確かに持っていたのは、、有島武郎と太宰治だと私は思います。有島はあるアンケートで、政治家になったら何をするか?との問いに、辞める、と答えました。無責任のように思えて文学と政治の違いを知り、文学で志を遂げようとする有島の決意に、私は北村透谷に通じるものを感じ、共感します。太宰は決して「我ら」なんて言いませんでした。智恵子も決して言わなかったと思います。智恵子を失った光太郎は本来の詩人である我を見失い、結果として政治屋を気取った著名人としての時局に求められた雄弁をふるってしまいました。
 戦時の詩については、萩原朔太郎にも触れましたが当時の多くの著名な詩人が、当局の言論統制を結果的に支持した言葉をマスコミに発表しています。でも一括りに「当時の詩人たち」とするのは誤りだと思います。一人一人の言葉を見つめないといけないと思います。
 東海大学教養学部人間環境学科社会環境課程の鳥飼行博研究室ホームページの「戦争と文学:文学者の戦争」は、事実により近づくためには、まず資料で確かめて考えることが大切であることを伝えています。紹介し私も考え続けようと思います。

 けれど光太郎には少なくとも、敗戦によって全く逆の言辞を弄し責任転嫁する醜さ、外圧で豹変してしまう骨のない愚かさを、自省する人間性と精神力は残っていたと思います。
 だからこそ、戦後、高齢で、再び美しい詩を生み出し響かせることができました。
 私は、光太郎の詩のふたつの豊かな芸術力は、智恵子との愛で高められた『智恵子抄』の詩にもっとも美しいかたちで、もっとも美しく響いていると感じます。人と人の間のこころの真実だけは、どのような時代の流れの中にあっても、決して掻き消されずに響き続ける美しい詩だと思います。

 以下は、光太郎の原文から抜き出した言葉です。紫色は強調のため私が付けました。

『自分と詩との関係』

「私には多分に彫刻の範囲を逸した表現上の欲望が内在していて、これを如何とも為がたい。(略)若し私が此の胸中の氤(いんうん)を言葉によって吐き出す事をしなかったら、私の彫刻が此の表現をひきうけねばならない。勢い、私の彫刻は多分に文学的になり、何かを物語らなければ ならなくなる。(略)この愚劣な彫刻の病気に気づいた私は、その頃ついに短歌を書く事によって自分の彫刻を護ろうと思うに至った。その延長が 今日の私の詩である。それ故、私の短歌も詩も、叙景や、客観描写のものは甚だ少く、多くは直接法の主観的言志の形をとっている。客観描写の欲望は彫刻の製作によって満たされているのである。」
「ところで彫刻とは一つの世界観であって、この世を彫刻的に把握するところから彫刻は始まるのである。私の赴くところ随所皆彫刻である。私の詩が本来彫刻的である事は已(や)むを得ない結果である。彫刻の性質が詩を支配するのである。」
生きている人間の胸中から真に迸(ほとばし)り出る言葉が詩になり得ない事はない。記紀の歌謡の成り立ちがそれを示す。しかし言葉に感覚を持ち得ないものはそれを表現出来ず、表現しても自己内心の真の詩とは別種の詩でないものが出来てしまうという事はある。それ故、詩はともかく言葉に或る生得の感じを持っている者によって形を与えられるのであって、それが言葉に或る生得の感じを持っていない者の胸中へまでも入り込むのである。ああそうだと人々が思うのである。」
「それが詩の発足で、それから詩は無限に分化進展する。私自身のこの一種の詩の分野も、詩の世界は必ず之を抱摂して詩そのものの腐葉土とするに違いないと信じている。」

『詩について語らず―編集子への手紙―』

「明治以来の日本に於ける詩の通念というものを私は殆と踏みにじって来たといえます。従って、藤村―有明―白秋―朔太郎―現代詩人、という 系列とは別個の道を私は歩いています。詩という言葉から味われるあの一種の特別な気圧層を私は無視しています。」
「元来私が詩を書くのは実にやむを得ない心的衝動から来るので、一種の電磁力鬱積(うっせき)のエネルギー放出に外ならず、実はそれが果して人のいう詩と同じものであるかどうかさえ今では自己に向って確言出来ないとも思える時があります。」
「私は生活的断崖の絶端をゆきながら、内部に充ちてくる或る不可言の鬱積物を言語造型によって放電せざるを得ない衝動をうけるのです。このものは彫刻絵画の本質とは全く違った方向の本質を持っていて、現在の芸術中で一ばん近いものを探せば、恐らく音楽だろうと考えますが、 不幸にして私は音楽の世界を寸毫(すんごう)も自分のものにしていないので、これはどうすることも出来ず、やむなく言語による発散放出に一切をかけている次第です。」
「実は言語の持つ意味が邪魔になって、前に述べた鬱積物の真の真なるところが本当は出しにくいのです。バッハのコンチェルトなどをきいてひどくその無意味性をうらやましく思うのです。」
言語による以上、言語の持つ意味を回避するのは言語に対する遊戯に陥る道と考えるので、その意味をむしろ媒体として、その媒体によって放電作用を行うというわけです。」
「それからさきの方法と技術と、その結果としての形式と、その発源としての感覚領域とについては今なおいろいろと研鑽(けんさん)中の始末で 、これが又、日本語という特殊な国語の性質上、実に長期の基本的研究と、よほど視力のきいた見通しとを必要とするので、なかなか生半可な考え方に落ちつくわけにゆきません。」
「ともかく私は今いわゆる刀刃上をゆく者の境地にいて自分だけの詩を体当り的に書いていますが、その方式については全く暗中摸索という外ありません。いつになったらはっきりした所謂(いわゆる)詩学(ポエチイク)が持てるか、そしてそれを原則的の意味で人に語り得るか、正直のところ分りません。」

出典は、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)入力:門田、校正:仙酔ゑびす、を利用しました。
底本:「昭和文学全集第4巻」小学館 1989年。


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高村光太郎「裸形」 愛(かな)しい詩歌 

 「詩を想う」に記した高村光太郎の詩「裸形」に咲いてもらいます。
『智恵子抄』の詩は10代の私が初めて本当に好きになった詩で、ずっと好きな詩がたくさんあるけれど、今の私はこの詩にもっとも心を打たれます。
出典は『智恵子抄』(新潮文庫、2003年改版)です。


   裸 形

智恵子の裸形をわたくしは恋ふ。
つつましくて満ちてゐて
星宿のやうに森厳で
山脈のやうに波うつて
いつでもうすいミストがかかり、
その造型の瑪瑙(めなう)質に
奥の知れないつやがあつた。
智恵子の裸形の背中の小さな黒子(ほくろ)まで
わたくしは意味ふかくおぼえてゐて、
今も記憶の歳月にみがかれた
その全存在が明滅する。
わたくしの手でもう一度、
あの造型を生むことは
自然の定めた約束であり、
そのためにわたくしに肉類が与へられ、
そのためにわたくしに畑の野菜が与へられ、
米と小麦と牛酪(バター)とがゆるされる。
智恵子の裸形をこの世にのこして
わたくしはやがて天然の素中(そちゆう)に帰らう。

                      1949(昭和24)年10月
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詩と若さ

 詩は青春の文学であるのは間違いないと私は思います。詩の魂を20代、遅くとも30代半ばまでには燃やし尽くしてしまいたいとの夭折願望を私自身抱いて生きました。
 今、40代の後半となり、それでも詩を心に抱き詩の魂を言葉に込めたいと願う私にとっても、励ましとなる詩人たちがいます。
 高村光太郎は智恵子が亡くなってしまったときに、どん底の悲嘆の渦に智恵子を見失い戦争加担の詩さえ作ってしまったけれど、そのことを反省し内省する目を取り戻せたのは、亡くなった智恵子がなお光太郎と共にいて、見つめてくれていることを感じとれたからだ、と私は思います。光太郎は、智恵子のうつし身を彫像としてあらわし残すためだけに自分は生かされていると歌った「裸形」をはじめ、智恵子への語りかけが愛(かな)しい「智恵子抄その後」の連作を67歳で生みだし、74歳で亡くなる前年まで心に響く詩を創り出し続けました。光太郎をそのように生かしたのは、彼の智恵子への愛、智恵子の光太郎への愛が、智恵子が亡くなった後でさえ、息づいてあり続けられる、時間空間の制約を越えて交感しあえるものであったからだと、私は思い、ふたりを尊敬せずにいられません。(光太郎の詩「裸形」を「愛しい詩歌」に咲かせます。)

 このように、詩の青春性と若さ、老いることと創造性について、思いを巡らせる今の私にとって、萩原朔太郎の評論「俳句に於ける枯淡と閑寂味」の次の言葉は、詩人の本質を記したとても共鳴するものでした。書き留め、忘れずに、情熱を持ち、詩を生み続けたいと願います。
 出典は、『萩原朔太郎全集 第七巻』(筑摩書房、1976年)の俳論からです。強調箇所の紫文字は私が付けました。

「芭蕉以来、俳句に枯淡趣味はつきもののやうに考へられている。だが前に言ふ通り、それは決して邪道ではなく、各自の趣味によつて随意である。ただしかし、真に一つだけ必要のことは、心の中の詩情までが、枯淡であつてはならないと言ふことである。芭蕉の一生は、最後まで烈しいヒューマニズムの求道だつた。一茶もまた終始を通じ、人間としての深い悩みを悩みぬいた。彼等は決して、心の詩情が枯れたところの、枯淡人としての詩人ではなかつた。詩に於ける「枯淡」といふことは、ただ趣味の上での問題にある。心の上の問題では無いのである。ここでつまり、言葉をかえて別に言へば、文学には「老人趣味」と言ふものがあり、そして「老人文学」といふものが無いのである。芭蕉の俳句には、たしかにこの「老人趣味」がある。しかし彼の魂は常に若々しく、生涯を通じて青年的な情熱と、純一で水水しいリリシズムに充たされて居た。その青年性を喪失し、心の詩情を枯渇してしまつた人の作品は、単に抒情詩でないばかりでなく、本質的に文学と言へないのである。」
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北村透谷 詩・恋愛・平和

 私が十代の終わりから二十代に影響を受けた北村透谷の詩と評論を見つめ直し評論を読み返す中で、私の心に特に響き今も共感を覚える透谷の言葉を、主要な主題「1.詩、詩人」、「2.恋愛」、「3.平和、戦争」にわけて抜粋します。評論でありながら透谷の言葉には詩精神がみなぎっています。
 出典は『北村透谷選集』(岩波文庫、1970年)です(作成に当たっては青空文庫も利用させて頂きました)。

1.詩、詩人
  詩人は、本質的なもの、真、善、美を情熱、熱意をもって感応し再造し発露する器だとの言葉に、私は共感し、励まされています。

『富嶽の詩神を思ふ』(初出:「文学界」、1893(明治26)年1月、24歳)
「是より風流の道大に開け、人麿赤人より降つて、西行芭蕉の徒、この詩神と逍遙するが為に、富嶽の周辺を往返して、形 (けい)なく像(ざう)なき記念碑を空中に構設しはじめたり。詩神去らず、この国なほ愛すべし。詩神去らず、人間なほ味あり。」

『想像と空想』(初出:「平和」、1893(明治26)年3月、24歳)
「吾人が生れながらにして享有する性質の中に、真を欽(きん)し、善を喜び、美を愛するの性質ほどに重んずべきものはあらず。 極めて幼きものにして音楽の調((しらべ)に耳を傾け、極めて野蛮なる土民にして自(おのずか)らに鳥声を疑似するを見れば、人間は実に他界の美妙なる音楽なしには生活すること能はざる動物なるべし。」

『内部生命論』(初出:「文学界」、1893(明治26)年5月、24歳)
「文芸は宗教若(もし)くは哲学の如く正面より生命を説くを要せざるなり、又た能はざるなり。文芸は思想と美術とを抱合したる者 にして、思想ありとも美術なくんば既に文芸にあらず、美術ありとも思想なくんば既に文芸にあらず、華文妙辞のみにては文芸の上乗に達し難く、左りとて思想のみにては決して文芸といふこと能はざるなり、」
「究竟するに善悪正邪の区別は人間の内部の生命を離れて立つこと能はず、内部の自覚と言ひ、内部の経験と言ひ、一々其名 を異にすと雖、要するに根本の生命を指して言ふに外ならざるなり。詩人哲学者の高上なる事業は、実に此の内部の生命を語( セイ)るより外に、出づること能はざるなり。」
「瞬間の冥契とは何ぞ、インスピレーシヨン是なり、この瞬間の冥契ある者をインスパイアドされたる詩人とは云ふなり、」
「畢竟(ひつきやう)するにインスピレーシヨンとは宇宙の精神即ち神なるものよりして、人間の精神即ち内部の生命なるものに対する一種の感応に過ぎざるなり。吾人の之を感ずるは、電気の感応を感ずるが如きなり、斯の感応あらずして、曷(いづく)んぞ純聖なる理想家あらんや。
 この感応は人間の内部の生命を再造する者なり、この感応は人間の内部の経験と内部の自覚とを再造する者なり。(略)何処までも生命の眼を以て、超自然のものを観るなり。再造せられたる生命の眼を以て。」

『熱意』(初出:「評論」、1893(明治26)年6月、24歳)
「人生を解釈せんとする者は詩人なり、而して、詩人の、尤も留意するところは、意味の一字にあり。熱意は即ち意味なり。全く熱意なくして意味ある者あらず。意味を生ずるものは熱意なり。人生に意味あるは即ち熱意あるが故なり。」

『情熱』(初出:「評論」、1893(明治26)年9月、24歳)
「故に大なる詩人には必らず一種の信仰あり、必らず一種の宗教あり、(略)唯だ俗眼を以て之を視ること能はざるは、凡(すべ)ての儀式と凡ての形式とを離れて立てる宗教なればなり。」
「あはれむべき利己の精神によつて偸生(とうせい)する人間を覚醒して、物類相愛の妙理を観ぜしめ、人類相互の関係を悟らしむるもの、宗教の力にあらずして何ぞや。」
「いかに深遠なる哲理を含めりとも、情熱なきの詩は活(い)きたる美術を成し難し。(略)
美術に余情あるは、その作者に裡面(りめん)の活気あればなり、余情は徒爾(とじ)に得らるべきものならず、作者の情熱が自からに湛積 (たんせき)するところに於て、余情の源泉を存す。(略)大なる創作は大なる情熱に伴ふものなり、」

『万物の声と詩人』(初出:「評論」、1893(明治26)年10月、24歳)
「情及び心、一々其軌(そのき)を異にするが如しと雖(いへども)、要するに琴の音色の異なるが如くに異なるのみにして、宇宙の中心に懸れる大琴の音たるに於ては、均しきなり。個々特々の悲苦及び悦楽、要するにこの大琴の一部分のみ。」
「斯(ここ)に於て、凡ての声、情及び心の響なる凡ての声の一致を見る、高きも低きも、濁れるも清(す)めるも。然り、此の一致 あり、この一致を観て後に多くの不一致を観ず、之れ詩人なり。この大平等、大無差別を観じて、而して後に多くの不平等と差別とを観ず、之れ詩人なり。天地を取つて一の美術となすは之を以てなり。あらゆる声を取つて音楽となすは之を以てなり。詩人の前には凡ての物、凡ての事、悉く之れ詩なるは之を以てなり。」
「宇宙の中心に無絃の大琴あり、すべての詩人はその傍に来りて、己が代表する国民の為に、己が育成せられたる社会の為に、 百種千態の音を成すものなり。」
「渠を囲める小天地は悲(かなしみ)をも悦(よろこび)をも、彼を通じて発露せざることなし、渠は神聖なる蓄音器なり、万物自然の声、渠に蓄へられて、 而して渠が為に世に啓示せらる。秋の虫はその悲を詩人に伝へ、空の鳥は其自由を詩人に告ぐ。牢獄も詩人は之を辞せず、碧空も詩人は之を遠しとせず、天地は一の美術なり、詩人なくんば誰れか能く斯の妙機を闡(ひら)きて、之を人間に語らんか。」

2.恋愛
 純潔を敬う心は島崎藤村の詩集と美しく共鳴していると私は感じます。けれど透谷はその表層に留まらず男女の情 の深みを覗き見る目をもっていて、結婚の実生活で味わい苦しんだ幻滅も言葉に滲んでいる気がします。

『厭世詩家(えんせいしか)と女性』(初出:「女学雑誌」、1892(明治25)年2月、23歳)
「恋愛は人世の秘鑰(ひやく)なり、恋愛ありて後(のち)人世あり、恋愛を抽(ぬ)き去りたらむには人生何の色味かあらむ、」

『「歌念仏」を読みて』(初出:「女学雑誌」、1892(明治25)年6月、23歳)
「抑(そもそ)も恋愛は凡ての愛情の初めなり、親子の愛より朋友の愛に至(いたる)まで、凡(およ)そ愛情の名を荷ふべき者にして恋愛の根基より起らざるものはなし、進んで上天に達すべき浄愛までもこの恋愛と関聯すること多く、人間の運命の主要なる部分までもこの男女の恋愛に因縁すること少なからず。左れば文人の恋愛に対するや、須(すべか)らく厳粛なる思想を以(も)て其美妙を発揮するを力(つと)むべく、苟くも卑野なる、軽佻なる、浮薄なる心情を以て写描することなかるべし。」
「恋愛は詩人の一生の重荷なり、之を説明せんが為に五十年の生涯は不足なり、然れども詩人と名の付きたる人は必らずこの恋愛の幾部分かを解得(げとく)したるものなり。而して恋愛の本性を審(つまびらか)にするは、古今の大詩人中にても少数の人能く之を為せり、」

『処女の純潔を論ず(富山洞伏姫の一例の観察)』(初出:「白表・女学雑誌」、1892(明治25)年10月、23歳)
「天地愛好すべき者多し、而(しか)して尤も愛好すべきは処女の純潔なるかな。(略)噫(ああ)人生を厭悪するも厭悪せざるも、 誰か処女の純潔に遭(お)ふて欣楽せざるものあらむ。」
「悲しくも我が文学の祖先は、処女の純潔を尊とむことを知らず。(略)嗚呼(ああ)、処女の純潔に対して端然として襟(えり)を正( ただし)うする作家、遂に我が文界に望むべからざるか。」
「夫(そ)れ高尚なる恋愛は、其源を無染無汚の純潔に置くなり。純潔(チヤスチチイ)より恋愛に進む時に至道に叶(かな)へる順 序あり、然(しか)れども始めより純潔なきの恋愛は、飄漾(ひようよう)として浪に浮かるる肉愛なり、何の価直(かち)なく、何の美観なし。」

『桂川(かつらがわ)」(吊歌)を評して情死に及ぶ』(初出:「文学界」、1893(明治26)年7月、24歳)
「人の世に生るや、一の約束を抱きて来れり。人に愛せらるゝ事と、人を愛する事之なり。造化は生物を理するに一の法を設けたり、禽獣鱗介(きんじゅうりんかい)に至るまで、自(おのず)からこの法に洩るゝ事なし。之ありて万物活情あり、之ありて世界変化あり、他ならず、心性 上に於ける引力之なり。(略)細かに万物を見れば、情なきものあらず。造化の摂理愕(おど)ろくべきものあり。
 或は劣情と呼び、或は聖情と称(とな)ふ、何を以て劣と聖との別をなす、(略)若し人間の細小なる眼界を離れて、造化の広濶なる妙機を窺えば、孰(いずれ)を聖と呼び、孰を劣と称(よ)ぶを容(ゆ)るさむ。濫(みだ)りに道法を劃出(かくしゅつ)して、この境を出づれば劣なり、この界に入れば聖なりと言ふは何事ぞ」
「「情」の如き、「慾」の如き、是等のものは常に裸体ならんことを慕ひて、縦(ほしいまま)に繋禁を脱せんことを願ふ。」
「情死軽んずべからず。「世の中に絶えて心中なかりせば、二世のちぎりもなからまじ」(略)、と「冥土の飛脚」に言はせたる巣林子(さうりんし)、われその濃情を愛す。」(*巣林子は、近松門左衛門)。
「嗚呼狂なり、然り、狂なり、然れども世間の狂にして斯の如く真面目なる狂ありや。幻と呼び夢と呼ぶも理(ことわり)あれど、斯の如く真実 なる幻と夢とは、人間の容易に味ひ得ざるところ。之を以てわれは情死を憫(あわ)れむ事切なり。」

3.平和、戦争
  人生は戦争の歴史なり、と見据えたうえで、平和を求めた透谷の言葉に共鳴しその響きをより強める言葉を 私は伝えて生きたいと願っています。

『「平和」発行之辞』(初出:「平和」、1892(明治25)年3月、23歳)
「抑(そもそも)、平和は吾人最後の理想なり。(略)人と人との間、邦(くに)と邦との間に猜疑(さいぎ)騙瞞(へんまん)若し今日(こんに ち)の如くにして終るとせば、宗教の目的何所(いずく)にかあらむ。強は弱の肉を啖(くら)ひ、弱は遂に滅びざるを得ざるの理(こ とわり)、転々して長く人間界を制せば、人間の霊長なるところ何所にか求めむ。基督、仏陀、孔聖、誰れか人類の相闘ひ、相傷 ふを禁ぜざる者あらむ。」
「天下誰れか隣人を愛するを願はざる者あらむ。」

『最後の勝利者は誰ぞ』(初出:「平和」、1892(明治25)年5月、23歳)
「人生は戦争の歴史なり。(略)人生即ち是れ戦争。(略)力ある者は力なき者を殺し、権(けん)ある者は権なき者を殺し、智ある者は智なき者を殺し、業(ぎょう)ある者は業なき者を殺し、世は陰晴常ならず、殺戮(さつりく)の奇巧なるものに至つては、晴天白日の下(もと)に巨万の民を殺しつゝあるなり。(略)閃々たる剣火は絶ゆる時なきなり。」
「博愛は人生に於ける天国の光芒(こうぼう)なり、人生の戦争に対する仲裁の密使なり、」
「相争ひ相傷(きずつ)くる者に遭ひては、万斛(ばんこく)の紅涙を惜しまざる者なり。」
「世は相戦ふ、人は相争ふ、戦ふに尽くる期あるか。争ふに終る時あるか。殺す者は殺さるゝ者となり、殺さるゝ者は再(ま)た殺す者となる。」
「不調実(インコンシステンシイ)にして戦争の泉源なりとせば、調実は平和の始めなり。争はず戦はざる事を得るはひとり調実なりとせば、終(つひ)に勝たず終に敗れざる者、ひとり調実のみならむ。(略)故に曰く、最後の勝利者は調実なりと。調実、言を換ゆれば真理、 再言すれば基督。」

『復讐・戦争・自殺』(初出:「平和」、1893(明治26)年5月、24歳)
「 復讐と戦争 
一個人の間には復讐なり。国民と国民の間には戦争なり。(略)宗教の希望は一個人の復讐を絶つと共に、国民間の戦争を断たんとするにあるべし。」
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島崎藤村 新しい詩歌の時代

 島崎藤村を、 萩原朔太郎は明治以降の詩人で興味を抱ける数少ない一人としてあげました。北村透谷とともに新しい詩の世界を切り拓いた島崎藤村の詩を、自選『藤村詩抄』から摘んでここに咲かせます。
 私は詩と小説のどちらに自分を注ぎ込むか思い悩んでいたとき、詩人から小説家へと転じた藤村、その転機に彼が書いた『千曲川のスケッチ』を読み、考えていました。
 藤村の詩世界を今改めて読み返すと、狭い詩風しかないとの私の思い込みは誤りで、ちいさな美しい抒情詩や、「千曲川旅情の歌」などの整った作品だけでなく、「勞働雜詠」など強い独自性を感じる豊かな作品の拡がりを持っていることを知ります。
 新しい詩世界を開拓していこうとする藤村の意欲が、強い個性を放つ光となった作品たちから伝わってきます。
 ここには、私が特に好きだと感じる、美しく愛(かな)しい抒情詩を3篇選びました。
 「初恋」は有名すぎるけれど、藤村が詩集合本自序で高らかに述べた、「遂に、新しき詩歌の時は來りぬ。そはうつくしき曙のごとくなりき。」、この言葉の純真さが結晶したような青春の淡くまぶしい詩だから。 
 「ゆふぐれしづかに」は透きとおる悲しみがひらがなの美しい調べとなって響いているから。
 「門田にいでて」は、戦争という状況下でも、本来の詩は、ひとりのこころ、思いの揺らめきであること、それだけは嘘でないことを、静かに教えてくれる詩だからです。

 出典は『藤村詩抄』岩波文庫、1995年改版です。


 初恋


まだあげ初(そ)めし前髪の
林檎(りんご)のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛(はなぐし)の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅(うすくれない)の秋の実に
人こひ初(そ)めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃(さかずき)を
君が情(なさけ)に酌(く)みしかな

林檎畑の樹(こ)の下(した)に
おのづからなる細道は
誰(た)が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ


 ゆふぐれしづかに

ゆふぐれしづかに
     ゆめみむとて
よのわづらひより
     しばしのがる

きみよりほかには
     しるものなき
花かげにゆきて
     こひを泣きぬ

すぎこしゆめぢを
     おもひみるに
こひこそつみなれ
     つみこそこひ

いのりもつとめも
     このつみゆゑ
たのしきそのへと
     われはゆかじ

なつかしき君と
     てをたづさへ
くらき冥府(よみ)まで
     かけりゆかむ


 門田にいでて
   遠征する人を思ひて娘のうたへる

門田(かどた)にいでて
   草とりの
身のいとまなき
   昼なかば
忘るゝとには
   あらねども
まぎるゝすべぞ
   多かりき

夕ぐれ梭(おさ)を
   手にとりて
こゝろ静かに
   織るときは
人の得しらぬ
   思ひこそ
胸より湧(わ)きて
   流れけれ

あすはいくさの
   門出なり
遠きいくさの
   門出なり
せめて別れの
   涙をば
名残にせむと
   願ふかな

君を思へば
   わづらひも
照る日にとくる
   朝の露
君を思へば
   かなしみも
緑にそゝぐ
   夏の雨

君を思へば
   闇(やみ)の夜も
光をまとふ
   星の空
君を思へば
   浅茅生(あさじう)の
荒れにし野辺も
   花のやど

胸の思ひは
   つもれども
吹雪はげしき
   こひなれば
君が光に
   照らされて
消えばやとこそ
   恨(うら)むなれ

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「日本詩と日本詩人」萩原朔太郎

 萩原朔太郎の詩論にある刺のような、「日本詩と日本詩人(草野心平君への書簡)」について考えます。この文章は、明治初頭の象徴派詩人の蒲原有明についての評論執筆依頼に対して、辞退しその理由を述べたものです。
 晩年に近い時期の完全に醒めきった、人間関係への気兼ねもいっさいしない文章です。嘘を言う気はもうなくなった、自分が生きてきた過去さえ、徹底して批判した、目が据わった凄みを感じ、だからこそ現在にも通じる真実が含まれていると、私は考えます。

 朔太郎は冒頭、過去に深く有明の芸術の鮮新さとフォルムの独創性に私淑したからそれだけのことなら書ける、と過去の自分を反省したうえで、けれども、有明の芸術が本質的にはわからないから評論執筆を辞退する、有明の「ポエヂイが根拠している人生観や宇宙観の哲学」が不可解であり、「どんな生活意欲によってどんな必然の個性的モチーフで書かれたか」がよくわからないためだと述べます。
 
 朔太郎は続けて、「明治大正期の詩人中で、小生の批評的関心を持つてる人は与謝野鉄幹島崎藤村の二氏だけ」で、日本の所謂「詩人」にはあまり深い評論的興味を持てないと、醒めきった言葉で言い切ります。むしろ「石川啄木、与謝野晶子、斎藤茂吉、正岡子規等の人々」、「別種の詩人(歌人、俳人)の方に、深い評論的興味と関心を持つ」と、詩歌全体を見たうえでの、偽りない評価を表明します。

 朔太郎はなぜそのように感じ、考えるのか、それは、
「なぜならこれらの人々の作品や文学には、ポエヂイの根拠してゐる原理のもの、即ちその人生観や、自然観や個性の必然的な感性や生活やが、すくなくともモチーフとして鮮明に出て居るから」、詩形の差異が理由ではなく、「啄木や茂吉の歌はすくなくとも自己の本当の生活」「単なる身辺的日常生活のことではなく、主観の意欲するモラルの世界、及び作者の環境する現代日本の社会性」を歌っているからだと、主張します。 

 私の言葉にすると、朔太郎は詩歌の根本にある次のことを言いたかったのだと考えます。
 詩に、書かずにはいられないもの、伝えずにはいられないもの、それがあるかないか。一時的な流行の波が引いた後でも、残りうるのはそれだけだと私は考えます。
 私も読者としてそれがない詩は読む気がしないし、読んでも何も心に残らず忘れます。たとえ上手い表現だなと思えたとしても。
 読者は欺けないし、欺かれない。書き手の伝えずにいられないものの本当さが、読み手をのみこんでしまうほどの、真実さ、強さ、切実さ、良さをもつまでに高められ、込められているかどうか。
 すくなくとも作者以外の人、一人だけであっても他人にも、心から本当にいいと、伝わるものを響かせているかどうか。

 朔太郎は容赦なく日本の詩、詩壇の脆弱さを叩きます、自分の過去がそこにあることを承知したうえで徹底的に。
 「明治以来の新体詩や自由詩といふものは、要するに西洋文明の新鮮な香気に酔った、単なるエキゾチシズムの産物にすぎない」、「芸術の上のヂレツタンチズム」、 「英吉利や仏蘭西の近代詩を、舶来の香気に酔って伝へるべく、日本語の翻案したもの」に過ぎないと突き放し、その根本は、「作者の詩人その人の、真に訴へてる悩みでもなく、何の主観性のポエヂイもない」、「本質的な詩精神(作者の主観的な生活や哲学)が、作品に表現されないこと」にあると容赦なく指弾します。
 明治以降で「真に評論的興味の対象となり得るほど、鮮明な個性を持つてる」詩人は数少なく、「詩のレトリツクやスタイルの上でのみ、形式上の評価を批判する以外、何の興味もない人々」、「キザなダンヂイ」ばかりだと突き放します。
 とても厳しい言葉です。朔太郎は自分も含めて、見ぬふりはするなと突き放すようです。

 「今日我が国の大衆が、啄木等の歌を好んで読むにもかかはらず、小生等の「新しい詩」が、昔から民衆と没交渉に、白眼視されている」、「詩人はその誤った高級意識の自負心を捨て、今一度この事実を、自らよく考える必要がある。」

出典は、『萩原朔太郎全集 第6巻』(筑摩書房、1975年)。旧字体は新字体に変えました。
初出は、『歴程』(1939年7月号)。

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愛しい詩歌 北村透谷の詩

 北村透谷の文学論を「詩を想う」で考えました。その熱く強い語り口は、長編の劇詩「蓬莱曲」にも息づいています。
 透谷はその一方で、小さな生きものたち、みみず、蛍、蝶たちをみつめ、平家蟹から馬まで様々な生きものを通して、いのちを想いうたう、短い詩も書きました。それらの詩から流れ出る調べは、透谷の感情、空(くう)、はかなさ、さびしさ、悲しみが染み込んだ清澄な響きです。
 わたしの詩の好みから好きな3篇をここに咲かせます。

 「みどりご」は七五調のやわらかなうた。島崎藤村の『若菜集』に手渡されていくような調べ。
 「眠れる蝶」には、生きものに満ち、移りゆく時の流れに、いのちのはかなさがふるえていて、
 調べも自然で変化に富む語数韻、自由律の美しい詩だと感じます。
 「露のいのち」は透谷の心が砕けこぼれ落ちてゆくような、ちからなく悲しい絶筆、のように感じます。

 同時に、この優しくやわらかな3篇は、透谷の心の豊かさのある部分のあらわれであり、透谷には評論での新しい時代に先頭を駆け。恋愛、平和を誇らかに謳いあげた知性・意思・勇気・行動力があったこと、新体詩を経て初めての文語自由律の長編詩「楚囚之詩」を創り上げた芸術力があったことを、忘れてはならないと思います。
 詩人ならその心は海、言葉は波のようにゆたかな変化する表情をした潮騒の調べになる、と私は思います。
 詩句中の( )は送り仮名です。


   みどりご


ゆたかにねむるみどりごは、
     うきよの外(そと)の夢を見て、
母のひざをば極樂の、
     たまのうてなと思ふらむ。
ひろき世界も世の人の、
     心の中(うち)にはいとせまし。
ねむれみどりごいつまでも、
     刺なくひろきひざの上に。


   眠れる蝶


けさ立ちそめし秋風に、
  「自然」のいろはかはりけり。
高梢(たかえ)に蝉の聲細く、
茂草(しげみ)に蟲の歌悲し。
林には、
  鵯(ひよ)のこゑさへうらがれて、
野面には、
  千草の花もうれひあり。
あはれ、あはれ、蝶一羽、
  破れし花に眠れるよ。
早やも來ぬ、早やも來ぬ秋、
  萬物(ものみな)となりにけり。
蟻はおどろきて穴(あな)索(もと)め、
蛇はうなづきて洞(ほら)に入る。
田つくりは、
  あしたの星に稻を刈り、
山樵(やまがつ)は、
  月に嘯むきて冬に備ふ。
蝶よ、いましのみ、蝶よ、
  破れし花に眠るはいかに。
破れし花も宿假(か)れば、
  運命(かみ)のそなへし床(とこ)なるを。
春のはじめに迷ひ出で、
秋の今日まで醉ひ醉ひて、
あしたには、
  千よろづの花の露に厭き、
ゆふべには、
  夢なき夢の數を經ぬ。
只だ此のまゝに『寂(じやく)』として、
  花もろともに滅(き)えばやな。


  露のいのち


待ちやれ待ちやれ、その手は元へもどしやんせ。無殘な事をなされまい。その手の指の先にても、これこの露にさはるなら、たちまち零(お)ちて消えますぞえ。

吹けば散る、散るこそ花の生命とは悟つたやうな人の言ひごと。この露は何とせう。咲きもせず散りもせず。ゆふべむすんでけさは消る。

草の葉末に唯だひとよ。かりのふしどをたのみても。さて美(あま)い夢一つ、見るでもなし。野ざらしの風颯々と。吹きわたるなかに何がたのしくて。

結びし前はいかなりし。消えての後はいかならむ。ゆふべとけさのこの間(ひま)も。うれひの種となりしかや。待ちやれと言つたはあやまち。とくとく消してたまはれや。

 青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)(入力:鈴木厚司、校正:土屋隆)を利用しました。
底本:「透谷全集 第一卷」岩波書店、1950年
初出:みどりご「平和 第八號」1892(明治25)年11月26日。眠れる蝶「文學界 第九號」1893(明治26)年9月30日。露のいのち「文學界 第十一號」1893(明治26)年11月30日。


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空(くう)の空の空を撃つ。北村透谷

 北村透谷の「人生に相渉るとは何の謂ぞ」を通して、詩を見つめます。
 北村透谷は25歳でなくなるまで、明治二十年代の数年間に新しい時代の文学を切り開こうと苦闘し、文学の根底まで掘り下げた評論、詩、小説を書きました。
 透谷は自由民権運動へ関与し離脱する経験を通して、政治によってではなく文学によってこそ自らの大志を実現させる道があると見定めました。またキリスト教信仰のまなざしで、本当の恋愛とはなにか、女性の生き方、宗派を超えた平和を考え願い熱く語った言葉に私は、今なお強い共感を呼び起こされます。
 私は二十歳前後の生き方を模索していた時代に、透谷に自分の生き方を重ねあわせて思索しました。彼との対話は、文学に生きたいという私の志を後押ししてくれました。
 その時、最も心に響き、今も変わらず心にあるのが、この「人生に相渉るとは何の謂ぞ」の言葉です。
 
 透谷のこの評論は、山路愛山の文学の効用論、次の考え方に対するものです。
 山路愛山は、「文章は事業なるが故に崇(あが)むべし」と言い、その理由として、
「第一 為す所あるが為なり。 第二 世を益するが故なり。 第三 人世に相渉るが故なり」をあげます。
 山路愛山は、逆に「文章の事業たるを得ざる条件」として、次の三点をあげます。
「第一 空(くう)を撃つ剣の如きもの。 第二 空の空なるもの。 第三 華辞妙文の人生に相渉らざるもの。」

 それにたいして、透谷は文学の本質とは何か、文士の生き方はどのようなものか、を述べます。その核心をなす次の言葉が、私の心に強く響き続けています。透谷は言います、文士は、
「空(くう)の空の空を撃つて、星にまで達することを期すべし。」 

 以下には、この言葉を包み、この言葉に響き合っている透谷の言葉の原文を引用し、記憶に焼きつけます。赤紫太字は強調するために私がつけました。

 「人間の霊魂を建築せんとするの技師に至りては、其費やすところの労力は直(たゞ)ちに有形の楼閣となりて、ニコライの高塔の如く衆目を引くべきにあらず。衆目衆耳の聳動(しようどう)することなき事業にして、或は大に世界を震ふことあるなり。」

 「天下に極めて無言なる者あり、山岳之なり、然れども彼は絶大の雄弁家なり、若(も)し言の有無を以て弁の有無を争はゞ、凡(すべ)ての自然は極めて憫(あは)れむべき唖児(あじ)なるべし。然れども常に無言にして常に雄弁なるは、自然に加ふるものなきなり。
 人間の為すところも亦斯(かく)の如し。極めて拙劣なる生涯の中に、尤も高大なる事業を含むことあり。極めて高大なる事業の中に、尤も拙劣なる生涯を抱くことあり。見ることを得る外部は、見ることを得ざる内部を語り難し。盲目なる世眼を盲目なる儘に睨(にら)ましめて、真贄(しんし)なる霊剣を空際(くうさい)に撃つ雄士(ますらを)は、人間が感謝を払はずして恩沢を蒙(かう)むる神の如し。天下斯の如き英雄あり、為す所なくして終り、事業らしき事業を遺すことなくして去り、而(しか)して自ら能く甘んじ、自ら能く信じて、他界に遷(うつ)るもの、吾人が尤も能く同情を表せざるを得ざるところなり。」

 「高大なる戦士は、斯の如く勝利を携へて帰らざることあるなり、彼の一生は勝利を目的として戦はず、別に大に企図するところあり、空を撃ち虚を狙ひ、空の空なる事業をなして、戦争の中途に何れへか去ることを常とするものあるなり。
 斯の如き戦は、文士の好んで戦ふところのものなり。斯の如き文士は斯の如き戦に運命を委(ゆだ)ねてあるなり。文士の前にある戦塲は、一局部の原野にあらず、広大なる原野なり、彼は事業を齎(もた)らし帰らんとして戦塲に赴かず、必死を期し、原頭の露となるを覚悟して家を出(いづ)るなり。」

 「直接の敵を目掛けて限ある戦塲に戦はず、換言すれば天地の限なきミステリーを目掛けて撃ちたるが故に、愛山生には空の空を撃ちたりと言はれんも、空の空の空を撃ちて、星にまで達せんとせしにあるのみ。行(ゆ)いて頼朝の墓を鎌倉山に開きて見よ、彼が言はんと欲するところ何事ぞ。来りて西行の姿を「山家集(さんかしふ)」の上に見よ。孰(いづ)れか能く言ひ、執れか能く言はざる。」 

 「自然は吾人に服従を命ずるものなり、「力」としての自然は、吾人を暴圧することを憚(はゞか)らざるものなり、「誘惑」を向け、「慾情」を向け、「空想」を向け、吾人をして殆ど孤城落日の地位に立たしむるを好むものなり、而して吾人は或る度までは必らず服従せざるべからざる「運命」、然り、悲しき「運命」に包まれてあるなり。(略)吾人は吾人の霊魂をして、肉として吾人の失ひたる自由を、他の大自在の霊世界に向つて縦(ほしいまゝ)に握らしむる事を得るなり。」

 「造化主は吾人に許すに意志の自由を以てす。現象世界に於て煩悶苦戦する間に、吾人は造化主の吾人に与へたる大活機を利用して、猛虎の牙を弱め、倒崖(たうがい)の根を堅うすることを得るなり。現象以外に超立して、最後の理想に到着するの道、吾人の前に開けてあり。大自在の風雅を伝道するは、此の大活機を伝道するなり、何ぞ英雄剣を揮ふと言はむ。何ぞ為すところあるが為と言はむ。何ぞ人世に相渉らざる可からずと言はむ。空(くう)の空の空を撃つて、星にまで達することを期すべし俗世をして俗世の笑ふまゝに笑はしむべし、俗世を済度するは俗世に喜ばるゝが為ならず、肉の剣はいかほどに鋭くもあれ、肉を以て肉を撃たんは文士が最後の戦塲にあらず、眼を挙げて大、大、大の虚界を視よ、彼処に登攀して清涼宮を捕握せよ、清涼宮を捕握したらば携へ帰りて、俗界の衆生に其一滴の水を飲ましめよ、彼等は活(い)きむ、嗚呼(あゝ)、彼等庶幾(こひねがは)くは活きんか。」 

 「自然の力をして縦(ほしいまゝ)に吾人の脛脚(けいきやく)を控縛せしめよ、然れども吾人の頭部は大勇猛の権(ちから)を以て、現象以外の別(べつ)乾坤(けんこん)にまで挺立(ていりふ)せしめて、其処に大自在の風雅と逍遙せしむべし。
 霊性的の道念に逍遙するものは、世界を世界大の物と認むることを知る、而して世界大の世界を以て、甘心自足すべき住宅とは認めざるなり、世界大の世界を離れて、大大大の実在(リアリチイ)を現象世界以外に求むるにあらずんば、止まざるなり。物質的英雄が明晃々(くわう/\)たる利剣を揮つて、狭少なる家屋の中に仇敵と接戦する間に、彼は大自在の妙機を懐にして無言坐するなり。」

出典:青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)、入力:kamille、校正:鈴木厚司を利用しました。
底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房、1969年。
初出:「文學界 二號」女學雜誌社1893(明治26)年2月28日。


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