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高畑耕治

Author:高畑耕治
愛のうたの絵ほんは、高畑耕治の詩と詩集の海です。
Profile 高畑耕治 たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪府四條畷市出身、早稲田大学政経学部中退。東京都多摩市在住。
詩集『銀河、ふりしきる』(2016年5月イーフェニックス)
詩集『こころうた こころ絵ほん』(2012年同上)
詩集『さようなら』(1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25)
詩集『愛のうたの絵ほん』(1994年同上)
詩集『愛(かな)』(1993年同上)
詩集『海にゆれる』(1991年土曜美術社)
詩集『死と生の交わり』(1988年批評社)
雑誌「エヴァ」に扉の詩(1996~1997サンマーク出版)を連載。
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崎本恵さんの個人文芸誌『糾う』12号

 作家の崎本恵さん(詩人・神谷恵さん)が、個人文芸誌『糾う』(あざなう)12号(6月15日発行日)を完成されました。連載小説「瑕」(きず)の第9回完結編が掲載されています。
 
 この号では私の詩作品「優しさの花」をきれいな小詩集としてくださいました。
 招待詩人作品集として、山下佳恵さん、吉川千穂さん、甲斐ゆみこさん、清岳こうさん、藤子迅司良さん、庄司祐子さん、龍秀美さん、堀田孝一さん、藤坂信子さんの詩の花々が個性豊かな顔で咲いています。

 崎本さんの小説について神谷恵の小説『家郷』で私の思いを記しましたが、『糾う』に執筆された新しい小説についても今後記していきたいと考えています。 
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tag : 作家 崎本恵 詩人 神谷恵 文芸誌 糾う 高畑耕治 詩歌 うた

調想不離の美『恋愛名歌集』(三)萩原朔太郎

 萩原朔太郎の『恋愛名歌集』を通して、日本語の歌の韻律美をより深く聴きとる試みの3回目です。前回は頭韻や脚韻を考えましたが、今回はより微妙で柔軟自由な自由押韻と、言葉の音色・色調・ニュアンスを感じとりつつ、想(内容)と音象の望ましい関係について考えます。

1.微妙で柔軟自由な自由押韻
 日本語の韻律美についても頭韻や脚韻は、各句(呼吸)の始りと終りなので、その響き合いはわかりやすく感じます。朔太郎はさらに踏み込んで、「柔軟自由な自由押韻」を聴きとります。彼は、「音楽的で、韻律上の構成が非常に美しく作られている」例として次の歌をあげます。

     みかの原わきて流るる泉川いつ見きとてか恋しかるらむ
     Mika-No-hara Wakite-nagaruru  Itsumi-kawa Itsumi-kitoteka  Koishi-karuran
 この歌の韻律美は、「カ行Kの音と母音Iとを主音にして、一種の「不規則なる方則」による押韻対比を進行させている」ところにあるとします。
 ローマ字書きした文字の並びを見ても、Kの音と、Iの音が現れる位置はまったくの「不規則」です。でも歌を詠むと、この二音が「押韻対比を進行」していること、清流のきらめきのように、不意に跳ね、不規則に光り、響きあっていることが、この音の流れの美しさのいのちだと、聴きとることが確かにできます。
 微妙で柔軟自由な自由押韻日本語の韻律美、歌の調べなんだと、私は彼に教えられました。

2.言葉の音色・色調・ニュアンス
 詩句となる、言葉ごとの個性、言葉の音色、色調、ニュアンスにも、朔太郎はとても敏感です。今回の引用原文にはこれらについての感覚的な言葉を集め、特徴的な点を考えてみました。
① 母音は口の開き具合で音の明るさが異なっている。
「母音の陰陽」、「AとOとの開唇母音」、「Iの閉唇母音」、
「全体にUの母音を多く使っているため、静かに浪のウネリを感じさせる音象」。
② T、K 、Sなど、子音は、歯と唇と、息の吐き方漏れ出方で、響きの特徴、感じ方が変る。
「T・K等の固い子音にIの母音を附して用い、歯の噛み合うような冷たい緊張」、
「Sの子音を用い、前の緊張が歯から漏出するよう」、
「KとSとの子音重韻、これ等の歯音や唇音は、それ自身冷たく寒い感じをあたえる」、
「カキクケコのK音とサシスセソのS音」は「如何にも寒そうな感じがする」。
③ 同じ音でも、表す想によってニュアンスは微妙に変る。
「Nagaki(長き)と Nageki(嘆き)」のNaは、「声調がネバネバして、どこか物倦(う)く」感じられる。
Natsukashii(なつかしい)、Nagare(流れ)、Nanohana(菜の花)のNaは、ネハネバだが、物憂くはない。

3.調想不離が最上の歌
 以上を踏まえての朔太郎の次の言葉に、私は深く共感します。
 「歌では想の修辞と声調の音象とがよく融和し、(略)調想不離の作を以て最上とする。調と想が別々になり、音楽と内容が分離しているものは二流である。」
 言葉の響きによる音楽としての「音象」と、言葉の意味による表象「想」を、共に、同時に奏でることができるのが、芸術としての詩歌の本質的な特徴であり、感動の源だと、私は考えます。
 言葉の音楽だけでは、楽曲や歌謡にほど強い感動は伝えられず、言葉の意味を運ぶには散文の強い力に及ばないにもかかわらず、詩歌は音象と想を織りなし感動を響かせ伝えることができる、ただひとつの芸術です。
 「想の修辞と声調の音象とがよく融和」した「調想不離の作」が、詩歌ができること、詩歌にしかできないものを、最も美しく強く心に響かせうると、私も考えています。

 次回は『恋愛名歌集』の最終回で、日本語の歌の韻律美を総合的にとらえて、」口語自由詩に生かすことを考えます。

◎以下は、朔太郎の原文です。

解題一般
 (略)日本語には建築的、対比的の機械韻律が殆んどなく、その点外国語に比し甚だ貧弱であるけれども、一種特別なる柔軟自由の韻律があり、母音、子音の不規則な―と言うよりも非機械的な配列から、頭韻や脚韻やの自由押韻を構成して、 特殊な美しい音律を調べるのである。

  あらざらむこの世の外の思ひ出に今一度(ひとたび)の逢ふこともがな
  Aあaらaざaらaむ・こoのo世oのoほoかaのo・おoもoひiでeにi・
  Iいiまaひiとoたaびiのo・逢oふoこoとoもoがaなa
(略)
 AとOとの開唇母音を重韻にし、中間にIの閉唇母音を挿んで調を構成している(略)。
 重韻の外、上句初頭のAと下句初頭のIとが、同じ母音の陰陽で対比している点を見るべきである。

  契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山浪こさじとは
(略)この歌上三句までは、主としてT・K等の固い子音にIの母音を附して用い、歯の噛み合うような冷たい緊張の感をあたえる。次に下四句以下主としてSの子音を用い、前の緊張が歯から漏出するように構成されてる。したがって想の情操とよく一致し、どこか歯を食いしばって怨言(えんげん)する如き感覚をあたえるのである。(略)

  長き世の尽きぬ嘆きの絶えざらばなにに命をかへて忘れむ(略)
「長き世の尽きぬ嘆きの」という言葉も象徴的だが、全体に声調がネバネバして、どこか物倦(う)く人を惹きつける魅力がある。その分解を示せば上二句でNagaki(長き)と Nageki(嘆き)の韻を合わせ、かつKiとNoとを対比にして重韻してある。次に第四句に移って、拍節音のNaを第一句の主音Naと対韻させ、兼ねて「嘆き」のNaとも重韻してある。

  由良の戸を渡る船人(ふなんど)梶(かぢ)を絶え行方も知らぬ恋の道かな
  Yuranoto o
  Wataru funando
  Kajio tae
  Yukue mo shiranu
  Koino michikana.

 上三句までは序であるが、同時に比喩にも使われている。(略)第一句の集音U(Yは母音であるからUに韻が掛ってくる)を、第四句で「行方」のUに対韻させ、かつ全体にUの母音を多く使っているため、静かに浪のウネリを感じさせる音象を持ち、その点で比喩の想とよく合っている。洗練された芸術が持つ「美」の観念をはっきり啓示してくれる歌である。

  みかの原わきて流るる泉川いつ見きとてか恋しかるらむ
 上三句までは序で、四句の「いつ見き」を声調に呼び出すための前奏である。こうした序は全く音律上の調子を付ける為で、内容的には何の意味もないノンセンスである。しかしまたこうした歌に限って音楽的で、韻律上の構成が非常に美しく作られている。(略)
  Mika-No-hara Wakite-nagaruru   Itsumi-kawa Itsumi-kitoteka   Koishi-karuran
 即ちカ行Kの音と母音Iとを主音にして、一種の「不規則なる方則」による押韻対比を進行させている。そのため非常に音楽的で調子がよく、内容の空虚にもかかわらず調子の魅力で惹かれてしまう。

  鵲(かささぎ)のわたせる橋におく霜の白きを見れば夜は更けにけり
 (略)この歌を読むと不思議に寒い感じがして、(略)その効果はもちろん想の修辞にもよるけれども、声調がこれに和して寒い音象を強くあたえる為である。
 即ちこの歌の音韻構成を分解すれば、主としてKとSとの子音重韻で作られている。そしてこれ等の歯音や唇音は、それ自身冷たく寒い感じをあたえるからだ。ローマ字で示せば次の如し。
 Kasasagi-no Wataseruhashi-ni Okushimo-no Shiroki-o-mire-ba Yowa-fuke-ni-keri.

  きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしき独りかも寝む
 (略)如何にも寒そうな感じがする。そして音韻構成も前の歌と同様である。即ちカキクケコのK音とサシスセソのS音を主調んにして重韻している。(略)
 (略)歌では想の修辞と声調の音象とがよく融和し、(略)調想不離の作を以て最上とする。調と想が別々になり、音楽と内容が分離しているものは二流である。

出典:『恋愛名歌集』(1931年・昭和6年、第一書房、1954年、新潮文庫)。


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tag : 萩原朔太郎 恋愛名歌集 音楽 韻律 高畑耕治 詩人 詩歌 うた 和歌

頭韻や脚韻『恋愛名歌集』(二)萩原朔太郎

 萩原朔太郎の『恋愛名歌集』を通して、日本語の歌の韻律美をより深く聴きとる試みの2回目です。前回は音数律、実数律を考えましたが、今回からより微妙な言葉の音色に耳を澄ませます。

 日本語の韻文のこの特徴について朔太郎は、「解題一般」で次のようにわかりやすく記しています。 「日本語には建築的、対比的の機械韻律が殆んどなく、その点外国語に比し甚だ貧弱であるけれども、一種特別なる柔軟自由の韻律があり、母音、子音の不規則な―と言うよりも非機械的な配列から、頭韻や脚韻やの自由押韻を構成して、 特殊な美しい音律を調べるのである。」

 一般的には、日本語の詩、韻文について、音数律以外の韻律があるとは語られません。歌と散文の違いは、三十一文字かどうか、詩と散文の違いは、語数のリズム(五七調や七五調)がなんとなく感じられるかどうか、くらいにしか考えられていなくて、これだけでは詩が「行分け散文」とけなされても、仕方ないかもしれません。
 そのような常識しかしらなかった私にとって『恋愛名歌集』での日本語には特殊な美しい韻律があるという言葉は、驚きの発見であり深い喜びでした。

 今回は、韻律の中でも感じとりやすく印象が強い「頭韻や脚韻」を中心に、日本語の韻律を考えます。
 外国の詩は「建築的、対比的の機械韻律」、「頭韻や脚韻」の細かい規則に、言葉を選び当てはめて詩が作られます。特に脚韻の繰り返す響き合いには、待っている音が期待通りにやってくる自然な快感を感じてうらやましく、逆に日本語の詩歌に「頭韻や脚韻」がないのを残念に思っていました。
 そんな私に朔太郎は、「外国語に比し甚だ貧弱であるけれども」、日本語の歌には「母音、子音の不規則な―と言うよりも非機械的な配列から、頭韻や脚韻やの自由押韻」がある、と教えてくれました。とても新鮮な驚き、無意識に使っていた言葉の再発見でした。見つけた頭韻や脚韻に耳を澄ますと、歌がより美しく心に響いてくれることを知りました。

  たとえば、私は朔太郎の言葉で意識する前から、古今集の紀友則の有名な次の歌は「なんとなくいい響きで好き」でした。
   久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ
 朔太郎はその秘密を教えてくれます。「ハ行H音を主調(テーマ)として、各句の拍節毎に頭韻し、かつNO(の)の母韻を韻脚として毎節毎に重韻している」からだと。この歌は美しい「音象詩」だと。
   Hisakata-no Hikari-no-dokeki Haru-no-hini Shizukokoronaku Hana-no-chiruran

朔太郎の言うとおり、「不規則な―と言うよりも非機械的な配列」です。でも詠んでみると、この歌には確かに「頭韻や脚韻」があること、美しく響く音律を奏でていることを、感じとれます。

 この歌と同じように、日本の歌の韻律は、外国の詩のように「建築的、対比的の機械韻律」の決まりごとに当てはめて作られてはいません。「何行何句目と何行何句目、その何文字目と何文字目に同音を置くのが何々形式の詩」といった約束事はありません。「一種特別なる柔軟自由の韻律」です。
 作者自身、決まりごとの枠に音を当てはめているのではなく、言葉の音を聴きとり響きあう音を選びながら、詠んでいるのだと思います。だから押韻しあう音が置かれ響きあう位置は、作者の感性しだいで柔軟にうごき、歌により変ります。 美しい「音象詩」にまで高まっているかどうかは、作者の感性と力量次第の、高度な芸術です。定式化された決まりごとでないから、読みとり、聴きとる側にも、耳と言葉の響きに対する感性がなければ、その良さがわかりません。

 『恋愛名歌集』にある朔太郎の「音象詩」を聴きとる言葉のうち、「頭韻と脚韻」を主としたものも、下記の原文に抜き出しまとめました。私もこれらの美しい言葉の響きを自分の耳で聴きとりたい、感じとれる感性、感動で心を豊かに波うたせたいと願っています。

 次回は、さらに微妙な韻律に耳を澄ませたいと思います。

◎以下は、朔太郎の原文です。

解題一般
 (略)日本語には建築的、対比的の機械韻律が殆んどなく、その点外国語に比し甚だ貧弱であるけれども、一種特別なる柔軟自由の韻律があり、母音、子音の不規則な―と言うよりも非機械的な配列から、頭韻や脚韻やの自由押韻を構成して、 特殊な美しい音律を調べるのである。

  久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ
 ハ行H音を主調(テーマ)として、各句の拍節毎に頭韻し、かつNO(の)の母韻を韻脚として毎節毎に重韻している。そのため全体の音楽が朗々として、如何にも長閑(のど)かな春の気分を音象している。(略)音象詩として典型的の者であろう。

  わりもなく寝ても醒めても恋しきか心をいづちやらば忘れむ
(略)「わりもなく寝ても醒めても」と「も」音を重ねて各句の行尾に脚韻し、畳みこむようにして歌っているのが、この場合最も適切に響いている。(略)

  筑波根(つくばね)の嶺(みね)より落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりぬる
 全体が序みたいな歌で、想としては無意味極まる空虚な歌だが、調律上の押韻は巧みに出来てる。即ち「嶺より落つるみなの川」でMiを重韻すると共に、「つくばね」のTsuを「落つる」び受け重ねてる。このTsuは一首の始まる主調音である故に、四句の「恋ぞつもりて」で対比的に押韻し、以て全体に調和のある佳い音楽を構成している。こういう歌は意味を取らずに、ただ耳だけで聴くべきである。

  名にしおはば逢坂山のさねかづら人に知られで来るよしもがな
 この歌上三句まで
  Nanishi Owaba Osakayama no Sanekazura
 と母音Aを多く用いてリズミカルに押韻している。下四句に至って第一句Nanishiの主母音Iを受け Hitonishiraredeと転調し、此所に最も優美な音楽を聞かせている。(略)

  これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関
(略)如何にも逢坂の関所あたりを。東西の旅客が右往左往して忙しげに行き交う様子が浮んで来る。その表象効果は勿論音律に存するので、「これやこの」という急きこんだ調子に始まり、続いて「行くも」「帰るも」「知るも」「知らぬも」とMo音を幾度も重ねて脚韻し、さらにKoreya Kono yukumo Kaerumo wakaretewaと、子音のKをいくつも響かして畳んでいる。こういう歌は明白に「音象詩」と言うべきであり、内容をさながら韻律に融かして表現したので、韻文の修辞として上乗の名歌と言わねばならぬ。

  滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れて尚聴えけれ 
(略)規則正しい頭韻が押してある。即ち「たきの音」は「たえて」でTaを重韻し、以下「名こそ」「ながれて」「なほ」とNaを各句の拍節部に頭韻している。この形式の代表的の者は、万葉にある「よき人のよしとよく見てうよしと言ひし吉野よく見よよき人よく見つ」であるが、こうなると人為的のトリックが目について不愉快である。すべて詩歌の押韻は自然に適い、工夫の跡が見えないようにするほど上手である。(略)
 脚韻律の例としては前掲蝉丸の歌「これやこの」以外に(略)
  あし曳(ひ)きの・山鳥の・尾の・しだり尾の・長々し夜を独りかも寝む  
等その他たくさんある。

  はかなくて過ぎにし方(かた)を数ふれば花に物思ふ春ぞ経にける
(略)第一句の「はかなくて」を、四五句の「花に」「春ぞ」と対比し、Ha音を三度重韻して歌っているので、如何にも嘆息深く、ゆったりと物憂げに感じられる。(略)

  難波(なには)潟みじかき葦(あし)のふしの間も逢はでこの世をすごしてよとや
 上三句までは序で、短いということの形容。こうした歌は大概調子本位に出来るのだから、想よりも声調の音楽美に注意しなければ無意味である。この上三句までは母音AとIとの対比的な反覆押韻で構成されている。即ち
  Naniwa-gata Mizikaki Ashi-no Fushi-no-mano
 で、下四句以下は主として母音Oを重韻してある。かつ初句Naniwa-gataの主調母音Aと「葦」のA及び四句「あはで」のAとを、三度畳んで対韻にしている。作者は伊勢。

出典:『恋愛名歌集』(1931年・昭和6年、第一書房、1954年、新潮文庫)。

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時代の情操と音律『恋愛名歌集』(一)萩原朔太郎

 百人一首の韻律美について前回考えたことを受け、萩原朔太郎の『恋愛名歌集』を通して短歌の韻律美を、複数回にわたり感じとっていきます。私は詩人ですが、日本語で表現することでは、和歌、短歌と同じ水流にいるので、受け継がれてきた日本語の歌の本質と特質を学びつつ伝えたいと考えています。

 萩原朔太郎は『恋愛名歌集』の序言でまず、広義の韻律とは「言語の魔力的な抑揚や節奏」であり、「詩と韻律とは同字義」との世界共通の詩の根本定義を確認します。そのうえで彼は、「日本語として、歌が構成し得る最上の韻文」であるとして、『恋愛名歌集』に書き表した主題と意義を次の言葉で述べます。
「古来の名歌と呼ばれる者が、いかに微妙な音楽を構成すべく、柔軟自由の不定則韻―それが日本語の特質である―を踏んでるかを見よ。」
 私はこの本からこの微妙な音楽を教えられ感動しました。豊かなその内容からまず今回は、日本語の韻文の最大の特徴と一般に考えられている音律、字数律について考えます。

 日本の学校では誰もに次の知識を教えてくれます。「短歌は三十一文字の表現で、万葉集は五七調、古今集以降は七五調が主流」。私もこのことを暗記しましたが、ずっと後まで、五七調も七五調もリズムそのものとしての違いがわからないまま、感じることもできませんでした。
 朔太郎は『恋愛名歌集』の総論「奈良朝歌風と平安朝歌風 3」で、この基本形式を振り返っています。そこでの言葉は常識的なことですが、五七調と七五調のちがいが初めてわかり、感じることができ、私にはとても新鮮でした。
 まず、私が大切だと思うのは、「短歌の形態はもと長歌の凝縮から来ている」ことを感じることです。長歌の五七調のくりかえし、ゆたりゆたりと続いていく言葉のリズムは、日本語を母国語とする誰もが親しみ深く知っています。(私は長歌のリズムが好きで、柿本人麿や山上憶良を読み返すと、詩句を忘れた後でも五七調のリズムだけは心に残り揺り返し続けるのを感じます。)
 その「長歌を最短の形に凝縮した者が短歌」だから、「57・57の反覆による所謂五七調」のリズムを持っている。短歌の形態は「万葉集では反歌として現われている。」、即ち短歌では57・57を二度繰返し、最後に結句(コーダ)として7を重ねる。」
 長歌の反歌として生まれた短歌が五七調であることが、私はとても自然に受け容れられます。

 そのリズムが変ったのはなぜか? この理由については朔太郎が記すように、「各々の時代の情操が、各々の表現する必然的律格を作った」、「つまり内容が形式を生んだ」としか言えないと私も思います。「万葉の内容には万葉の音楽があり、古今の内容には古今の音楽が必要であり、この情操と音楽とを、相互交換できない」、彼ら自身、なぜ変ったか、その理由などわからないと思います。後に生まれた私にはその時代に生きた人たちの音楽、心のリズムを聴きとることができるだけです。
 私にできることは、どのように変ったか? 現れた心のリズムを感じとることです。朔太郎は、その聴きとり方を例歌も示して丁寧に教えてくれます。
 「短歌は三十一音律の構成」なのは共通だけれども、「その節律に於ける行の切り方(即ち呼吸の切れ目)」に時代で違いが生まれた。
「最も長く呼吸を休」む「節律の最も重要な句切り」があり、そこが変わった。
 この言葉を思いつつ短歌をゆっくり詠むと、歌のリズムは呼吸そのものだということ、五七調の歌と七五調の歌は、最も長く呼吸を休むところが確かに変っていると、感じとれます。私は初めてわかったこと、歌の呼吸を感じたとれたことが、とても嬉しく感動しました、小学生のように。

 音数律、字数は誰にでも数えられわかりやすい韻文としての特徴ですが、日本語の歌はより微妙な音色を奏でていることを、次回以降に、『恋愛名歌集』を通して聴きとっていきます。

◎以下は、朔太郎の原文です。

序言
 (略)日本の歌は、日本語の特殊な性質―実際それは世界的に特殊である―と関連して、他国に類のない韻文である。したがってその芸術価値も独自であり、西洋の抒情詩等と優劣を比較し得ない。(略)
 古来の名歌と呼ばれる者が、いかに微妙な音楽を構成すべく、柔軟自由の不定則韻―それが日本語の特質である―を踏んでるかを見よ。(略)
 日本語として、歌が構成し得る最上の韻文である。(略)
 詩は韻律と共に発生し、かつ韻律を求めて表現する。詩の概念定義は如何にもあれ、それが人を陶酔させる実の力は、主としてその文学に特有している、言語の魔力的な抑揚や節奏―それが広義の韻律である―に係っている。この音楽から来る不思議の酔いが、それ自ら「詩」と呼ばれる不思議な感情である故に、詩と韻律とは同字義であり、広義の韻文であることなしに、詩である文学は無いわけである。

総論
 奈良朝歌風と平安朝歌風 3
 (略)短歌は三十一音律の構成であり、(略)その節律に於ける行の切り方(即ち呼吸の切れ目)を種々に変えることによって、同じ短歌が二行詩にもなれば三行詩にもなり、したがってまた七五調にも五七調にも変わるのである。
 ところで短歌の形態はもと長歌の凝縮から来ているので、これが万葉集では反歌として現われている。(略)最短の形に凝縮した者が短歌である。 即ち短歌では57・57を二度繰返し、最後に結句(コーダ)として7を重ねる。
 万葉集に於ける短歌の韻律原則は、実にこの長歌の最短形式によっているので、 57・57の反覆による所謂五七調なのである。
 然るに古今集以後の歌になると第一句の五音が分離して一行となり、次の第二句から行頭を起すために、自然75・75の反覆となり、此所に所謂七五調が出来て来るのだ。即ち次に示すが如し。

 57●57・7  (奈良朝)
 玉藻刈る5 みぬめを過ぎて7 ● 夏草の5 野(ぬ)島の崎に7 船近づきぬ7  (万葉集)

 5・75●75・2 (平安朝)
 思ひきや5 逢見ぬほどの7 年月を5 ● 数ふばかりに7 ならむ物5 とは2 (拾遺集)


 ●印の所は節律の最も重要な句切りであって、此所で最も長く呼吸を休み、以下を続けて一息に詠んでしまう。故に万葉調も平安調も、共にひとしく二行詩の形態ではあるけれども、行の切り場所がちがうのである。
 (略)各々の時代の情操が、各々の表現する必然的律格を作ったので、つまり内容が形式を生んだのであるが、これをまた逆に考えれば、形式の変化が内容を推移させたとも言えるだろう。所詮芸術に於ける形式と内容とは、一枚の板の裏表、鏡の実体と映像に外ならない。
 (略) 平安調の美がその言語の旋律部にあり、平板の中に複雑な曲線を持つことを知るであろう。言わば万葉は節瘤(拍節)の多い竹であり、平安調はその拍節を滑らかに削りきって、言語の音韻がつながって行く自然の模様を、複雑微妙の螺旋で描いているのである。(略)万葉の内容には万葉の音楽があり、古今の内容には古今の音楽が必要であり、この情操と音楽とを、相互交換できない(略)。

出典:『恋愛名歌集』(1931年・昭和6年、第一書房、1954年、新潮文庫)。

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小倉百人一首の韻律美。萩原朔太郎

 和歌は黙読されていなかったことは記録から確かです。では和歌がどのように声にのせ歌われてきたのか、私は知りたいと思います。百人一首のカルタで今も詠みあげられる節は清流のようにさらさらとした美しい流れですが、古い時代においては、また違う詠みかたをされていたような気がします。
 現代人の感覚では遅すぎるくらいに、大きく呼吸の間をとり、かなりゆったりと詠まれたのではないでしょうか。どのような節がどの程度つけられたかは、時代によっても移り変わっただろうけれど、男性の声、女性の声、それぞれの美しさ、低音と高音の良さが生かされ美しく感じられた詠みあげ方、と考えると、音階のはっきりした節らしい節、曲調そのものに変化はあまりなく弱くて、詠みあげる声の強弱、緩急と間の取り方を主とした、声の響きそのものに耳を澄ませたのではないか、とも考えています。

 萩原朔太郎歌論「歌壇の問題 二」「小倉百人一首のこと」との節を設けて、その韻律美について述べています。
 彼と同時代の歌壇の歌人の多くが、小倉百人一首を「大部分が題詠歌で、言語の洒落や語呂合せ(即ち掛け詞)を主としたところの、無内容な遊戯歌」と軽侮していることに対して、「芸術といふものは、本質的に一種の美的遊戯なので、遊戯を忘れて芸術のエスプリは存在しない。」と反駁している彼に、私は共感します。
 遊びそれ自体は悪ではありません。遊びが文化の源です。それを否定したら残るのは食と性だけの索漠とした生です。頭ごなしに遊びは駄目と決めつけて抑えつけるのではなく、その質を評価したほうが実り多いと私は考えます。

 朔太郎はその反駁のうえで、小倉百人一首の歌はどれも、「詩想の内容する主題よりも、韻律の美によつて構成される音楽的陶酔を重視」した秀歌であり、日本語詩歌に於ける音楽的の美しい声調、朗々たる諧音、韻律の最高美、歌の形式的完美を響かせている、と言います。
 より具体的には、日本語が持つ限りのあらゆる韻律的美的構成(脚韻、頭韻、重韻、反覆韻)、特に「掛け詞」の重韻律に日本語の特殊な音楽美を最も力強く有効に生かしている、と彼の鋭敏な心の耳で聴きとり、主張しました。

 朔太郎はこの歌論で、「音楽の耳を忘れてゐる」という言葉を、直接には当時の日本の歌壇に向けていますが、韻律美では短歌が口語自由詩より数段進んでいると言い切る彼はこの言葉で、詩と詩人も射抜いていて、次の言葉を言い放ちます。
 詩を理解するといふことは、第一に「言葉の音楽」を理解し、その音楽の中に自ら溺れ、音楽に於て自ら陶酔する人だけが、真に詩を理解し、詩を批判し得る人なのである。
  
◎以下は、萩原朔太郎の原文です。

 最近或る短歌雑誌で、小倉百人一首に関する批判とその愛好歌とを、歌壇の各方面に問合せた答えを見るに、百人中九十人迄は、頭から百人一首を軽侮して居り、愚劣な駄歌ばかりだと言つて一蹴して居る。(略)
 僕は専門の歌人ではない。だが百人一首の妙趣すら解らないで、一角の歌よみ顔してゐる現歌壇の諸家たちには、少しく奇異の念を抱かざるを得ないのである。何となれば百人一首の選歌は、主として古今集以後新古今集に至る迄の、勅撰八代集中の代表的秀歌を採り、且つそれが実際にまた、音楽的の美しい声調を盛つて居るからである。(略)

 その理由を聴くと、選歌の大部分が題詠歌で、言語の洒落や語呂合せ(即ち掛け詞)を主としたところの、無内容な遊戯歌だと言ふのにある。しかし芸術といふものは、本質的に一種の美的遊戯なので、遊戯を忘れて芸術のエスプリは存在しない。芸術から遊戯を除けば、そこには何の恍惚もなく陶酔もなく、単に乾燥無味の現実的実感が残るばかりだ。そしてこんなものは美―すくなくとも詩美―の範疇に属して居ない。(略)

 特に小倉百人一首の選歌批準は、主として歌の形式的完美を尊び、詩想の内容する主題よりも、韻律の美によつて構成される音楽的陶酔を重視して居る。したがつて此等の歌には、およそ日本語が持つ限りの、あらゆる韻律的美的構成(脚韻、頭韻、重韻、反覆韻)が試みられてゐる。就中「掛け詞」の重韻律は、日本語の特殊な音楽美を最も力強く有効に生かすものとして、当時の和歌の一大特色となつてゐるのである。(略)

 小倉百人一首の選歌の如く、初めから韻律の音楽美を本位として、形式主義の鑑賞から見られた秀歌が、内容編重の先入見に捉はれてゐる現歌人等に理解されず、単なる言葉の遊戯として、無内容な駄劣歌として見られるのは、当然である。(略) 実に日本の現歌壇は、「音楽の耳を忘れてゐる」のだ。

 小倉百人一首の選歌は、何れ一つ取つて見ても、すべて皆朗々たる諧音の美を有して居り、重韻や「掛け詞」の巧みな使用で、日本語詩歌に於ける韻律の最高美を構成している。
 詩を理解するといふことは第一に「言葉の音楽」を理解するといふことである。否、単に理解するのではなく、その音楽の中に自ら溺れ、音楽に於て自ら陶酔する人だけが、真に詩を理解し、詩を批判し得る人なのである。

出典:「歌壇の問題二」、『萩原朔太郎全集 第七巻』(1976年、筑摩書房)
    (*字体のみ新字体に変え、読みやすいよう改行をふやしました。)
底本:『水甕(みずがめ)』1933年(昭和8年)5月号。

 和歌の韻律美について彼は、名著『恋愛名歌集』で愛唱する歌を通してより丁寧に伝えてくれていますので、次回、感じとりたいと思います。

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詩語としての口語論。萩原朔太郎

 私は詩で表現しようとするとき、詩は詩でありたい、と当たり前のことを思っています。
 この文章のように、散文でより確かに伝えられることは散文で伝え、詩でしか伝えられないもの、詩だからこそ伝えられるものを、詩で表現しよう、と願っています。

 詩で表現しようとするとき、萩原朔太郎の詩についての徹底した思索に、学びとることが多くあります。
1935年の「口語歌の韻律に就いて」は、彼自ら「詩語としての口語論」と位置づける歌論ですが、彼が終生抱き続けた「詩とは何か」という問題意識に根ざした優れた考察です。

 朔太郎は、「詩としての必然すべき韻律性」にこだわります。なぜなら、詩歌は「歌ふための文学」であり散文ではないからです、当たり前だけれど、とても根本的なことだと私は考えます。
 彼は自らの詩の創作で、「韻文的感銘」を表現しようと苦闘しました。
 「口語の欠点は抑揚のないことである。」と、表現の手段としての口語を捉えなおし、「出来るだけ言葉に抑揚をつけるやうに苦心」し、創作しました。

 朔太郎のこの考察を今読むと当たり前に思えるかもしれません。いづれも詩人が実際に創作している際には、(強弱はあっても)無意識に行っていることです。でも最初に考え、見つけだし、言葉にするのはとても難しいことです。
 朔太郎は次のように、とても重要なことを教えてくれます。☆印に続け私なりの若干のコメントを加えます。
 
●歌及び一般に詩の構成される韻律(即ち音響要素)が、日本語の場合に於ても、単なる音数律をの配列だけでは、決して簡単に成立されない。
☆日本の詩の韻律は、語数律だけではない、という再発見です。
 
●音楽美、即ち韻律そのものが歌の内容として読者を感動させるのである。
☆なぜ散文で表現できないか、その根本理由です。

●重要なものは、言葉に調子をつけるハズミであり、抑揚をつけるメリハリである。
☆例えば、高村光太郎の詩では、気迫のように感じるものです。

●日本の詩歌に音数律の格調が約束される自然原理も、つまり七五調や五七調が、さうした日本語の節奏美を、自然に都合よく導くからに外ならない。
☆日本語を母国語とする人が自然に身につけている言葉のリズム感です。

●句の始まりで(略)自然にアクセントがついて居る。各句の初音は(略)浪のやうに盛り上つて居る。
(略)一句の中で、部分的に言葉の切れる所(略)切目の所に、おのづからまた一種の抑揚、即ちアクセントが感じられる。

☆日本語ではとても微妙で弱いけれども、詩の言葉にあらわれる抑揚です。

●かく口語が散文的に感じられるのは、その言語の構成上に、助辞の「は」といふ如き説明を入れるからである。
この説明を入れるために、全体の文章が重苦しく単調となり、言葉の緊張したハズミや弾力、即ち韻律美を失つてしまふのである。言語は説明的であるほど詩的表現から遠ざかつてくる。

☆口語で詩を書く難しさがどこにあるのか、その発見です。

●或る人々は歌や自由詩を散文化し、むしろ散文形態の中にポエヂイを建設せよと主張して居る。しかし真の詩の精神(ポエヂイ)そのものが、韻文以外に表現を持たないのは明白である。散文形態で書いたものは、それ自体が散文精神であってポエヂイではない。
☆本質的な韻文が何かという、次の言葉と合わせて考える必要があります。

●韻文に必要なものは、快美な自然的な抑揚と節奏であつて、単なる数理的な公式格調ではない。
一定の公式的韻律は持たないでも、読者に甘美な節奏と音楽を感じさせるものは、本質上の意味に於ての詩、即ち韻文なのである。

☆この言葉を理解し受け容れる人が、詩でしか伝えられないものがあることを、感じとれる人だと思います。
 伝えたい思い、伝えたい事柄に、このこだわりが必要ない場合には、散文で説明すればよい、と私は考えます。

 このように、萩原朔太郎は、「口語の新しい韻文を創造しようとする人々」の先駆者と自認し、「口語詩としては多少の音楽的要素」を自らの作品で奏でたと矜持を持ち続けました。その自負が嘘でないことは、彼の詩そのもの、詩の響きから、感じとることができます。(朔太郎が言葉の音楽を強く意識して創作した詩を「詩の音楽2作品。萩原朔太郎」で紹介しています。)
 彼がこの歌論を書いてから80年近くになります。今ある口語詩は豊かに韻文的感銘を与えてくれるでしょうか。
 私の詩は、韻文としての音楽美を響かせているでしょうか、いつも自問しつつ、私は創作しています。

◎以下、朔太郎の原文です。

 (略)定型詩のように節をつけて、朗吟調に読む必要はない。普通に西洋人が詩を読むように、朗読してみれば好いのである。もし文学の本質上に、何らかの韻律的構成があるとすれば、必ずそこに一種の調子が感じられ、言葉の抑揚する節奏から快美な音楽的陶酔がかんじられるわけである。(略)

 日本現代の口語が「歌ふための要素」に欠乏して居るのである。(略)

 今日多くの人々に誤解されているところの、韻律に関する一の重要な問題を語りたい。
注意すべきことは、歌及び一般に詩の構成される韻律(即ち音響要素)が、日本語の場合に於ても、単なる音数律をの配列だけでは、決して簡単に成立されないといふ事である。
 たとへば短歌の格調は5・7・5・7・7の音数律を基本にするが、単に言語をその公式にはめただけでは、決して必ずしも韻文としての音楽美は構成されない。
   高所から跳びおりるやうな気持で一生を送る法はないだらうか
 これは石川啄木の歌を、(略)口語短歌に直したのである。多少の変則はあるが、やはり大体に於て短歌の音数律を守って居る。しかも、本質的に韻文としての要素(抑揚や節奏)がなく、純粋に平坦な一本調子の散文である。試みにこれを啄木の原歌
   「高きより跳びおりる如き心もてこの一生を終るすべなきか」
と比較してみよ。啄木の原歌の方には明白に一種の節奏があり、高い調子の悲痛な音楽美がある。そして最も肝心なことは 、この悲痛な音楽美、即ち韻律そのものが歌の内容として読者を感動させるのである。
 そこで啄木の歌からこの韻律を覗いてしまった前例の口語短歌には実際に何の詩的内容も残って居ない。即ちそれは「詩」でなくして「散文」なのだ。ここに文学の重大な常識がある。

 韻文としての構成は決して音数律の形態ばかりでは成立しない、重要なものは、言葉に調子をつけるハズミであり、抑揚を つけるメリハリである。日本の詩歌に音数律の格調が約束される自然原理も、つまり七五調や五七調が、さうした日本語の節奏美を、自然に都合 よく導くからに外ならない。(略)

 文章語を用ゐる場合は、単に七五調や和歌の格調に語数を合せて作るだけで、自然におのづから抑揚のある言葉が生れ 、内容の如何によらず、形式だけは必ず音楽感のある韻文が出来上がつてくる。この事実を前の例で説明しよう。
   ○高き●より○跳びおりる●如き○心もて○この●一生を○終る●すべ●なきか
 ○印の所は句の始まりで、此所は自然にアクセントがついて居る。各句の初音は、前を受けて此所で浪のやうに盛り上つて居る。
 ●印は一句の中で、部分的に言葉の切れる所である。例へば「高きより」は、高き(三音)と より(二音)とから構成されて ゐる。そしてこの●印の切目の所に、おのづからまた一種の抑揚、即ちアクセントが感じられる。(略)
 口語短歌の方には、殆んど全くかうしたメリハリの抑揚がなく、始から終まで無変化な一本調子であることがよく解る。したがつてそれが韻文として感じられずに、散文として読まれる原因も解つてくるし、また本質上に於て詩的感動を所有しない理由も解つてくる。

   日本人此所にあり(文章語)
   日本人は此所に居る(口語)
 (略)前者は「韻文的」「主情的」であつて、後者は「散文的」「説明的」である。
 かく口語が散文的に感じられるのは、その言語の構成上に、助辞の「は」といふ如き説明を入れるからである。この説明を入れるために、全体の文章が重苦しく単調となり、言葉の緊張したハズミや弾力、即ち韻律美を失つてしまふのである。
 文章語の方では「此所にあり」の「此所」に抑揚のアクセントがつくけれども、口語にはそれがない(略)。

  鳥には巣あり、狐には穴あり。されど人の子は枕する所なし。(文章語)
  鳥には巣がある。狐には穴がある。けれども人の子は枕をする所がない。(口語)
 前と同じく、この例でもまた口語の方には、巣がの「が」 穴がの「が」 枕をするの「を」等、説明のための助辞が使用されてゐる。そのため文章がプロゼツクになり、調子がだらけて節奏上の音楽美を失つて居る。(略)
 言語は説明的であるほど詩的表現から遠ざかつてくる。

 或る人々は歌や自由詩を散文化し、むしろ散文形態の中にポエヂイを建設せよと主張して居る。しかし真の詩の精神(ポエヂイ)そのものが、韻文以外に表現を持たないのは明白である。散文形態で書いたものは、それ自体が散文精神であってポエヂイではない。

 如何にして口語を芸術化し、新しい韻文を構成すべきだらうか。
 音数律の格調的構成にのみ捉れて居て、韻文の最も根本的な本質問題、即ち言語の自然的な音楽性について思惟しない のである。(略)
 韻文に必要なものは、快美な自然的な抑揚と節奏であつて、単なる数理的な公式格調ではない。
 一定の公式的韻律は持たないでも、読者に甘美な節奏と音楽を感じさせるものは、本質上の意味に於ての詩、即ち韻文なのである。

 今の日本の口語が、本来韻文に適しないことを自覚して、しかもこれで詩歌を作ろうと意志する人は英雄(新文化への犠牲的建設者)である。

出典:「口語歌の韻律に就いて」、『萩原朔太郎全集 第七巻』(1976年、筑摩書房)
    (*字体のみ新字体に変え、読みやすいよう改行をふやしました。)
底本:『日本歌人』1935年(昭和10年)4月号。

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芸術として亡びるということ。萩原朔太郎

 私は詩を思うときに、他の芸術、とくに言葉の芸術を意識することが大切だと考えています。萩原朔太郎の考察にはいつも詩歌全体からの視点があり、学ぶことが多いと感じます。
 彼の1922年の歌論「歌壇の一大危機」を通して、芸術の存亡とその要因について考えます。

 彼は「芸術が亡びる」という言葉で、「能楽の類と同じく、単に「美しき既成芸術」として追憶されるに止まり、それ自身が我我の生活の表現として時代的の意義をもつことは無」い状態になること、と捉えます。
 例えばその定義でみると漢詩は、「芸術として亡びた」のではないでしょうか。
和歌と交互に、時には並列に、長い時を越え創作されてきた漢詩がどうして「芸術として亡び」てしまったのか。
 漢詩は明治の新体詩に置き換えられ、口語自由詩にのみ込まれたのか? なぜだろう? 
 要因の一つには教育の変化があると思います。より深い要因は、朔太郎の次の言葉にあると私は考えます。
「すべて時代の新しい空気と交渉のない芸術は亡びてしまふ。」
「その形式の古さにもかかはらず、その内容に於て絶えず新しい時代の感情を取り入れ」ることが、できなかったから、だと。

 朔太郎は、俳句もまた亡びた、と捉えます。「生活の表現として時代的の意義をもつことは無」くなった、と 。私は俳句について勉強不足ですが、これまで深く入り込めなかった要因に、「この趣味は、漸やく我々の生活から没交渉となりつつある」と感じていたことがあるのは、確かだと思います。(過去の作品を否定しているのではありません。)

 では、短歌はどうだろう? 
 朔太郎がこの歌論で探ったこの主題は、現在の短歌、そして私が表現方法として選んでいる口語の自由詩について、考えずにいられないものです。
 口語自由詩は亡びかけているだろうか? 
 芸術として亡びるかどうか、その最後の岐路は、「その内容に於て絶えず新しい時代の感情を取り入れてゐるか」どうか、にかかっていると私も考えます。

 「新しい時代の感情」という言葉で彼が表現しているのは、その時々の流行の「なんとかイズム」、主義、党派、芸術流派ではありません。その時代に生きている人間の感情、思考、心の底、悲哀、喜び、理想、絶望を、言葉の手ざわり、肌ざわり、体温のこもる声にして、言葉をふるわせているかどうか、その響きが伝えあえるものかどうか、ということです。

 20世紀のなかばから現在まで、口語自由詩を愛する人の間で、それがまったくできなかったとは私は感じません。「時代の感情」を伝えてくれる良い詩歌、愛する口語自由詩があります。
 だから口語自由詩はまだ「芸術として亡び」てはいない、と私は思います。
 ではこれからは?
 これからは、詩を大切に思う一人一人が、その一人である私が、創っていくもの。この文章に目をとめてくださるあなたもその一人、だから、口語自由詩は「芸術として亡び」ない、そうしたいと願います。

◎以下が、朔太郎の原文です。

 今日、次第に俳句趣味は我々の間に忘れられて行きつつある。かつてはそれが生命的に感じられたものが、今日では次第に風流韻事の物好きらしく感じられる。(略)
 そして俳句趣味なるものは―即ち俳句の美感(リズム)なるものは―もはや新時代の青年には理解されない。つまりこの趣味は、漸やく我々の生活から没交渉となりつつあるのである。
 も一つの例は「宮内省を中心とするお歌所派の和歌」である。(略)実際、宮内省派の和歌は、今日の文壇や思潮界に何の交渉も持つて居ない。(略)

 かくの如く、すべて時代の新しい空気と交渉のない芸術は亡びてしまふ。人心は絶えず動き生活は絶えず変化する。さればその表現である芸術も之れにつれて革新される筈だ。もし芸術にして時流と伴はず、いつも古ながらの境地に止まつてゐるならば、そは次第に思潮界の中心から遠ざかつて行き、遂には今日の俳壇や宮内省派の和歌の如く、一般文壇から閑却され、ただ彼等仲間内での「楽屋評判」「楽屋名声」の小天地にちぢかんでしまふことになる。そしてかくの如くば、事実上に於てその芸術は亡びたのである。

 思ふに歌壇の人々が言ふ「実質上の向上」なるものも、(略)或る一つの限られた狭い趣味の範囲内に於て、部分的の技巧や着想の変化と進歩とを求めているのではないか。言ひ代へれば「楽屋落ちの喝采」を目標とする機智的な美に走って居るのではないか。(略)ただその同臭中での小技巧や小着想を争つて何になる。それで個性の光が出ると思ふか。

 古いものは古きが故に新しい。(略)けれどもその「古いもの」が新しいためには、そこに新しい時代的の背景を持たねばならぬ。何かしらそこに「時代の感情」と触れるものがなければならぬ。「古さの故の新しさ」を感じさせねばならぬ。

 明治以来、いかにして歌が我々の生活に帰つて来たか。(略)小説も戯曲も、絵画も、音楽も、全然ぞの面目を一新した。就中叙情詩は此所に根本の革命を要求した。即ち一方からは西洋の長詩が輸入され、そして一方からは新派和歌が創造された。(略)
 もしそこで新派和歌の新興されることがなかつたならば―即ちこの伝来の古い詩形に、新時代の感情を盛ることを知らなかつたならば―既に久しき以前に於て和歌は廃滅に帰してしまつたであらう。あだかもかの能楽の類と同じく、単に「美しき既成芸術」として追憶されるに止まり、それ自身が我我の生活の表現として時代的の意義をもつことは無かつたであらう。(略)

 そもそも短歌の如き古き歴史を有する芸術が、今日尚依然として新時代の文壇に特殊の地位を占めてゐる所由は、その形式の古さにもかかはらず、その内容に於て絶えず新しい時代の感情を取り入れてゐるからである。もし短歌にして内容的に時代遅れとならんか、そはもはやこの愛すべき芸術の末路である。

出典:「歌壇の一大危機」、『萩原朔太郎全集 第七巻』(1976年、筑摩書房)
    (*字体のみ新字体に変え、読みやすいよう改行をふやしました。)
底本:『秦皮』1922年(大正11年)8月号

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創作の動機。萩原朔太郎

 萩原朔太郎の『恋愛名歌集』などの歌論と俳論が、『萩原朔太郎全集』(筑摩書房)の第七巻にまとめられています 。彼は詩論『詩の原理』で、言葉の芸術である詩歌を愛する強い思いと独自の思索を書き記しましたが、短歌と俳句それぞれに焦点を絞った考察と提言も残しました。
 短歌について歌壇の人々への問いかけと対話には、短歌に留まらず、歌、詩、詩歌を思い創作するうえで私が忘れずにいたいと思う詩歌の根本が語られています。

 朔太郎が「短歌雑誌」に投じた「現歌壇への公開状」で、短歌について述べていることは、詩歌全般に対して今投げかけられている言葉のように、私は感じます。
 今ある短歌、俳句については詳しく知らないので憶測は述べられませんが、一人の詩人として、歌壇を「詩壇」、短歌を「現代詩」と置き換えて読んでしまうときにも、彼のこの主張は当てはまってしまうと感じます。20世紀なかば以降の著名な「現代詩」に限定しての、私の感覚ですが、当時の歌壇と「叡智の偏重に陥つてゐる」ことで似通っているのではないかと考えます。
 ただ、それは朔太郎も言うように全体としての傾向で、そうでない個性的な詩があり、詩人はいますし、ここ十数年に発刊、発表された詩を私が網羅的に読めてはいませんので、決めつける資格はありません。(著名な評論家が「今の若い世代の詩は・・・」と批判するのを見ると、「誇らしげに批判するあなたは、発刊される詩集、発表される膨大な詩を見逃さず読んでいるのか、一部の傾向のつまみ食いだけで決め付けるな、読みとる者の感性が鈍くて分からないだけじゃないのか?」と私は疑問に思い、反発を感じてきました。)

 朔太郎の短歌への言葉は、詩歌を愛するがゆえの反語です。だから私が共感する朔太郎の言葉、彼が裏返してしか言えなかった思いを、私に言い聞かせるために再度ひっくり返し、原文の前に記します。

詩歌は芸術だ、芸術の創作にどうしても必要なものは、門外漢の人をも動かすほどの熱と力、動機の必然性だ。
情熱、美的感情、情緒、あらゆる人間に通ずる普遍的な人間性、「愛」や「道徳」の意志だ。
情熱的な人間性、切実なる強い感情、人間的の純情、「詩人の感情」をこそ創作の動機としたい。
その動機のうえに、叡智を働かせたい。
情熱の熱を欠いた叡智だけの、浅薄な「機智」だけの言葉はいらない。
芸術が、詩歌が好きだから、私はもっと出会い、触れ、感動したい。
私は創作し、楽屋の向こうにいる詩歌を愛する人に、伝えたい。


◎以下は、朔太郎の原文です。

 歌壇は叡智の偏重に陥つてゐる。
 すべての芸術の本質は「叡智」と「情緒」の二部から成立する。
 叡智は即ち鑑賞の智恵であって、対象の真如を把握する直感の輝きである。すべての芸術品の価値は、この叡智の深浅によって評価される。

 けれども芸術品の創作には、それ以上に尚もつと必要なものがある。それは即ち創作に於ける動機の必然性である。いかに叡智のすぐれた作品でも、この創作動機の必然性を欠いた者は仕方がない。なぜならばそこには人を動かす熱と力がないから。
 然らば創作の動機とは何か、それが即ち「情熱」である。高翔的な気分をもった美的感情、即ち所謂「情緒」である 。
 しかして情緒は一つのヒューマニチイ(人間性)である。それはあらゆる人間に通ずる普遍的な意志を持つてゐる。何かしらそこには人々を感傷させる力がある。(「愛」や「道徳」やは情緒の最も高調的な者である故に、したがつて最も大きな普遍性をもつてゐる。)

 今すべての優秀な芸術は、どれも皆「叡智」と「情緒」の両方面を具へてゐる。
 たとへば芭蕉の俳句を見よ。彼の詩には驚くべき叡智の深徹さがしめされてゐるが、それと同時に、またそこには極めて情熱的なヒューマニチイが流れてゐる。ある切実なる強い感情、(略)彼の詩作の強いモチーブ(略)かくの如くすべての優秀な芸術は、この「詩人の感情」を動機とし、その上に鑑賞の叡智を働かしたものである。

 然るにもし情緒のみが―即ち創作の動機のみが―必然的であつて、対象に対する鑑賞の智恵を欠くならば、それ は愚劣なる低級センチメンタリズムの芸術である。しかしかくの如き作品は、たしかに範囲の広い民衆的の普遍性をもつであらう。(民衆はいつも低級なセンチメンタルを悦ぶのである。)

 所が之に反して、鑑賞の智恵のみすぐれて創作動機の必然性を欠いた―もしくはそれの稀薄な―作品は、単に芸 術品としての価値が低いのみならず、一般的の普遍性を殆んどもつて居ない。かくの如き作物は、いつもただその「 専門家」の仲間によつてのみ喝采される。なぜならばそれは常に専門家の「楽屋落ちの趣味」を満足させるから。

 現在の歌壇は、たしかにこの叡智偏重の弊に陥つてゐる。(略)
 今の流行の短歌が一般の民衆と交渉のないのは、それがあまりに「高遠すぎる」ためでなく、そこに肝心な情熱の 必然性を欠き、したがつてヒューマニチイの普遍性をもたないからである。
 かの芭蕉の俳句の如きは、我々その道の門外漢にさへも、何かしら一味通ずる人間性の強い情熱を感じさせる。すべての「専門的な趣味」を超越して、その底に強く太く流れてゐる人間的の純情が直接に感じられる 。(略)
 情熱の熱を欠いた叡智は必然浅薄な「機智」にすぎないだらう。(略)それは専門家の楽屋落ちの趣味にすぎない 。必然性のない、普遍性のない、全くくだらない独りよがりの趣味である。

出典:「現歌壇への公開状」、『萩原朔太郎全集 第七巻』(1976年、筑摩書房)
    (*字体のみ新字体に変え、読みやすいよう改行をふやしました。)
底本:『短歌雑誌』1922年(大正11年)5月号。

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和泉式部あくがれる魂の歌

 和泉式部の和歌から、私が好きな歌をここに咲かせました。
 恋の歌も、哀傷歌も、切実な、痛切な、愛(かな)しみが心に響いてきます。歌は心の感動だと、いちばん大切なことを教えてくれる詩歌です。千年前の感動が今も心に響きます。
 和泉式部の生涯は歌だったと感じます。毎日、些細なことから魂の極まるところまで、喜びも悲しみも、楽しいことも可笑しいことも嘆きも噂話まで、感じる心のままに言葉の抑揚にのせ歌にしました。
 彼女の歌は、人の、女性の心、日常生活の近辺から命の先を思う遠いところまで、浅さから深さまで、静けさから激しさまで、揺れ動く心、いのちの豊かさを教えてくれます。
 (訳を添えることも考えましたが、良い歌は部分の古語の意味を正確につかめない場合にも、歌全体、言葉の響きが伝えてくれるものがあるので、原文のみでも共感を言葉にできる歌を選びました。)
 『和泉式部集』(以下「正集」)『和泉式部続集』(以下「続集」)、勅撰集入集歌からの抄出(数字は歌集の通し番号)です。

いたづらに身をぞ捨てつる人を思ふ心や深き谷となるらん(正集80)
☆恋も愛も喜びが高いほど失望の深い底との大きな落差に絶望し身を投げ出すのか。
       
つれづれと空ぞ見らるる思ふ人天降(あまくだ)り来ん物ならなくに(正集81、玉葉1467)
☆愛は魂のあこがれ、なぜか空を仰ぎみずにはいられないもの。

黒髪の乱れも知らずうち臥(ふ)せばまづかきやりし人ぞ恋しき(正集86、後拾遺755)
☆喜びの直後に襲うさびしさ、面影だけは間近に見えて

逢ふことを息の緒にする身にしあれば絶ゆるもいかが悲しと思はぬ(正集89)
☆恋に生きると決意したなら、たとえ死んでも。

君恋ふる心はちぢにくだくれどひとつも失せぬ物にぞありける(正集91、後拾遺801)
☆砕けても恋心の痛みのひかりは消えない。

かく恋ひば堪(た)へず死ぬべしよそに見し人こそおのが命なりけれ(正集92、続後撰703)
☆運命のひとと気づくのはなぜ遅れ、どうしようもなくなるのか。

冥(くら)きより冥き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月(正集151、拾遺1342)
☆月のひかり、生死を澄みわたらせてほしい。

立ちのぼる烟(けぶり)につけて思ふかないつまたわれを人のかく見む(正集162、後拾遺539)
☆いのちはひとつきり、わたしも煙に

暮れぬなりいく日(か)をかくて過ぎぬらん入相(あひ)の鐘のつくづくとして(正集289)
☆生死のあわいに響く鐘の音に心もつくづくうたれ

すみなれし人かげもせぬわが宿に有明の月のいく夜(よ)ともなく(正集296)
☆変わらぬものに失われたものが照らし出され。

世の中に憂き身はなくて惜(を)しと思ふ人の命をとどめましかば(正集339)
☆私の命をあのひとにこそ。

君は君我(われ)は我とも隔てねば心々(こころごころ)にあらんものかは(正集419)
☆愛しあうこころはまざりあった波、もう引き剥がせない。

絶えしころ絶えねと思ひし玉の緒の君によりまた惜しまるるかな(正集420)
☆愛しあえるなら生きたい。

いかにせんいかにかすべき世の中を背(そむ)けば悲し住めば住みうし(正集438、玉葉2546)
☆どうしたらいいのか、答えはなくて、ただ問えるだけ?

などて君むなしき空に消えにけん淡雪だにもふればふる世(よ)に(正集482)
☆先立った愛児への哀しい鎮魂のうた。

何事(なにごと)も心にしめて忍ぶるにいかで涙のまづ知りにけん(正集709、続古今1023)
☆涙だけにはごまかせない心が浮かんでしまう。

あらざらむこの世の外(ほか)の思ひいでに今ひとたびの逢ふこともがな(正集753、後拾遺763)
☆死んでいい、あといちどだけ。

なき人の来(く)る夜と聞けど君もなしわが住む里や魂なきの里(続集943、遺575)
☆取り残された空莫、もうなにもない。

君をまたかく見てしがなはかなくて去年(こぞ)は消えにし雪も降るめり(続集947)
☆消えた雪は今年も降ってくれたのに、なぜあなたは。

捨てはてんと思ふさへこそ悲しけれ君に馴れにし我が身と思へば(続集953、後拾遺574)
☆あなたと愛しあった心とからだ、消したらあなたも消えてしまう。

語(かた)らひし声ぞ恋しき俤(おもかげ)はありしそながら物も言はねば(続集956)
☆愛するひとの声が恋しい。

ひたすらに別れし人のいかなれば胸にとまれる心地のみする(続集964)
☆どうしてだろう、心にはあなたが。

悲しきは遅れて嘆く身なりけり涙の先にたちなましかば(続集975)
☆残されるより先に逝きたかった。

いづこにと君を知らねば思ひやる方なく物ぞ悲しかりける(続集976)
☆悲しい、どこにいってしまったの。

限るらん命(いのち)いつとも知らずかし哀れいつまで君を偲ばん(続集1015)
☆命あるかぎりあなたを思う。

君なくて幾日(生くか)幾日(生くか)と思ふ間に影だに見えで日にのみぞ経(ふ)る(続集1021)
☆あなたを忘れられず思うばかりの日々がもうこんなに。

おのがじし日だに暮るればとぶ鳥のいづかたにかは君をたづねん(続集1027)
☆鳥のように帰りたい、日暮れ、あなたはどこに。

恋ふる身は異物(こともの)なれや鳥の音(ね)におどろかされし時は何時(続集1052)
☆恋しい、眠れない。

枕だに知らねば言はじ見しままに君に語るな春の夜の夢(続集1175、新古1160)
☆ふたりだけが知る至福の時。

憂き世をば厭(いと)ひながらもいかでかはこ(子)の世のことを思ひ捨つべき(続集1215)
☆この子がいる、命すてられない。

逢ふ事はさらにも言はず命さへただこのたびや限りなるらん(続集1294)
☆生きるのも愛しあえるのも最後かもと思い尽くして。

人はいさわが魂(たましひ)ははかもなき宵(よひ)の夢路にあくがれにけり(続集1308)
☆魂があくがれる、愛(かな)しい言葉。

生くべくも思ほえぬかな別れにし人の心ぞ命なりける(続集1528)
☆別れてはじめて命のひととしるのか。

白露も夢もこの世もまぼろしもたとへて言へば久しかりけり
(後拾遺831)
☆愛しあえる時間はなんでこんなに刹那なのか。

物おもへば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂(たま)かとぞみる(後拾遺1162)
☆いのち、ただ美しく哀しく響きさまよう。

 出典・参照
・ 『和泉式部集・和泉式部続集』(清水文雄校注、1983年、岩波文庫)。
・ 『やまとうた』(水垣久ホームページ)の「千人万首」。


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和泉式部の歌日記

 平安朝期、華麗に花開いた女流文学の中心で激しく生き美しい歌の花を咲かせた和泉式部(いずみしきぶ)の作品、和歌と『和泉式部日記』について考えます。

1.彼女の生きざま 
 和泉式部は、結婚して娘の小式部内侍を産んだ後夫と離れ、契った為尊(ためたか)親王は26歳で夭折してしまいますが、彼の同母弟の敦道親王と出会い結ばれました。その出会いから親王邸に入るまでが『和泉式部日記』に綴られています。その後敦道親王も27歳で夭折(彼との子はその後出家)、宮仕えした後に再婚しますが、娘の小式部内侍にも先立たれました。様々な個性をもつ異性との交わり、親しいいのちたちとの出会いと別れが連続した激しい人生を生き抜きました。

2.歌日記 
 『和泉式部日記』は、敦道親王との恋の歌日記です。愛し合う男女の心にかかる虹のような歌が鮮やかに響き心を結んでいます。歌による心の奏で合いこそがこの作品の魂、散文は歌を運ぶ時の流れ、背景となっています。
 和泉式部も、敦道親王も、思いを歌に込め投げかけ投げ返すのが、とても上手く、機を逃さず素早く、時には間をおいて焦らす間もおいて、恋心の綾模様をふたりで紡ぎだしているようです。恋を成就させたいとの思いと情熱に歌が輝いています。
 この時代の彼らの生活と切り離せない文化そのものから咲いた花だと思います。ふたりの歌のやりとりは、毎日繰り返し数え切れないほど行われた重ねられた、男と女の、心と心の、歌いあいが、最も美しく描き出された文化のシンボルではないかと感じます。
 一方で、この日記の歌は、ふたりの恋物語の流れにゆらめく波の輝きとなっていて、それだけを切り出そうとするとその光は弱まってしまうと感じます。男と女の、ふたりの心の、投げかけあいとして、この物語のその時にこそ光り輝いている歌だから、歌物語の輝きを感じとってこそ、その美しさが心に響いてくると私は思います。

3.和歌
 和泉式部は、いのちを和歌で燃え輝かせた歌のひと、紫式部が物語で深く濃く成し遂げたものを、和歌の世界で歌いあげた、ほんものの文学のひと、豊かな才能をおしみなく歌に注ぎ込んだ女性詩人です。残された膨大な歌は文化そのものが香っていて、日常の些細ななんでもないことまで歌にしているので、とても豊かな歌集を残しました。時代を鋭敏に反映しているので、機知、理知に走った技巧だけの空疎な歌もたくさんあるけれど、毎日毎日言葉を磨き歌い続けたからこそ、そこから、魂に響く美しい歌が生まれたのだと、思います。

 彼女の歌がもっとも輝いているのは、恋の歌と、哀傷歌(挽歌)です。彼女の心の奥底から響いてくる、魂を揺さぶる響きには、嘘でない切実さがあります。愛おしさ、憧れ、歓喜、悲しみ、痛み、嘆き、空しさ。
 彼女は、ひととの出会いと交わりの荒々しい海を、女性にとって生きやすいとはとても言えなかった時代に、漂流するように、こぎ渡り、生き抜いて、歌い続けました。愛のよろこびとかなしみのこころ、魂、いのちの思いを、歌いあげました。
 歌は心の感動です。歌のほんとうの生命はそこにしかないと私は思います。だから和泉式部の良い歌を読むと、今生きている女性の歌ではないかと感じてしまいます。彼女は死んだけれど、歌は生き続けています。

 和泉式部の和歌のうち、私がとくに好きな歌を選んで「愛(かな)しい詩歌」に次回咲かせます。 

出典・参照
・ 『和泉式部日記―現代語訳付き』(近藤みゆき訳注、2003年、角川ソフィア文庫)。


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