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高畑耕治

Author:高畑耕治
愛のうたの絵ほんは、高畑耕治の詩と詩集の海です。
Profile 高畑耕治 たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪府四條畷市出身、早稲田大学政経学部中退。東京都多摩市在住。
詩集『銀河、ふりしきる』(2016年5月イーフェニックス)
詩集『こころうた こころ絵ほん』(2012年同上)
詩集『さようなら』(1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25)
詩集『愛のうたの絵ほん』(1994年同上)
詩集『愛(かな)』(1993年同上)
詩集『海にゆれる』(1991年土曜美術社)
詩集『死と生の交わり』(1988年批評社)
雑誌「エヴァ」に扉の詩(1996~1997サンマーク出版)を連載。
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八木重吉の詩、好きな3篇

 「詩を想う」で『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』の法文歌(ほうもんのうた)を聴き取りました。日本中世の仏教の祈りの歌です。時代と宗派は異なっても響きあっていると、私が感じ願う、キリスト教信者の八木重吉の詩から、私がとくに好きな3篇の詩の花をここに咲かせます。彼は1898年(明治31年)から1927年(昭和2年)30歳までの短い生涯に美しい心の詩を書き遺しました。

 第一詩集『秋の瞳から2篇。「うつくしいもの」は中学の教科書で知った有名な作品ですが、今でも好きです。「赤ん坊が わらう」も十代前半、音楽ばかり聴いていた私が、言葉の詩もいいなって、心に感じた、八木重吉の素朴な良さそのものの詩です。読み返してみて、私の第一作品集『死と生の交わり』は、彼の詩心にも影響されていたことをあらためて感じます。

 死後出版された生前自選の第二詩集『貧しき信徒』から、「犬」。読んだ時、これが詩かって思いましたが、心に残っています。この作品をはずさずに詩集に入れた重吉が私は好きです。


  うつくしいもの

わたしみずからのなかでもいい
わたしの外(そと)の せかいでもいい
どこにか「ほんとうに 美しいもの」は ないのか
それが 敵であっても かまわない
及びがたくても よい
ただ 在るということが 分りさえすれば
ああ ひさしくも これを追うに つかれたこころ


  赤ん坊が わらう

赤んぼが わらう
あかんぼが わらう
わたしだって わらう
あかんぼが わらう


  

もじゃもじゃの 犬が
桃子の
うんこを くってしまった  

 
 八木重吉の詩については別の機会にふかく見つめ感じ取りたいと願っています。

出典:『八木重吉詩集』(1969年、白凰社)
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tag : 八木重吉 秋の瞳 貧しき信徒 うつくしいもの 高畑耕治 詩歌 詩人 うた 詩集

『梁塵秘抄』日本中世の祈りの歌

 中世日本の民衆の心の歌『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』から響きだす祈り、「法文歌(ほうもんのうた)」から、私の心に沁みてあふれるような好きな歌をここに咲かせます。
 歌謡は、知識の厳密さを極めるものではないので、訳はつけません。なんとなく伝わってくる、感じてしまうもののほうが、歌っている人の心を、より伝えることってあるからです。

(22)
釈迦(しやか)の 正覚(しやうがく)成ることは
このたび初めと思ひしに
五百塵天劫(ぢんでんごふ)よりも
あなたにほとけと見えやまふ

(26)
ほとけは常にいませども
うつつならぬぞあはれなる
人のおとせぬあかつきに
ほのかに夢にみえたまふ

(29)
阿弥陀ほとけの誓願(せいぐわん)ぞ
かへすがへすも頼もしき
一たび御名(みな)を称(とな)ふれば
ほとけに成るとぞ説いたまふ

(37)
観音大悲(くわんおんだいひ)は 船(ふね) 筏(いかだ)
補陀落海(ふだらくかい)にぞうかべたる
善根(ぜんごん)求むる人しあらば
乗せて渡さむ極楽へ

(40)
毎日恒沙(ごうじや)の定(ぢやう)に入り
三途(さんづ)の扉(とぼそ)を押しひらき
猛火(みやうくわ)の炎をかき分けて
地蔵のみこそ訪うたまへ

(82)
われらは薄地(はきぢ)の凡夫(ぼんぷ)なり
善根(ぜんごん)勤むる道知らず
一味の雨に潤(うるほ)ひて
などかほとけに成らざらん

(102)
静かに音せぬ道場に
ほとけに華(はな) 香(かう) たてまつり
心を静めて しばらくも
読めばそ ほとけは見えたまふ

(116)女人(によにん) 五つの障(さは)りあり
無垢(むく)の浄土はうとけれど
蓮華し濁(にご)りに開くれば
龍女(りゆうによ)もほとけになりにけり

(119)
常の心の蓮(はちす)には
三身仏性(さんじんぶつしやう)おはします
垢(あか)つき きたなき身なれども
ほとけになるとぞ説(と)いたまふ

(175)
極楽浄土は一所(ひとところ)
つとめなければ程(ほど)遠し
われらが心の愚かにて
近きを遠しと思ふなり

(232)
ほとけも昔は人なりき
われらも終(つひ)にはほとけなり
三身仏性(さんしんぶつしやう)具せる身と
知られざりけるこそあはれなれ

(235)
われらは何して老いぬらん
思へばいとこそあはれなれ
今は西方(さいほう)極楽の
弥陀の誓ひを念ずべし

(236)
われらが心に ひまもなく
弥陀の浄土を願ふかな
輪廻(りんゑ)の罪こそ重くとも
最期(さいご)に必ず迎へたまへ

(238)
暁 しづかに 寝覚めして
思へば 涙ぞおさへあへぬ
はかなくこの世を過ぐしても
いつかは浄土に参るべき

(240)
はかなきこの世を過ぐすとて
海山(うみやま)かせぐと せしほどに
万(よろづ)のほとけに疎(うと)まれて
後生(ごしやう) わが身をいかにせん

 『梁塵秘抄』は心のいろんな表情を浮かべているので、恋の歌、愛欲の歌など、法文歌の他にも紹介したい好きな歌がまだまだあります。
 この豊かな歌謡集につづく時代の歌謡の言葉と心をこれからみつめていきますが、『万葉集』のなつかしさに時おり帰るように、『梁塵秘抄』も感じとっていこうと私は思っています。

出典:『梁塵秘抄』(新潮日本古典集成、校注・榎克朗、1979年、新潮社)
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tag : 今様 梁塵秘抄 中世 歌謡 中世歌謡 後白河院 法文歌 祈り 高畑耕治 詩歌

『梁塵秘抄』(三)法文歌、中世の讃美歌

 中世に咲いた歌謡、『梁塵秘抄』の今様のうち、「四句神歌(しくのかみうた)・雑(ぞう)」に集められた民衆の心の歌に前回は耳を澄ませました。
今回は、心のより深い低音部から紡ぎだされた仏教信仰の歌、「法文歌(ほうもんのうた)」を聴きとります。学んだ三つの出典から心に響いた言葉 を紡いで記します。
 私は大阪育ちですので幼少期から奈良や京都の寺院を訪ねる機会は多くて親しみも感じてきました。
 でも今回法文歌にふれて気づいたことは、日本の仏教を知らない自分でした。
 ばらばらに名だけしか知らない、観音さま、お地蔵さん、阿弥陀如来、普賢菩薩、弥勒菩薩、薬師如来。寺院で親しんではきたけれど、込められた信仰は知らなかったんだと、改めて思います。これからもっと知りたいと思います。

 私はこれまで古代インドのウパニシャッドや原始仏典、ジャイナ教など、信仰の源にあるものが真理かどうかということばかりに拘り目を奪われていましたが、今はそのことよりも、時を経て伝えられてきた経典を、信じ、祈った、人たちの切実さを、わかりたいと願います。中世の信仰の心をもっと知りたいと願います。

 法文歌の言葉は、「時代の仏教信仰そのままの反映」であればいいんだ、と思います。経文に記された事柄を信じるかどうかは、信仰の選択です。
 その信仰が唯一の真理かどうかは人間には解らないし唯一絶対を主張し他を排除する教義は害悪ですらあると考えます。でも信じずにいられなかったひとりひとりの祈りは真実だからこそ、適ってほしい、とだけ私は祈ります。

 私はクリスチャンの家庭に育ちましたが、大好きだった祖母は仏教を信仰していましたから、祈りが向けられた彼方がキリスト教でも仏教的でもイスラム教でも、信仰するひとの心こそ大切なんだと思わずにはいられません。どちらかでないとだめだ、選べと迫ることは人間の能力の及ぶことではない、することではないと私は考えます。

 いのちを見つめて祈らずにはいられない、思いの強さは、宗教宗派の枠組みをこえた、人の心の地下深く通じ合う水脈だと思います、その音、声を聞くことを、何より大切にしたいと思っています。祈りと詩歌が生まれてくる泉だからです。

 だから出典で岡井隆が記している次の想いは、法文歌に私がそのまま感じたことです。
「法文歌のたぐいを読むとき、仏教的雰囲気から遠い育ち方をしたわたしは、しきりに、キリスト教の讃美歌を想起していた。」

 この歌謡は、中世の民衆の祈り、讃美歌だなと感じます。とても心ふるえる美しい歌、愛(かな)しい歌だと感じます。
 「多くの人々の生きる日々の苦悩から発した信仰の歌謡」が、「教団に束縛されぬ自立性」をもって、「持経者・聖・沙弥などの自由宗教者、巫女や遊女などを媒介として伝播し」、今に伝えられ、心に感じとれることに私は喜びを感じます。私は讃美歌と法文歌が、時間と地上での場所を超えて、響きあっていることを、聴きとれるようになりたいと願います。
 中世の信仰と詩歌については、西洋も含めて、また機会を改め感じとり書き記したいと考えています。

 法文歌から、祈りの響きが偽りなく美しいと心に響いた歌を、別に「愛(かな)しい詩歌」に咲かせます。漢語と和語が織り交ぜられた表現の形については、そこで感じとります。

●以下は、出典の引用です。

◎出典1
(二 讃美歌を連想する)
 「仏歌」をはじめとする法文歌のたぐいを読むとき、仏教的雰囲気から遠い育ち方をしたわたしは、しきりに、キリスト教の讃美歌 を想起していた。単純で簡明な比喩にしても、対句法の多用にしても、一種の説教臭にしても、皆共通している。そして、いうまで もなく、和讃を含めて仏教歌謡の伝統がはるかに長く深く先行していたからこそ、明治期のあのキリスト教讃美歌の数々の名作が生れたのである。海彼より伝来した宗教思想を(衆生のために)どう砕こうか、日本語で。そういう問いに答えた結果が、法文歌であり、讃美歌であったのだ。

  眉の間の白豪(びゃくがう)ごうは 五つの須弥(すみ)をぞ集めたる
  眼(まなこ)の間の青蓮(しゃうれん)は 四大海(しだいかい)をぞ湛へたる


 こういう単純な二行詩のもつ、力強さはどこから来るか。和語と漢語の衝突するひびきからも来るだろう。とくに「……をぞ集め たる」「……をぞ湛へたる」の音韻が、それぞれ「須弥」「四大海」のような外来語を中和している機微に注目する。それこそ、現 代短詩形文学にも通ずるのである。(略)

◎出典2
(法文歌)
 『秘抄』巻第二の前半を占める法文歌は、天台教学による整然たる配列の下に収められ、歌謡の形で見る仏教の小百科事典 という感じさえないはない。また、これは、長編の和讃の一部が独立・分化したものがあり、また同じ短唱の仏教歌謡たる教化(きようけ)・訓迦陀との関係も極めて密接である。法文歌の内容が、たとえば釈迦の前身たる悉達太子檀特山修行等の俗伝が歌われていたりするが、それは時代の仏教信仰そのままの反映であること、教理的に難解な経典の趣意を、おしゆがめることはなく、かえって同じような題材を扱った釈教和歌よりもずっと巧妙に、文学化していることを述べておきたい。(略)
 なお、表現技巧の方では、四句形式が多く忠実に守られていること、漢語・仏語の使用が多いためか七五調よりも八五調のほうが多く用いられていることなどが目につくところである。一口でいえば、法文歌は次の四句神歌などに比べて、はるかに定型的であり、安定した荘重な感じを保とうとしているといえよう。

◎出典3
(三 法文歌成立の背景と特質)
 法文歌は、わが国仏教歌謡史にきわめて特異な性格を有する歌謡群である。平安時代中期以後、貴族社会に密着した法会の歌謡(声明の歌謡―讃・迦陀・教化など)とはまったく次元の異なる生活の場、芸能の場、信仰グループの場などに発し、歌われ、多くの人々の生きる日々の苦悩から発した信仰の歌謡となったものである。
 貴族社会における造寺造塔、仏教芸術の遊宴化、僧侶社会の貴族化・門閥化、僧侶の俗化と堕落など、総じて当時の仏教界の因習化はすでに指摘されているとおりであるが、一部、法会の歌謡から脱化した少数の例とともに、固定化し、形骸化した教団内部の矛盾を克服した法文歌は、きわめて自由な受容を示したように思われる。現存する顕密法会の諸記録をによっても、法文歌の類にかかわる記述を求めることは困難である点からも、この当時の教団に束縛されぬ自立性を有していたと思われる。
 恐らくは、持経者・聖・沙弥などの自由宗教者、巫女や遊女などを媒介として伝播したものであろう。
 法文歌は、いわゆる釈教歌とは対立的である。釈教歌は、そのほとんどの作品が作者を明らかにして貴族文化圏に生成し、その中の法華経二十八品歌のごときも、数量的色彩が強く、法数歌として生成された点、数量尊重の思想と連関し、信仰の純粋度は決して高いものとは言えない。これに反し、法文歌の法華経二十八品歌は、その作者を明らかにせず、経を典拠としつつも 、豊かな文学的表現を試みていて、なかには、法華経との異質性を指摘し得る作品も見られるほどである。この点、法会における漢訳仏典の受容とは、まったくその性格を異にする。現在伝えられる法文歌中の二十八品歌の多くは、天台教学から発した教義上の要点に取材しているが、なかには、当然歌謡として作品化さるべき経文があるにもかかわらず作品化されていない品もあり、あるいは、その部分は散佚したものかとも考えられる。(略)

出典1:岡井隆「こゑわざの悲しき―秘抄覚え書―」。『鑑賞日本古典文学 歌謡Ⅱ』(1977年、角川書店)所収。
出典2:新間進一「梁塵秘抄 総説」。鑑賞日本古典文学 歌謡Ⅱ(1977年、角川書店)所収。
出典3:武石彰夫『梁塵秘抄』の世界。『梁塵秘抄 閑吟集 狂言歌謡 新日本古典文学体系56』 (1993年、岩波書店)所収。

(*出典からの引用文には、漢字や送り仮名などの表記を一部読みやすいように変えています。)

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『梁塵秘抄』(二)中世民衆の心の歌

 中世の歌謡、今様の花園『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』を感じとろうとしています。
この歌謡集はおおきく、中世の民衆の心の咲き匂う園である「四句神歌(しくのかみうた)の雑(ぞう)」と、中世信仰の園である 「法文歌(ほうもんのうた)」にわかれています。どちらも心の豊かな深みからの歌声の魅力を、異なった表情で湛えています。まず今回は、「四句神歌(しくのかみうた)の雑(ぞう)」を聴きとります。

 「四句神歌・雑」の歌謡のいちばんの魅力は、出典に記されているように、「種々の生業を営む民衆の姿が活写されている」こと、彼らが心から共感した思いが歌われていることです。時を越えて、ふしは失われたけれども、私にも肉声が聞こえてきて、その情感に心が揺り動かされます。
 男女の愛情の歌も、和歌では言葉にしないところまで、声に出し歌ってしまう、飾らない表現が私は好きです。 俗にどっぷり溺れすぎると、表現はいやらしさになるけれど、その境界の微妙さは今も変わらないと思います。だれもが心にある聖と俗に揺れているからだと思います。どちらかだけを美化して、他方を否定するのは、心を貧しくすることだと私は思います。
 私が好きな、とても個性的な六つの歌謡を、出典の本文鑑賞から抜き出しました。どれも必ずとりあげられる 有名な歌ですが、やはりそれだけの魅力を感じます。
 歌に私が想うことを、☆印の後に添えました。

我を頼めて来ぬ男  角(つの)三つ生ひたる鬼になれ  さて人に疎(うと)まれよ  霜雪霰(しもゆきあられ)降る水田の鳥となれ さて足冷たいかれ 池の浮草となりねかし と揺りかう揺り揺られ歩け  (雑・三三九)
 (訳: わたしを頼みに思わせておきながら、一向に通ってこない男、あの憎い人よ。角が三本も生えた醜い鬼になるがよい。そうして人にいやがられるのさ。霜や雪や霰のふる冷たい水田に立つ鳥となるがよい。そうして冷たいままで立っているんだよ。(いいえ、いっそのこと)池の浮草となってしまえ。あちらにゆられ、こちらにゆられ、定めなくゆられてまわるんだよ。)
 ☆女ごころの悲しさが強い詰問の口調の裏から滲みだし聞こえてきます。

美女うち見れば 一本葛(ひともとかづら)にもなりなばやとぞ思ふ 本(もと)より末(すゑ)まで縒(よ)らればや  斬るとも刻むとも 離れがたきはわが宿世(すくせ)  (雑・三四二)
 (訳: 美しいひとをみると、一本のつたかずらにも転身したいものと思うことだ。そうなったら本から先まですっかりより合わせられたいものだ。たとえかずらになったわが身は斬られるとも刻まれるとも、離れがたいのはふかい宿命というものだ。)
 ☆男の性(さが)、業が露な言葉だけれど、嘘でない願望の歌だから、私は好きです。

鵜飼(うかひ)は 悔しかる 何しに急いで漁(あさ)りけむ 万劫年経る亀殺しけむ 現世はかくてもありぬべし 後 世(ごせ)わが身をいかにせんずらむ (雑・三五五)
 (訳: 鵜飼は気の毒なことだ。万劫の年を経るといわれているおめでたい亀を、むざんにも殺して鵜の餌とし、ま た鵜の首に綱をゆけて鮎(あゆ)を取らせては吐き出させる。こういう殺生戒を犯していては、この世ではこのままでも何とか過ごすことができようが、来世のわが身はどのようにあるであろうか。地獄に堕ちて、いろいろの責め苦を受けることは目に見えているよ。)
 ☆罪業を見つめた、思いに揺れのこり続ける、深い歌、生きることを見つめずにいられなくする歌、心に残ります 。中世の信仰の歌を次回考えますが、世俗に生きざるを得ない生業を抱えたひとの心にまで仏教が深く入り込んでいたことをしみじみと考えさせられます。

遊びをせんとや生(う)まれけむ 戯(たはぶ)れせんとや生(む)まれけん 遊ぶ子供の声聞けば わが身さへこそ 揺るがるれ (雑・三五九)
 (訳: 遊びをしようとしてこの世に生まれてきたのであろうかしら、戯れをしようとしてこの世に生まれてきたので あろうかしら。屋外で無心に子供たちが遊んでいるが、その声をこうして聞いていると、何だか自分の体まで自然 にむずむずとして躍動してくるように思われるよ。)
 ☆とても素直に心に沁みてきて、ほんとうにそうだ、そう想い、口ずさんでしまう、とてもいい歌です。

わが子は十余(じふよ)になりぬらん 巫(かうなぎ)してこそ歩(あり)くなれ 田子(たご)浦(うら)に潮(しほ)踏むと いかに海人(あまびと)集(つど)ふらん 正(まさ)しとて問ひみ問はずみなぶるらん いとほしや  (雑・三六 四)
 (訳: わたしの娘はもう十余歳になって、女らしくなったことでしょう。噂では歩き巫女(みこ)とかいうものになって諸国を経めぐっているということです。音に名高い駿河の田子の浦あたりでさすらっているとかです。どんなに漁師たちが多くあつまってくることでしょう。娘のいうことをこれはほんとうにあたっているよなどといいながら、なんだかんだと難癖をつけて、なぶりものにしていることでしょう。思えばかわいそうなあの子よ。)
 ☆子をもつ親ごころ、その情愛の深さに、さいごの、いとほしや、の響きに心が打たれます。

舞へ舞へ蝸牛(かたつぶり) 舞はぬものならば 馬(むま)の子や牛の子に蹴(く)ゑさせてん 踏み破(わ)らせ てん まことに美しく舞うたらば 華(はな)の園(その)まで遊ばせん   (雑・四〇八)
(訳: 舞え舞え、ででむしちゃん。おまえが舞わないそのときは、めんこい仔馬やベコの子に、蹴させちゃう、踏み わらせちゃう。だけどほんとに上手に舞ったなら、花壇のほとりで遊ばせよう。)
 ☆子どもごころ、やわらかな幼いざんこくさも、そのままに、リズムもひびきも子どもごころの弾むまりのような歌です。

 次回は、『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』のもうひとつの広大な園である中世信仰の歌、法文歌を聴きとります。

●以下は、出典の引用です。

(四句神歌・二句神歌)
 法文歌に続いて『秘抄』巻第二の後半部の大半を形成するものが、四句神歌・二句神歌であり、これは形式面 でも自由であり、おもしろいともいえる。内容に至っては神歌の名のとおりの神祇関係のものも相当あるが、一般世俗の流行歌謡が多数を占めていて、『秘抄』の最も興味深い所となっている。(略)
 世俗の歌謡はとりどりにおもしろいが、とりわけ種々の生業を営む民衆の姿が活写されていることが目をひく。(略)それは、宮廷貴族や、受領と呼ばれる地方官や、豪族の武士たちではなくて、おおむね低い階層に属する人々なのである。たとえば、出てくる順に拾ってみると、鵜飼・鷹飼・厨(くりや)雑士(ぞうし)・早船舟子(ふなこ)。巫 (こうなぎ)。海人(あま)。博党(ばくとう)・刈鎌造り・農夫・土器造り・遊女・樵夫(きこり)・兵士・禰宜(ねぎ)・祝( ほうり)・聖(ひじり)・山伏・経読など。男女を問わず、また俗人と宗教者を問わず、種々なものがある。そしてさらに興味をひくのは、鋳物師や農夫に「清太」があったり、巫に「藤太みこ」が出てきたり、実在したらしい人物がある ことである。(略)
 今のようなマスコミのない時代に、今様は、一種の社会人共通の感情のはけ場所であったろうし、それゆえにこ そこれほど多くの職業者が歌いこまれたものと考えたい。(略)

 『秘抄』の歌謡には、他の時代の歌謡と同じようにやはり恋愛が多く歌われ、男女の愛情の種々の相がとり上げられているが、それらはすべて何か率直な表現であり、恋の手管(てくだ)とか飾られた技巧ではなく、表現に折々露骨なものがあっても、官能の退廃、末梢的な耽美の傾向は少しも見られない。(略)

出典:新間進一「梁塵秘抄 総説、本文鑑賞」。『鑑賞日本古典文学 歌謡Ⅱ』(1977年、角川書店)所収。
(*出典からの引用文には、漢字や送り仮名などの表記を一部読みやすいように変えています。)

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ブログタイトルの変更。『愛(かな)しい詩歌』に。

このブログのタイトルを8月中旬より、『愛(かな)しい詩歌・高畑耕治の詩想』に変更しました。
URLに変更はありませんのでこれまで通りご覧頂けます)。

それまではホームページと同じ『愛のうたの絵ほん・高畑耕治の詩と詩集』のタイトルでした。

タイトル変更の理由は、このブログではエッセイをホームページ『愛のうたの絵ほん・高畑耕治の詩と詩集』では詩作品を、主な内容として分けて公開していることを、わかりやすくするためです。

これからもよろしくお願いいたします。
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新しい詩「こころ絵ほん(ご)おがわのこども」を公開しました

 ホームページ『愛のうたの絵ほん』の「虹・新しい詩」に、新しい詩「こころ絵ほん(ご)おがわのこども」を公開しました。

「こころ絵ほん(ご)おがわのこども」

お読みいただけると、とても嬉しく思います。
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「メリーのブログ」をリンクしました

 このブログのリンクに、「メリーのブログ」をリンクしました。
 
 私の第一作品集『死と生の交わり』についての思い入れと懐疑と問い続けについて以前次のブログに記しました。

   自殺を思うひとに

 私の心にずっとあるこれらの思いに、偶然出会うことのできた「メリーのブログ」に記されていた、心を込めて書いてくださった言葉は「大丈夫」と、そっとささやいてくださいました。とても私を励ましてくださいました。

   お気に入りの一冊
   私の好きな詩…詩人 高畑耕治

 ほとんど知られていない第一作品集ですけれど、私の原点であることを大切にし、抱え続けて生きたいと思います。
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『梁塵秘抄』(一)今様、中世の歌謡

 古代から今この時まで絶え間なく流れている詩歌の豊かさをみつめるとき、ふしにのせ声にして謡う歌謡と、文字に書き詠む和歌は、交わったり時に離れたりしながらも、いつも寄り添うさざなみでした。古代歌謡、神楽歌(かぐらうた)、催馬楽(さいばら)につづき生まれ出た歌謡をみつめていきます。今回から数回、平安末期から鎌倉初期の激動の時代に後白河院が執念で書き留め伝えようとした、今様(いまよう)と呼ばれる歌謡をあつめた『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』をとりあげます。

 後白河院は多様な姿の今様をあつめた後、『梁塵秘抄口伝集』として、自らの修行暦、傀儡(くぐつ)などの伝承者との交流、今様を通した霊験体験、今様の謡われた様子を記録しました。その巻第十が今に伝わります。その結びの言葉は、彼の痛切な思いが込められていて、心が打たれます。

 「大方詩を作り、和歌をよみ、手をかくともがらは、かきとめつれば、末のよ迄もくつる事なし。こゑわざの悲しき事 は、我身かくれぬる後とどまる事のなき也。其故に、なからむあとに人見よとて、未だ世になき今様の口伝をつくりおく所なり」
(訳文・新間進一:いったい、詩を作り和歌を詠み書をたしなむ連中は、書き留めておくのだから、末の世までも朽ち果てることがない。ところが今様ときたら、声楽であるという悲しい宿命で、それを伝えるわが身が亡くなった後には、その成果が留まることはないのである。そうであうからして、私の亡くなった後に、人がこれを見て参考にせよというわけで、いまだ世にないはじめての今様の口伝を作り置く次第である。)(略)

 歌人・岡井隆の出典1の次の言葉が、後白河院の無念を言い尽くしています。「文字芸術と対立する音声芸術(こゑわざ)の<悲しさ>はかなさは、いかに口伝を書き伝えようとも、結局は、肉体の消滅と運命を共にするところにある。」
 「音曲、音声芸術の、ふかいふかい陶酔性」、「こゑわざ」の官能的魅惑。歌謡の一番の魅力は今も変わりません。動画を記録し再生して楽しめる今も、歌い手の表情と肉体の動きを目の当たりに肉声に包まれるライブの魅力はその瞬間だけのものであることは変わりません。消え去り過ぎゆく時を感じるからこそ、なおさら感動するのだと 私は思います。

 「遊女(あそび)、傀儡(くぐつ)、白拍子(しらびょうし)といった女性芸能者たち」、「今様のプロとして努力を重ね 、それぞれの芸に並々ならぬ誇りを持っていた。」 彼女たち、ひとりひとりが、歌う声の響き、舞いしなう姿態、黒髪の美しさを、私は思い浮かべずにはいられません。

 次回は、彼女たちの心を込めて歌った今様そのものを、感じとりたいと思います。

●以下は、出典の引用です。

◎出典1
 (一 文字芸術と音声芸術)
『梁塵秘抄口伝集第十』の、後白河院の、(略)特に痛切な言葉、
「大方詩を作り、和歌をよみ、手をかくともがらは、かきとめつれば、末のよ迄もくつる事なし。こゑわざの悲しき事は、我身かくれぬる後とどまる事のなき也。其故に、なからむあとに人見よとて、未だ世になき今様の口伝をつくりおく所なり」
文字芸術と対立する音声芸術(こゑわざ)の<悲しさ>はかなさは、いかに口伝を書き伝えようとも、結局は、肉体の消滅と運命を共にするところにある。(略)
 その『梁塵秘抄』は、今日、声の芸術としては謡われていない。かえって、「文字芸術」として、ひろく享受され、 研究され、大正以降の近代文芸に寄与するところすくなくないというのであるから、歴史は、後白河院の執念に根負けしてしまったというべきか。(略)音曲の、つまり音声芸術そのものの、ふかいふかい陶酔性を、知りつくしていたはずなのである。実際、「こゑわざ 」の官能的魅惑にくらべれば、こうして活字になって詠むばかりの歌謡の歌詞などというものは、よほど当方がその気になって詠むのでなければ、無味無臭に近いのだ。(略)

◎出典2
 『梁塵秘抄』の成立   
 十一世紀後半ごろからさかんになってきた新しい歌謡は、おそらく「今めかしい風体をしたうた」の意であろうか、
「今様」と名づけられた。催馬楽・風俗(同書P10:催馬楽が近畿地方の民謡出自のものを想わせる ものが多かったのに対して、多く陸奥・常陸・甲斐・相模などの東国の民謡ふうのもの)に飽いた人々にとって、新鮮な詩型・内容、そして技巧をこらした旋律など魅惑的であったろう。(略)
 今様の「場」と歌い手  
 今様は法楽の意味で社寺に奉納される場合も多くあったことは『口伝集』巻第十に見えるが、一般には宴席で の興を添えるため、一座した貴族の人々の披露する余技的声楽曲として練習されたのであり、その点、催馬楽・ 風俗・朗詠などと変わることはない。ところが、江口・神崎の港町に集まった遊女や、青墓・墨俣(すのまた)などの 国々の、拠点に住むくぐつめたち、女性の専門歌手が現れて、今様はお座敷唄的にお客を楽しませるための歌となり、芸謡化が著しくなったのである。

◎出典3 
 ★遊女(あそび)・傀儡(くぐつ)・白拍子(しらびょうし)
 今様の担い手として重要なのは、遊女、傀儡、白拍子といった女性芸能者たちである。今様は誰でも歌い得たが、彼女らは今様のプロとして努力を重ね、それぞれの芸に並々ならぬ誇りを持っていた。
 遊女とは宴席に侍(はべ)り、歌や舞をもって座に興を添え、また客人と枕を共にすることも多かった女性芸能者の総称である。傀儡や白拍子を含めることもあるが、大江匡房(まさふさ)(1041~1111)の記した『遊女記』『傀儡子記』によると、江口(えぐち)・神崎(かんざき)・蟹島(かにしま)などの 水上交通の要路に住み、小舟にのって旅客のいる船に近づいてゆく狭義の遊女と、陸路の要衝を本拠としつつ、 漂泊流浪した芸能者である傀儡は区別されている。
 傀儡は男女の集団で行動し、男は、狩猟に従事し、人形劇や手品、奇術などを演じた。女は、美しく化粧して今 様をはじめとする歌を歌い、一夜の客をとった。後白河院の今様の師は、美濃国青墓(みのくにあおはか)の傀儡 乙前(おとまえ)であった。院は七十歳を過ぎた乙前を召し寄せて、熱心にその今様を学んだのである。
 平安時代末期から鎌倉時代にかけて出現した男装の女芸能者が白拍子である。本芸は舞にあり、足拍子を踏 み鳴らしながら旋回するところに特徴があったらしいが、今様や朗詠(ろうえい)を歌ったことも知られる。白拍子として有名なのは、『平家物語』に登場する祇王(ぎおう)や仏御前(ほとけごぜん)、静御前(しずかごぜん)らであろう。祇王、仏御前は平清盛の寵愛(ちょうあい)を受け、また静御前は源義経(よしつね)に愛された。『徒然草』 によると、信西(しんぜい)が磯禅師(いそのぜんじ)に舞を教え、それを娘の静が継いだのが白拍子の始まりであるとされている。

出典1:岡井隆「こゑわざの悲しき―秘抄覚え書―」。『鑑賞日本古典文学 歌謡Ⅱ』(1977年、角川書店)所収。
出典2:新間進一「歌謡の世界―中世から近世まで―」、「総説」。『鑑賞日本古典文学 歌謡Ⅱ』(1977年、角川 書店)所収。
出典3:植木朝子編 『梁塵秘抄 ビギナーズ・クラシックス日本の古典』(2009年、角川ソフィア文庫)。

(*出典からの引用文には、漢字や送り仮名などの表記を一部読みやすいように変えています。)

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詩と、終戦であり続けさせること

 戦争を通して国や組織は、普通に生活している人を加害者にも被害者にもしてしまいます。そのような状況に個人の力では抗えずに巻き込まれてしまうということでは、開戦という最悪の選択しかできず、他の方策で踏みとどめえなかった無能で傲慢な一握りの為政者と軍人をのぞいた、ひとりひとりの市民、生活者は被害者です。
 愚かな戦争を繰り返さないために、繰り返させないために、私も私にできうることをしたいと願っています。

 詩は、政治の言葉と同じ次元の理屈の言葉ではない、と私は思っています。だから、反戦という主題についても、政治の言葉にまみれ巻き込まれてはいけない、詩心を弱め捨ててはいけないと考えます。
 この主題を詩にしかできないかたちで、詩として、心から心に手渡すことが、私にできること、私が行い続けたいことです。
 これまで反戦の思いを核に抱いて発信してきた詩作品を、今回振り返り抜きだしました。
 
詩「たこ
詩「花火の死に方
詩「うつくしい国
詩「ぴけ
詩「白黒が、セピア色に染まるまで
詩「おばあちゃんの微笑み

 これらは何れも詩作品です。だから政治的なその場しのぎの屁理屈ではなく自らを正当化し他を排斥し議論で打ち負かすことを主眼とする散文ではありません。作品の核にある私の、戦争は嫌だ、殺し合いは嫌だとの心の強い思いだけが真実で、その思いを包んでいる事柄は虚構です。記録文学でもないからです。
 詩作品として何より大切なのは、核にある真実を、読んでくださる方の心に手渡せるかどうか、そのことだけだと私は思います。そのために努力し続けたいと私は願います。
 敗戦記念日は、終戦記念日に変えられる、終戦であり続けさせることで。戦勝国も敗戦国も、そこにいる人の表情を押し隠す国境も為政者も乗り越えてしまう心を持ち続けることで。

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絶望と祈り。原民喜

 私が原民喜に惹かれるのは、詩人、作家として心から敬愛し、また感性に似通うものをかんじるからですが、他の影響もあります。
 そのひとつは、母の故郷が島根県の広島県との県境に近い中国山地の真ん中なので、幼年期に広島を経由して汽車の旅をした夏休みの思い出です。
 広島に原爆が落ちた日、その雲を見たと叔父に聞きました。原爆ドームを何度も見ました。祖母も母もあの時原爆のすぐ隣にいたことは心から離れません。
 もうひとつ、彼の作品の本質が祈りであることです。
 私の祖父は戦地で亡くなり、母は大阪に出てキリスト教の信仰を通して父と出会い結ばれました。だから私が初めて暗唱した詩は日曜学校で口ずさんだ「主の祈り」です。讃美歌も幼な心に沁みこみました。
 原民喜は二十代で亡くなった大好きな姉から聖書について聞いた思い出を懐かしく美しく書いていて、親しみに包まれます。

 原民喜が広島での原爆被災時に書き付けた手帳の写真を今、次のホームページで見ることができます。
広島文学館http://home.hiroshima-u.ac.jp/bngkkn/
文学資料データベース1
原民喜「手帳」(全ページ)、「原爆被災時の手帳」解題 海老根勲。
 筆跡と紙の汚れを見るだけで様々な思いが駆け巡ります。ここから彼は『夏の花』などの作品を生み出し、伝えてくれました。

 原民喜は朝鮮戦争の勃発に深い悲しみを抱いて、亡くなる前年の暮れに「家なき子のクリスマス」という題の、とても悲しい詩を書きました。救いのない絶望の詩なので、愛しい詩歌には選びませんでした。絶望と祈りはほとんど見分け難いものと噛み締めつつ。

 彼の死について、藤島宇内が書いている引用した言葉は、本当に痛く、恐ろしいほど悲しいものです。
 原民喜は嘆きに絶望に祈りになることしかもうできませんでした。私はただ悲しいとしか言えません。
 けれど彼の美しい優しい心の詩は、今も私を、死ではなく、生きる方向に向かわせてくれる言葉であり続けることは確かです。なぜでしょうか? 
 彼の痛み、嘆き、願い、絶望、祈りが、人間の真実を教えてくれて、感動せずにはいられないからだと、私は感じます。感動は悲しみ、苦しみであっても、生きることそのものではないでしょうか。
 私は原民喜が、彼の愛(かな)しい作品が、心から好きです。


◎引用

「原民喜の死と作品」藤島宇内

 その世界へ、自分もこれから旅立つわけだが、その世界への扉をひらく方法としては、鉄路に横たわって電車に肉体を轢断させるというすさまじい方法をえらんだ。それは、彼が死後の世界で会おうとする人々が、姉や妻だけでなく、原爆で肉体をひき裂かれ悶え死んでいった無数の隣人たちでもあったからである。

出典:「原民喜の死と作品」藤島宇内『新編 原民喜詩集 新・日本現代詩文庫64』解説(2009年、土曜美術社出版販売)


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原民喜『鎮魂歌』

 私は詩は感動だと思っています。喜び、悲しみに、心を打たれ、言葉と共に心ふるわせ生きる時間だと思っています。愛しあう喜びの歌が心から好きですが、いのちのありのままの顔かたちをみつめる歌にも心ふるえます。
 私が創作に生きようと思い定めながら苦しく彷徨っていた時、私にとっての導きの星は、原民喜の『鎮魂歌』でした。彼のこの作品は、ふつう思われている小説の形、詩の形からもはみ出しているけれど、私にとって今も、20世紀に日本語で書かれた最も好きな詩、感動した作品です。あの頃は『鎮魂歌』を書きあげたいとだけ願っていました。そしてドストエフスキーになることが夢でした。だから初めての文学作品は(小説新人賞に応募して没になりましたが)小説とも詩とも言えないものでした。その頃から、願う作品の形はあまり変わっていないことを書きたいと思います。

 日本語の歌、詩として、和歌が好きだけれど、三十一文字に込めきれない想いが、散文ではこぼれ枯れてしまい、詩・感動として伝えてはじめて生きる想いなら、その最も純粋な極まってゆくかたちは原民喜の『鎮魂歌』だと、今も思っています。
 藤島宇内の「原民喜の死と作品」にある次の言葉は本当に原民喜の心をすぐ近くで感じようとしていた人だからこそ、言いきれた、小説としては評判の悪かった『鎮魂歌』をまともに捉えた、私は共感せずにいられない言葉です。
 『鎮魂歌』を書いた原民喜は、それまで細部まで端正に描いた美しい小説も多く描いていますが、「もはや文学作品の形式についての先入観の枠内で小ぢんまりと隅々まで手入れのゆきとどいたものとして作品をまとめることには、ほとんど価値を見出していない」、私も彼はもう、そんなことはどうでもよかったのだと思います。受け入れられやすい小説の形、詩の形に整えることよりも、「自分の認識した自分の本質を、いいたいように、書きたいように、奔放に打ち出すことに主眼をおいた」、書かずにはいられないことを、そのことがいちばん伝わる形であることだけを願って、彼は書き切ったのだと、感じます。他の小説家も、詩人も、そこまでできなかったのが、本当だと私は思います。

 原民喜自身の「沙漠の花」の言葉は、彼の思いを伝えてくれるとともに、文学作品としての表現にとって最も大切なことは何かを教えてくれます。とても当たり前のことだからこそ、最も難しいことです。
 「だが結局、文体はそれをつくりだす心の反映でしかないのだらう。」
 「以前書いた作品を読み返してみた。心をこめて書いたものはやはり自分を感動させることができるやうだつた。私は自分で自分に感動できる人間になりたい。」
 読む者に感動を伝えることができるのは、書いた人の心が込められた、書いた人自身が感動した詩です。ドストエフスキーの膨大な言葉もその核にある詩「強烈な印象」、伝えずにはいられない感動のためにだけ注ぎ込まれていて、文学に向き合う狂おしさで二人は響きあっています。
 原民喜の詩『鎮魂歌』と『心願の国』から、私の心に響き続けている言葉のふるえ、美しく悲しくとても痛い詩を伝えたいと願います。

●以下が、引用です。

『鎮魂歌』

美しい言葉や念想が殆ど絶え間なく流れてゆく。

自分のために生きるな、死んだ人たちの嘆きのためにだけ生きよ、僕は自分に繰返し繰返し云ひきかせた。それはぼくの息づかひや涙と同じやうになつてゐた。

僕は僕のなかにあるESSAY ON MANの言葉をふりかへる。

死について  死は僕を生長させた
愛について  愛は僕を持続させた
孤独について  孤独は僕を僕にした
狂気について  狂気は僕を苦しめた
情欲について  情欲は僕を眩惑させた
バランスについて  僕の聖女はバランスだ
夢について  夢は僕の一切だ
神について  神は僕を沈黙させる
役人について  役人は僕を憂鬱にした
花について  花は僕の姉妹たち
涙について  涙は僕を呼びもどす
笑について  僕はみごとな笑がもちたい
戦争について ああ戦争は人間を破滅させる

 僕は還るところを失つた人間、剥ぎとられた世界の人間。だが僕は彼らのために祈ることだつてできる。(彼等の死が成長であることを。その愛が持続であることを。彼らが孤独ならぬことを。情欲が眩惑でなく、狂気であまり烈しからぬことを。バランスと夢に恵まれることを。神に身捨てられざることを。彼らの役人が穏かなることを。花に涙ぐむことを。彼等がよく笑ひあう日を。戦争の絶滅を。)

 死者よ、死者よ、僕を生の深みに沈めてくれるのは……ああ、この生の深みより仰ぎ見るおんみたちの静けさ。
 ぼくは堪へよ、静けさに堪へよ。幻に堪へよ。生の深みに堪へよ。堪へて堪へて堪へてゆくことに堪へよ。一つの嘆きに堪へよ。無数の嘆きに堪へよ。嘆きよ、嘆きよ、僕をつらぬけ。還るところを失つた僕をつらぬけ。突き離された世界の僕をつらぬけ。
 明日、太陽は再びのぼり花々は地に咲きあふれ、明日、小鳥たちは晴れやかに囀るだらう。地よ、地よ、つねに美しく感動満ちあふれよ。明日、僕は感動をもつてそこを通りすぎるだらう。

『心願の国』

 だが、人々の一人一人の心の底に静かな泉が鳴りひびいて、人間の存在の一つ一つが何ものによつても粉砕されない時が、そんな調和がいつかは地上に訪れてくるのを、僕は随分昔から夢みてゐたやうな気がする。

僕は今しきりに夢みる、真昼の麦畑から飛びたつて、青く焦げる大空に舞ひのぼる雲雀の姿を……。(あれは死んだお前だらうか、それとも僕のイメージだらうか)雲雀は高く高く一直線に全速力で無限に高く高く進んでゆく。そして今はもう昇つてゆくのでも墜ちてゆくのでもない。ただ生命の燃焼がパツと光を放ち、既に生物の限界を脱して、雲雀は一つの流星となつてゐるのだ。(あれは僕ではない。だが、僕の心願の姿にちがひない。一つの生涯がみごとに燃焼し、すべての刹那が美しく充実してゐたなら……。)

出典:『新編 原民喜詩集 新・日本現代詩文庫64』(2009年、土曜美術社出版販売)

「原民喜の死と作品」
ここでは、もはや文学作品の形式についての先入観の枠内で小ぢんまりと隅々まで手入れのゆきとどいたものとして作品をまとめることには、ほとんど価値を見出していないようである。そこにあらわれてくるのは定形ではなく破形である。文学作品をつくろうという意識は捨てて、自分の認識した自分の本質を、いいたいように、書きたいように、奔放に打ち出すことに主眼をおいた姿勢があらわれているのである。

出典:藤島宇内『新編 原民喜詩集 新・日本現代詩文庫64』解説(2009年、土曜美術社出版販売)

「沙漠の花」

 明るく静かに澄んで懐しい文体、少しは甘えてゐるやうでありながら、きびしく深いものを湛へてゐる文体、夢のやうに美しいが現実のやうにたしかな文体……私はこんな文体に憧れてゐる。だが結局、文体はそれをつくりだす心の反映でしかないのだらう。
 私には四、五人の読者があればいゝと考えてゐる。だが、はたして私自身は私の読者なのだらうか、さう思ひながら、以前書いた作品を読み返してみた。心をこめて書いたものはやはり自分を感動させることができるやうだつた。私は自分で自分に感動できる人間になりたい。(略)

荒涼に耐へて、一すぢ懐しいものを滲じますことができれば何も望むところはなささうだ。

出典:青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)、入力:ジェラスガイ、校正:門田裕志。
底本:「日本の原爆文学1」(1983年、ほるぷ出版)。

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『長崎の鐘』と原民喜

 長崎の被爆の惨状と命を助けようとする医師の格闘を描き伝える、永井隆の『長崎の鐘』に、わたしもまた強く心を打たれた一人です。
 永井隆の命をかけた言葉が伝わることを、原民喜も強く願いました。二人の言葉、祈りを心に刻み、忘れずに生きたいと私は願います。

永井隆
「原子野に泣く浦上人は世界にむかつて叫ぶ、戦争をやめよ。」

原民喜
「恐ろしいのは多くの人々がまだ原子力の惨禍をほんとに鋭く感じとることが出来ないといふことだ。僕はこの書物が一冊でも多く人々によつて読まれ、一人でも多く「戦争をやめよ」といふ叫びがおのおのの叫びとなつて反響することを祈る。」

出典からの引用

「長崎の鐘」原民喜

 昭和二十年八月九日、広島から四里あまり離れた地点で、僕は防空壕の中にゐた、あの不思議な新兵器のことは、この附近の人にも知れ渡つてゐたが、まだ何といふ呼び方をするのか判らなかつた。(略)
 僕があれの名称を知つたのは八月十六日だつた。新聞の届かない僕たちのところへ、町からやつて来た甥がゲンシと耳なれぬ発音をした。と、ゲンシといふ音から僕はいきなり原始といふイメージが閃いた。あの僕の眼に灼きつけられてゐる赤く爛れたむくむくの死体と黒焦の重傷者の蠢く世界が、何だか原始時代の悪夢のやうにおもへた。ふと全世界がその悪夢の方へづるづる滑り墜ちるのではないかとおもへたものだ。
 しかし、もう戦争は終つてゐたのだ。戦争は終つたのだといふ感動が、それから間もなく僕に「夏の花」を書かせた。あのやうに大きな事柄に直面すると、人間のもつ興奮や誇張感は一応静かに吹きとばされるやうである。僕は自分が体験した八月六日の生々しい惨劇を、それがまだ歪まないうちに、出来るだけ平静に描いたつもりである。(略)
 僕は今度はじめて永井隆氏の「長崎の鐘」を読む機会を得た。あの体験記を読んだ直後僕はやはり妙な興奮状態になつた。その夜、電車通を横切らうとすると、何かに躓いて僕はパタンと前へ倒された。僕は惨劇のなかにゐるような気がしたものだ。
 昭和二十年八月九日、僕が壕のなかで縮こまつてゐる時、あれは長崎を訪れたのである。長崎医大の外来診察室であれに見舞はれた永井氏はその時のことをかう書いてゐる。
「目の前にぴかつと閃いた。……私はすぐ伏せようとした。その時すでに窓はすぽんと破られ、猛烈な爆風が私の体をふわりと宙にふきとばした。私は大きく目を見開いたまゝ飛ばされていつた。窓硝子の破片が嵐にまかれた木の葉みたいにおそいかゝる。切られるわいと見ているうちにちやりちやりと右半身が切られてしまつた。右の眼の上と耳のあたりが特別大創らしく、生温い血が噴いては頸へ流れ伝わる。(略)」
それから傷病者の救済に奔走しながら、九月に入ると遽かに原子爆弾症患者が激増して来るが――この辺の状況は広島の場合とほぼ似てゐる――遂に永井氏も前から職業病として持つてゐた原子病が再発して病床に倒れてしまふのである。既にこの著者はあとあまり長くは生きられないことが確定してゐる。が今、死床にあつて、この人は何を人類に訴へ何を叫ばうとしてゐるのだらうか。この書の終りには書いてある。
「人類は今や自ら獲得した原子力を所有することによつて、自らの運命の存滅の鍵を所持することになつたのだ。……人類よ、戦争を計画してくれるな。原子爆弾といふものがある故に、戦争は人類の自殺行為にしかならないのだ。原子野に泣く浦上人は世界にむかつて叫ぶ、戦争をやめよ。」
 もしかすると人類は自分の運命を軽く小さく考へ、原子力の渦に巻き込まれてしまふことがないとも限らない。恐ろしいのは多くの人々がまだ原子力の惨禍をほんとに鋭く感じとることが出来ないといふことだ。僕はこの書物が一冊でも多く人々によつて読まれ、一人でも多く「戦争をやめよ」といふ叫びがおのおのの叫びとなつて反響することを祈る。

出典:青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)。入力:ジェラスガイ、校正:大野晋。
底本:「日本の原爆文学1」(1983年、ほるぷ出版)。初出:「近代文学」1949年10月号。

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原民喜。悲しみと祈りの詩

 原民喜の詩から、私がとても好きな詩7篇をここに咲かせます。
 心に響き、心打たれ、あらわれる思いにつつまれる美しい詩です。彼のこれらの詩は、わたしにとっての詩の、ある理想の姿です。私の心に刺さり忘れらずいつか心の一部となった詩句が愛しく光りかけてくれます。
 1945年8月6日ヒロシマの人たちとともに曝された惨劇を彼は、『原爆小景』の「コレガ人間ナノデス」、「水ヲ下サイ」などの連作詩として描き留め伝えました。読むたびに心が抉られる、とても痛い苦しくなる作品です。小説『夏の花』や『廃墟から』の核となった残酷すぎる凄惨な記憶です。
 これらの原爆の悲惨を見据えた詩と小説を読むと、私はとても辛く悲しくやりきれなくなります。でも、彼が死に物狂いで伝えようとしたもの、そのとき苦しみ亡くなった人たちの救いのない嘆きを、私は見つめ思い考え続けたいと願います。

 ここにあげた7篇の詩作品は、死んでいった人たちの嘆きのためだけに生きようとした彼が、彼自身の心の悲しみと祈りを静かに綴った詩です。夢や星や花や小鳥が好きな彼本来の心のやわらかなやさしさが、透明な言葉の響きとなりふるえています。
 原民喜が詩の言葉にこめた悲しみと祈りは、彼の心の願い、雲雀のように流星のように美しく、死んでいた人たちとともに、生きている人の心に、今ふるえています。

永遠のみどり

ヒロシマのデルタに
若葉うづまけ

死と焔の記憶に
よき祈よ こもれ

とはのみどりを
とはのみどりを

ヒロシマのデルタに
青葉したたれ


讃歌

濠端の舗道に散りこぼれる槐の花
都に夏の花は満ちあふれ心はうづくばかりに憧れる

まだ邂合したばかりなのに既に別離の悲歌をおもはねばならぬ私
「時」が私に悲しみを刻みつけてしまつてゐるから
おんみへの讃歌はもの静かにつづられる

おんみ最も美しい幻
きはみなき天をくぐりぬける一すぢの光
破滅に瀕せる地上に奇蹟のやうに存在する
おんみの存在は私にとつて最も痛い

死が死をまねき罪が罪を深めてゆく今
一すぢの光はいづこへ突抜けてゆくか


感涙

まねごとの祈り終にまことと化するまで、
つみかさなる苦悩にむかひ合掌する。
指の間のもれてゆくかすかなるものよ、
少年の日にもかく涙ぐみしを。

おんみによつて鍛へ上げられん、
はてのはてまで射ぬき射とめん、
両頬をつたふ涙 水晶となり
ものみな消え去り あらはなるまで。


碑銘

遠き日の石に刻み
    砂に影おち
崩れ墜つ 天地のまなか
一輪の花の幻


悲歌

濠端の柳にはや緑さしぐみ
雨靄につつまれて頬笑む空の下

水ははつきりと たたずまひ
私のなかに悲歌をもとめる

すべての別離がさりげなく とりかはされ
すべての悲痛がさりげなく ぬぐはれ
祝福がまだ ほのぼのと向に見えてゐるやうに

私は歩み去らう 今こそ消え去つて行きたいのだ
透明のなかに 永遠のかなたに


死について

お前が凍てついた手で
最後のマツチを擦つたとき

焔はパツと透明な球体をつくり
清らかな優しい死の床が浮び上つた

誰かが死にかかつてゐる
誰かが死にかかつてゐる と、
お前の頬の薔薇は呟いた。

小さなかなしい アンデルゼンの娘よ。僕が死の淵にかがやく星にみいつてゐるとき、
いつも浮んでくるのはその幻だ


かけかえのないもの

かけかえのないもの、そのさけび、木の枝にある空、空のあなたに消えたいのち。
はてしないもの、そのなげき、木の枝にかえってくるいのち、かすかにうずく星。


出典:『新編 原民喜詩集 新・日本現代詩文庫64』(2009年、土曜美術社出版販売)、「死について」『定本原民喜全集II』(1978年、青土社)。
「かけかえのないもの」は小説「小さな庭」から、『原民喜戦後全小説上』(1995年、講談社)所収。

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紫式部のまっすぐな歌『紫式部集』

 『紫式部集』から彼女らしさを感じる歌を選び出しました。

 ゆたかな歌物語『源氏物語』に織り込められた創作歌794首は除いた、彼女の自選だとみなされている、約百数十首の私家集です。ここには七首のみ選びましたが、彼女の歌の特徴が現れていると思います。

 彼女の和歌は、まっすぐです。ストレートに思いを綴っています。心のみ見つめた内省そのものの歌もあります。
 基調音は悲哀の情感です。いのちの憂さと悲しみに揺れ、花開いた、あはれの歌です。
 『源氏物語』の豊かに揺らめく大河とおなじ基調音にふるえる滴のようです。ああ、という声になるかならないほどの彼女の吐息が心を染めます。
 複雑な修辞もなく、常識的な穏やかな言葉を選び、古歌の知識も理知と機知のひらめきも見せびらかすこともないので、独立した和歌として、歌人として高く評価されなかったのは、わかる気がします。
 でも、私はこれらの歌を読むと感動し、いい歌、好きな歌だと感じます。彼女の真実の思いが込められていて、彼女が悲しみを深く感じて心揺れ動くもの、感動を言葉にしているからだと、私は思います。
 紫式部の歌は、とてもまっすぐ、素朴で純真。詩歌を愛する私にとって嬉しい発見です。

◎引用・『紫式部集』から。

若竹の おひゆくすゑを 祈るかな この世をうしと いとふものから
(若竹のような幼いわが子の成長してゆく末を、無事であるようにと祈ることだ。自分はこの世を住みずらい所だといとわしく思っているのに。)

数ならぬ 心に身をば まかせねど 身にしたがふは 心なりけり
(人数でないわが身の願いは、思い通りにすることはできないが、身の上の変化に従っていくものは心であることだ。)

心だに いかなる身にか かなふらむ 思ひ知れども 思ひ知られず
(私のような者の心でさえ、どのような身の上になったら満足する時があるだろうか、どんな境遇になっても満足するこよはないものだと解ってはいるのだが、諦めきれないことだ。)

忘るるは うき世のつねと 思ふにも 身をやるかたの なきぞわびぬる
(人を忘れるということは、憂き世の常だと思うにつけても、忘れられた身のやり場がなく、切ない思い泣いたことです。)

おほかたの 秋のあはれを 思ひやれ 月に心は あくがれぬとも
(あなたに飽きられた晩秋のこの頃の悲しみを思ってみて下さい。今夜の月のように美しい方にあなたの心が奪われていらっしゃるにしても。)

垣ほ荒れ さびしさまさる とこなつに 露おきそはむ 秋までは見じ
(夫が亡くなり、垣が荒れてさびしさのつのっているわが家の撫子[なでしこ=とこなつ]に、秋には涙をそそる露が更に加わるであろうが、そんな秋までは私は生きて見ることはないであろう。)

世の中を なにか嘆かまし 山桜 花見るほどの 心なりせば
(山桜の花を見ている時の心のように、物思いのない心であったなら、この世の中をどうして嘆こう。)

出典:『紫式部日記 紫式部集 新潮日本古典集成』(山本利達 校注、1980年、新潮社)

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新しい詩「さようならこんにちは」を公開しました

 ホームページの「虹・新しい詩」に、詩作品「さようならこんにちは」を公開しました。

「さようならこんにちは」

 この詩は、7月28日発売の『命が危ない 311人詩集 ―いま共にふみだすために―』(コールサック社)へ参加している作品です。

お読みいただけると、とても嬉しく思います。

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