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高畑耕治

Author:高畑耕治
愛のうたの絵ほんは、高畑耕治の詩と詩集の海です。
Profile 高畑耕治 たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪府四條畷市出身、早稲田大学政経学部中退。東京都多摩市在住。
詩集『銀河、ふりしきる』(2016年5月イーフェニックス)
詩集『こころうた こころ絵ほん』(2012年同上)
詩集『さようなら』(1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25)
詩集『愛のうたの絵ほん』(1994年同上)
詩集『愛(かな)』(1993年同上)
詩集『海にゆれる』(1991年土曜美術社)
詩集『死と生の交わり』(1988年批評社)
雑誌「エヴァ」に扉の詩(1996~1997サンマーク出版)を連載。
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ヘルダーリン、愛の詩

 ヘルダーリンの詩から、わたしが心から好きな愛の祈りの詩を咲かせます。手塚富雄の日本語の響きが美しい訳です。
 私は読む度に心ふるえ、詩は感動だ、詩を読むよろこびは自然にうちから感動がわきあがる思いをしることだと、教えられます。同時に、私もいい詩を書きたいという願いが込みあげてくる大切な詩です。

  ディオティーマ

ひさしいあいだ枯れしぼんで閉ざされていた
わたしの心は いま美しい世界に挨拶する。
その枝々は芽ぐみ つぼみをつける、
新しい生命のみなぎりに。
そうだ、わたしはもういちど生に帰ってきた、
さながら大気と光をあびて
わたしの花たちのきよらかな力が
古い殻(から)を破って躍り出たかのように。

なんという変りかただろう。
わたしが憎み避けていたものすべてが
なつかしい諧音をかなでながら
いまわたしの生命のうたに唱和する。
そして時の打つごとに
わたしのこころはふしぎにも
幼いころのこんじきの日々へとよみがえる、
わたしがこのひとりのひとを見いだしてからは。

ディオティーマ! この世ならぬひと!
たぐいない存在! このひとによってわたしの精神は
生の苦悩から癒されて
神々の若さを約束された。
わたしの空は曇ることはあるまい、
きわめつくせぬ縁(えにし)に結ばれて
あい見る前からたがいを知っていた、
たがいの魂のおくそこで。

わたしがまだ幼い夢にゆすぶられて
晴れた日のようにやすらかに
わたしの庭の木々のした、
あたたかい大地に寝そべり、
ほのかな喜びにつつまれて
わたしの心の五月がはじまったとき、
春の微風とともにわたしにそよぎかけたのは
ディオティーマの精神のいぶきだった。

ああ そして古い言い伝えのように
この世の美しさがわたしの周囲から消え
天日をまえにしながら
わたしが盲者のように光をもとめてあえいでいたとき、
時の重荷に圧しまげられ
わたしの生がつめたく青ざめて
はやくもかなた、あの無言の
影の国へとあこがれながら身をかしげたとき、

そのとき 天からの贈りもののように
待ち望んでいた勇気と力が理想の世界からわたしを訪れた。
神々(こうごう)しいおもかげが 光につつまれて
わたしの夜闇のなかに現われたのだ。
それに行きつこうと わたしはふたたび
眠りこけていた小舟を 荒涼とした
港から引きおろして乗り出した、
みどりの大海原へ。――

いまこそわたしはあなたを見いだした、
愛の祈りのときに
わたしが思いえがいていたよりも美しいひと、
気高いひと、まさしくあなただ。
ああ 空想のまずしさよ。
このひとりのひとをはぐくんだのは
おんみだ、永遠の調和のうちに
生き生きと完成している自然だ!

喜びが高まり昇ってゆくところ、
日々のわずらいから解きはなされて
移ろいのない美が花咲くところ、
その高所に住むあの至福の精霊たちのように、
妙なる調べをかなでながら太古からの混沌(カオス)の
争乱のなかに立つウラーニアのように、
そのひとは 神なる純潔をそのままにたもって
時代の廃墟のなかに立っている。

限りない帰順の思いとともに
わたしの精神は 恥じながら武装を捨てて
心のつばさの力をつくしても及ばぬ
そのひとを捉えようとつとめもがいた。
炎熱の夏となごやかな春、
闘争と平和とはいま、
この美しい天使をまなかいにして
わたしの胸の深みに去来する。

にごりのない熱い涙を
わたしはいくたびかそのひとのまえで流した、
生のあらゆる調べをかなでて
そのやさしいひとのこころと結んだ。
たましいの奥底まで光に打たれて
そのひとのいたわりを乞うたこともしばしばだった、
あまりにも明るくきよらかに
そのひとの天空(そら)がわたしをおおいつつんだとき。

そのひとのこころが 汲みつくせぬ静かさや
ふとしたまなざしや声音にやどる
平安と充溢を
わたしにそそぎあたえるとき、
わたしを鼓舞する神が
そのひとの額にかがやきわたるとき、
わたしは讃嘆にひしがれて
憤(いきどお)りながらそのひとにわたしの貧しさを訴えた。

そのとき そのひとのやさしさは
幼子(おさなご)の嬉戯に似てわたしを抱きとり
そのふしぎな力に
わたしを縛(いましめ)ていたものは喜びのうちに解けた、
そのときわたしの乏しいもがきのこころは去り
戦いの傷はあとなく消えて
みちあふれる神々の生のなかへ
無常のわたしは踏みのぼった。

地上のどんな力も どんな神の命令も
わたしたちを隔てることのないところ、
わたしたちが一にして全であるところ、
そこだけがわたしの家だ。
わたしたちが窮乏と時間を忘れて、
わずかな利得を追う
物差しを捨てるところ、
そこでこそわたしは知る わたしの存在していることを。

かがやく威をもって
わたしたちとおなじように平和に静かに
あの暗い高みを進んでいる
テュンダレオスの子らの星が
いま 美しい憩いが招く
晴れやかな大洋へ
嶮(けわ)しい天の穹窿(きゅうりゅう)から
大きい光芒(こうぼう)を放って落ちこんでゆくように、

おお歓喜よ! そのようにわたしたちは
おんみのうちに至福な墓を見いだす、
わたしたちは無言のままに心をおどらせながら
おんみの波の底にかくれてゆく、
やがてまた時の呼び声を聞いて
わたしたちが新しい誇りとともに目ざめ
この星たちのように 生の
短い夜に帰ってくるまで。

出典:『筑摩世界文学大系21 ヘルダーリン』(手塚富雄訳、筑摩書房、1975年)

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ヘルダーリンの愛の祈り

 フランスの詩の象徴詩派、言葉の音象を奏でる詩人たちとその詩をみつめてきました。萩原朔太郎新古今和歌集と詩想が通いあうと述べていますが、私もそう感じます。美しい詩世界です。

 私が最も深く影響され敬愛する日本の詩人は、原民喜(たみき)です。(原民喜『鎮魂歌』)。
 世界の小説家ならドストエフスキー、そして世界の詩人ではヘルダーリン、ドイツの愛と祈りの詩人です。彼の短い紹介を出典から引用します。

●引用
 フリードリヒ・ヘルダーリン(1770―1843年)、ドイツの抒情詩人。フランス革命挫折のあと、キリスト教的愛と古代ギリシアの神々の統合によって、時代に新しい神性をもたらすべく苦闘したが、一八〇八年以後は精神の薄明のうちに生きた。孤独と不遇のうちに終った彼には、生前一冊の詩集もなかった。
 
 私は二十代、彼を敬愛し、彼のような作品、詩を書きたいと願い、彼の生に自分を重ねました。
 なぜだろう? 彼の詩に心から感動するからです。心ゆれ、心ふるえ、詩を読み感じる喜びにつつまれます。
 読み返すすたび、私は感動します。ドイツ語は読めないので翻訳された言葉であっても感動します。すごいことだと思います。
 私もこんな詩を書きたいと願い、私の作品が彼の影響を受け続けていることを改めて感じます。そんな大切な詩人です。

 彼には『ヒュペーリオン』という書簡体の愛の小説があり、その作品も私はとても好きです。好きなものばかり今回は記しました、好きなものを思うと幸せな気持ちになれ心がひろがるのを感じます。次回は私のいちばん好きな彼の詩を咲かせます。

出典:『筑摩世界文学大系21 ヘルダーリン』(手塚富雄訳、筑摩書房、1975年)

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ボードレールの散文詩。フランス詩歌の翻訳(二)

 好きなフランスの詩をみつめながら、詩歌の翻訳について考えています。前回は最も「歌」に近いヴェルレーヌの詩歌を聴きとりました。今回は、詩歌の海のより大きな広がりを眺めての想いを記します。

 まず、おなじヴェルレーヌの詩歌の日本語訳でありながら詩歌らしい響きを感じる作品、主題と主調はまさしくヴェルレーヌともいえる「憂鬱」です。

 なぜ詩歌の響きが感じられるのか?
 前回、日本語の脚韻について、「秋の日の(no)」と「ヴィオロンの(no)」の母音oの脚韻は、弱すぎて脚韻とは感じとれない、行分けにより、息の休み、間を生んでいるだけ、と記しました。 
 それに対して「憂鬱」には次のような特徴があります。
①  第1連に、「赤かった。」「黒かった。」の脚韻。かった、と3文字あるので日本語の弱い響きでも反覆を感じとれます。
② 第2連に、「恋人よ、」「生まれるよ。」は、呼びかけの心が通じ合うため、「よ」が響き合います。
③ 第3連に、「空は」と「海は」の対句。「すぎた、」「過ぎた、」「すぎて、」「過ぎた。」の畳韻、脚韻。誰にも感じられる強さがあります。
④ 第5連に、「ひいらぎにも、」「つげのきにも」の対句的だから「ぎにも」と「きにも」の3文字が響き合います。
⑤ 第6連に、「は(HA)てしのない」「のは(HA)ら(A)」「あ(A)らゆる」「(あ(A)きあ(A)き)」「ああ(AA)」「た(TA)だ(DA)」「には(WA)」と、A音が流れるように揺れ動き響き合っています。

 中原中也も、日本語の詩歌にとっての、ゆたりゆたりとした言葉の繰り返し、対句が、歌にいのちを吹きこむものと言っていますが、原詩にある対句表現が、訳を越えても、失われないことが、詩歌としての表現がたもたれている一つの要因です。
 そしてもうひとつの要因は、訳者の日本語の言葉を詩歌として響かせる感性と創意による表現力にあると、私は感じます。だから原詩を知らずとも、独立した日本語による訳詩としての美しい音楽を奏でていると私は感じます。


  憂鬱(スプリーン)
        ヴェルレーヌ
        鈴木信太郎訳


薔薇の花は まるで赤かった。
蔦(つた)の葉は すっかり黒かった。

恋人よ、少しでも君が動くと、
またわたしの絶望が生れるよ。

空は碧(あお)すぎた、穏やか過ぎた、
海は青すぎて、空気は静か過ぎた。

絶えずわたしは気に病んでゐる、―待つ身の
つらさ、―何だか無慙(むざん)に棄てられそうだと。

漆(うるし)を塗った葉の柊(ひいらぎ)にも、
きらきら光る黄楊(つげ)の木にも、

はてしのない野原にも、あらゆるものに、
厭々(あきあき)した、ああ、ただ君の外には。

出典:『筑摩世界文学大系48 マラルメ ヴェルレーヌ ランボオ』(1974年、筑摩書房)

 次に、ボードレールの散文詩集『パリの憂鬱』を手にとります。とても懐かしさを感じます。熱愛したわけではないけれど、彼の詩集『悪の華』より好きで、十代、二十代に繰返し読みました。惹かれるもの、言葉の美しさを感じていた気がします。
 行分けされているかいないかが、詩と散文をわける境界ではないことを、この作品に私は教えられました。

なぜ詩歌の響きが感じられるのか?
 「酔いたまえ」にも次の特徴があります。
① いちばん根本的なことは、作者の感動が、気持ちの昂ぶりがみなぎっていることです。詩と散文の根本的な境界はそこにしかありません。
② 表現の面でのその核心は、「酔いたまえ」という主題を、言葉づかいを変奏曲のように、「酔っていなければならぬ。」「酔い続けねばならぬ。」「酔いたまえ。」「「酔うべき時!」「酔いたまえ、絶えず酔いたまえ!」と微妙に変えながら繰り返す毎により高めていく詩法にあります。
③ たたみかける語句の迫力と美しさ、繰り返しによる響き合いも、この散文詩の魅力です。特に「訊ねるがいい、風に、波に、星に、鳥に、時計に、およそ移ろうもの、およそ呻くもの、およそめぐるもの、およそ歌うもの、およそ語るもののすべてに、訊ねるがいい、いまは何時(なんどき)かと。すると、風も、波も、星も、鳥も、時計も、君に答えるだろう、」この詩句は美しく波のように心に打ち寄せ砕けます。
 『パリの憂鬱』は詩歌の本質と表現に必要な核心を教え考えさせてくれる作品だと私は思います。特に定型詩のない日本語で書く詩人にとって。

  酔いたまえ
        シャルル・ボードレール  
        安藤元雄訳


常に酔っていなければならぬ。それがすべてだ、問題はそれしかない。君の肩を押しひしぎ、君を地べたにかがませる「時間」の恐るべき重荷を感じたくなかったら、休むひまなく酔い続けなければならぬ。
 しかし、何に? 酒にでも、詩にでも美徳にでも、お好きなように。だがとにかく酔いたまえ。
 そしてもしもときたま、宮殿の石段の上で、掘割の緑の草の上で、君の部屋の陰鬱な孤独の中で、君が目を覚まし、酔いがすでに薄れたり消えたりしていたら、訊ねるがいい、風に、波に、星に、鳥に、時計に、およそ移ろうもの、およそ呻くもの、およそめぐるもの、およそ歌うもの、およそ語るもののすべてに、訊ねるがいい、いまは何時(なんどき)かと。すると、風も、波も、星も、鳥も、時計も、君に答えるだろう、≪いまは酔うべき時! 「時間」の奴隷として虐げられたくなかったら、酔いたまえ、絶えず酔いたまえ! 酒にでも、詩にでも美徳にでも、お好きなように≫と。

*散文詩集『パリの憂鬱』(1869年)収録。
出典:『フランス名詩選』(1998年、岩波文庫)

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ヴェルレーヌの歌。フランス詩歌の翻訳(一)

 フランスの好きな詩を感じとりつつ、詩の翻訳についてもう少し考えます。

 今回は、上田敏訳『海潮音で紹介されてからヴェルレーヌ詩歌のうち日本で最も親しまれてきた「秋のです。原題に、Chansonとあることからも、作者自身の心からのだとわかります。

詩の構成をみつめてみると、
① 3連の各連とも、6行で同じ。
② 3連の各連とも、同じ規則的な脚韻を踏んでいる。
* 1行目と2行目、3行目と6行目、4行目と5行目、全行末の赤紫色にした言葉が、大文字アルファベットが同じ行の言葉と、美しく響き合っています。(AとA、BとB、CとC、以下同じ)。
 もともと言葉数が少ない作品なので、使われた言葉のほぼ半数近くまでが、脚韻で響き合っているようなです。マラルメも『詩の危機』で、「フランスの詩歌はその魅惑する力をなによりもまず脚韻の効果に負っている」と述べていますが、その典型の詩歌だといえます。

 詩の翻訳を考える時、このような歌を異なる言語に移し変えることが、最も難しいと感じます。
 上田敏の文語訳と、渋沢孝輔の口語訳を、原詩と見比べてその理由を考えてみます。
① 3連の各連とも、6行で同じ。文語訳はこの形を保っています。口語訳は2連を5行にしています。ただどちらも、詩の形を雰囲気としてつたえているだけです。
 原詩は行分けによる言葉の位置が脚韻と厳密に結びついていますが、日本語訳の行分けにそれはなく、弱い息の休止、間をとっているだけです。
 例えば、訳詩両方の冒頭の「秋」という言葉が、原詩では3行目(automne)にあるように、原詩の言葉に対応する訳語は前後の行にまちまちに散らばっていて、もちろん響きも違うので、音楽的な共通性はまったくありません。文法・語順の違いによる制約です。
② 文語訳、口語訳ともに、脚韻らしい脚韻はほとんどありません。このことが、「歌」の翻訳は不可能に近いいちばんの原因です。冒頭の「秋の日の(no)」「ヴィオロンの(no) 」も弱く途切れ脚韻と呼べるほどの響きあいは感じとれません。
 原詩は半分ちかくの言葉が脚韻で響きあう音楽、訳詩は言葉の脚韻の響きあいがほぼありません。

 この二つの制約を越えて、上田敏の文語訳が、それでも詩らしく感じるのは、文語の伝統の力が大きいと思います。
 「ひたぶるに」という語感、「おもいでや」の詠嘆の「や」、「げにわれは」の言葉切り詰めた表現、「落ち葉かな」の詠嘆の「かな」、これらの日常会話で使わない「文学で使われてきた言葉」が、この行わけ文を、文語詩だと感じさせます。
 一方で口語訳は、文意がとりやすくわかりやいほど逆に、日常の会話の散文と変わらなくなっています。1連が特徴的で、行分けをなくすと、「秋の日のヴァイオリンのながいすすり泣きにこころ傷み単調なもの悲しさを誘われる。」と、日常の散文になってしまいます。2連も同様ですが、3連は、なんとか詩らしさを保とうとする訳者の努力が文語調の言葉を選ばせているように、私は感じます。

Chanson d’automne
             Paul Verlaine


Les sanglots longs   A
Des violons       A
 De l‘automne      B
Blessent mon cœur   C
D’une langueur     C
 Monotone.         B

Tout suff ocant     D
Et blême, quand     D
 Sonne l’heure,      E
Jeme souvieens     F
Des jours anciens    F
 Et je pleure;       E

Et je m’en vais     G
Au vent mauvais    G
 Qui m’emporte     H
Deçà, Delà;,       I
Pareil à la        I
 Feuille morte.      H


秋の歌
      ヴェルレーヌ
      上田敏訳『海潮音
所収。

秋の日の
ヴィオロンの
  ためいきの
身にしみて
ひたぶるに 
  うら悲し。

鐘のおとに
胸ふたぎ
  色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
  おもいでや。

げにわれは
うらぶれて
  ここかしこ
さだめなく
とび散らふ
  落葉かな。

『サチュルニアン詩集』(1866年)所収。
出典:「秋の日」「詩の危機」『筑摩世界文学大系48  マラルメ  ヴェルレーヌ  ランボオ』(1974年、筑摩書房)


秋の歌
       ヴェルレーヌ
       渋沢孝輔訳


秋の日の
ヴァイオリンの
   ながいすすり泣きに
こころ傷み
単調な
   もの悲しさを誘われる。

時の鐘
鳴りわたるとき
   息つまり、青ざめて
むかしの日々を思い出し
   涙ぐむ。

まことわたしは
吹き荒れる
   風のまにまに
ここ かしこ
跳び散らう
    落葉の身の上。

出典:『フランス名詩選』(1998年、岩波文庫)

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La mer 海、フランスの好きな詩

 フランス語のR音の哀しい響きについて記した前回を受けて、私が好きなフランスの詩を咲かせます。
 R音の、「ru」より「fu」に近い、吹き出される息だけのかすれた響き、の美しさをもっとも素朴に響かせてくれるのは、私にとってはLa mer「海」です。脚韻での響きあいは、海の波のゆらめき、限りないその果ては永遠です。
 この3篇の詩に通いあうものは、今ここにないものを求めずにはいられない思いです。詩のいのちが生れてくる子宮にゆれる羊水、海、愛と祈りです。裏返されたかたちの表現、愛の枯渇の絶望、信仰に飛び込めぬ絶望のかたちの表現であっても。
 萩原朔太郎は、ノスタルジア、郷愁とよびましたが、国境と時を越えて、詩歌の根底で響きあう魂です。新古今和歌集の詩心は、この3篇にとても近く共鳴しています。
 象徴詩は厭世からの美・彼岸への飛翔(失墜も激しく)、歌謡は嘆きながらも現世に泥臭くどっぷり。どちらも私の心から生まれようとします。
 (もう1篇のコクトーの詩は20世紀の作品ですが、海の響きの共鳴で付けたしました。この詩は私が繰り返し読んだ漫画『巨人の星』に引用されていて私は好きになりました。原作者の梶原一騎は最終回近くにプルーストの『失われた時を求めて』の「見出された時」の言葉も引用していて詩心を感じます)。

 詩を、特に音楽的な詩を、訳すのは不可能に近いことだけれど、開き直れば、訳者の心を込めた創作ができます。ひとりの人間の心による創作だから、原作とは独立して、良い訳、悪い訳が生れます。
 今回の3篇は、詩句の音楽、音韻の美しさを感じることはできない翻訳の限界を越えて、響いてくる言葉だと私は感じます。
 その理由には二つあって、
 一つは原詩そのものの思いの強烈さ、詩に注ぎ込まれたものの熱さ、詩人の魂の響きの強さです。それが詩の魂でそれだけが言葉の国境を破ります。
 もう一つは訳者の心の熱さによる翻訳の限界をわきまえた創意です。原詩を心から愛する訳者は、言語の違いを越えて、詩の魂は伝えられると私は考えます。

 フランス詩、ドイツ詩の、音韻そのもの、その美しさについては、まず心に響く翻訳詩を感じとった後で別に、考え感じたいと思います。


  旅へのさそい
           シャルル・ボードレール  
           安藤元雄訳


   私の子、私の妹
   思ってごらん
あそこへ行って一緒に暮らす楽しさを!
   しみじみ愛して、
   愛して死ぬ
おまえにそっくりのあの国で!
   曇り空に
   うるむ太陽
それが私の心を惹きつけるのだ
   不思議な魅力
   おまえの不実な目が
涙をすかしてきらめいているような。

あそこでは、あるものすべて秩序と美、
豪奢、落ちつき、そしてよろこび。

   歳月(とし)の磨いた、
   つややかな家具が、
私たちの部屋を飾ってくれよう。
   珍しい花々が
   その香りを
ほのかな龍涎(りゅうぜん)の匂いにまじえ、
   華麗な天井、
   底知れぬ鏡、
東方の国のみごとさ、すべてが
   たましいにそっと
   語ってくれよう
なつかしく優しいふるさとの言葉。

あそこでは、あるものすべて秩序と美、
豪奢、落ちつき、そしてよろこび。

   ごらん 運河に
   眠るあの船
放浪(さすらい)の心を持って生まれた船たちを。
   おまえのどんな望みでも
   かなえるために
あの船は世界の涯(はて)からここへ来る。
   ― 沈む日が
   野を染める、
運河を染める、町全体を染め上げる、
   紫いろと金いろに。
   世界は眠る
いちめんの 熱い光の中で。

あそこでは、あるものすべて秩序と美、
豪奢、落ちつき、そしてよろこび。

*詩集『悪の華』(1857年)所収。
出典:『フランス名詩選』(1998年、岩波文庫)


  永遠
               ジャン・ニコラ・アルチュール・ランボー 
              中原中也訳


また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去(い)つてしまつた。

見張番の魂よ、
白状しようぜ
空無な夜(よ)に就き
燃ゆる日に就き。

人間共の配慮から、
世間共通(ならし)の逆上(のぼせ)から、
おまへはさつさと手を切つて
飛んでゆくべし……

もとより希望があるものか、
願ひの条(すぢ)があるものか
黙つて黙つて勘忍して……
苦痛なんざあ覚悟の前。

繻子(しゆす)の肌した深紅の燠(おき)よ、
それそのおまへと燃えてゐれあ
義務(つとめ)はすむといふものだ
やれやれといふ暇もなく。

また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去(い)つてしまつた。

出典:青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)入力:オーシャンズ3、校正:L.P.S.
底本:「中原中也全訳詩集」講談社文芸文庫、講談社、1990(平成2)年。
底本の親本:「中原中也全集 5」角川書店、1968(昭和43)年4月10日初版発行。
初出:「ランボオ詩集」野田書房、1937(昭和12)年9月15日初版発行。


  海の微風
           ステファヌ・マラルメ  
           渋沢孝輔訳
 
肉体は悲しく、ああ! 書物はすべて読んでしまった。
逃れよう! 彼方へと逃れよう! 鳥たちが未知の水泡(みなわ)と
天空のあわいにあって酔い痴れているのを わたしは感じる!
なにものも、そう、瞳に映る古い庭園も
海に浸っているこの心を引きとめはしない
おお夜よ! 白さが護り固めている空虚な紙の上の
わがランプの荒涼たる明るさも
また子供に乳をやっている若い妻も。
わたしは発つだろう! 帆柱帆桁を揺すっている蒸気船(スチーマー)よ
異国の自然に向けて錨をあげよ!
「倦怠」は、残酷な希望に荒(すさ)みながらも、
なお信じているのだ ハンカチを振る最後の別れを!
しかも、おそらくは、船は、嵐を招(よ)び
疾風に傾いて難破へとむかうのか
マストもなく、マストもなく、肥沃な小島もなく、消え失せて……
だが、わが心よ、聞け 水夫たちの歌を!

『現代高踏詩集』第1次(1866年)収録。
出典:『フランス名詩選』(1998年、岩波文庫)


  カンヌ 5
      ジャン・コクトー 
      堀口大學訳


Mon oreille est un coquillage.   
Qui aime le bruit de la mer.

私の耳は 貝の殻 
海の響を懐かしむ    

出典:コクトー詩集 (1954年、新潮文庫)
原文は『フランス名詩選』(1998年、岩波文庫)を参照。
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tag : フランス語 フランス詩 ボードレール ランボー マラルメ コクトー 中原中也 高畑耕治 詩歌

フランス詩の哀しいR音

 ここのところ500年くらいの時をさかのぼり歌心の交わりをしていましたが、すこしより近い時代に戻って、このまるい星のうえで海を越えた大陸の歌心との交わりをエッセイに記します。

 二十歳前の文学を志しもがいていた頃、私は中原中也のまねをして東京御茶ノ水のアテネフランセというフランス語学校に通いフランス詩を学んだことがありました。象徴派の詩人たち、ランボーやヴェルレーヌの詩、マラルメやヴァレリーの詩と詩論に親しみました。
 語学は精神がとても不安定で習得できませんでしたが、フランス詩の言葉の響きと語感を、心の襞でふれたことに意味があったのではと今も思います。

 フランス語のR音の吐息のようなふるえ、かすれる響き、哀しい声が好きになり、ヌーヴェルヴァーグのゴダールなどの映画を良く見て、女性の声の美しく優しい響きを聴くのがとても好きでした。
 ランボーの詩の朗読のカセットテープ(今のCD)を繰り返し聞いて、自分も声を出して朗読したりしました。

 詩が言葉の美しい音楽だということを、マラルメの詩論にも教えられましたが、それ以上に、彼らの詩の響きに直接触れたことで美しいという感動として、心にいつまでも消えない音楽をもらったと思います。

 詩はゆたりゆたりとした歌だといった中原中也の言葉を以前記しましたが(中原中也の「ゆたりゆたり」)、たぶん同じことを彼もフランスの詩人たちの詩に感じていた気がします。
 そのように感じて感動したからこそ、日本語の言葉の語感、詩の響きに心の耳を澄ますことの大切さ、それが詩歌のとても自然な姿だということを忘れられなくなったのだと、私は思います。

 詩の音楽について、今度はお隣の国ドイツを訪ね、詩人たちの歌心にふれ聴きとりたいと思います。
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「隆達節小歌」、歌謡の運命

 室町小歌の豊かな歌謡の世界を『閑吟集』『宗安小歌集』をとおして聴きとってきました。その流れを受けて生まれた隆達節歌謡を今回はみつめ感じとります。
 
 隆達節歌謡は「洒落た音曲」だと私は感じます。
総説に書かれている通り、「海外へ開かれた商港であり、人口数万を擁し、町家と呼ばれる富裕な商人の活躍した経済都市」である堺の空気に響いた、「技巧的で軽みを帯びた洒脱な」歌、十六世紀のころの町衆文化に咲いた花です。

 隆達節歌謡(小歌・草歌)は、「大半が男女間の恋慕の種々相を歌った抒情味深い」短唱です。 「尺八・小鼓などを伴奏に、三味線にも合わせて」町の人びとは心ゆらして歌ったのだと思います。
 出典の著者新間進一がいうように、室町小歌があかぬけたようなこの歌を、「すっきりとした優美の情趣を買うか、頽廃につながる消極さや厭味を嗅ぎとるか」は、聴き取る者・読者の好みによると、私も思います。(私の心は室町小歌により惹かれます)。

 近世に入って、女歌舞伎踊歌や『松の葉』第一巻に影響を与え、「その他お座敷唄・踊り歌・民謡など広い範囲で」歌心は交わりあいました。「江戸中期には弄斎や投節・端唄など、さまざまな流行歌謡に移ってゆく。」
流行歌のはやりとすたり、めまぐるしい移り変わりは、昔も今も変わらず、人の一生の短い浮き沈みと裏表の流れのようです。著者はそれを「歌謡の運命」と言い、この言葉は私の想いにじんわり広がります。
  
 隆達節歌謡の影響の中で生まれた近世の『松の葉』が、今度は近代の詩歌に影響を与えました。
「明治の末ごろ耽美派文学の若い詩人たちが、上田敏を介して『松の葉』を愛読」したこと、北原白秋、吉井勇、与謝野寛の詩を通してその受容の姿を伝えてくれた記述に、私は心、文化が、受け継がれ生き続ける姿を教えられ感銘を受けます。

 隆達節歌謡に「近代歌謡と類想のもの」があるのは、「時代を超えて流れる心情の機微なのであろう。「涙」「面影」「別れ」などを主要要素とする「現在の歌謡曲とも、隆達小歌は意外とつながっているかもしれない。」という著者の言葉に、私は共感します。
 私は、歌謡、詩歌を育む心は、途絶えることなくつながっていると思います。時代のうねりのなか浮き沈む心を、表情に浮かべながら。

 今後、『田植草紙』などの近世の歌謡にも耳をすませとりあげたいと思います。

●以下は出典からの引用です。

◎総説
☆高三(たかさぶ)隆達
 『閑吟集』が撰ばれたのは十六世紀の初めであったが、同世紀の終わりから十七世紀初頭にかけて(文禄・慶長のころ)、隆達節歌謡が流行した。これは従来の小歌を嗜(たしな)み、自らも歌詞を作り曲調を完成したらしい高三隆達の名を冠したものである。『閑吟集』の小歌は、さらに洗練され、円熟度を増すに至った。
 中世において海外へ開かれた商港であり、人口数万を擁し、町家と呼ばれる富裕な商人の活躍した経済都市でもあった和泉国の街には、室町中・後期、京・奈良に劣らず文化の華が開いていた。連歌師牡丹花肖柏が最晩年この地に移り住み、多くの弟子を育てたこと、武野紹(じょうおう)・千利休らの茶の湯が流行したことなど、特筆されよう。
 芸能面では十六世紀のころ風流踊りが盛んになり、尺八が喜ばれ、やがて三味線の渡来もあって、町衆文化にふさわしい洒落た音曲への関心が高まっている。

☆歌謡の内容・表現
 隆達節歌謡(小歌・草歌)をひっくるめて、その文芸性を見てみたい。概括すれば『閑吟集』『宗安小歌集』の世界とそう径庭(けいてい)のあるものではない。所詮、中世歌謡圏に属していて、大半が男女間の恋慕の種々相を歌った抒情味深いものである。興味を惹かれるのは、近代歌謡と類想のものがあることで、二、三、例示すると、

待つ人も来もせで 月は出たよの

は、竹久夢二の小曲「待てど暮せど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬさうな」の裏返しの発想である。

恋をせば さて年寄らざるさきにめさりよ 誰か再び花咲かん 恋は若い時のものぢや 若い時のものよ

の歌では、「命短し恋せよ乙女」の「ゴンドラの唄」(吉井勇)を連想する。こういうことは、時代を超えて流れる心情の機微なのであろう。「涙」「面影」「別れ」などを主要要素とする現在の歌謡曲とも、隆達小歌は意外とつながっているかもしれない。(略)
 すっきりとした優美の情趣を買うか、頽廃につながる消極さや厭味を嗅ぎとるか、ということであろう。(略)
 
☆近世歌謡への展開
 音曲としての隆達は、扇拍子・一節切(ひとよぎり)尺八・小鼓などを伴奏に歌われたものであろう。歌詞の中に、それらを詠みこんだ作もある。

   尺八の 一節切こそ 音(ね)もよけれ 君と一夜は 寝も足らぬ

   手に手をしめて ほとほと叩く 我はそなたの小鼓よ

 歌詞の類縁歌謡をたどるとき、後世によく知られた歌や文句が隆達小歌に出ていることが多い。たとえば「濡れぬ先こそ 露をもいとへ 濡れての後には ともかくも」「花は散りても又も咲く 君と我とはひととせよ」などをあげられる。
 岩瀬醒『近世事跡考』などによると、隆達節は元禄のころまで残っており、また三味線にも合わせて歌われるようになったらしい。 『松の葉』巻一にはこの歌の影響があり、その他お座敷唄・踊り歌・民謡など広い範囲で類歌を生じている。
 歌謡の運命として、江戸中期には弄斎や投節・端唄など、さまざまな流行歌謡に移ってゆく。その中で歌沢が近世末期に興り、洗練された曲調を志向して隆達を自派の祖と仰いだことは興味が深い。(略)

◎本文鑑賞  

   思い切れとは 身のままか 誰かは切らん 恋の道 (日本古典文学大系2・日本古典全書94)
   【訳】思い切れとは自分勝手な言いぐさだ。だれが切れようか、この恋の道ばかりは。

 (略)「恋の道」は、「恋路」ともいい、ともに古い歌謡であり、さまざまな連想を自然と呼びよせる。(略)
 さらに隆達小歌の中で「恋路」を歌ったものを示せば、

   思ひ切らねば 恋の路を 身をやつさじ 人も恨みじ  
   恋路ほど もの憂きものは 世にあらじ 逢はねば見たう 逢へば別るる
   とぶ蛍 なにを思ひて 身をこがす 我は恋路に身をやつす
   山の端にこそ 月はあれ 恋の道には 月もなや


とさまざまに歌っている。技巧的で軽みを帯びた洒脱な言い方はあるが、恋の切なさ・苦しさをどれも歌っている。(略)
 
 本歌に戻って、後代歌謡への展開を考えると、寛文・延宝のころの集かといわれる『当世小歌揃』(『日本歌謡集成』巻六の「平九本ぶし」十三首の中に、このままの形で入りこんでいる。また前引の「山の端にこそ 月はあれ」もあわせて載っている。
 そのほか『延享五年小歌しやうが集』(『続日本歌謡集成』巻三)には「思ひ切れとは死ねとの事か 死なにや思ひの根は切れぬ」の歌があって、違った形での発展を示している。

   情かけふ物 くやしやな なんぼう恋には 身がほそる
   【訳】情をかけようものを、残念なことだよ。何ほどか恋をしていると、わが身が痩せ細るよ。

 (略)「なんぼう恋には 身がほそる」は近世に入って、組歌ふうに用いられて成長してゆく。
 まず女歌舞伎踊歌(天理図書館蔵『おどり』所収)の「伏見踊」のうちに「伏見恋しうて出でて見れば 伏見隠しの霧が降る なんぼ恋には身が細る 二重の帯が三重廻る(下略)として出ている。
 『松の葉』第一巻、裏組の中に「月は八幡(やわた)のまだ空にも往(い)のいのとは思へども 後(あと)に心がとどまりて 後(うしろ)髪が引かるる なんぼ恋には身が細ろ 二重の帯が三重まはる」の作がある。

 明治の末ごろ耽美派文学の若い詩人たちが、上田敏を介して『松の葉』を愛読した。
 白秋の歌集『桐の花』の中の詞書に、この「なんぼ恋には・・・・・・」の句をさりげなく挿入して、歌集の効果を引き立てている。
吉井勇の歌に有名な「夏の帯砂(いさご)のうへにながながと解きてかこちぬ身さへ細るとや」や「しら玉の君はわれゆゑ身が細るわれは君ゆゑいのちが細る」など、この『松の葉』調を摂取している。
 さらにふたりの師匠格にあたる与謝野寛の小曲(五行詩)に、「帯を解く君云ひぬ/『この細れるをみたまへ』と。/朝の別れに君云ひぬ、/『忘れたまふな海ごしに/二十日の月の黄ばめるを』」(『の葉』所収)の絶唱もある。これには『松の葉』の情趣の近代化が見える。
 話が多岐にわたったが、再び近世歌謡に戻る。民謡集『山家鳥虫歌』の河内の民謡に、「こなた思ふたらこれほど痩せた 二重廻りが三重廻る」というのがあるが、隆達や『松の葉』の「なんぼう恋には身がほそる」の表現と比べて品が落ちることは明らかであろう。

出典:新間進一「隆達節歌謡 総説、本文鑑賞」『鑑賞 日本古典文学 第15巻 歌謡Ⅱ』(1977年、角川書店)
* 読みやすいよう、ふりがな、数字、記号、改行などの表記を変えた箇所があります。
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室町小歌(四)一期は夢よ、ただ狂へ

 室町時代の小歌《こうた》集『閑吟集《かんぎんしゅう》』と『宗安小歌集《そうあんこうたしゅう》』を聴きとってきました。出典は、『新潮日本古典集成 閑吟集 宗安小歌集』の北川忠彦による訳文と解説「室町小歌の世界―俗と雅の交錯」です。
 最終の今回は、出典の「うき世賛歌」の章に描き出された、室町小歌を生みだした時代・世相と歌い踊った人たちの心をみつめ考えます。

 『閑吟集』で最も有名なよく引用される小歌は、おそらく次のものです。

何《なに》せうぞ、くすんで、一期《いちご》は夢よ、ただ狂へ (55)
【訳】どうする気だい、まじめくさって。所詮《しょせん》人生は夢よ。遊び狂え、舞い狂え。

 それまでの時代の詩歌、歌謡にはなかった、あたらしく、とても強い響き心に残る言葉だと感じます。このような鮮明な変化、なかった声が生まれ出た背景には、大きな時代、社会の変動、生活、生き方の変化があったのだと思います。
 私には著者の次の言葉がとても新鮮でした。室町の時代の人々をこれまで漠然としたかたちでも私が思い浮かべられなかったのは、その時代の心がふるえる歌を聴きとり文化を学ぶことをしなかったからだと思いました。
「室町びとの心は明るい。無常を観じても失恋を歌っても、そこには何か楽天的な心が感じられ、時にはとぼけた味さえ漂う。我々が知らず知らずのうちに抱いている”暗い中世”という観念とは違った、外部に開放された中世の人の心がそこにはある。」

 著者は次のような歴史の事実があったと教えてくれます。
●室町小歌の歌われた時代の人びとが、熱狂して、群れとなり、踊ったこと。
●群集の踊りの高揚感、興奮がエスカレートして、小歌や踊りが為政者によりしばしば禁止もされたこと。
●旧《ふる》い体制側からすれば、新しい音曲は「亡国の音」であり「淫声」だとみなされたこと。
●旧体制の規範下の世界とその外側の世界では、人の心ががらりと変っていて、新しい音曲は人の心にひろがったこと。

 私はこれらのことから、人の心そのものである歌謡と、時代・世相・政治の相互関係について、改めて次のことを考えました。室町小歌の時代から幾度も繰り返されてきたことだからです。
◎いつの時代にも人は心が共感でき感動し胸がたかまる歌、歌謡が好き。
◎政治屋や軍人や為政者は、人の心をも統制し縛ろうとする愚かなことを繰り返す。戦時中に文学報国会のように。
◎政治の散文思考には、文化を創造する心の自由、豊かな想像力・発想・感受性が、理解できずつかめないから、禁止し統制したがる。
歌、歌謡、文学を好きだという人の心、あたらしい感動を生み伝え合う心を、政治では制御も統制もできない。
粗雑な統制の檻(おり)から染み出しひろがっていき、やがてその檻は崩れ落ちる。新しい音曲は人の心に必ずひろがる。

 著者のまとめの言葉は、室町小歌を生みだした時代・世相と歌い踊った人たちの心をよく映し出す泉となっていると思います。私もこれらの歌を聞き返すことで、より感じとれるようになりたいと願います。心の水脈は私も心に時を越えて流れ込んでいるのだから、それは自分の心をより深く知ることでもあると私は考えます。
 「室町小歌は、人びとが規範に捉《とら》われず虚飾をふり捨て、現実生活での生き方を肯定した時代のものということになろう。都と地方、雅と俗、現実と無常、そうしたものが程よく雑居し融合されつつ歌声化されたもの、それが『閑吟集』であり、『宗安小歌集』だったのである。」

 次回は、出典引用の後半に記されている、室町歌集の下流に生まれた「隆達節(りゅうたつぶし)歌謡」や近世歌謡を見つめていきます。

●以下は出典原文の引用です。

 ☆ うき世賛歌

 小歌を口ずさむ室町びとの心は明るい。無常を観じても失恋を歌っても、そこには何か楽天的な心が感じられ、時にはとぼけた味さえ漂う。我々が知らず知らずのうちに抱いている”暗い中世”という観念とは違った、外部に開放された中世の人の心がそこにはある。
只吟可臥梅花月、成仏生天惣是虚 (9) 
ただ吟じて臥《ふ》すべし梅花《ばいくわ》の月、仏《ほとけ》となり天に生《しやう》ずれど、すべて是《こ》れ虚《きよ》
【訳】寝転んで詩を吟じつつ月下の梅を賞美するがよい。成仏して天国に生まれたところで、結局はすべて帰するところ「無」ではないか。

のように、この世を虚とみ夢と歌っても、それを一転して現実謳歌《おうか》に切り替える姿勢がみられる。
『閑吟集』(49)~(55)の一連の歌にそれがよく現れていよう。

世間《よのなか》は、ちろりに過ぐる、ちろり、ちろり (49)
【訳】世の中はちろっと過ぎて行く。ちろっと瞬《またた》くその間に。

何《なに》ともなやなう、何ともなやなう、うき世は風波《ふうは》の一葉《いちえふ》よ (50)
【訳】どうってこともないんだよ、うき世は。風に吹かれる木の葉のようなものさ。

何《なに》ともなやなう、何ともなやなう、人生七十古来稀《こらいまれ》なり (51)
【訳】おやまあほんに、私も何時《いつ》の間にか七十歳、古稀《こき》とやら。どうってこともなく過ごして来たんだが。

 世の移り変り、時の過ぎ行くのをチロリといった感覚で捉《とら》え、「一葉の翻へる、風の行方《ゆくへ》を御覧ぜよ」(謡曲『放下僧』)といった禅の教えも「何《なアン》のこったい」と問題にしない。古稀に達した七十年の歳月をふり返っても「おやまあ驚いた、いつもまにやら」という、何のこだわりもない思いで我が人生を総括する。この三首に続いて、

ただ何ごともかごとも、夢まぼろしや水の泡《あわ》、笹《ささ》の葉に置く露《つゆ》の間に、味気《あぢき》なの世や (52)
【訳】この世はすべて夢まぼろし、水の泡のように、また笹の葉の上の露のようにはかないもの。その一時《いっとき》の夢
の世をどうやって生きろっていうの。

がある。(52)は一見したところ、この一連の中でこれだけが例外的に正面から無常を嘆いている歌のようにみえるが、結句の「味気なの世」に「無益だ」「どもならん」の意をみてとればまた意味が変って「この世は夢まぼろし、じれったい、しょうもな」の意となって前後の歌につながる。そう解してはじめて編者の意図も生きてくるのではないか。同じような「味気な」の例には、

天に棲《す》まば比翼《ひよく》の鳥とならん、地にあらば連理《れんり》の枝とならん、味気なや (*204)
【訳】「天にあらば比翼の鳥、地にあらば連理の枝」っという句が白楽天の「長恨歌《ちょうごんか》」にあるが、まことに詰《つ
ま》らぬ話だ。この世で添い遂げられなくっては何にもならぬ。

がある。白楽天の「長恨歌《ちょうごんか》」の名文句を、天上で結ばれたとて何になる、木に変身して愛を契るなんて無意味《ナンセンス》ではないか、この世の人間として添いとげなくっては―ときめつけている。そして(53)で夢幻・無常の世の中を、南無三宝、大変だアと茶化してみせた上で、いよいよ歌声は積極的に現実の謳歌へと向かう。

くすむ人は見られぬ、夢の夢の、夢の世を、うつつ顔《がほ》して (54)
【訳】まじめくさった人なんて、見ちゃいられない。夢、夢、夢の世の中を、一人醒《さ》めたような顔をして。

何《なに》せうぞ、くすんで、一期《いちご》は夢よ、ただ狂へ (55)
【訳】どうする気だい、まじめくさって。所詮《しょせん》人生は夢よ。遊び狂え、舞い狂え。

この二首の間に、

ひよめけよの、ひよめけよの、くすんでも、瓢箪《ひよたん》から馬を、出す身かの、出す身かの (*122)
【訳】馬のようにこの世を跳《は》ね廻る気分で生きていこうよ。まじめくさって振る舞っても「瓢箪《ひょうたん》から駒《こま》
を出す」ような身でもあるまいから。

を置くと、一段とよくその心が理解出来るであろう。くすむ人、つまりまじめぶった人なんて見ちゃいられない、とひょめけひょめけとけしかけておいて、最後に「ただ狂へ!」、踊り狂え、舞い狂えと煽《あお》り上げたところでこの一連のうき世賛歌は終る。

 『慶長見聞集』(五)に「夢の浮世にただ狂へ」とあるに同じく、これらの歌の行く手に慶長九年(1604)八月の「豊国大明神臨時祭礼図屏風《びょうぶ》」中に描かれた熱狂する人びとの踊りの群《むれ》をみてとってよいであろう。
こうした小歌や踊りは、それらが余りにエスカレートしたためか、しばしばしばしば禁止もされたようである。かつては白拍子《しらびょうし》の歌が「亡国の音」とされ、曲舞《くせまい》が「乱世の声」と評されたこともあった(『続古事談』二、『東野州聞書』等)。
 小歌についても同様で、桃源瑞仙《とうげんずいせん》の『史記抄』(文明九年成)には、(略)「モトノヨイ楽ヲバセイデ、小歌バカリウタウヤウナル淫声ヲスルゾ。」と注している。
 楽人豊原統秋《むねあき》の『體源鈔《たいげんしょう》』(三上。永正九年成)にも、当道に従うべき輩が「学文《がくもん》に心ざしはなくて、そぞろなる小哥《こうた》、あやしの乱拍子のうたひものの双紙取出し、隣家にいかなる人の聞く事もやともいはず、ねぢすぢりうたひ高声に物語など」するのを嘆いている。
 こうしてみると五山においても貴神の間においても全面的に小歌に対して好意的であったとはいえぬようである。
旧《ふる》い体制側からすれば、新しい音曲はやはり「亡国の音」であり「淫声」であった。
ただ時代は一つの転換期にさひかかっていたことは事実で、慶長八年九月二日禁裏において外様番《とざまばん》壁書五条の一として「小歌、舞、謡」が「雑人共悪狂ひ」とともに停止されたが(『慶長日件録』)、豊国臨時祭礼で群集が歌い踊り狂ったのはその一年後のことであった。ということは旧体制の規範下の世界とその外側の世界では、人の心ががらりと変っていたということであろう。
 さかのぼっては天文七年(1583)室町奉行日記『御状引付』(内閣文庫蔵)の余白に、
亭主々々留守なれば、隣あたりを呼び集め、人ごというて、大茶飲みての大笑ひ―意見さ申さうか(略)
など、十首の盆踊歌が記されている。幕府の役人によってこれが書き留められているところが皮肉である。
 小歌を愛好し享受する心は、実は早くから体制側の思惑《おもわく》を超えて広がっていたということのようである。

 ただしこうした開放的な小歌の時代は長くは続かなかった。近世に入って封建制が再編成されるとともに、人びとの心も再び内部にこもるようになった。同じうき世を歌っても、
  夢のうき世の、露の命のわざくれ、なり次第よの、身はなり次第よの (隆達節小歌)
  泣いても笑うても行くものを、月よ花よと遊べただ (同)
  何はのことも水に降る雪、うき世は夢よふただ遊べ (女歌舞伎踊歌「杜若《かきつばた》」)
という次第で、この「遊べ」からは『閑吟集』にいう「狂へ」のような現実世界にのめり込むほどの強烈な生きざまは感じられないし、「なり次第」というところにも諦《あきら》めに近いものが感じられる。
 同じように「人生七十」を称しても「其後国々所々に遊君多くなり来《きた》れり、人間七十古来稀《まれ》なる身をもちて、誰かこのたはぶれをなさで暮さん」(仮名草子『東海道名所記』一)という具合であるし、「南無三宝」といっても「南無三宝、世の中は夢の内の夢なりと、御落涙しきりなれば」(加賀掾《かがのじょう》正本『牛若虎の巻』三)という有様で、近世に入ってからのものはとかく発想が消極的になり、うき世の生活前線から後退する姿勢がみられる。

 こう考えてみると室町小歌は、人びとが規範に捉《とら》われず虚飾をふり捨て、現実生活での生き方を肯定した時代のものということになろう。都と地方、雅と俗、現実と無常、そうしたものが程よく雑居し融合されつつ歌声化されたもの、それが『閑吟集』であり、『宗安小歌集』だったのである。

出典:「解説 室町小歌の世界―俗と雅の交錯」『新潮日本古典集成 閑吟集 宗安小歌集』(校注・北川忠彦、1982年、新潮社)
*読みやすいよう、ふりがな、数字、記号、改行などの表記を変えた箇所があります。ふりがなは《 》内に記しました。( )内の洋数字は小歌集の歌の通し番号、または西暦です。引用歌謡には、出典の訳文を【訳】として付記しました。
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『閑吟集』『宗安小歌集』の好きな歌

 室町時代の歌謡の主流だった小歌《こうた》集の『閑吟集《かんぎんしゅう》』と『宗安小歌集《そうあんこうたしゅう》』を聴きとっています。室町小歌の心の表現の新しさについて前回次のように考えました。
 ① 庶民の日常の生活での会話、肉声が聞こえ、顔の表情が見えること。(語りかけの語尾の・・・・なう、など)。
 ② 和歌に欠けがちだったユーモア、滑稽感、卑俗さといった感情が吐き出された歌があること
 ③ それまでなかった音のあざやかな表現。(からりころり。ちろり、など)。

 二回に分けて、私の心に響いた好きな歌を選び出し咲かせています。(ただし他の回に引用する小歌との重複は避けました)。
 どの歌も室町小歌の良さである上述の特徴のどれかを響かせていますので、私が感じとれたことを、原文に続け、☆印のあとに記します。出典は、『新潮日本古典集成 閑吟集 宗安小歌集』(北川忠彦:校注・訳)です。
 今回は『閑吟集』の五首と『宗安小歌集』の十首を心に響かせます。

●『閑吟集』

申したやなう、申したやなう 身が身であらうには、申したやなう (233)
☆「申したやなう」と一番言いたいことを、そのまま吐き出し、くどいほど繰り返し、歌謡らしい。
【訳】胸に秘めた思いを打ち明けたい。私がそれ相応の身分だったなら、あの方にすぐにでもそれを打ち明けるのだが。

あまりの言葉のかけたさに あれ見さいなう  空行く雲の早さよ (235)
☆「あれ見さいなう」の、恋人への一言で、鮮やかに情景が浮かび、とてもさわやか。
【訳】ただもう声をかけたいばっかりに、「ほらごらんよ、空を翔(かけ)る雲の速いこと」。

つぼいなう、青裳(せいしやう) つぼいなう、つぼや 寝もせいで、睡(ねむ)かるらう (281)
☆青裳は合歓(ねむ)の木のこと。恋人への情愛があふれ、あたたかい。
【訳】可愛(かわい)いなあ、合歓(ねむ)の木のようなお前。それにしてもかわいそうに、昨夜ろくろく寝もしないで。さぞ眠かろう、目もすぼんでるよ。

いとほしうて 見れば、なほまたいとほし いそいそ解かい、竹垣(たけがき)の緒(を) (283)
☆心のままの歌。「いとほし」と生の言葉を響かせるのが歌。万葉集の「正述心緒」につながっている世界。
【訳】愛する彼氏、逢えばなお愛(いと)しい。うきうきとした心で解きに行きましょう、竹垣の扉を結んだ紐(ひも)を。

来(こ)し片(かた)より今の世までも 絶えせぬものは 恋といへる曲者(くせもの) げに恋は曲者、曲者かな 身はさらさらさら さら、さらさら 更(さら)に恋こそ寝られぬ (295)
☆今の歌謡曲のよう。「さらさら」の音を楽しんでいるのも謡物(うたいもの)らしい。
【訳】はるか昔から今の世までも絶えないものは、あの恋という曲者だ。どんな関所もくぐり抜けてしまう。まったく恋は曲者。その曲者にとり憑(つ)かれた私は、さらさまったく寝ることすら叶(かな)わぬ。

●『宗安小歌集』

そと締めて給ふれなう 手跡(てあと)の終(つひ)に顕(あらは)るる (25)
☆前出の『閑吟集』(91)に似通う心情をよりやわらかにささやくような、吐息をはきかけられるような歌。
【訳】抱き締めるならやんわりと抱いて。あまり強いと手跡がついて、ついには人に知られるもとになるから。

椋(むく)の枕に、はらはらほろほろと 別れを慕ふ、涙よの、涙よの (40)
☆前出の『閑吟集』(182)に似通う。「はらはらほろほろ」が心地よい。全体は整った分、情感が薄れている。
【訳】
椋の枕の上にその落葉のようにはらはらほろほろと、別れを悲しむ涙が落ちることだ。

梅は匂いよ、花は紅(くれない) 人は心 (46)
☆短い言葉に、共感をよびおこす呼びかけの声を感じる。
【訳】梅は匂い、桜は色が大切だが、人はそれにも増して心が第一。

身は浮舟、浮かれ候(そろ) 引くに任せて寄るぞ嬉しき (66)
☆嬉しきというところが室町小歌。『源氏物語』の浮舟の嘆きとの違いが際立つ。どちらの心も嘘ではない。
【訳】私は浮舟のようなもの。浮いて浮かれて人の意のままに、岸辺ならぬその人のもとへ喜んで身を寄せることよ。

ただ今日よなう 明日(あす)をも知らぬ身なれば (93)
☆「ただ今日よなう」という短い詠嘆。心に伝わる感情の強弱は、言葉の長短にはよらないことを感じる。
【訳】ひたすら今日を生きることが第一。明日のことは知れぬ我が身なんだから。

目もとに迷ふに、弓矢八幡(ゆみやはちまん) ずんど勝(すぐ)れた、ほろり迷うた (104)
☆「ずんど」の重みから、「ほろり」の軽(かろ)みへの響きの変化が心地よく明るい歌。
【訳】あの女(こ)の目もとにすっかり魅せられた。他には比べようもない抜群の魅力。すっかり参った。

取り寄りや愛(いと)し 手繰(たぐ)り寄りや愛し 糸より細い腰締むれば、いとどなほ愛し (123)
☆心ふるわせる愛の良い歌。「いと」と「し」の音の反覆と流れの美しい音楽。
【訳】引き寄せても手繰り寄せても可愛(かわい)い。ましてより糸よりも細い腰に寄り添い、その腰を抱き締めた感じといったら……。

十七八は早川(はやかは)の鮎(あゆ)候(ぞろ) 寄せて寄せて堰(せ)き寄せて、探(さぐ)らいなう お手で探らいなう (134)
☆若さと性愛を、清流の鮎の比喩で歌っているので、清らかなイメージが浮かぶ。
【訳】十七、八の娘というのは、早い流れを泳ぐ若鮎のようなもの。流れをせき止めてこちらへ引き寄せ、ぐっと手を伸ばしてつかまえようよ。

浦が鳴るはなう 憂き人の舟かと思うて、走り出て見たれば いやよなう 波の打つ うつつ波の打つよの (165)
☆「うつつ波」に「うつつ無み」、正気でないほどとの意味を重ねる。主音の「う」のくり返しが波うつ心を音象している良い歌。
【訳】海岸のほうがどよめく。あの人の舟が戻って来たのかと思って走り出てみたら、あらいやだ、波の打つ音だった。私の心をかき立てる波の立つ音だった。

君待ちて待ちかねて 定番鐘(ぢやうばんがね)のその下(した)でなう ぢだだ、ぢだだ、ぢだぢだを踏む (174)
☆「ぢだ」の独特な強い響きが心に残る。
【訳】あなたを待っても待っても来ないので、待ちあぐんで定番鐘の下で、いらいらしながら足をばたばたさせているのよ。

出典:「解説 室町小歌の世界―俗と雅の交錯」『新潮日本古典集成 閑吟集 宗安小歌集』(校注・北川忠彦、1982年、新潮社)
*読みやすいよう、ふりがな、数字、記号、改行などの表記を変えた箇所があります。( )内の数字は出典の歌番号です。
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室町小歌(三)庶民の心と伝統

 室町時代の歌謡の主流だった小歌《こうた》集の『閑吟集《かんぎんしゅう》』と『宗安小歌集《そうあんこうたしゅう》』を聴きとっています。出典は、『新潮日本古典集成 閑吟集 宗安小歌集』の北川忠彦による訳文と解説「室町小歌の世界―俗と雅の交錯」です。出典の言葉と小歌そのものに私が感じとり考えたことを記していきます。

 出典著者の北川忠彦がこの室町小歌の解説の標題を「俗と雅の交錯」としたことからもわかるように、この主題についての論考箇所は、著者が小歌の本質を理解していることと、小歌への愛着と思い入れが伝わってくる、とても良い文章です。

 まず著者は、「素朴《そぼく》でストレートな感情」、「虚飾を知らない庶民の心」が室町小歌の基調だけれども、「小歌には小歌としての文学的な技巧・洗練」と「和歌や漢詩という伝統文芸による味付け」も施されている」ことを見落としてはいけないと言います。
たとえば、『古今集』や『玉葉集』の和歌、『源氏物語』、仏典や五山の詩文、杜甫《とほ》などの漢詩など、「小歌には「俗」だけではなく「雅」の世界が強く入り込んでいる」ことを具体例から教えてくれます。

 一方で、室町小歌には、「和歌や物語のような伝統文芸とはまったく異なる新しい世界」、「和歌の手法では及びもつかない領域」が繰り広げられていることを、特徴の対比により、印象深く伝えてくれます。
「下世話(げせわ)の忍び男」さえ登場する面白さ、「その忍び男の浮き浮きした様態をユーモラスにしかし躍動的に描き出しているところなど」、表現のひろがりと新しさを私も感じます。

 言葉の表現の面では、「破調不定型の歌」についての次のような言葉に、著者は小歌がほんとに好きなんだなあ、と私は感じ共感します。「喘《あえ》ぎ喘ぎ息をはずませての話言葉をそのままぶちまけたような表現でありながら、そこには”不定型のリズム”とでも呼べる絶妙の味わいを感じさせるものがある。技巧を超えた技巧、計算を超えた迫力である。」
 著者が続けるまとめの言葉は、いじらずそのまま差し出したくなる思い入れがこもっています。
「七五七五調を主とする定型歌がちらほらと挟《はさ》まれていて、これが歌集全体の流れの上に適度な潤滑油的役割を果たしているのである。それらがまた「俗」の世界にさわやかで快い「雅」的風味を一匙《ひとさじ》加えているのも心にくい。「俗の雅」ともいうべき玄妙不可思議な文芸性、それが室町小歌の世界」。魅力的な世界です。

 私は詩歌を愛し今詩を書く者として、自称「現代詩」が涸れてつまらなくなり読まれない根本原因は、このような室町小歌の良さの対極に表現が縮こまったことではないかと感じます。自戒をこめて記します。
●素朴でストレートな感情、虚飾を知らない庶民の心を、見下すかのように排除して失っていること。
●和歌や漢詩という伝統文芸と断絶した「現代」にこもるかのように、詩歌の豊かな流れにあることは忘れていること。
●面白さに欠け、ユーモラスでなく、躍動的でないこと。
心はずみ、心笑い、心ゆれ、心泣く、感動が詩だという本質を忘れていること。
●破調不定型の歌は定型歌があって初めて活きる。歌を忘れ、言葉のリズム感が薄れ、散文化していること。
詩が言葉の音楽だという本質を忘れていること。


 次回は、『閑吟集』と『宗安小歌集』の最終回として、室町小歌にこめられた心をみつめます。

●以下は出典原文の引用です。

☆俗の雅

 室町小歌にみられる素朴《そぼく》でストレートな感情は、正《まさ》しく虚飾を知らない庶民の心を基調としたものである。こうした心は、南北朝内乱を経て新しい社会体制が展開するにつれて次第に歴史の表層に滲《にじ》み出て来たものであった。だがその"庶民の歌声"ということを強調する余りに、小歌には小歌としての文学的な技巧・洗練も施されていることを忘れてはならない。「伊勢・小町が歌の言葉を借り、白楽《はくらく》・阮籍《げんせき》が句を抜きて」(『宗安小歌集』序)とあるように、そこには和歌や漢詩という伝統文芸による味付けもしばしば施されているのである。

君来《こ》ずは、濃紫《こむらさき》、我fが元結《もとゆひ》に霜は置くとも (206)
【訳】あなたがお越しになりますまで屋内には入りますまい。たとえ私の濃紫の本結に白く霜が降りましょうとも。

は、有名な『古今集』(恋四)の、
君来《こ》ずは閨《ねや》へも入らじ濃紫《こむらさき》我が元結《もとゆひ》に霜は置くとも
という和歌によったもの。原歌の第二句を省いたことによって五五七七という珍しい歌形による舌足らず調の効果を挙げているが、それはいうまでもなく『古今集』の原歌を前提としてのものである。逆に、

恋は、重し軽《かろ》しとなる身かな、重し軽しとなる身かな、涙の淵《ふち》に浮きぬ沈みぬ (71)
【訳】恋ゆえにこの身も重くなったり軽くなったりするような気のするこの私。涙も淵となるほどで、その淵に浮いたり沈んだりして押し流されて行くことよ。、

は初句に適当な二文字を加えることによって、一挙に和歌形態に近づく。

折々《をりをり》は思ふ心の見ゆらんに、つれなや人の知らず顔なる (308)
【訳】折にふれて、私があなたを思っている気持ぐらいわかりそうなものですのに、何とも冷たや、あなたは何時も知らん顔。

は『玉葉集』(恋一)の飛鳥井《あすかい》雅有の、
折々は思ふ心も見ゆらむをつれなや人の知らず顔なる
にそっくりである。(略)

 また狂言『水汲』でも歌われた「舟行けば岸移る・・・・・・」(『閑吟集』127)の中の「雲駛月運、舟行岸移」は『円覚経』から出たものであるが、同時に五山の詩文にもしばしば用いられた句であった。仏典や五山の詩僧と小歌の世界の交渉を思わせる事例である。杜甫《とほ》をはじめ中国の詩の小歌化も数多い。これらを通して考えるに、小歌が作られ普及されるについては当然知識人の関与もあったはずである。(略)

 室町小歌の制作や手入れにも何らかの公卿《くげ》の関与があったと考えても不自然ではない。そうかんがえさせるほどに、小歌には「俗」だけではなく「雅」の世界が入り込んでいるのである。

桐壷《きりつぼ》の更衣《かうい》の輦車《てぐるま》の宣旨《せんじ》、葵の上の車争ひ (62)
【訳】桐壷の更衣は輦車の宣旨を受け、葵の上は車争いで六条御息所《みやすどころ》と争う。『源氏物語』の車もいろいろだ。

忍び車のやすらひに、それかと夕顔の花をしるべに (66)
【訳】お忍びの車がちょっと佇《たたず》む一時、そこに咲く夕顔の花を見て、これはという次第にて―。

五条わたりを車が通る、誰《た》そと夕顔の花車《はなぐるま》 (*206)
【訳】五条の辺を車が通る。誰の車かというまでもない。夕顔の家へと向かう源氏の君の美しく装った車だ。

(62)は早歌の肩書をもつが、いずれも『源氏物語』(夕顔の巻)を素材にしている。これを、
源氏の君に盛るにごり酒
夕顔の宿の亭主のいであひて
夏の日や五条の上に照らすらん
干瓢《かんべう》になる夕顔の宿
といった「俗」に砕けた『犬つくば集』の句と比べてみると、小歌の世界における「雅」の要素の強さが理解出来るであろう。

 とはいえ、やはりそこには和歌や物語のような伝統文芸とはまったく異なる新しい世界が処々方々にくりひろげられているのはいうまでもない。右の(66)に続いて、

生《な》らぬ徒花真白《あだばなまつしろ》に見えて、憂《う》き中垣《なかがき》の夕顔や (67)
【訳】中垣に白く咲く夕顔は、実のならぬあだ花ばかり。二人の仲もまたならぬらしい。まるで「夕顔の巻」みたい。憂鬱なことよ。

忍ぶ軒端《のきば》に、瓢箪《へうたん》は植ゑてな、おいてな、這《は》はせて生《な》らすな、心のつれて、ひよひよら、ひよひよめくに (68)
【訳】忍んで通う道の軒端に、瓢箪《ひょうたん》なんぞを植えておいてナ、這わせて生らすなよ、鳴らすなよ。それにつられてひょこひょこと心も浮かれ、人に見咎《とが》められるから。

と読み進んでの、夕顔―瓢箪、源氏の君から下世話(げせわ)の忍び男への展開の面白さ、そしてその忍び男の浮き浮きした様態をユーモラスにしかし躍動的に描き出しているところなどは、これはもう和歌の手法では及びもつかない領域といえるであろう。  更に進んで、

あまり見たさに、そと隠れて走《はし》て来た、まづ放さいなう、放して物を言はさいなう、そぞろいとほしうて何とせうぞなう (282)
【訳】ただもう逢いたい見たいで、そっと人目を忍んで走って来たの。まあちょっと放してよ。放してものを言わせてよ。ああああたまらない。どうしろっていうのよ。

ここはどこ、石原峠《たうげ》の坂の下、足痛《あしいた》やなう、駄賃馬《だちんうま》に乗りたやなう、殿《との》なう (299)
【訳】ここはどこなの。石原峠の坂の下ですって。おお足が痛む。駄賃馬に乗りたいわ、ねえあなた。

門に閂《くわんのき》、海老《えび》を下《おろ》いた、押《おさ》へたとなう、押へたとなう、例のまた悋気奴《りんきめ》が押へたとの (*169)
【訳】折角あの人を訪ねたのに、門に閂を掛け海老錠をおろしてやがる。やりおったなやりおったな、また例の焼餅(やきもち)焼きの本妻めが締め出しおったんだな。

といった歌ともなれば、喘《あえ》ぎ喘ぎ息をはずませての話言葉をそのままぶちまけたような表現でありながら、そこには”不定型のリズム”とでも呼べる絶妙の味わいを感じさせるものがある。技巧を超えた技巧、計算を超えた迫力である。
しかもこうした破調不定型の歌の間に、

木幡山路《こはたやまぢ》に行き暮れて、月を伏見《ふしみ》の草枕《くさまくら》 (107.*32にも)
【訳】木幡の山路で日が暮れた、伏見も近いことだし、ここでちょっと臥して月を見るとしようか。

何《なに》と鳴海《なるみ》の果てやらん、潮《しほ》に寄り候《そろ》、片し貝 (123)
【訳】干満の激しい鳴海の浦のように、この先どうなる身の上か、潮におせられ流れ寄る片し貝のように、あの人に引き寄せられた片思いの私は。

いとど名の立つ不破《ふは》の関《せき》、何《なに》ぞ嵐のそよそよと (*51)
【訳】音に名高い不破の関の跡というのに、来てみると何たること、何ごともないように秋風がそよそよと吹いているばかり。

のような七五七五調を主とする定型歌がちらほらと挟《はさ》まれていて、これが歌集全体の流れの上に適度な潤滑油的役割を果たしているのである。それらがまた「俗」の世界にさわやかで快い「雅」的風味を一匙《ひとさじ》加えているのも心にくい。「俗の雅」ともいうべき玄妙不可思議な文芸性、それが室町小歌の世界なのである。

出典:「解説 室町小歌の世界―俗と雅の交錯」『新潮日本古典集成 閑吟集 宗安小歌集』(校注・北川忠彦、1982年、新潮社)
*読みやすいよう、ふりがな、数字、記号、改行などの表記を変えた箇所があります。ふりがなは《 》内に記しました。( )内の洋数字は小歌集の歌の通し番号、または西暦です。引用歌謡には、出典の訳文を【訳】として付記しました。
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権威が、学歴が、賞が、現代詩が、嫌いだから、詩歌が好き。

 私は権威が嫌いです。権力者も嫌い。
 政治も会社組織も、生き延びるために、他者を蹴落とし、権威、権力、報酬の獲得に、血眼になり、それが生き物の姿、特に男性の本来の姿とするのが、一般的常識だとしても、そういった考え方が嫌いです。

 私は高卒です。早稲田政経学部政治学科中退ですが、やめるために一番嫌いな学科に入学しました。だから社会的な学歴は高卒です。
 行きたくても行けない人に対して恥じ、両親の心痛めたことを詫びていますが。
 学歴が嫌いです。人間に学歴なんて関係ないと思っています。できない負け犬の言葉と言われないためにだけ入学しました。いのちをかける私の詩作品を少しでも心感じる方に接して頂く機会が増えることだけを願って大学名と中退したことを利用していますが、有名大学出身と鼻にかけて、世渡り上手な人たちは嫌いです。
 いい詩人はみんな大学やめているので真似をしたところはあります。

 詩は心の表現、いちばんやわらかな、ねがい、いのり、愛、それだけの心と心の手渡しなのだから、権威とは対極のものです。信仰が一匹の子羊を見捨てないことで多数意見の政治に折れないように。
 だから利益を目指す株式会社ではないのだから詩界は嫌い、詩人の閉鎖的な権威的な団体も嫌い、閉鎖的な詩誌も嫌いです。詩人と称しあう仲間内の閉鎖的な賞の与えあいもつまらないし、詩が心に響くことと賞なんて関係ありません。だから詩集は出しても賞に応募したことは一度もありません。
 いちどだけ二十歳の時、小説の新人賞に応募して落ちたことがありますが。
 
 私を感動させてくれた古代からの世界の、日本の詩人、詩、文学で、賞に一喜一憂したようなつまらないものはありません。関係ないところで一生をかけて創り上げつたえてくれた人たちばかりです。狭い仲間内のほめあいは、その場限りですぐ消えます。

 嫌いづくしで、好きものが何もない、私は詩や文学がほんとは嫌いなのか?
 全然そんなことはありません。そんな権威に関係ないところに、本当に詩が好きな、詩を愛する人、こころがあるのを知っているからです。詩を書くことが本当に好きだし、権威なんか関係ないところに、伝えたい、読んでもらいたい、人の顔と心があるからです。
 本当にいい文学は閉鎖的な仲間内の専門用語のがらくたではありません。
 気取った現代詩の驕りが嫌い、現代詩人と自称できる感性がわかりません。
 現代っていつのこと?
 1945年から後だけがずっと現代になるの? 
 現代ってそんなに偉いの?
 詩歌は時を超えて響きあうものではないのか?

 私かしたいのは、詩歌をただ好きだ、いいとふるえる感受性、優しいやわらかな心に伝えたい、それだけです。
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『閑吟集』の好きな歌

 室町時代の歌謡の主流だった小歌《こうた》集の『閑吟集《かんぎんしゅう》』と『宗安小歌集《そうあんこうたしゅう》』を聴きとっています。室町小歌の心の表現の新しさについて前回次のように考えました。
 ① 庶民の日常の生活での会話、肉声が聞こえ、顔の表情が見えること。(語りかけの語尾の・・・・なう、など)。
 ② 和歌に欠けがちだったユーモア、滑稽感、卑俗さといった感情が吐き出された歌があること
 ③ それまでなかった音のあざやかな表現。(からりころり。ちろり、など)。

 二回に分けて、私の心に響いた好きな歌を選び出して咲かせます。(ただし他の回に引用する小歌との重複は避けました)。
どの歌も室町小歌の良さである上述の特徴のどれかを響かせていますので、私が感じとれたことを、原文に続け、☆印のあとに記します。出典は、『新潮日本古典集成 閑吟集 宗安小歌集』(北川忠彦:校注・訳)です。
今回は『閑吟集』の十五首を心に響かせます。

●『閑吟集』

新茶の若立ち 摘(つ)みつ摘まれつ 挽(ひ)いつ振られつ それこそ若い時の花かよなう (32)
☆どのような節で謡われたかわからなくても、心の喜びのリズムに言葉が跳ねていて、「花かよなう」の呼びかけも身近で親しい。
【訳】新茶の若芽を摘んだり挽いたりふるったりするように、あの人の手をつねったり袖をひいたり振られたり。こんなにじゃれ合えるのが若いうちの花だよね。

新茶の茶壷(ちやつぼ)よなう 入れて後(のち)は こちや知らぬ、こちや知らぬ (33)
☆性愛がらみのきわどい猥雑さとユーモアは、歌謡の生命の源
【訳】若いあの子は新茶の茶壷、入れてしまったあとは、新茶やら古茶やらこちゃ知らぬ。

さて何とせうぞ  一目見し面影が 身を離れぬ (36)
☆短い言葉だからこそ、誰の胸のうちをも、波ゆらす。
【訳】さてどうしたものか。ほんに一目見ただけなのにあの子の面影が我身にとりついて・・・・・・。

我が恋は 水に燃えたつ蛍、蛍 物言はで、笑止(せうし)の蛍 (59)
☆末の句の「笑止の蛍」という言葉が、和歌になかった表現。
【訳】私の恋は「思ひ」という火に焦がれる水辺の蛍のようなもの。見ずに燃え、口には出せぬ哀れな身。

やれ、面白や、えん 狂には車、やれ 淀(よど)に舟、えん 桂(かつら)の里の鵜飼舟(うかいぶね)よ (65)
☆「やれ」、「えん」のはやし言葉で、情感をより大きく揺り動かす歌謡らしい謡(うた)。
【訳】(鳥羽から四方を見渡せば、)京へは作り道を車がつらなる、淀へ向かうには下り舟、桂の里には鵜飼舟、(やれまあ、あれこれ緒面白い眺めだな。)

和御料(わごれう)思へば 安濃津(あののつ)より来たものを 俺振りごとは こりや何ごと (77)
☆「俺振りごとは こりや何ごと」がおかしく笑ってしまう。和歌は笑わない笑わせない。
【訳】お前さんを思えばこそはるばる伊勢の安濃津からやって来たのに、それなのに、その俺を振るなんて一体全体何としたこったい。

思ひ切り兼ねて 欲しや欲しやと、月見て廊下(らうか)に立たれた また流れた (83)
☆「欲しや」に「星」を掛けたダジャレだけど、きれいな情感、情景が浮かぶ。
【訳】どうにも諦め切れないままに、星のように美しいあの女が欲しい欲しいと月を仰いで廊下にお立ちになった。あ、また一つ星が流れた。

誰(た)そよお軽忽(きやうこつ) 主(ぬし)ある我を 締むるは 喰(く)ひつくは よしや戯(じや)るるとも 十七八の習ひよ、十七八の習ひよ、 そと喰ひついて給(たま)ふれなう 歯形のあれば顕(あらはるる (91)
☆痴情も謡ってしまうのが、歌謡の表現のゆたかさで、私は好きです。
【訳】誰よ軽はずみな。主(ぬし)ある私を抱き締めたり噛(か)んだりして。まあいい、私も十七、八の女盛りとて少々のいたずら心は許されるでしょうよ。しかし噛むにしてもそっとして下さいな。「歯形のあれば顕るる」っていうから。

ただ人は情(なさけ)あれ 夢の夢の夢の 昨日は今日の古(いにしへ) 今日は明日(あす)の昔 (114)
☆「夢の夢の夢の」とまで和歌では繰り返さないが、良い表現だと感じます。
【訳】せめてこの世は愛と誠で生きようじゃないか。夢の世の中、昨日は今日の昔、今日は明日の昔。あっという間に過ぎ行くはかないものなんだから、人生は。

ただ、人には馴れまじものぢや 馴れて後(のち)に 離るる、るるるるるるるが 大事ぢやるもの (119)
☆「離るる、るるるるるるる」が快い。「大事ぢやるもの」も親しい肉声が聞こえる。
【訳】むやみに人に馴れ親しむものではありませんよ。一旦睦(むつ)んだあとで離れるってことは、そりゃもう、大変なことなんですから。

人買舟(ひとかひぶね)は沖を漕(こ)ぐ とても売らるる身を、ただ 静かに漕げよ船頭殿(せんどうどの) (131)
☆置かれた時代、社会に痛めつけられる弱者の悲しみへの、庶民の共感が沁み響いてくる。
【訳】人買舟は沖を漕(こ)ぐ。所詮(しょせん)は売られるこの身、せめて静かに漕いでおくれ船頭殿。

また湊(みなと)へ舟が入(い)るやらう 唐櫓(からろ)の音(おと)が、ころりからりと (137)
☆「ら」と「ろ」を主に音の流れが美しい、唐(から)の余韻のうちに響く「ころりからり」の音が快い。
【訳】湊へまた舟が入ってくるらしい、唐櫓の音が、ほらころりからりと聞えてくるよ。

衣々(きぬぎぬ)の砧(きぬた)の音が 枕にほろほろ、ほろほろと 別れを慕ふは、涙よなう、涙よなう (182)
☆「きぬ」の頭韻、「ほろほろ」と音楽的。「涙よなう」と最後のくり返しも、情感を深めてひたる、歌謡の表現。
【訳】別れの朝まだき、衣を打つ砧の音が、枕辺にほろほろ、ほろほろと聞こえてくる。その音を慕うかのようにほろほろとこぼれ落ちるのは、涙よ、わが涙なのだよ。

このほどは、人目を包む我が宿の 人目を包む我が宿の垣穂(かきほ)の薄(すすき)吹く風の 声をも立てず忍び音(ね)に 泣くのみなりし身なれども 今は誰(たれ)をか憚(はばか)りの 有明の月の夜ただとも 何か忍ばん時鳥(ほととぎす) 名をも隠(かく)さで鳴く音かな 名をも隠さで鳴く音かな (194)
☆「謡曲の一節」のなかから選びました。語彙(ごい)は和歌の伝統が濃厚で、和歌をくり返しつなげた歌のよう。
【訳】平家のゆかりの者とて、これまでは人目を忍んで暮していた私、垣根の薄を吹き過ぎてゆく風が音をたてぬと同様、声をころして忍び泣くばかりであったが、(夫が死んだ)今となっては誰にも遠慮があるわけでもない。おりからの有明の月夜を、何憚ることなく鳴き通す時鳥にならって、私も身の上の知れることなどかまわずに泣き続けましょうよ。

世間(よのなか)は霰(あられ)よなう 笹(ささ)の葉の上(へ)の さらさらさつと降るよなう (231)
☆「さ」を主音に、表象と音象がよく一致して響いてくる歌。
【訳】この世は霰、笹の葉の上に降りかかる霰みたいなものよ。さらさらさっと、降っては過ぎ去ってしまう。

出典:「解説 室町小歌の世界―俗と雅の交錯」『新潮日本古典集成 閑吟集 宗安小歌集』(校注・北川忠彦、1982年、新潮社)
*読みやすいよう、ふりがな、数字、記号、改行などの表記を変えた箇所があります。( )内の数字は出典の歌番号です。


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室町小歌(二)通俗語の短詩の魅力

 前回に続き、室町時代の歌謡の主流だった小歌《こうた》集の『閑吟集《かんぎんしゅう》』と『宗安小歌集《そうあんこうたしゅう》』を聴きとっていきます。出典は、『新潮日本古典集成 閑吟集 宗安小歌集』の北川忠彦による訳文と解説「室町小歌の世界―俗と雅の交錯」です。出典の言葉と小歌そのものに私が感じとり考えることができたことを記していきます。

 出典の著者は、室町小歌が歌われていた「旋律を正確に知るということは甚だ困難」だが、「曲節を離れて詞章を読むだけでも、室町小歌のおおらかで素直な、それでいて巧み巧まぬ独自のスマートさを備えた文芸としても面白さは、十分賞味出来る」として、歌われた時代背景とその多様な姿を、次のように教えてくれます。

 小歌が歌われた室町時代は、「旅をする連歌《れんが》師、琵琶《びわ》法師、商人、職人等、中央と地方を結ぶ文化の運び手」に事欠かず、庶民の世俗のエネルギーがあふれだしました。
室町小歌は、日本のいたるところで、社会階層の隔たりを沁みぬけて、愛され謡われました。当時の様々な他の歌謡、「今様《いまよう》」、「和讃《わさん》」(仏教歌謡)、「早歌《そうか》」(宴曲)、「俚謡《りよう》」(地方の民謡)や「踊り唄」と影響を与え合いながら。
 室町時代は、長篇の謡物《うたいもの》は「謡曲」や「放下歌《ほうかうた》」のような芸謡歌謡に委ねて、一般には短詩形歌謡を主流とした時代」だった、と著者は言います。

 その中心に短詩形の小曲の室町小歌がありました。
小歌は、「短い通俗的な歌謡」で「談話に使ふ通用語」がもちいられたからこそ、次のような新しさを持てたのだと私は思います。(西欧のルネッサンスでダンテが母国語の俗語ではじめて表現しえたものと通ずるものを感じますが、別の機会に考えます。)
 小歌は、それまでの和歌の選別限定された言葉ではできなかった、次のような心の表現を初めて可能にしたと私は思います。
 ① 庶民の日常の生活での会話、肉声が聞こえ、顔の表情が見えること。(語りかけの語尾の・・・・なう、など)。
 ② 和歌に欠けがちだったユーモア、滑稽感、卑俗さといった感情が吐き出された歌があること
 ③ それまでなかった音のあざやかな表現。(からりころり。ちろり、など)。
 新しい表現の力強さ、表現できる人間の心の幅のひろがりを、私は感じます。

 また、『閑吟集』にはさまざまな詩形、文化の表現が盛られていて、果物かごのような楽しさもあります。輝いている果実は、「狂言歌謡」、「謡曲」の一節、「田楽能《でんがくのう》」の謡の一節、「漢詩句」の一説、「杜甫《とほ》の詩の読み下し体、「和漢接合形式」ともいえる類の小歌、など、心の色合いを、個性的な言葉の形、詩句で伝えてくれます。とても豊かな良い本だと、私は思います。

 次回は、室町小歌の新しい表現の歌を咲かせます。その次に、俗と雅、新しさと伝統について考えます。

●以下は出典原文の引用です。

 ☆小歌集を読む

 室町小歌はどんな手法でまたどんな旋律で歌われていたのであろうか。尺八や鼓、また扇拍子や手拍子に合わせても歌われていたようだが、詳しいことはよくわからない。現在狂言の舞台で歌われる狂言歌謡を通じてその雰囲気はある程度は感じ取れようが、そこには伝統化された古典芸能としての洗練も加わっていることは当然考えておかねばならぬ。したがって室町小歌の曲節を正確に知るということは甚だ困難といわざるを得ない。
 しかし曲節を離れて詞章を読むだけでも、室町小歌のおおらかで素直な、それでいて巧み巧まぬ独自のスマートさを備えた文芸としても面白さは、十分賞味出来るはずである。

 ☆小歌の時代
 
 (略)この謡物《うたいもの》、小歌と呼ばれているように、それまで世に行われた和讃《わさん》(仏教歌謡)早歌《そうか》(宴曲)に比べると、短詩形の小曲であるのが特徴である。1603年刊の『日葡《につぼ》(日本ポルトガル)辞書』には、「コウタ。短い通俗的な歌謡。」と、あり、同じ時期に成ったロドリゲス『日本大文典』には、「"小歌"と呼ばれる種類の韻文がある。これも五音節と七音節との韻脚を持った二行詩の形式のものであるが、時には二行詩五七五・七七ほどの韻脚を持たないものもある。普通には談話に使ふ通用語を以て組立てられていて、特有な調子を持った俚謡《りよう》(地方の民謡)や踊り唄のやうなものである。」と、あるように、多くは二行にまとめられるほどの短詩形、中には、

   思ひの種《たね》かや、人の情《なさけ》 (81)
   【訳】悩みの種でしかないのかなあ、人を愛するということは。

   潮《しほ》に迷うた、磯《いそ》の細道 (122)
   【訳】潮ならぬあの女《こ》の愛嬌《しお》に迷わされ、さまよう磯の細道よ。

   独《ひと》り寝《ね》に鳴《な》き候《そろ》よ、千鳥《ちどり》も (*19)
   【訳】淋しげな声で鳴く千鳥よ。お前も私同様独り寝か。

   言へば世にふる、遣瀬《やるせ》もな (*89) (*印は『宗安小歌集』。以下同様)
   【訳】弁解すればするほど我々のことは世間に広まるばかり。ああ―。

といった一行詩にしかならないような、十二音~十四音の極端に短いものもある。

 歌謡も、長篇の謡物《うたいもの》が喜ばれる時代もあれば、短詩形の流行する時期もある。ただ子細にみるとその詩形は常に長篇性と短篇性と両者の間を右に左に揺らいでいるようであって、平安時代から鎌倉時代にかけてさかんに創作された和讃は、一見長篇の謡物のようであるが、たとえばその『舎利構式《しゃりこうしき》和讃』をみるに、

   ・・・(略)世間本《もと》より常なくて/是ただ生死《しやうじ》の法といふ/生をも滅をも滅し終《を》へ/寂滅なるをぞ楽とする」一切衆生《しゆじやう》ことごとく/常住仏性備はれり/仏は常に世にゐます/実《げ》には変易《へんにやく》ましまさず」(略)・・・

と 」 (カギカッコ)で区切ってみたように実際には四行一連の組み合せという体裁をとっている。これは他の和讃も大部分は同様である。そして右の「くしな城には」と「二月十五の」以下の各四行(引用は略)は、それぞれ独立した今様《いまよう》として『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』(172、174)にとられているのである。

 また鎌倉時代に盛行した早歌《そうか》(宴曲)にしても、いつかその長大な詞章の中からごく小部分を抜き出して歌われるようになったらしく、『閑吟集』には集中に、

   花見の御幸《ごかう》と聞えしは、保安《ほうあん》第五の如月《きさらぎ》 (20)
   【訳】花見の御幸として名高いのは、保安五年の春二月、法勝寺への御出《おんいで》まし。

といった短詩形早歌が(80を含めて)八首収録されている。
 ところが近世に入るとこの傾向が逆流して、初期歌舞伎《かぶき》踊歌三味線組歌にみられるように、これらの小歌を組み合わせたり掛合形式にしたりして長篇風の歌謡に仕立て直すことが行われるようになる。

 ただこうした長波短波のうねりの中でいえば、室町時代は、長篇の謡物《うたいもの》は謡曲放下歌《ほうかうた》のような芸謡歌謡に委ねて、一般には短詩形歌謡を主流とした時代であった。室町小歌を集録した『閑吟集』をみても、全三百十一首の中に小歌はその四分の三を占めている。そしてその小歌の中には、前に述べた早歌の小歌化されたものもあれば、

   今夜《こよひ》しもふ州《しう》の月、閨中《けいちゆう》ただ独《ひと》り看《み》るらん (102)
   【訳】今夜は遠いふ州で、妻は私と同じくこの月を眺めていることだろうよ。

のように、杜甫《とほ》の詩をそのまま読み下し体にしたものもある。また、

   二人《ふたり》寝《ぬ》るとも憂《う》かるべし、月斜窓《しやさう》に入る暁寺《げうじ》の鐘《かね》 (101。*11にも)
   【訳】二人で寝たところで辛く思うだろうよ。窓から傾いた月が斜めに射し込み暁の鐘の響きを聞く時は。

のように、下句に元《げんしん》作(略)の一説を組み合せた和漢接合形式ともいえる類の小歌もこれまた少なくないのである。ということは本来他の謡物であったものを小歌に同化してしまったということのようで、集中に五十首ほども収められている謡曲の一節にしても、(略)一曲の中ではいわば小歌がかりともいうべき旋律部であることが既に指摘されている。ほかに純然たる漢詩句田楽能《でんがくのう》の謡の一節もあるが、右の傾向を考えればこれらもまた小歌風の曲説で歌われていたものではなかったかと考えられるのである。

 小歌という語の起源は実は古く、もとは大歌・小歌と併称され宮廷における歌曲の一種であったらしい。それが中世に至ると『閑吟集』や『宗安小歌集』にみられるような、より世俗的なものに変貌《へんぼう》して、いわゆる室町小歌の世界が展開するのである。(略)
 このように歌は、中央から地方へ、逆に地方から中央へと運ばれた。謡曲にみる「諸国一見の僧」に代表されるように、旅をする連歌《れんが》師、琵琶《びわ》法師、商人、職人等、中央と地方を結ぶ文化の運び手には事欠かない時代になっていた。このような背景のもとに「都鄙遠境《とひゑんきやう》」(『閑吟集』序)の宴席に連なり、「貴《たか》きにも交はり賤《いや》しきにも睦《むつ》」(『宗安小歌集』序)んだ隠者さちの手によって編纂《へんさん》されたのが、これらの小歌集であったのである。

出典:「解説 室町小歌の世界―俗と雅の交錯」『新潮日本古典集成 閑吟集 宗安小歌集』(校注・北川忠彦、1982年、新潮社)
*読みやすいよう、ふりがな、数字、記号、改行などの表記を変えた箇所があります。ふりがなは《 》内に記しました。( )内の洋数字は小歌集の歌の通し番号、または西暦です。引用歌謡には、出典の訳文を【訳】として付記しました。
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室町小歌(一)閑吟集と宗安小歌集

 詩歌の豊かな流れに交わりあう歌謡を、古代から平安時代末の『梁塵秘抄《りょうじんひしょう》』まで聴きとってきました。続く時代に支流として生まれ本流に注ぎこみ、そのゆらめきをゆたかにしてきた歌謡を、今回から取りあげます。
 最初は数回にわたり、室町時代の歌謡の主流だった小歌《こうた》集の『閑吟集《かんぎんしゅう》』と『宗安小歌集《そうあんこうたしゅう》』を聴きとっていきます。出典は、『新潮日本古典集成 閑吟集 宗安小歌集』の北川忠彦による訳文と解説「室町小歌の世界―俗と雅の交錯」です。著者の室町小歌についての深い理解と愛情がわかりやすい言葉で記されていて共感します。出典の言葉と小歌そのものに私が感じとり考えることができたことを記していきます。

1.『閑吟集《かんぎんしゅう》』所収の有名な歌をのぞくと、私自身がこの時代以降の歌謡についてよく知りませんでしたので、まず、その大きな流れを感じとります。揺れている主な歌謡集は、『閑吟集』、『宗安小歌集』、隆達節《りゅうたつぶし》歌謡です。その概要は次の引用原文①で知ることができます。
 著者が特色にあげている「巧みな連想や連鎖語による配列をみせているところ」から私は歌集としての『閑吟集』に惹かれます。歌謡集としての構成意識、小歌の並びにある流れと響きあいは、詩集一冊をまとまりのあるひとつの作品と考えるわたしに共感を呼び覚ましてくれます。(当時隆盛だった連歌《連歌》の影響を受けているとされますが、連歌は別の機会に見つめたいと思っています。)

●出典原文の引用①

☆『閑吟集』と『宗安小歌集』

  『閑吟集』は永正十五年(1518)の成立、『詩経』に倣《なら》って三百十一首の歌謡を収めているが、勅撰集の春・夏・秋・冬・恋の部立てを下敷きにした上に、巧みな連想や連鎖語による配列をみせているところに特色がある。各歌には歌の種別を示す、朱書による肩書が付されているのも貴重である。その中で一番多いのは「小」、すなわち小歌、続いて多いのが「大」、すなわち大和猿楽《やまとさるがく》(謡曲)の一節を謡物《うたいもの》にしたもので、この二つを合わせると全体の九割を占める。
 肩書によって知られるそのほかの謡物を記しておくと、近江猿楽 二首、田楽能 十首、狂言歌謡 二首、放下歌 三首、早歌 七首、吟詩句 七首、がある。(略)

  『宗安小歌集』は笹野堅氏によって発見された無名の巻子本《かんすぼん》で、昭和六年『室町時代小歌集』の名で紹介された。現在では『宗安小歌集』の名が定着している。全二百二十首、すべてが小歌である。幾つかの個所で何分《なにぶん》かの配列を考えたらしい跡はあるが、『閑吟集』のような連鎖方式による全体的な構成はみられない。(略)本書の成立年代もはっきりとは定めにくいのであるが、編纂《へんさん》時期、筆写年代がいつであったにしても、内容からみてこれが『閑吟集』からは後、そして隆達節歌謡、特に隆達節小歌よりは若干さかのぼる時代のものということはいってよいようである。(略)

 室町小歌の終曲でもあり、同時に近世歌謡の序曲でもある隆達節歌謡は、文禄・慶長の頃堺の高三《たかさぶ》隆達(1527~一1611)の節付けをした小歌群のことである。完本と断簡を合わせて三十余種の歌本《うたほん》が残っており、そこから重複歌を省いて五百余首の歌が知られる。(略)歌本に草歌《そうか》(早歌)と小歌の別が(略)ある。隆達節草歌は百十八首、隆達節小歌は約三百九十首、(略)両者の間には画然とした別がある。(略)                              
(引用①終わり)。

2.これら三つの歌謡集の流れは、口承の田植草紙系歌謡や、『山家鳥虫歌』をはじめとする近世の民謡集へと受け継がれていきます。出典著者の北川忠彦は、この流れの波である歌謡が、「歌唱することによって伝承され」「歌いつがれるうちに、」変化していく様子を教えてくれます。彼は、「小歌本来の素朴で巧まぬ独特の迫力が次第に薄らいでくる」と感じ取り主張します。

 私はこの箇所から、この著者は「中世の小歌ごころ」を深く理解し愛情をもって感じていることが強く伝わってきました。
彼は歌謡の良さ、歌ごころを、とてもよくわかっていると共感します。つぎの言葉は、時代を超えて変わらない歌、歌謡の本質を捉えていると私は思います。
 ① 「説明的になり」「形式が整う」「第三者による叙述」は、半面で、散文化すること、感動の「迫力が薄らいでくる」ことでもある。
 ② 「中世の小歌ごころ」は「室町小歌に溢《あふ》れる訥々《とつとつ》切々《せつせつ》とした響きを通しての不定型の魅力」、「素朴で巧まぬ独特の迫力」、「我が思いをぶちまけ、しかもそれがそのまま読者に伝わってくるという迫力」にある。
 ③ 「七七七五調(更に分解すると三四・四三・三四・五調)は時代が降るにつれて近世歌謡の基本形態として広まって行く」。「七七七五調は軽快・流暢《りゅうちょう》」だが、「形式的に整えられ過ぎた感があって」「歌に遊ぶという気分が強く」「単に歌の上での一つの趣向に終ってしまって」、「小歌本来の素朴で巧まぬ独特の迫力が次第に薄らいでくる」。
 
 中世の小歌ごころが好きか、近世のより洗練された歌謡が好きかは、読者の好みです。それを心で感じとり波立たせるのが、歌謡、詩歌、文学の喜びです。小歌ごころに心揺らしたいと私は思います。

●出典原文の引用②

 こうした歌謡は原則として歌唱することによって伝承されるものであるから、歌いつがれるうちに、そこには自然と詞章の変化が生じてくる。これらの小歌の流れの変化を辿《たど》ってみると、『閑吟集』、『宗安小歌集』、そして隆達節、近世歌謡と降《くだ》ってくるにつれて、小歌本来の素朴で巧まぬ独特の迫力が次第に薄らいでくるのが感じられるのである。

   後影《うしろかげ》を、見んとすれば、霧《きり》がなう、朝霧が (167)
   【訳】あの方の後ろ姿を見ようと思うのに。霧が、朝霧が立ちこめて・・・・・・。

という、朝霧の中に恋人を送る『閑吟集』の歌が、後には、

   帰る後影を、見んとしたれば、霧がの、朝霧が (*29)

   帰る姿を見んと思へば、霧がの朝霧が (隆達節小歌)
と変化する。近世初頭に試みられた狂言『花子』の別演出『座禅』(大蔵虎明『万集類』所収)においては、
   はるばると送り来て、帰る姿を見んと思へば、霧がの、朝霧が
と、一層説明的になり、さらに近世民謡集『山家鳥虫歌』(明和九年刊)ともなると、
   情《なさけ》ないぞや今朝立つ霧は、帰る姿を見せもせで
とあって、形式が整う半面、原歌にうかがえた霧の中を去って行く恋人の姿をやるせない気持で追い求めている女の心の嘆きが、その七七七五の律調の中に封じこめられてしまった感があり、読者の方に迫ってくるものが薄らいでしまっているのは否めまい。

 その点からいえば、田植草紙系歌謡『田植由来記扞ニ植哥』朝歌一番(広島県山県郡芸北町)等の、
   君の朝立ち見《みヨ》うにも、霧が深うて
という一節のほうが、はるかに原歌の雰囲気を伝えていよう。(略)『山家鳥虫歌』は作られた民謡、これは自然と成った民謡という感じである。田植草紙系歌謡は口承によるものだけに、明確な時代的位置づけは困難であるが、そこには明らかに室町小歌とも通じるものがここかしこに見出せるのである。

「待つ恋」の歌がある。

   一夜《ひとよ》来《こ》ねばとて、咎《とが》もなき枕《まくら》を、縦な投げに、横な投げに、なよな枕よ、なよ枕 (178)
   【訳】ただ一晩来てくれないからといって、罪もない枕を、縦に投げ横に投げしながら、「なあ枕よ、なあ枕、私の辛い心を察してくれよ」。

 これはほぼ同じかたちで『宗安小歌集』*108にも伝えられているが、隆達節小歌では、
   悋気心《りんきごころ》か枕な投げそ、投げそ枕に咎《とが》はよもあらじ
と変化し、原歌にみられる、作者がおもわずも投げかけた枕への訴えを切り捨て、第三者による叙述に後退している。律調も七七七三五とあって七七七七五調へと整備される気配をみせるが、それだけに歌に遊ぶという気分が強くなる。
 これが降って近世前期の『御船歌留』(上、冨士の裾野)では、
   様《さま》が来ぬとて枕を投げそ、投げそ枕に咎もなよ、へ
と完全な七七七五調となり、文政五年(1822)刊の『賤《しず》が歌袋《うたぶくろ》』(五)ともなると、
   腹が立《たつ》とて枕を投げな、枕咎ないいつとても
としてその後に「人が不徳なりとて、我《わが》胸に炎《ほむら》を燃やし、怒《いかる》とは何事ぞや」云々《うんぬん》と教訓の材料に用いられるに至り、中世の小歌ごころはここに完全に喪失してしまうのである。

 このように七七七五調(更に分解すると三四・四三・三四・五調)は時代が降るにつれて近世歌謡の基本形態として広まって行くのであるが、室町小歌でこの三四・四三・三四・五調に当てはまるのは、

  濡《ぬ》れぬ前《さき》 こそ露《つゆ》をも厭《いと》へ、濡れて後《のち》には兎《と》も角《かく》も (*62.隆達節草歌にも)
   【訳】濡れる以前はわずかな露に触れることさえ嫌だったが、このように一度濡れてしまった以上は、ハイ、お心任せに。

くらいであろうか。それが隆達節小歌ともなると、
   交はす枕に涙の置くは、明日の別れが思はれて
   夢になりとも情はよいが、人の辛《つら》さを聞くもいや
   恋をさせたや鐘《かね》つく人に、人の思ひをしらせばや
というふうに幾つかの例が見出せる。

 この七七七五調は軽快・流暢《りゅうちょう》という感は伴うけれども、特に恋歌の場合は形式的に整えられ過ぎた感があって、室町小歌に溢《あふ》れる訥々《とつとつ》切々《せつせつ》とした響きを通しての不定型の魅力には及ばない。右の最後の歌なども、同じ後朝《きぬぎぬ》の別れを歌った、

   待つ宵《よひ》は、更《ふ》け行く鐘を悲しび、逢《あ》ふ夜は、別れの鳥を恨《うら》む、恋ほどの重荷あらじ、あら苦しや
 (69)  【訳】恋人を待つ夜は夜更けを知らせる鐘の音を恨めしく思い、逢った夜はまた別れの時刻の近づいたのを知らせる夜明けの鶏を恨めしく思う。恋ほどの心の重荷はあるまい。ああ苦しい。

   鳥はあはれを知らばこそ、人の仕業《しわざ》の鐘ぞ物憂《ものう》き (*178)
   【訳】夜明けの別れを報せるのは、鶏と鐘の音。「もののあはれ」を知らぬ鶏は仕方ないとして、人情を解するはずの人間
が打ち鳴らす鐘は考えるだに情けない限り。

と比べてみるがよい。これらが待宵小侍従《まつよいのこじじゅう》の古歌をふまえつつも鐘をつく人や鶏に我が思いをぶちまけ、しかもそれがそのまま読者に伝わってくるという迫力をもつのに対し、隆達節小歌はそのなめらかな調子の中に自分の恨みが埋没してしまった感がある。そして鐘つく人に恋の体験をさせてみたいという思いも、単に歌の上での一つの趣向に終ってしまっている。歌謡の流れを鳥瞰《ちょうかん》してみると、隆達節歌謡あたりを境にして、ようやく小歌の時代が遠去かって行くことが知られるのである。 
(引用②終わり)。

 次回は視野を広げ、この小歌を愛した人々が生きた時代をみつめてみます。

出典:「解説 室町小歌の世界―俗と雅の交錯」『新潮日本古典集成 閑吟集 宗安小歌集』(校注・北川忠彦、1982年、新潮社)
*読みやすいよう、ふりがな、数字、記号、改行などの表記を変えた所があります。ふりがなは《 》内に記しました。( )内の洋数字は小歌集の歌の通し番号、または西暦です。引用歌謡には、出典の訳文を【訳】として付記しました。
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新しい詩「なみだ」を公開しました

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  「なみだ」

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