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高畑耕治

Author:高畑耕治
愛のうたの絵ほんは、高畑耕治の詩と詩集の海です。
Profile 高畑耕治 たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪府四條畷市出身、早稲田大学政経学部中退。東京都多摩市在住。
詩集『銀河、ふりしきる』(2016年5月イーフェニックス)
詩集『こころうた こころ絵ほん』(2012年同上)
詩集『さようなら』(1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25)
詩集『愛のうたの絵ほん』(1994年同上)
詩集『愛(かな)』(1993年同上)
詩集『海にゆれる』(1991年土曜美術社)
詩集『死と生の交わり』(1988年批評社)
雑誌「エヴァ」に扉の詩(1996~1997サンマーク出版)を連載。
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詩集「あとがき」と詩想

 私のホームページ愛のうたの絵ほん―高畑耕治の詩と詩集に、新しい詩を生み出し発表していくことが、詩人として今の私のすべてです。今年生まれてくれた詩の子どもたちが、のびやかに心を響かせて歌い続けてくれますように。
 また、既刊詩集の詩を先日やっと全篇公開できました。
 その喜びの気持ちのままに、それぞれの詩集の「あとがき」を添えるかたちで公開しました。
 詩で表現することに徹しようと頑なだった私は、「あとがき」以外にはほとんど散文を書きませんでした。それだけに、短い文章に込めた気持ちは偽りなく私の思いそのものです。読み返して、今も変わらない、と思います。

 『死と生の交わり』 あとがき (一九八八年)
 『海にゆれる』   あとがき (一九九一年)
 『愛(かな)』   あとがき (一九九三年)
 『愛のうたの絵ほん』あとがき (一九九四年)
 『さようなら』   あとがき (一九九五年)

 この『愛(かな)しい詩歌―高畑耕治の詩想』に記している言葉は、これら「あとがき」の思いと、おなじ海にゆれる波しぶき、潮騒です。
 
 詩を生み続け伝えたいとだけ願う今、私には新しい「あとがき」はまだ思い描けません。詩作品ひとつひとつが星となって詩の宇宙が、どこまでも遥かにふくらんでゆきますように。 
 地上の悲しい、苦しい心に、星のひかりがふりそそぎ、そっとつつみ、あたためてくれますように。
 喜びの心が太陽のひかりに輝くときにも、見えない夜空でともにひかりの笑みをともせますように。
 願いを込めて、今年生まれてくれた詩から。

 詩「さようならこんにちは」 (二〇一一年)


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その日はいつか。峠三吉『原爆詩集』(三)

 作家・崎本恵さんの小説『時の疼(いた)み』峠三吉の『原爆詩集』を通して、戦争について考えてきました。今回はまとめとしてこの詩集の「あとがき」の言葉と、長編詩「その日はいつか」をみつめ考えます。

 「あとがき」の言葉は、「過ちをもう二度と繰り返さない」ために心にとめておくべきことを教えてくれます。政治的な対立の言葉の次元で翻弄されてしまいそうな時、あくまで大切なのは「平和へのねがい」です。
 峠三吉の根本にあり、彼が伝えずにはいられなかったものは、「平和へのねがい」の詩です。

 政治の勢力抗争、政治力学を計算する理知的な頭脳は、そのような「ねがい」そのものはわからないし、わかろうとしないし、「いのち」は力を構成する数としてだけ効用の面でだけ利用できるときには利用し、邪魔なら押し潰そう消し去ろうとします。
 「圧迫を推進しつつある人々は全く人間そのものに敵対する行動」をとります。彼等にとって「人間そのもの」はわからないし役立つものではないからです。
 だから「過ちをくりかえさない」ためには、政治の干し上がった思考回路、議論のための議論、優劣争いに巻き込まれるのではなく、自分の生きる場で「人間を愛する」心を何より大切に守り通すことだと思います。

 長編詩「その日はいつか」は、鎮魂と憤りの詩です。その激しさから、「われわれ」「日本」「民族」「国民」「民衆」といった、政治的な言葉も使われています。そうせざるを得なかった峠三吉の心を思います。
 この詩集の詩のなかで、わたしはこの長編詩よりも、前回紹介した六篇の詩、個のいのちに寄り添う詩に心打たれ感動し心に響く良い詩だと感じます。
 でも心優しく宗教信仰をもつ彼が、このように政治への怒りを書かずにはいられなかった。広島の被爆者のほとんどの人たちは権力者、政治屋、軍部に翻弄された決して罪のない生活者、被害者だからです。
 
 この詩を読むときにも、彼が必死で込めたものが政治的な勝利などではなく「平和へのねがい」であることを、見失ってはいけません。彼は「日本」の平和だけを望んだのではなく、原爆を憎む世界のひとりひとりの平和を願い、怒りに染め上げられた祈りを込め、詩を書かずにはいられませんでした。彼を詩人として私は敬愛せずにはいられません。
 
● 以下は出典からの、原文の引用・紹介です。

 あとがき
 (略)尚つけ加えておきたいことは、私が唯このように平和へのねがいを詩にうたっているというだけの事で、いかに人間としての基本的な自由をまで奪われねばならぬ如く時代が逆行しつつあるかということである。私はこのような文学活動によって生活の機会を殆んど無くされている事は勿論、有形無形の圧迫を絶えず加えられており、それはますます増大しつつある状態である。この事は日本の政治的現状が、いかに人民の意思を無視して再び戦争へと曳きずられつつあるかということの何よりの証明にほかならない。
 又私はいっておきたい。こうした私に対する圧迫を推進しつつある人々は全く人間そのものに敵対する行動をとっているものだということを。
 この詩集はすべての人間を愛する人たちへの贈り物であると共に、そうした人々への警告の書でもある。                                        

  「その日はいつか」

  1

熱い瓦礫と、崩れたビルに
埋められた道が三方から集り
銅線のもつれる黒焦の電車をころがして交叉する
広島の中心、ここ紙屋町広場の一隅に
かたづけ残されころがった 君よ、

音といっては一かけらの瓦にまでひび入るような暑さの気配
動くものといっては眼のくらむ八月空に
かすれてあがる煙
あとは脳裏を灼いてすべて死滅したような虚しさのなか
君は 少女らしく腰をくの字にまげ
小鳥のように両手で大地にしがみつき
半ば伏さって死んでいる、

裸になった赤むけの屍体ばかりだったのに
どうしたわけか君だけは衣服をつけ
靴も片方はいている、
少し煤《すす》けた片頬に髪もふさふさして
爛《ただ》れたあとも血のいろも見えぬが
スカート風のもんぺのうしろだけが
すっぽり焼けぬけ
尻がまるく現れ
死のくるしみが押し出した少しの便が
ひからびてついていて
影一つないまひるの日ざしが照し出している、


  2

君のうちは宇品町
日清、日露の戦争以来
いつも日本の青年が、銃をもたされ
引き裂かれた愛の涙を酒と一緒に枕にこぼし
船倉《せんそう》に積みこまれ死ににいった広島の港町、

どぶのにおいのたちこめる
ごみごみ露路の奥の方で
母のないあと鋳物《いもの》職人の父さんと、幼い弟妹たちの母がわり
ひねこびた植物のようにほっそり育ち
やっと娘になってきたが
戦争が負けに近づいて
まい晩日本の町々が藁束《わらたば》のように焼き払われるそのなかで
なぜか広島だけ焼かれない、
不安と噂の日々の生活、

住みなれた家は強制疎開の綱でひき倒され
東の町に小屋借りをして一家四人、
穴に埋めた大豆を噛り、
鉄道草を粥《かゆ》に炊《た》き、
水攻めの噂におびえる大人に混って
竹筒の救命具を家族の数だけ争ったり
空襲の夜に手をつないで逃げ出し
橋をかためる自警団に突き倒されたり
右往左往のくらしの日々、
狂いまわる戦争の力から
必死になって神経痛もちの父を助け、幼い弟妹を守ろうとした
少女のその手、そのからだ、


  3

そして近づく八月六日、
君は知ってはいなかった、
日本の軍隊は武器もなく南の島や密林に
飢えと病気でちりぢりとなり
石油を失った艦船は島蔭にかくれて動けず
国民全部は炎の雨を浴びほうだい
ファシストたちは戦争をやめる術《すべ》さえ知らぬ、

君は知ってはいなかった
ナチを破ったソヴェートの力が
不可侵条約不延期のしらせをもって
帝国日本の前に立ち塞がったとき
もう日本の降伏は時間の問題にすぎないと
世界のまなこに映っていたのを、

君は知ってはいなかった、
ハーケンクロイツの旗が折れ
ベルリンに赤旗が早くもあがったため
三ヵ月後ときめられたソヴェートの参戦日が
歴史の空に大きくはためきかけたのを

〈原爆投下は急がれる
その日までに自分の手で日本を叩きつぶす必要を感じる
暗くみにくい意志のもと
その投下は急がれる
七月十六日、ニューメキシコでの実験より
ソヴェートの参戦日までに
時間はあまりに僅かしかない!〉

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tag : 作家 崎本恵 小説 峠三吉 原爆詩集 原爆 広島 高畑耕治 詩歌 詩人

生得の瞳と優しい手への贈り物。峠三吉『原爆詩集』(二)

 今回は、峠三吉の『原爆詩集』から六篇の詩を紹介させていただきます。これらの詩は、生得の瞳と優しい手への贈り物だからです。
『八月六日』、『仮繃帯所にて』、『としとったお母さん』、『ちいさい子』、『微笑』、『ある婦人へ』。

 どの詩も、「国家」や「民族」や「社会」ではなく、ひとりひとりのひとを、命をみつめ、語りかけ、思いやり、思いをともにしようと懸命に、歌っています。
 そのことは、この詩集の「あとがき」に彼が記した次の言葉にも、現れ出ていると私は思います。
 このように語れる彼を私はほんものの詩人だと感じ敬愛せずにいられません。

 「これは私の、いや広島の私たちから全世界の人々、人々の中にどんな場合にでもひそやかにまばたいている生得の瞳への、人間としてふとしたとき自他への思いやりとしてさしのべられざるを得ぬ優しい手の中へのせい一ぱいの贈り物である。どうかこの心を受取って頂きたい。」

 六篇の詩に込められた悲痛な鎮魂の思いと怒り。
『八月六日』の、「忘れえようか!」、
『仮繃帯所にて』の、「なぜこんなめにあわねばならぬのか」、
『としとったお母さん』の、「このまま逝ってしまってはいけない」、
『ちいさい子』の、「ほんとうのそのことをいってやる」、
『微笑』の、「いま 爆発しそうだ」、
『ある婦人へ』の、「わたしは語ろう/わたしの怒り/あなたの呪いが」、
これらの言葉が、激しく痛く強く、心に突き刺さります。そうでありながらなぜかいつか私の心の言葉に、消えることのない鎮魂歌になり響き続けてくれます。


● 以下は出典からの引用、原文の紹介です。

  八月六日

あの閃光が忘れえようか
瞬時に街頭の三万は消え
圧《お》しつぶされた暗闇の底で
五万の悲鳴は絶え

渦巻くきいろい煙がうすれると
ビルディングは裂《さ》け、橋は崩《くず》れ
満員電車はそのまま焦《こ》げ
涯しない瓦礫《がれき》と燃えさしの堆積《たいせき》であった広島
やがてボロ切れのような皮膚を垂れた
両手を胸に

くずれた脳漿《のうしょう》を踏み
焼け焦《こ》げた布を腰にまとって
泣きながら群れ歩いた裸体の行列

石地蔵のように散乱した練兵場の屍体
つながれた筏《いかだ》へ這《は》いより折り重った河岸の群も
灼《や》けつく日ざしの下でしだいに屍体とかわり
夕空をつく火光《かこう》の中に
下敷きのまま生きていた母や弟の町のあたりも
焼けうつり

兵器廠《へいきしょう》の床の糞尿《ふんにょう》のうえに
のがれ横たわった女学生らの
太鼓腹の、片眼つぶれの、半身あかむけの、丸坊主の
誰がたれとも分らぬ一群の上に朝日がさせば
すでに動くものもなく
異臭《いしゅう》のよどんだなかで
金《かな》ダライにとぶ蠅の羽音だけ

三十万の全市をしめた
あの静寂が忘れえようか
そのしずけさの中で
帰らなかった妻や子のしろい眼窩《がんか》が
俺たちの心魂をたち割って
込めたねがいを
忘れえようか!


  仮繃帯所にて

あなたたち
泣いても涙のでどころのない
わめいても言葉になる唇のない
もがこうにもつかむ手指の皮膚のない
あなたたち

血とあぶら汗と淋巴液《リンパえき》とにまみれた四肢《しし》をばたつかせ
糸のように塞《ふさ》いだ眼をしろく光らせ
あおぶくれた腹にわずかに下着のゴム紐だけをとどめ
恥しいところさえはじることをできなくさせられたあなたたちが
ああみんなさきほどまでは愛らしい
女学生だったことを
たれがほんとうと思えよう

焼け爛《ただ》れたヒロシマの
うす暗くゆらめく焔のなかから
あなたでなくなったあなたたちが
つぎつぎととび出し這い出し
この草地にたどりついて
ちりちりのラカン頭を苦悶《くもん》の埃《ほこり》に埋める

何故こんな目に遭《あ》わねばならぬのか
なぜこんなめにあわねばならぬのか
何の為に
なんのために
そしてあなたたちは
すでに自分がどんなすがたで
にんげんから遠いものにされはてて
しまっているかを知らない

ただ思っている
あなたたちはおもっている
今朝がたまでの父を母を弟を妹を
(いま逢ったってたれがあなたとしりえよう)
そして眠り起きごはんをたべた家のことを
(一瞬に垣根の花はちぎれいまは灰の跡さえわからない)

おもっているおもっている
つぎつぎと動かなくなる同類のあいだにはさまって
おもっている
かつて娘だった
にんげんのむすめだった日を


  としとったお母さん

逝《い》ってはいけない
としとったお母さん
このままいってはいけない

風にぎいぎいゆれる母子寮のかたすみ
四畳半のがらんどうの部屋
みかん箱の仏壇のまえ
たるんだ皮と筋だけの体をよこたえ
おもすぎるせんべい布団のなかで
終日なにか
呟《つぶや》いているお母さん

うそ寒い日が
西の方、己斐《こい》の山からやって来て
窓硝子にたまったくれがたの埃をうかし
あなたのこめかみの
しろい髪毛をかすかに光らせる

この冬近いあかるみのなか
あなたはまた
かわいい息子と嫁と
孫との乾いた面輪《おもわ》をこちらに向かせ
話しつづけているのではないだろうか
仏壇のいろあせた写真が
かすかにひわって
ほほえんで

きのう会社のひとが
ちょうどあなたの
息子の席があったあたりから
金冠のついた前歯を掘り出したと
もって来た
お嫁さんと坊やとは
なんでも土橋のあたりで
隣組の人たちとみんな全身やけどして
ちかくの天満川《てんまがわ》へ這い降り
つぎつぎ水に流されてしまったそうな
あの照りつけるまいにちを
杖ついたあなたの手をひき
さがし歩いた影のないひろしま
瓦の山をこえ崩れた橋をつたい
西から東、南から北
死人を集めていたという噂の四つ角から
町はずれの寺や学校
ちいさな島の収容所まで
半ばやぶれた負傷者名簿をめくり
呻きつづけるひとたちのあいだを
のぞいてたずね廻り
ほんに七日め
ふときいた山奥の村の病院へむけて
また焼跡をよこぎっていたとき
いままで
頑固なほど気丈だったあなたが
根もとだけになった電柱が
ぶすぶすくすぶっているそばで
急にしゃがみこんだまま
「ああもうええ
もうたくさんじゃ
どうしてわしらあこのような
つらいめにあわにゃぁならんのか」
おいおい声をあげて
泣きだし
灰のなかに傘が倒れて
ちいさな埃がたって
ばかみたいな青い空に
なんにも
なんにもなく
ひと筋しろい煙だけが
ながながとあがっていたが……

若いとき亭主に死なれ
さいほう、洗いはり
よなきうどん屋までして育てたひとり息子
大学を出て胸の病気の五、六年
やっとなおって嫁をもらい
孫をつくって半年め
八月六日のあの朝に
いつものように笑って出かけ
嫁は孫をおんぶして
疎開作業につれ出され
そのまんま
かえってこない
あなたひとりを家にのこして
かえって来なかった三人

ああお母さん
としとったお母さん
このまま逝ってはいけない
焼跡をさがし歩いた疲れからか
のこった毒気にあてられたのか
だるがって
やがて寝ついて
いまはじぶんの呟くことばも
はっきり分らぬお母さん

かなしみならぬあなたの悲しみ
うらみともないあなたの恨みは
あの戦争でみよりをなくした
みんなの人の思いとつながり
二度とこんな目を
人の世におこさせぬちからとなるんだ

その呟き
その涙のあとを
ひからびた肋《あばら》にだけつづりながら
このまま逝ってしまってはいけない
いってしまっては
いけない


  ちいさい子

ちいさい子かわいい子
おまえはいったいどこにいるのか
ふと躓《つまず》いた石のように
あの晴れた朝わかれたまま
みひらいた眼のまえに
母さんがいない
くっきりと空を映すおまえの瞳のうしろで
いきなり
あか黒い雲が立ちのぼり
天頂でまくれひろがる
あの音のない光りの異変
無限につづく幼い問のまえに
たれがあの日を語ってくれよう

ちいさい子かわいい子
おまえはいったいどこにいったか
近所に預けて作業に出かけた
おまえのこと
その執念だけにひかされ
焔の街をつっ走って来た両足うらの腐肉《ふにく》に
湧きはじめた蛆《うじ》を
きみ悪がる気力もないまま
仮収容所のくら闇で
だまって死んだ母さん
そのお腹《なか》におまえをおいたまま
南の島で砲弾に八つ裂かれた父さんが
別れの涙をぬりこめたやさしいからだが
火傷と膿と斑点にふくれあがり
おなじような多くの屍とかさなって悶《もだ》え
非常袋のそれだけは汚れも焼けもせぬ
おまえのための新しい絵本を
枕もとにおいたまま
動かなくなった
あの夜のことを
たれがおまえに話してくれよう

ちいさい子かわいい子
おまえはいったいどうしているのか
裸の太陽の雲のむこうでふるえ
燃える埃の、つんぼになった一本道を
降り注ぐ火弾、ひかり飛ぶ硝子のきららに
追われ走るおもいのなかで
心の肌をひきつらせ
口ごもりながら
母さんがおまえを叫び
おまえだけ
おまえだけにつたえたかった
父さんのこと
母さんのこと
そしていま
おまえひとりにさせてゆく切なさを
たれがつたえて
つたえてくれよう

そうだわたしは
きっとおまえをさがしだし
その柔い耳に口をつけ
いってやるぞ
日本中の父さん母さんいとしい坊やを
ひとりびとりひきはなし
くらい力でしめあげ
やがて蠅のように
うち殺し
突きころし
狂い死なせたあの戦争が
どのようにして
海を焼き島を焼き
ひろしまの町を焼き
おまえの澄んだ瞳から、すがる手から
父さんを奪ったか
母さんを奪ったか
ほんとうのそのことをいってやる
いってやるぞ!


  微笑

あのとき あなたは 微笑した
あの朝以来 敵も味方も 空襲も火も
かかわりを失い
あれほど欲した 砂糖も米も
もう用がなく
人々の ひしめく群の 戦争の囲みの中から爆《は》じけ出された あなた
終戦のしらせを
のこされた唯一の薬のように かけつけて囁《ささや》いた
わたしにむかい
あなたは 確かに 微笑した
呻《うめ》くこともやめた 蛆《うじ》まみれの体の
睫毛《まつげ》もない 瞼のすきに
人間のわたしを 遠く置き
いとしむように湛《たた》えた
ほほえみの かげ

むせぶようにたちこめた膿《うみ》のにおいのなかで
憎むこと 怒ることをも奪われはてた あなたの
にんげんにおくった 最後の微笑

そのしずかな微笑は
わたしの内部に切なく装填《そうてん》され
三年 五年 圧力を増し
再びおし返してきた戦争への力と
抵抗を失ってゆく人々にむかい
いま 爆発しそうだ

あなたのくれた
その微笑をまで憎悪しそうな 烈しさで
おお いま
爆発しそうだ!


  ある婦人へ

裂けた腹をそらざまに
虚空《こくう》を踏む挽馬《ばんば》の幻影が
水飼い場の石畳をうろつく
輜重隊《しちょうたい》あとのバラック街

溝露路の奥にあなたはかくれ住み
あの夏以来一年ばかり
雨の日の傘にかくれる
病院通い
透明なB29の影が
いきなり顔に墜《お》ちかかった
閃光の傷痕は
瞼から鼻へ塊りついて
あなたは
死ぬまで人にあわぬという

崩れる家にもぎとられた
片腕で編む
生活の毛糸は
どのような血のりを
その掌に曳くのか

風車がゆるやかに廻り
菜園に子供があそぶこの静かな町
いく度か引返し
今日こそあなたを尋ねゆく
この焼跡の道

爬虫《はちゅう》のような隆起と
柔毛《やわげ》一本|生《は》えぬてらてらの皮膚が
うすあかい夕日の中で
わたくしの唇に肉親の骨の味を呼びかえし
暑さ寒さに疼《うず》きやまぬその傷跡から
臭わしい膿汁《のうじゅう》をしたたらせる
固いかさぶたのかげで
焼きつくされた娘心を凝《こご》らせるあなたに対《むか》い
わたしは語ろう
その底から滲染《し》み出る狂おしい希《ねが》いが
すべての人に灼きつけられる炎の力を
その千の似姿が
世界の闇を喰いつくす闘いを

あたらしくかぶさる爆音のもと
わたしは語ろう
わたしの怒り
あなたの呪いが
もっとも美しい表情となる時を!

出典1:青空文庫。入力:広島に文学館を! 市民の会、福田真紀子。校正:LUNA CAT。2004年。
底本:「新編 原爆詩集」青木書店。1995年第1版第1刷発行。
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tag : 峠三吉 原爆詩集 広島 原爆 高畑耕治 詩歌 詩人 うた 絵ほん

詩集『死と生の交わり』全篇をホームページ公開。

 詩集『死と生の交わり』の詩全篇をホームページ公開しました。 
 今回、つぎの24篇の詩・作品を追加公開し、この私の第一詩・作品集全篇をご覧いただけるようにできました。
 詩集『海にゆれる』と『さようなら』は全篇を既に公開していましたので、今回やっと既刊詩集の詩全篇をホームページ公開できました。
 絶版本に閉じ込められていた子どもたちを、ふと読みたいと感じてくださった方に届けられる機会をつくれたことを、とても嬉しく思っています。

 この第一作品集を詩集と呼ぶかどうかについてのこだわりは、今の私にはありません。このような言葉のかたちが、込めたメッセージを最もよく伝えてくれている、このようにしか伝えようがない思いが込められていると、素直に認めたいと思います。十代の終わりから二十代の前半すべてを、私はこの一冊に注ぎ込みました。悔いはありません。

 今回の公開は、私の生んだ作品を好きだと感じてくださる方へ、そして苦しく悲しく懸命だった若い私への、クリスマスプレゼントという気持ちが正直なところあります。いつまでも子供ですが、詩人なんてそんなものだと、詩を愛する方ならきっとゆるしてくださると思っています。

☆ クリックでお読みいただけます。

 共生感覚は失われて 
 鎮魂歌 
 ひとりであること
 瞳のおくに 
 流氷 
 隔たり 
 それでも―自殺したひとに ひとりのひとに
 赦す
 ねがい
 祈り (1)
 祈り (2)
 祈り (3)
 生と死の交わり (1)
 生と死の交わり (2)
 祈り (4)
 死と生の交わり (1)
 死と生の交わり (2)
 交わり―ひとりであること (1)
 交わり―ひとりであること (2)
 交わり―ひとりであること (3)
 交わり―ひとりであること (4)
 交わり―ひとりであること (5)
 交わり―ひとりであること (6)
 交わり―ひとりであること (7)




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被爆後のクリスマスに。峠三吉『原爆詩集』(一)

 前回の作家・崎本恵さんの小説『時の疼(いた)み』と深く響きあう峠三吉の『原爆詩集』を感じとります。

 政治家は、「国家」のため「民族」のため「社会」のためという概念のごまかしのなかに、ひとりひとりの顔と命を覆い隠し見えない状態にして、有権者、選挙権のない子供たちを追い込みます。
 だから原爆計画を用意周到に計画し実行した政治家、軍部、兵士を私は憎まずにいられず、決して許せません。でもだからこそ同時に、「アメリカ」のなかにも弱者がいることと、「アメリカ」のなかにも戦争を憎悪し原爆投下に反対し憤るひとも必ずいたはずだということを忘れてはいけないと私は思います。
 峠三吉もこの詩集を次の冒頭の言葉で、広島と長崎の被害者に捧げ、そのうえで「全世界の原子爆弾を憎悪する人々に」捧げています。このことを忘れてはいけません。彼が政治家ではなく、詩人として生きた証しの言葉だと、私は感じます。

―― 一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。

 峠三吉は、広島の原爆被爆の悲痛な惨事への憤りと鎮魂のどうしようもない思いを『原爆詩集』に書きとめ伝えてくれました。今回はまず、この詩集の「あとがき」冒頭の言葉と、「にんげんをかえせ」として、よく知られている詩集全体の叫びが凝縮し響いている『序』を引用します。

次に、詩人・森田進が編んだ美しい『クリスマス詩集』から、峠三吉の詩「クリスマスの帰りみちに」を引用します。森田進はこの編著の解説「詩とクリスマス」で、峠三吉のこの詩について次のように問いかけます。
 
「(略)三吉は、カトリックの信徒でした。共産主義とキリスト教をどのように自覚的に生きたのか、は、いまだに詳しい解明はされていませんが、この詩を読めば、被爆したあの敗戦後の最初のクリスマスの夜、教会の礼拝に参加したのです。神と戦争について考え考えながら、少女と私が雨の中を歩いているのです。この詩の最終行を巡って、一部で論争が続いています。この一行の重たさを皆さんはどのように受け止めますか。」

 私は、彼の詩を繰り返し読む時に、自分自身のうちに込み上げてくる思いの熱さや揺れ動きが、それがたとえ整理できる概念とはならなくても、彼という人間の問いかけに最も近づけている瞬間ではないかと思います。

(この『クリスマス詩集』には、私が敬愛する詩人・原民喜の詩「家なき子のクリスマス」も収録されています。この時彼は人間にも神にも完全に絶望していると私には感じられてしまう悲しい詩なので、今年8月彼の詩について書いた時と同じように今回も引用はできませんでした。)

 次回は、峠三吉の『原爆詩集』の詩そのものを見つめます。

 今年、どうしようもない悲しみ苦しみを耐えられているひとりひとりの方、子どもたち、お年寄り、懸命に生きられていらっしゃる方に、どうか良いクリスマスが訪れてくれますように。

● 以下は出典1からの引用、原文の紹介です。

「あとがき」
 私は一九四五年八月六日の朝、爆心地より三千米あまり離れた町の自宅から、市の中心部に向って外出する直前原爆を受け、硝子の破片創と数ヵ月の原爆症だけで生き残ったのであるが、その時広島市の中心より約二千米半径以内にいた者は、屋内では衝撃死又は生埋めにされたまま焼死し、街路では消滅、焦死あるいは火傷して逃れたまま一週間ぐらいの間に死に、その周辺にいた者は火傷及び原爆症によって数ヵ月以内に死亡、更にそれより遠距離にいた者が辛うじて生き残り、市をとり巻く町村の各家庭では家族の誰かを家屋疎開の跡片づけに隣組から出向かせていたため骨も帰らぬこととなった。またその数日前ある都市の空襲の際撒かれたビラによるという、五日の夜広島が焼き払われるという噂や、中学校、女学校下級生たちの疎開作業への動員がこの惨事を更に悲痛なものとさせたのである。

  

ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ


● 以下は出典2からの引用、原文の紹介です。

 クリスマスの帰りみちに

焼跡の町に夜の雨は優しく霧をながす

クリスマスの調べは神話のように心にともる
少女とわたしは焼跡の電車道を黙って歩く

戦後最初のクリスマスは焼け焦げた臭いの中にひそやかで
神は戦争の悲しみの奥でお菓子のように美しい
少女とわたしは泥濘の上を軽わざ師のように渡る

渡ってゆく原爆の廃墟は闇の中で無数にささやく
神と戦争について様々な不協和音をささやく
少女とわたしは然し黙って鉄を踏み材木をまたぐ

通過して来たクリスマスの雰囲気は霧雨よりも優しく
生き残った青春は風にゆらぐ樹木のように重い
この重さに耐えて少女とわたしは歩く

神があってもなくっても少女とわたしは歩きつづける


出典1:青空文庫。入力:広島に文学館を! 市民の会、福田真紀子。校正:LUNA CAT。2004年。
底本:「新編 原爆詩集」青木書店。1995年第1版第1刷発行。
参考:『原爆詩集』<平和文庫>(峠三吉、2010年、日本ブックエース)。*この平和文庫では、永井隆『この子を残して』、『長崎の鐘』、原民喜『夏の花』、大田洋子『屍の街』も刊行されています。

出典2:『クリスマス詩集 この聖き夜に』(森田進編、2004年、日本キリスト教団出版局)。
底本:『にんげんをかえせ 峠三吉全詩集』(1971年、風土社)、『にんげんをかえせ』(1995年、新日本出版社)。
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詩集『愛のうたの絵ほん』『愛(かな)』全篇をホームページ公開。

 詩集『愛のうたの絵ほん』、詩集『愛(かな)』の詩全篇をホームページ公開しました。
 今回、つぎの6篇の詩を追加公開し、どちらの詩集も全篇をご覧いただけるようにできました。
 昨秋編んだアンソロジーに収録しなかったこれらの作品は、ある意味、不出来な落ちこぼれですが、わたし自身が社会的な地位はどうでもよい落ちこぼれですので、わたしにとっては大切な子どもです。どれも癖のある作品で、とがってもいますが、それは個性ともいえ、私の心の広がりの一側面です。
 どのやんちゃ坊主の作品も私の思いを色濃く宿して生まれましたが、私の実生活の日記ではなく小説と同じように、創作です。たとえば詩「さらさら」に娘が出てきますが、詩想に生れてくれた少女です。創作でないと感じてもらえるかどうかが文学における作者のちからだと、考えています。
 いずれにしても、不良息子たちを大切に思っていることを、やっとお伝えできたことを私は心から嬉しく思います。

☆ クリックでお読みいただけます。

 『愛のうたの絵ほん』
 まる
 さらさら

 『愛(かな)』
 輪になって
 けだもの羊
 染まらないで
 こんどおむの空


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戦争を書き伝えること。崎本恵の小説『時の疼(いた)み』(二)

 敬愛する作家の崎本恵さん(詩人・神谷恵さん)は、父と戦争についての私の思いと不思議なほど重なる小説『時の疼(いた)み』を発表されています。
 前回はこの小説が、戦争体験をくぐりぬけ生きた父を親不孝な娘が探し語っていること、についての私の思いを記しました。
 今回はもうひとつの共鳴、文学者として戦争をどのように書き伝えるかということについて、この小説を通して感じ得た私の思いを記します。

 著者はこの小説で、優子の考え・物の見方だけを絶対化などせず、また父の目だけを絶対視せず、多様な登場人物の多面的な捉え方と反論のなかに、強弱をつけながら描き出すことで、自分だけが正しいという政治屋の押し付けがましい独善的な主張に陥ることを回避しています。これは小説だからできることです。
 著者はこの小説に、優子の父の手記というかたちで戦争のおぞましさを浮かび上がらせています。

 私も、戦争についての思いを、従軍した祖父の日記を組み込むかたちの、次の詩作品を書いています。詩『種子』(「詩と詩想」小詩集2003年7月号)。その時点での能力で精一杯書きましたが、作品としてはかたちをなしていない、もろさを残した未完成の作品だという意識を私はその後ひきずっていました。
 昨年、もう一度見つめ直し書き直して、なんとか詩作品として完成させた詩が「おばあちゃんの微笑み」です。

 崎本さんが小説『時の疼(いた)み』で、同じ課題に取り組まれ作品化されていることを知って強く共感したのと同時に、詩はやはり心の、魂の歌なんだと、小説との違いを思いました。この小説の問いかけの深さは、小説というかたちで初めてできることだと思います。
 作家・崎本恵は、心打つ魂の詩集『てがみ』(1993年本多企画)の詩人・神谷恵です。『時の疼(いた)み』には、小説でしかできない問いかけに、詩人の魂が注ぎ込まれていると私は感じます。
 この小説の、優子の父の手記の、次のような魂の叫びに、私は心打たれずにはいられません。

☆ 優子の父の手記
(略)我が子を目の前で八つ裂きにされたあの娘の喉を掻き切り血を吐くような悲鳴と嗚咽を、股の付け根から胸のところまで襤褸切れ(ぼろきれ)のように引き裂かれていた赤子の姿を、あなたは想像できるだろうか。半世紀経った今でも、私の目と耳からは消えないのだ。絶対に消えることはない。
(略)人間を獣以下にし、虫けらのように葬ってしまうのが戦争だとすれば、戦勝国も敗戦国もない。それは戦争に加担した全ての人間の罪だ。私は私の罪の分を背負い、生きている間にほんの纔(わず)かでもその償ひをしなければならないのだ……


 私個人は、人間は動物で虫けらと同等の生きものだと思っています。でもそうでありながら、そのことを知っていること、ただ無意味な殺し合いをしてしまう生きものとしての自らの姿を嘆き、悲しみ、避けたいと思えること、他のいのちと自分のいのちが同じようにあることを感じとろうとし、他のいのちを思いやることができます。そうしたいと願い行うことができる可能性をもっています。それが人間らしさです。戦争は、そのわずかな人間らしさをも剥ぎ取り奪います。だから私は戦争を憎み、罪ない幼子や優しい人たちまでをも戦争にひきずりこむ政治屋を憎みます。政治家は自らは死ぬことだけは上手に避け、若者に死ねと命じ、女性や幼子が死ぬことがわかっていて、見捨てます。戦争を避けるために死に物狂いで、じゃんけん勝負に合意させる政治家がいたなら私は心から尊敬します。その思いは詩「ぴけ」を書いたときから今も変わりません。

 著者の崎本恵は、これまでほとんど小説にされていない、戦争での加害者としての顔を敢えて描き出しました。でも次のことを見落としてはいけません。
この小説を発表した『崎本恵個人文芸誌 ―糾う(あざなう)― 3号』(2008年8月1日発行)のあとがきで、著者は次のように記しています。

☆ 著者あとがき
 世界を武力によって席巻しようとするナチスドイツへの恐怖心が大統領以下多くの科学者たちの心を蝕んでいた。ところが、完成した時にはドイツは降伏しており、日本も国土のほとんどが焦土と化し、降伏するのも時間の問題だった。もう原爆を使う必要はなかった。だが、トルーマン大統領はなにもかも承知で原爆を投下したのだった。長崎にまで。」 (略)。
 その後もアメリカは世界の先頭に立って核開発を続け、詭弁を弄し、たくさんの国と地域で戦争を引き起こし、他国の無辜(むこ)の市民の命と財産どころか自国の兵士の命さえ奪い続けているではないか。原爆に限って言うなら間違いなく日本が被害者だ。だが、基督教国であり基督者だと豪語しながら、いまだに神も罪も知らない(知ろうともしない)国と指導者たちはもっと哀れな存在だ。(略)


 著者の怒りと悲しみに私の心は深く共鳴します。そして峠三吉の魂の詩とも。このあとがきの言葉に響き合う峠三吉の『原爆詩集』を次回から見つめます。

出典:『崎本恵個人文芸誌 ―糾う(あざなう)― 3号』(崎本恵、2008年8月1日発行)。
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父が耐えた戦争。崎本恵の小説『時の疼(いた)み』(一)

 前回は、私の父が巻き込まれた戦争に感じた思いを記しました。
 作家の崎本恵さん(詩人・神谷恵さん)は、この私の思いと不思議なほど重なる小説『時の疼(いた)み』を発表されています。
 ひとつには、この小説もまた、親不孝な娘が戦争体験をくぐりぬけ生きた父を探し語っていること、もうひとつには、文学者として戦争をどのように書き伝えるかということで、恐ろしいほどに私の心をも語ってくれる小説です。

 今回は、「親不孝な娘が戦争体験をくぐりぬけ生きた父を探し語っていること」についての思いを記します。私もまた親不孝だったからです。

 作者・崎本恵は、この小説を発表した『崎本恵個人文芸誌 ―糾う(あざなう)― 3号』(発行・崎本恵、2008年8月1日)の「あとがき」で、次のように記しています。

 今回の作品「時の疼(いた)み」のモチーフは私の父の戦争体験である。父ではなく娘の優子を真ん中にもってきたプロットには多少の逃げがあったかもしれない。

 私は逃げでなんかないと思います。優子と私は、父を探す思いのうちに重なることができました。
 私の心に強く刻まれた優子の言葉を引用し、続けて私の思いを記します。

☆ 優子の言葉
 「私の生まれるはるか以前に戦争があった。父はその戦争で、乳飲み子を抱えた娘を人民抗日軍のゲリラと間違えて捕えてしまった。そのせいで、娘も、彼女の子供も、虫けら以下の扱いで弄ばれ、憲兵隊に殺された。父は、死んだ母子の骨を探し出し、自分の家の新しいお墓に葬りたいと死ぬまで願い続けた。それがせめてもの自分の償いなのだと。」
 
 初めてこの小説を読んだ時、私は日本という国家と軍隊の、加害者としての顔をきちんと見つめ小説に描かれていることに強い共鳴を感ました。私もずっと考えていることだからです。このことについては、次回より詳しく記します。

 そのように感じつつ同時に、私は心に引っ掛かかるものを感じていました。言葉にすると、
 「自分を殺した、愛する子供を殺した、人間の心を失った物たちを育てた国家・日本の国土へ、自分が殺されたあと骨となって連れ去られて行きたいなどとは思わない、のではないか?」。
 私がそのように考えてしまうのは、このことが次の疑問と重なっているからです。
 「原爆で殺された人、骨が何とか消えずに残ったことで、悔恨したアメリカ兵士に連れ帰られ、生まれ育った広島、長崎の地から、遠い憎まずにいられない物(者と言いたくないので物と書きます)たちの暮らしす地で、その物たちの宗教で祈られることは幸せだろうか?」

 今読み返して私は思います。わからない。でもこれは作者の問いかけなんだと。著者も戦争体験を抱えた父の届き得ない心の闇に迷い手さぐりし理解しようとしているのだと。
 殺された命にとって、過ちを詫び続け、悔い続け、祈り続けてくれる誰かがいてくれることは、どういうことなのだろう?
 優れた文学、小説は、問いかけです。真理を主張し押し付けはしません。問いかけへの絶対的な答えは恐らくなく、著者にも、私にも、誰にも、わかりません。問わずにはいられないからこそ、文学が生まれる、のだと思います。

☆ 優子の言葉
 「日本人だろうが中国人だろうがアメリカ人だろうが、誰も人間として、犯した罪は償わなければならないと私も思う。死んでいったひとたち、父のように生き残っても尚傷を負ったひとたちにとっては、戦争にいかなる理由があろうと、それは悪以外の何物でもないのだ。それなのに、戦争の教訓は未来へのもので、決して過去を善悪で裁いてはいけないと偉いひとたちは奇麗事を並べ立てる。人間が過去の戦争を教訓にしているのであれば、諍(あらそ)いはこの地上からとっくになくなっているはずだ。でも、いつまで経っても愚かな戦争は終わらない。」
 私もこのことについてだけは、憤らずにはいられない、人間です。優子と、作者の崎本さんと重なる思いで。
 私は傲慢な政治屋を厭い嫌う思いを、ありのままに吐きかけます。優しい心の人、こんな言葉を吐かずにはいられない弱い私を、許してください。
 赤ん坊が、ただ一度限りの命を、生きることができるか、断ち切られるか、そのことにとって、政治的な大義名分、正義の屁理屈など、関係ない。
 たとえ、大多数の惑わされた者たちが受け入れてしまった、悲痛な決意であるかのようないかなる理由だろうと、どんなきれいごとの大義名分があろうと、赤ん坊の命を殺すことを赦す大人、そうすることが「国家」「民族」「社会」「大多数の者」のための避けえない選択なのだと自分勝手に思いあがり傲慢に決めつける政治屋は、悪でしかない。私は許せない。そんな文言をあたかも正義かのように演じる奴は、まず自分が特攻して死ね。私はそう思います。

☆ 優子の言葉
 「さようなら、父さん。私のたったひとりの父さん。どうか、戦争のない天国で、どうか安らかに眠って下さい」
 この言葉は、このまま、私の死んでしまった父への言葉です。私は父が死んでしまったことが、いつまでも悲しいです。

 次回は、もうひとつのこと、「文学者として戦争をどのように書き伝えるかということ」についての崎本さんへの共鳴を記します。

出典:『崎本恵個人文芸誌 ―糾う(あざなう)― 3号』(崎本恵、2008年8月1日発行)。
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戦争の記憶と父の死

 今年十月下旬に私の父は癌でなくなりましたが、再発入院した九月に私には生涯忘れられない事がありました。私の姪、父の孫が見舞いに駆けつけてくれたときに「おじいちゃん、戦争の話、聞かせて」と話しかけてくれて、父は話してくれました、私も聞かされたことのなかった父の戦時の記憶を。

 終戦が差し迫っていた年、父は小学生でしたが、父と母と末の妹(私の祖父と祖母と叔母)を亡くしました。戦地に赴く父の兄を見送りに行った時に潜水艦との衝突事故に巻き込まれての悲しい死でした。取り残された兄弟姉妹の戦時の苦しい体験をこれまで以上に詳しく聞けました。
 船が引き上げられた時、私の祖父と祖母は非常脱出階段の近くで手を取るように横たわっていたそうです。私の叔母(父の妹)は、見つかりませんでした。「まだ小さかったから魚たちに食べられたんやな」、父の悲しみ。
(私が二十代の時に父が話してくれた少年時代のこの話から、私の詩「海は月のひかりに満ちて」は生まれました)。

 父が初めて語ってくれたのは、次の話です。その頃田んぼのなかの道を歩いていた時、突然
アメリカの戦闘機が襲ってきて射撃の的のひとつとして狙われ追われた。
田んぼで農作業をしていた人たちを無差別に射撃してきて皆身を伏せるなか、道にいた父の数メートル先の路上にも弾丸が喰い刺ささった。何度か繰り返し、そこにいる誰かを殺そうと、戦闘機は舞い戻り射撃し、飛び去って行った。
 その時少し離れた土蔵の白土の壁が被弾し、抉られ、崩れ、大きな丸い穴があいていた。
 父がもし撃たれていたら、私も姪も存在しなかったんだと思わずにいられません。
 
 もうひとつ、父の故郷、坂出の隣町、高松の空襲。アメリカの爆撃機の編隊は、高松に爆弾の雨を降らせると、瀬戸内を越え岡山を爆撃しまた上空を回り戻ってきては高松をと、何度も繰り返し爆撃した。高松では避難場所の人が逃げ集まった公園区域を集中爆撃した。このことも、孫たちへの思いやりもあり、事実だけ淡々と優しい顔で語ってくれました。
 でも私は、父が生涯忘れることのできなかった少年時のこの記憶に焼き込められている、父の感情と思いの強さの、ありのままのものを、考えずにはいられません。

 父が話してくれた表情を思い浮かべながら、私は、敬愛する作家・崎本恵さん(詩人・神谷恵さん)の小説『時の疼(いた)み』を読み返しました。
 次回はこの小説を通しての思いを記します。

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『田植草紙』好きな歌(二)

 『田植草紙(たうえぞうし)』は、朝歌から、昼歌、晩歌へと一日の時の流れにのり合せて140の歌で構成され、歌われます。
 前回とりあげた10歌に続き、今回は晩歌から10歌をとりあげました。どれも歌謡としての特徴が輝いていて私が好きだと感じる歌です。
 出典からの引用のあと、☆印に続けて、私が感じとれた詩想を記します。

挽歌二番 (101)
山が田を作れば おもしろいものやれ
 猿は簓(ささら)擦(す)る 狸(たぬき)鼓(つづみ)打(うつ)との
うてばよふ鳴る たぬきの太鼓(たいこ)おもしろ
むかしよりささらは猿がよふ擦(す)る
☆ 高山寺の鳥獣戯画が目に浮かんでするようです。猿も狸も田んぼの近くにいて、よく目にしていたから、一緒に暮らしている生き物たちが自然に歌になったのだと思います。

挽歌三番 (112)
梅の木の下で 毬(まり)をたうど蹴(け)たれば
むめははらりとこぼれる まりはそらにとまりた
 とんと蹴(け)上(あげ)て まりをば上手がけるもの
浅黄袴(あさぎばかま)でまりける殿御(とのご)がいとほし
われがとのごは まりには上手なるもの
☆ 京の都、蹴(け)まりするような男性を歌っていますが、現実の生活で目にしたり実現する可能性はほとんどない、あこがれの歌です。だからあわく、まるく、やわらかな心が、ふくらんでいる、やさしさがあります。

同上 (117)
まことのさをとめは 夕端(ようは)にこそな
 声もおもしろく ようはにこそな
日さへくるれば よいさをとめのさ声や
さ月さをとめ 暮端(くれは)のこゑはおもしろ
さ声おもしろ 佩(は)いたる太刀(たち)にかへいで
おもしろいぞや うたへや しよ田のさをとめ
☆ 早朝からの農作業で夕暮れが近づき疲れている若い女性たちが、声をだし歌うことで、あと少しがんばりましょうと、励ましあっているような歌です。田植歌の労働歌としての横顔が浮かび出ていると感じます。

挽歌四番 (121)
おきの浜の白石に 貝添うたり
 いそがしかろもの かいそうたり
あやれ そなたは いとしい顔のゑくぼや
ゑくぼにほうづきそへいで
禿(はげ)はよいもの 鬢(びん)櫛(ぐし)毛抜きいらいで
☆ 詩想、連想が、白石に添う貝→えくぼ→ほおずき→はげ、へと、とてものびやかに自由に展開していることと、性の恥じらいやユーモアに、少し顔を赤くしつつ心通わせる、歌謡らしい歌です。

同上 (123)
唐糸(からいと)の真糸(まいと)を 繰(く)りやる所へ
 太郎殿のござらば からまいて取おけ
からいとからから 絡巻(からま)いてとりおけ
君にあふては 袖をひかれて
太郎殿のござつたほどはないもの
☆ 「から」と、「いと」「いて」の繰り返しの押韻の響きあいがとても印象的な、音の快さでできている歌です。四句めと五句目は、女性のおとぼけの言葉で、可愛らしさが浮かんでいます。

同上 (125)
いつくしき桜花 おりもちてこひやれ
 閨(ねや)のかざしに 折りもちてこひやれ
花をなにせう 太刀(たち)こそねやのかざしよ
ねやのかざしに あのやまなかのさくらを
☆ 愛する想いがかなって結ばれた男女の喜びの気持ちがあたたかく、歌謡の気取りのないよさが伝わってきます。
だから、さくらが美しく愛のいろを咲かせて目に浮かびあがります


同上 (127)
むかいなる笹原は 楼(ろう)か主殿作りか
 楼でもない 主でもない さも寝よいささ原
たたみより篠(しの)ささ原がねようて
方敷(し)き寝たにも ふたりよいもの
しのぶつまを あのささ原でおといた
☆ 万葉集の歌垣のように、田植行事は若い男女の交歓の場でした。野で愛し合う男女の性の、野の草木のような萌えあがるいのちの喜びを、そのまま歌っているのも、歌謡のよさだと私は思います。

同上 (128)
日の暮れに 鴫(しぎ)こそ二つ西へゆく
 にしにも池があるげな
しぎがおちつる あの山中の小池に
しぎがちぎるか 声のたかいは
二つつれたる並(なろ)うだ中のよさよのふ
☆ 前の(127)の歌から、人の男女の愛から、日暮れの空を西方へ飛びゆく鴫へと、連想から展開されるイメージの情景がとても美しく浮かび上がる歌です。次の(129)の歌への展開も含めて、『田植草紙』が一日の時間の流れを意識しながら、歌を連ねて巧みに構成されていることが、よくわかります。

同上 (129)
日はくれる ゆくや ごぜ 西の山端(やまば)にな
 蓮華(れんげ)の花よ さいてこだれたおうだ
さいてちるらう 西山寺の蓮華が
けふの日も はや山端へかかりたまふよ
☆ 前の歌を受け、蓮華の花咲く西方浄土が、沈みゆく日に、遥かに想われ、美しく歌われています。『田植草紙』が中世に生まれて歌い継がれてきたことが、滲んでいる思いがします。

上(あが)り歌 (140)
身洗川(みあらいかわ)がしげう流れかし
 追うてなりともの言おうに しげうながれかし
一日のかけた情(なさけ)は 身洗川の約束
身洗川がしげうて ものがいわれぬ
そなたたちに添おうも ことしばかりよ
早乙女(そうとめ) なごりの心とまるよ
けうはそうたが またいつごろにそおうか
五月(さつき)はおもしろ そうまい人にそうて知る
六月の祇園(ぎをん)ごろには 御堂(みとう)で踊り合(やお)うよ
我(われ)が殿御におどりたふりをみせまい
一日のかけた情(なさけ)を 身洗川で流いた
☆ 結びの歌です。祭りの後のさびしい気持ちがやさしく、余韻は沈黙にきえつつ、心に響き続け、記憶となってやがていつまでも消えない歌に変わって心に息づきだします。歌謡は、心、想い、気持ちを、伝え合い通い合わせる素晴らしい詩歌、私の大好きな詩歌です。

出典:『田植草紙 山家鳥虫歌 鄙廼一曲 琉歌百控 新日本古典文学大系62』(校注:友久武文、山内洋一郎、他。1997年、岩波書店)。
*( )内の送り仮名と本文の仮名遣いは読みやすく適宜変えています。

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