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高畑耕治

Author:高畑耕治
愛のうたの絵ほんは、高畑耕治の詩と詩集の海です。
Profile 高畑耕治 たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪府四條畷市出身、早稲田大学政経学部中退。東京都多摩市在住。
詩集『銀河、ふりしきる』(2016年5月イーフェニックス)
詩集『こころうた こころ絵ほん』(2012年同上)
詩集『さようなら』(1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25)
詩集『愛のうたの絵ほん』(1994年同上)
詩集『愛(かな)』(1993年同上)
詩集『海にゆれる』(1991年土曜美術社)
詩集『死と生の交わり』(1988年批評社)
雑誌「エヴァ」に扉の詩(1996~1997サンマーク出版)を連載。
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『こころうた こころ絵ほん』小川英晴評。詩って、ほんとはなんだろ?(八)。

 標題のテーマ「詩って、ほんとはなんだろ?」について、個性的な詩集の作品を通して考えてきました。今回は詩人の小川英晴さんが『詩と思想』2012年6月号の詩集評で、私の詩集『こころうた こころ絵ほん』を批評してくださいました。紹介させて頂くと同時に、私の詩想を確かめたいと思います。

☆ 小川英晴さん批評
 「愛の光に満たされた詩とでも言ったらいいだろうか。無垢な心が無防備なままに歌われている。それゆえ読んでいるとちょっと自分が恥ずかしくなる。私はこうはうたえないなという思いが浮かぶ。しかし、この世界を歌いあげることが高畑耕治の魅力なのだろう。現代詩というよりはどこか児童詩を感じさせる世界ではあるが、こういう詩もこの時代にあっていいと思う。ただし、酔いしれるだけではなく、もう一つ内省した切り口が欲しくなる。一行一行の切りつめ方も少々弱い。気持ちよく歌い過ぎてしまっているのだ。それに作品をもっと厳しく選んで掲載してほしい。」


 小川さんの4月号からの『詩と思想』の詩集評は、現在の詩のあり方についての、真剣な問いかけに満ちています。紙面の約半分をその根本的な問いと考察に費やされていることからもそのことを強く感じます。そのうえでの個別の詩集についての批評は、全国詩誌の書評欄としては、妥協を排した、厳しい投げかけが多く見受けられます。

  6月号に書いていらっしゃる現代詩や荒川洋治に対する評価、考え方は私と大きく異なっています。そのこともあり、正直なところ現代詩の本流から遠くに対極にいる、私の今回の詩集『こころうた こころ絵ほん』は、詩集評にとりあげていただけないかなとも思っていました。ですから、対象として頂けたこと、「こういう詩もこの時代にあっていいと思う。」とのお言葉を、とても嬉しく感じました。

 ご指摘も詩に対するお考えからの一貫した率直な批評ですので、嬉しく感じました。そのうえで、私の感想を少しだけ付記します。

① 「酔いしれる」こと、「歌い過ぎ」について。
 私は今の詩が「醒め過ぎている」こと、「歌えず歌わない」ことは、詩歌を大きくとらえたとき、良くない貧しい方向に偏りすぎたと感じてきました。ですからこの本で私は敢えて強く意図してセンチメンタルであり、「酔いしれ」「歌い過ぎて」います。

② 「内省した切り口」の不足について。
 歌は内省と逆の関係にあるので、どちらを選んだかということだと思います。現在ある詩は、考える詩、知で構築した詩ばかりなので、内省した切り口は抑え、感情豊かであることを私は選びました。

③ 「一行一行の切りつめ方」の弱さについて。
 説明する言葉を極力捨て行間で語る、読者を突き放す詩が、詩人好みであり現在の詩の大勢をしめていますが、私は言葉を必要以上に切りつめずにまず意味を伝えることを選びました。
 この方法だと詩行が散文化してしまう弱点もありますが、言葉の音楽性を最大限に生かすことで、決して散文ではない詩歌でありたいと意図して創っています。

④ 「作品を厳しく選ぶこと」について。
 私は、読者にとっての「良い作品」は読者ひとりひとりの、その時の心のあり方によってまったく変わるものなので、作者自身が自分で好きだと言い切れる作品なら、厳しく選ばない方が良いと考えています。
 たとえ99人の優れた詩人の方々がこんな作品は詩じゃないとおっしゃっても、詩を普段あまり読まない1人の方は逆にその詩が好きと感じてくださることが必ずあると、経験を通して知っています。
 詩人に好まれる詩集としての統一性よりも、その1人の方との出会いが私にとっては大切です。

 この本に収録したどの作品をどなたが好きと感じてくださるかはまったくわかりませんが、この詩集のどの詩についても「この詩が私はいちばん好き」とおっしゃってくださる方が必ずいる、だから伝えたい、これが私の信念です。

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tag : 詩人 高畑耕治 詩集 こころうた こころ絵ほん

坂井のぶこ詩集『浜川崎から』。 詩って、ほんとはなんだろ?(七)

 標題のテーマ「詩って、ほんとはなんだろ?」について、今回は詩人・坂井のぶこさんの詩集『浜川崎から』(2012年5月、漉林書房)を感じとりながら考えます。
 この詩集は、詩ごとの題名はないので、詩集全体を言葉の花野原とみてもいいと思います。野原から私が好きな心に残る野の花を摘んで花飾りを編み「浜川崎から(抄)」としました。

   ☆ リンク:詩「浜川崎から(抄)」

 既に十冊以上の詩集を出版されている坂井さんの、この詩集の「あとがき」の言葉は、私の心にとても新鮮に響きました。引用します。

   ☆ あとがき
 「去年の一月ごろから一日一篇詩を書き始めました。日記をつけた最後に詩を書くという形でした。どうしてそういうことを始めたのか、考えてみてもはっきりした理由がわかりません。なんとなく成り行きでとしかいいようがないのです。
 何の欲も目的もなく、書きたいことを書きたいように書いてきました。垂れ流しという言葉も頭をかすめたのですが、反面、素直に自分を出せたということで、私にとっては価値のある詩たちです。いままでこんなふうに詩を書いたことはありませんでした。(略)」


① 素朴な詩
 坂井さんは「あとがき」の後の箇所で、この詩集の作品を「素朴な詩」と読んでいらっしゃいます。
これらの言葉は日記の散文とは切り離されて書かれている詩です。その姿はとても素朴で美しいです。
 複雑さと難解さが詩の価値を高めるわけではありません。「現代詩」には、心を素直に表現した詩は価値が劣ったものとして見下すような傲慢さがありますが、頭で捏ね繰り回して難しく作れば良い詩になるわけではないと私は思います。

 まず書きたいことがあり、その詩心にふさわしい言葉を探して詩人は創作します。
 「いままでこんなふうに詩をかいたことはありませんでした。」という素直な告白から、作者自身の驚き、新しい経験の喜びが伝わってきます。
 「素直に自分を出せた」と言えるのはとても素敵なことです。自分の詩心を表現できた詩、心の花が咲いたとき、まず誰よりも作者自身がその花を愛さずにはいられないからです。

 坂井さんは「一日一篇」書いたとさりげなく記されているので、容易に思えますが、これはとても大変なことです。「どうして」「始めたか」わからないという言葉も偽りなく率直だと感じます。
 私は、この詩人にとって<このようにして生み出すための機が熟していた>、だから<朝日のように言葉が降りそそぎ詩となる季節、創作の稔りの日々と時を、詩神から坂井さんは授けられた>のだと感じます。

 なぜ、授けられたのか? 間違いなく確かな一つの答えは、彼女が詩を求め続け書き続けてきたから、詩人の魂、詩人としての誇りを、すり減らさず喪わずに生き続けてきたからだと私は思います。

 この生きざまは容易なようで実はとても困難なことです。詩は美しい芸術だけれども、日常生活の役には殆ど立ちません。日常の便益も物もお金ももたらしてはくれません。感動できる心、鋭敏な感性は、痛みにも敏感です。実益を奪い合う醜悪さや不正にもむき出しのまま晒されます。
 生き辛い経験を潜り抜け耐えながら、それでも壊されない詩心から生まれた言葉は、作者にとって、読者にとって、価値ある美しい詩だと、私は思います。その花を愛してくれる人は必ずいます、時と場所を超えて。

② 詩人は子ども、弱い者
 坂井さんの水彩画スケッチのように優しい詩には金子みすゞと響きあう心を私は感じます。みすゞの詩を坂井さんが朗読するのを聴いたとき、空まで伸びてゆくような澄んだ声が白い雲まで心を運んでくれるようでした。
 この詩集は声の響きの美しさを深く知る詩人の音楽ゆたかな言葉の歌です。作品から子どもの笑い声や泣き声が聞こえてくるような気がします。

 私は、詩人はいつまでも子どもだと思っています。正確に言うと、詩人の心はいつまでも子どもです。
 年齢を重ねても、この宇宙といのちと永遠について、死ぬまで生きている限り、不思議に驚き感じて、繰り返しなぜ?と問いかけてしまう子どもです。子どもは感動し、愛がないと生きられません。その心のままを、言葉の歌にするのが詩人です。坂井さんはまさにこのような、本来の詩人です。

 紹介した詩のなかには、石川啄木の短歌や山之口獏の詩のように、生活苦を綴った詩もあって私は共感します。
 詩人は経済的な便益を生まないことでも子どもと似ています。生活の実益の場面ではあまり役に立たない弱者です。だから弱い者としての痛みや悲しみ、生活の苦しさや喜びを歌えるのだと私は思っています。
 さらにいうと、人間は誰ひとり強くなどありません。人間のいのちはとても脆い、だから詩は人間の心の、魂の歌になりえます。
 坂井さんの詩は、素朴な美しい、人の心の歌だと思います。

 標題のテーマ「詩って、ほんとはなんだろ?」について、個性的で魅力に満ちた詩人と詩集を通して、いろんな表情を見つめてみました。発見、感動を見つけたらまた詩想をお伝えしたいと思います。

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tag : 詩人 高畑耕治 詩集 こころうた こころ絵ほん 坂井のぶこ

詩と詩の木魂。崎本恵『採人点景』

 前回紹介した崎本恵さんの詩「息」、詩「ほたる」、詩「希い」と木魂しあう、私の詩をリンクして響かせます。

 ☆ 私の詩の木魂
  詩「おやすみなさい」。詩集『愛のうたの絵ほん』から。

  詩「ほたる」。詩集『愛(かな)』から。

  詩「ねがい」。詩想集『死と生の交わり』から。


 次回は、坂井のぶこさんの詩集『浜川崎から』を聞きとります。

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tag : 詩人 高畑耕治 詩集 こころうた こころ絵ほん 崎本恵

崎本恵の詩集『採人点景』。 詩って、ほんとはなんだろ?(六)

 標題のテーマ「詩って、ほんとはなんだろ?」について、今回は詩人・崎本恵(神谷恵)さんの詩集『採人点景(さいとてんけい)』(1995年11月、私家版)を感じとりながら考えます。

1.詩と詩の木魂
 崎本恵さんは私の新しい詩集『こころうた こころ絵ほん』に言葉を寄せてくださった敬愛する詩人・作家です。ページ数の関係から文章を要約して頂きましたが、当初の原稿全体を別途私のブログで紹介しています。
   ☆リンク:崎本恵の言葉。『こころうた こころ絵ほん』に寄せて。

 この文章の中で、崎本さんの詩「息」と、私の詩「おやすみなさい」との照応、響きあいについて書かれています。私もまた同じ思いですので、作品を木魂させたいと思います。

 またこの詩集の他の収録作品の詩「ほたる」、詩「希い」についても、響きあう同じタイトルの作品を私も書いています。

 知らないところでひとりひとりが、魂をみつめ、こころを込めて、創作した作品たちが、個性をもちながらも、そのメッセージの音色の本質では、クリスチャンであるかどうかを越えて響きあっています。お読みいただくと詩の木魂しあう音楽を聴きとっていただけると思います。今回は崎本さんの詩を響かせ、おまけの次回私の詩をリンクします。木魂はちょっぴり遅れてやってきますので。

  ☆リンク:崎本恵の詩。詩「息」。 詩「ほたる」。 詩「希い」

2.詩と小説
 崎本さんはこの詩集のあと、作家・小説家へと歩みを進められ『家郷』をはじめ多くの心打つ小説を書かれています。
 この詩集について私に次のように伝えてくださいました。その言葉から詩とは何か、照らし出してみます。

☆ 崎本恵さんの言葉。
「採人点景」は吉川さん(詩人・吉川千穂さん)の「烈風」と同じ方法で作った詩集です。
実験としての試みでした。近代詩と現代詩の中間的表現、それから詩と散文の中間的表現。
そして私小説ならぬ私詩としての表現。結局、どれも旨くいかなかったという思いだけが残りました。
ですから、作ったものの、ほとんど送付することもなく、私の著作紹介にも載せないことにしています。
要するに幻の詩集です


① 近代詩と現代詩の中間的表現
  創作は作品ごとに「実験としての試み」であるし、「どれも旨くいかなかった」という自己評価の言葉は、崎本さんらしい謙遜だと私は受け止めます。評価するのは読者です、私がとても良い詩集だと思います。

 崎本さんは詩集『てがみ』(1993年、本多企画)で、抒情と批評性を織りあげ祈りを美しく結晶化されています。
 彼女は意味を伝えることを大切にされる詩人ですので、「近代詩と現代詩の中間的表現」であるのは自然だと思います。この言葉は「言葉の意味と抒情と批評性を喪わずに過剰な暗喩に遊ばない」と言い換えられ、私も同様の試みを続けている一人だからです。

② 私詩としての表現
 次に「私小説ならぬ私詩としての表現」の試みについて、私は次のように考えています。
 詩として作品化することは創作であり、どの作品も言葉による事実・経験の捉えなおしという意味では事実・経験そのものではなく、虚構です。
 一方で、書かずにはいられない魂、詩心の衝動を動機として創作する生まれながらの詩人は、地中深く埋もれ隠されていても、私的個人としての人生・心の経験を必ず水源にしていて、詩のいちりんいちりんはそこまで根を伸ばし詩の精を吸い上げています。
 ですから「私詩」であるかどうかは、実際にあった私的な事実・心の経験を、言葉を織りなす際にどこまで濃く織りこむか、どこまで吸い上げ浸されるか、その濃度のちがいではないかと思います。
 逆に言えば私は、心の奥底に根をはった私詩の精が響いていると感じとれない作品に心打たれることは、あまりありません。この詩集の作品には私詩の精が色濃く塗り込められていますが、昇華された響き、祈りの花となって咲いた姿を私は美しいと感じます。

③ 詩と散文の中間的表現
 私もこの詩集の作品は「詩と散文の中間的表現」だと思います。詩であるための二つの要素、比喩やイメージで表象を光らせることと、リズム、言葉の音楽で韻律を響かせること、これを捨て去ってはいません。
が、表象と音楽による詩としての作品の完成度を高めることは追求してはいません。(追求すればするほど、言葉の意味で伝えるという、散文としての要素は薄れます。)

 詩集『てがみ』の作品にも言えますが、崎本さんの詩はこの均衡上でふるえています。言葉の意味で伝えずにはいられないもの、(たとえば生きること自体への問い、社会の不正や悪の凝視、虐げられた弱者の思いを語ること)が、詩という形式を壊して溢れ出しそうな滴のように。だから彼女が、この『採人点景』の後、詩では表現しきれない思いを伝えるために、小説の創作へと歩まれたことが、私にはとても自然に思えます。
 崎本さんの小説の言葉の森の、一本いっぽんの木々の根の先には、詩の花が根をのばしていた魂と詩心の泉があります。彼女の小説が詩のように美しいのはそのためです。

 次回は木魂している私の詩のリンクです。

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崎本恵詩集『採人点景』の詩をHPで紹介しました。

 詩人・崎本恵(神谷恵)さんの詩集『採人点景(さいとてんけい)』(1995年、私家版)から、3篇の詩「息」、詩「ほたる」、詩「希い」を、私のホームページの「好きな詩・伝えたい花」で紹介しました。

  ☆こちらのリンクから、お読み頂けます。
  崎本恵の詩。詩「息」。 詩「ほたる」。 詩「希い」

 とても良い詩です。ぜひお読みください。


 ☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2100円(消費税込)です。

 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。

    こだまのこだま 動画
  
 ☆ こちらの本屋さんは店頭に咲かせてくださっています。
 八重洲ブックセンター本店、丸善丸の内本店、書泉グランデ、紀伊国屋書店新宿南店、三省堂書店新宿西口店、早稲田大学生協コーププラザブックセンター、あゆみBOOKS早稲田店、ジュンク堂書店池袋本店、紀伊国屋書店渋谷店、リブロ吉祥寺店、紀伊国屋書店吉祥寺東急店、オリオン書房ノルテ店、オリオン書房ルミネ店、丸善多摩センター店、くまざわ書店桜ケ丘店、有隣堂新百合ヶ丘エルミロード店など。
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田川紀久雄詩集『かなしいから』の詩をHPで紹介しました。

 詩人・田川紀久雄さんの詩集『かなしいから』(2005年、漉林書房)から、3篇の詩「なみだとにじ」、詩「かなしいから」、詩「ほっきこう」を、私のホームページの「好きな詩・伝えたい花」で紹介しました。

  ☆こちらのリンクから、お読み頂けます。
  詩「なみだとにじ」、「かなしいから」、「ほっきこう」

 とても良い詩です。ぜひお読みください。


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永方ゆか詩集『ものさびしの、ハナ』の詩をHPで紹介しました。

 詩人・永方ゆか(ながえゆか)さんの詩集『ものさびしの、ハナ』(2012年3月11日、土曜美術社出版販売)から、3篇の詩「ワタツミノコ」、詩「ものさびしの、ハナ」、詩「いわてやま、きたかみがわ」を、私のホームページの「好きな詩・伝えたい花」で紹介しました。

   ☆こちらのリンクから、お読み頂けます
   詩人・永方ゆかの詩。「ワタツミノコ」、「ものさびしの、ハナ」、「いわてやま、きたかみがわ」。

 とても良い詩です。ぜひお読みください。


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『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2100円(消費税込)です。

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佐川亜紀詩集『魂のダイバー』の詩をHPで紹介しました。

 詩人・佐川亜紀さんの詩集『魂のダイバー』(1993年、潮流出版社)から、3篇の詩「夢の受胎」「夢の波」「魂のダイバー」を、私のホームページの「好きな詩・伝えたい花」で紹介しました。

   ☆こちらのリンクから、お読み頂けます。
   佐川亜紀の詩「夢の受胎」、「夢の波」、「魂のダイバー」

 とても良い詩です。ぜひお読みください。

 
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田川紀久雄の詩集『かなしいから』(2)。 詩って、ほんとはなんだろ?(五)

 標題のテーマ「詩って、ほんとはなんだろ?」について、詩人・田川紀久雄さんの詩集『かなしいから』(2005年9月、漉林書房)を感じとりながら考えています。後半の今回は、詩を歌とするものについての私の詩想です。

④ 言葉の音楽、歌であること。
 私は、詩歌が言葉の歌だということを意識して創作します。古代歌謡、和歌、歌物語から、詩や短歌へと受け渡されてきた、日本語の韻文学の旋律、調べを、息づかせようと、言葉の歌を紡ぎます。これらは詩人が創作するとき、言葉を選び、詩句、詩連を紡いでいるとき、意識的に、あるときは意識せずに、行なっていることです。

 「現代詩」は、これらの詩を言葉の歌、美しい響きとする要素を、意識的に排除するか、見失い忘れてしまい、散文化しています。私はこれらこそ、中原中也も同じように記していますが、詩が歌であるために不可欠な要素、詩の魅力を生むものだと考えています。

 詩集『かなしいから』の詩は、とても音楽的です。作者が朗読の経験を積み重ねることで培われた言葉の音に対する感性がみずみずしく奏でられています。言葉の音楽がどのように織り込められ歌となるか、作品から聴きとってみます。

   ☆リンク:詩「かなしいから」 (1連2連)

  かなしいから
  あなたのくるしみがわかる
  かなしいから
  あなたのさびしさもわかる
  かなしいから
  あなたのこころのあたたかさがわかる

  かなしいから
  わたしはすなおでいられる
  かなしさは
  わたしのたから

 ●1連の詩句の頭は「かなしいから」「あなたの・・・」、2連は「かなしいから」「わたし・・・」の反復。詩句の頭韻とも言えて、単音の頭韻に比べ、明瞭に心に残ります。
 ●1連の詩句の末尾は「から」「わかる」、2連は「から」が「たから」という詩語を音で呼びだしています。詩句の脚韻とも言えて、単音の脚韻に比べ、明瞭に心に残ります。
 頭韻、脚韻とも、日本語の母音はかすかな響きですが、詩語の反復とすることで音を強めることができます。
 ●この2連の主調音は、母音の「あ(a)」で、「かな(kana)しい」「あな(ana)た」「(わか)wakaる」「わた(wata)し」と、「あ(a)」の音が重韻のように重なり流れ、澄んだあたたかみを奏でています。その流れのなか「くるしみ」(u音とi音)、「さびしさ」(i音)、「こころ」(o音)、「すなお」(u音とo音)は、転調となり浮きだされ印象に残ります。

   ☆リンク詩「なみだとにじ」
   (1連と2連の詩句)

  かなしくて かなしくて
  かなしくて どうしようもないので
  ないた
  なみだがいっぱいでてきた

  なみだで かなしみはいくらか
  なぐさめられた
  かなしみはなみだとともに
  そらのかなたにきえた
  そらにはにじがでた

 ● 冒頭の「かなしくて」の3回の詩句の繰り返ししが心に強く残ります。
 ● 「かなしみ」「なみだ」「ないた」という言葉の意味の底流で、繰り返し畳み込まれる主調音の「な(na)」、(n)の音の濡れたニュアンス・音色が、この詩に染み渡り響いています。
 ● 詩行の頭韻「か」「な」「そ」も、言葉の歌である印象を強めています。
 ● 詩行の脚韻は「~(し)た」を主として、出来事を描写している作者の視線を、読者に感じ取らせています。

   詩「ゆうやけぞら」(2連)

  つきがのぼった
  みかずきのおつきさん
  こんばんは
  ほしさん
  こんばんは

 ●「おつきさん(san)」、「こん(kon)ばん(ban)は」、「ほしさん(san)」が、言葉の意味として童謡の調べの優しさを生み出すとともに(an)と(on)が音として快く木魂しあっています。

   詩「こどもたちのうたごえ」(1連2連)

  こどもたちのあそぶこえをきいていると
  なぜだかかなしくなってくる
  
  しらないばあさんいえにいた
  となりのばあさんしんじゃった
  ハイ ハイ ハイ
  さいしょがぐうー

 ● 2連は詩のなかへの歌声の挿入です。私もいくつかの作品で試みていますが、たとえば童謡を挿入すると子どもの肉声が聞こえてくるように感じられて効果が大きいと思います。私が好きな歌物語の伝統は、今も息づいていると思います。
 挿入歌には、リズム、調子の変化、転調をもたらすので表情が変わります。作品に重層的な深みをもたらす効果もあります。

   詩「こころのいろ」(1連2連)

  むすんでひらいたこころのいたみ
  いちどきずついたいたみはなおらない
  だれにもみえない
  ちいさないたみ

  ちいさいけれど
  おおぞらにうかぶにじのように
  いろんないろでできている
  ちのにじむようなあかいいろ
  きがくるいそうなみどりいろ
  ふあんでさびしいむらさきいろ

 ● 1連冒頭の「むすんでひらいたこころ」を読むと私には「むすんでひらいて」の童謡の歌詞が連想されて重なって聞こえてきます。本歌取りのような効果です。
 ● 1連は、「い(i)」の音の重韻、主調音として畳みこまれていて、「いたみ」を、細く尖った閉じられた音調でも表現しています。
 ● 2連の「ちのにじむようなあか」。常套句を現代詩は嫌いますが、生き残ってきた言葉であり比喩でもあるので強さと良さも持っています。使い方しだいだと考えています。
 ● 2連4、5、6行目の対句も、基本的な用法ですが、同じように詩歌発生時から使われ続け生き残ってきたのは、人は繰り返しながらの微妙な変化、変奏を、快く感じ好きだからです。
 常套句、慣用句や対句などの基本的な詩法を自ら使うのを禁じるのは、詩から音楽、歌を奪い、貧しくします。より豊かに美しく響く詩句、詩行を生み出していくほうがよいと私は思います。

    詩「さびしいこころ」6連

  かなしみのなかで
  いちばんかみさまのちかくにいられる
  こころからいのらずにはいられない
  このよからふこうがなくなることを
  ふこうがなくなれば
  わたしのいのちはいらない

 ● 3行目頭の「こころ(kokoro)」と4行目頭の「このよ(konoyo)」は母音「お(o)」で頭韻しています。 
 ● 2行目末「いられる」、3行目末「いられない」、6行目末「いらない」は、微妙に音を変奏させた脚韻になっています。

 以上のように、田川紀久雄さんの詩集『かなしいから』は、前回記した、平易な言葉で優しい意味を伝える詩であると同時に、言葉の音楽、言葉の歌、美しい日本語の旋律、調べを織りなしています。ですから、黙読するとき、音読するとき、朗読するとき、朗読を聞くとき、さまざまな姿で感性をゆりうごかし目覚めさせてくれます。それが、詩、詩歌という言葉による芸術の姿だと、私は思います。

 次回は崎本恵(神谷恵)さんの詩集『採人点景(さいとてんけい))を通して詩をみつめます。

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田川紀久雄の詩集『かなしいから』(1)。 詩って、ほんとはなんだろ?(四)

 標題のテーマ「詩って、ほんとはなんだろ?」について詩集を感じとりながら考えています。
 今回と次回は、詩人・田川紀久雄さんの詩集『かなしいから』(2005年9月、漉林書房)です。
 田川さんは詩語り、詩の朗読を、1985年から現在まで全国各地で継続して行われてきた方です。詩の朗読、詩の言葉の音楽、言葉の歌について、作品の紹介を織り交ぜながら、私の詩想を記します。

 (ホームページの「好きな詩・伝えたい花」でも3篇の詩をご紹介させて頂きました。
  ☆リンク:詩人・田川紀久雄さんの詩。詩「なみだとにじ」「かなしいから」「ほっきこう」

 田川さんが近年ご出版されてこられたご詩集を読ませて頂きました。ひとりの詩人のなかには複数の詩風が混在しています。心の広がりと深さです。ですから作品や詩集により、言葉の表れ方は異なってきます。
 田川さんの豊かな詩風のうち、私はこの詩集『かなしいから』の花束にまとめられた詩の花が私の好みであり、一番好きです。
 私が好きな、美しくて良いなと感じる花をスケッチすると、こんな風にゆれています。
  ① 平易な言葉で意味をわかりやすく伝えようとしていること。
  ② 柔らかな優しい言葉で感情を豊かに表現していること。
  ③ ひらがなを多く使っていること。
  ④ 言葉の音楽、歌であること。


 今回は、このうちの①②③について、詩集『かなしいから』の詩を引用し、確かめていきます。

① 平易な言葉で意味をわかりやすく伝えようとしていること。
 このことは説明しなくても、お読み頂ければどの作品にも感じとって頂けます。私は詩という表現形式にとって、このことはとても大切だと考えています。
 平易であり、わかりやすいことは、決して言葉の芸術表現として劣っていることではありません。 たとえば次の詩句と詩連は、この詩人がかなしみの詩人であることと、この詩人の詩が生まれてくる源を、美しい言葉で教えてくれて、私の心は詩句とともにふるえ自然に木魂しだします。

   詩「ぽえじーがうまれる」(2連3連)

  あいといのりはかなしみからうまれる
  もしかなしみというかんじょうがなくなったら
  このよにしはうまれてはこないだろう
  うたはかぜにのってはこばれてくる

  ぽえじーのかえるところは
  しんえんのこころのふかさにある
  しのいのちはかなしみ
  しのいのちはあい

② 柔らかな優しい言葉で感情を豊かに表現していること。
 このことにも説明はいらず、どの作品からも感じとれます。
感情がとても豊かだとなぜ感じるのか? 詩という芸術は言葉そのものの表情と肉声です。詩の言葉は、しゃぼんだまのすがたをした心の、ひかりとふるえです。心と切り離せない文学だと私は考えています。

 たとえば、詩「ほっきこう」は、静かだけれど、とても深く豊かな感情の響く心の歌です。
☆リンク詩「ほっきこう」

   (2連の詩句)
  はねをはばたかせてとびたつとき
  このちきゅうのかなしみをぬぐいさるかのように
  ゆっくりとちゅうにまいあがる

   (3連の詩句)
  かりのかなしみは
  ひとのかなしみよりふかい

   (4連の詩句)
  わたしのかなしみは
  ちいさないきもののおもさにかなわない
  かりがむれをなしてきたのそらへとびたっていく
  そのうつくしさにわたしのかなしみはすくわれる
    
③ ひらがなが多くつかっていること。
 言葉の形です。この詩集は、八木重吉のひらがな詩のように、多くの作品がほぼひらがなで書かれています。作者が詩で伝えようとする意味をあらわす言葉をさがしたとき、ひらがのかたちと音の特徴がふさわしいと選んだ形です。
 ひらがなは、そのまるみを帯びた字形、曲線に柔らかさと優しさがあります。
 そして表音文字であり音そのものです。母音の「あいうえお」をのぞくと、一文字のうちに「かきくけこ」(ka ki ku ke ko)のように子音と母音をくるみ込んでいますが、分析しない限り切り離せず結ばれている音、五十音の姿であらわれる音そのものの文字です。
 ひらがなの詩は、一文字一文字読み進めるので文字の音、音のつながり、音の変化が(複数音を隠している漢字に比べて)より強く感じられ、言葉の音楽としての印象が高まります。
(漢字やカタカナにも固有の良さがありますが今回は述べません)。
この詩集全体が、ひらがなの音の、清澄な川のせせらぎのように響き続けていて、美しい音楽を奏でていると私は感じます。

次回はこの詩集の魅力の中心要素である「④ 言葉の音楽、歌であること。」について記します。

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詩って、ほんとはなんだろ?(三)  言葉の音楽、言葉の歌。

 標題のテーマ「詩って、ほんとはなんだろ?」について詩集を感じとりながら考えていますが、次の詩集をとりあげるまえに今回は「現代詩人」荒川洋治による詩の朗読批判を批判します。

① なぜ、批判するか
 ここで批判するのは、荒川洋治を代表選手とする時代の先頭で詩表現をしていると誤認識している、裸の王様のような、「現代詩人」と「現代詩」です。(文学を愛し古典に学び良い詩歌を創り伝えようとしている詩人の方々とその詩歌に対してではありません。)
 荒川洋治の言葉が「現代詩」の貧しさを、マスコミ新聞上で晒しているだけなら私は通り過ぎますが、私の大好きな「詩」「詩歌」が誤解され貶められ嫌われかねない吹聴は黙殺できないからです。

 私自身は朗読を積極的に行ってきた者ではありませんが、言葉の音楽が詩歌において何よりも本質的で大切なものと考え創作してきました。
 私は文字を黙読することとは別に、音読すること、朗読すること、朗読を聞くことも、言葉への感性をより豊かにする方法、また詩をより広く伝える方法として良いことだと考えています。
「美しい日本語」の響きに最も鋭敏でいつも感じているはずの詩人が、言葉の響きと音色の繊細な美しさを伝えようとすることは、とても自然なことではないでしょうか。日本にはもう詩なんか生まれなくなったと大部分の人が思っているなかで、詩の言葉の豊かさ、奥行きの深さを模索し伝えようとする詩人の努力に対して、何の理解も持てない人を私は詩人だと思えません。

② 詩歌は言葉による歌
 詩歌は楽曲(楽器に演奏による音)を伴わない、言葉そのものの音楽、言葉の音による歌です。古代歌謡から和歌へと移り変わった後どの時代にも、言葉の旋律を響かせ、言葉の調べとして歌われてきました。言葉の歌であることこそが詩歌の本来の個性、他の文学、物語や小説、散文では表せない、この文学の豊かさだからです。
 楽曲を伴う歌謡に比べると刺激的ではなく強弱も抑揚も音色の変化も微かなものです。節(メロディー)は変遷した後いつの時代にか喪われましたが、その繊細な調べの美しさは愛され続けてきました。
 詩歌は黙読されるとともに音読され朗読されてきました。黙読では感じとれない良さ、快さ、楽しさ、感動があるからです。魅力ないことを人は追い続けません。

③ 偏狭な詩の朗読批判を批判する(以下、●は荒川洋治、☆は私の言葉)。

●引用:荒川洋治による詩の朗読批判
「文字言語を選び、闘ってきた詩にとって朗読は自殺行為だ。朗読を意識したら詩の言語が甘くなる。すぐれた詩には文字の中に豊かな音楽性があり、それで十分。文字を通して音楽性を感じる力が弱まったから声で演じたくなる。文字言語を通して考え、味わう力を詩人が捨てたら詩に未来はない。朗読はやめて討論しよう。」(『昭和の読書』、幻戯書房)。

☆ 荒川洋治の詩についての言説に通底している、「現代詩」が詩歌の最先端、頂点にあるかのような誤認識、驕りを私はここに感じてさびしくなります。以下、詳しく批判します。

●「文字言語を選び、闘ってきた詩」
☆「現代詩」を自画自賛していますが、より正確に言葉を選ぶと私には「文字表現だけに偏執して閉じこもり、言葉の音楽性に鈍感になり言葉の響きを放棄し自ら干からびてきた詩」に思えます。

●「朗読は自殺行為だ。」
☆ 本来の詩に対する言葉としてはまったく逆です。「現代詩」は極めて言葉の音楽性に乏しいので朗読に耐えない、朗読で言葉の響きの快さを伝えるだけの質に達していないという言葉が正確です。「現代詩」の文字面だけの音楽性は美しくありません。古典の日本語の美しさを継承できずに、言葉の芸術表現として貧しく、衰え、劣化している事実に謙虚に気づかないと、詩は嫌われ無視され滅びます。言葉の歌を喪い散文の深みもなく文字面だけで「自己満足と自己陶酔」してきたのが「現代詩」です。

●「朗読を意識したら詩の言語が甘くなる。」
☆ これは意味のない文章だと思います。彼個人はそうなのかもしれませんが、一般化する何の根拠もありません。作品を黙読用、音読用、朗読用に、意識して詩人は作りわけるとでも言うのでしょうか?
 完成後にどのような方法で伝えるかには関係なく、詩人は創作のとき常に、言葉の音楽、響きに鋭敏でないかぎり、良い作品は生まれません。

●「すぐれた詩には文字の中に豊かな音楽性があり、それで十分。」
☆ 前半は当たり前のことです。詩の定義だからです。でも「それで十分。」なのは、読むことだけ、黙読に閉じこもりたがる彼または「現代詩人」の偏った嗜好にすぎません。声による響きには黙読とはまた違う美しさがあることを知らないだけ、もし知っているならその良さをなぜ故意に貶めるのでしょうか? 好みは人それぞれで良いですが、価値の優劣にすりかえ押し付ける主張は貧しい。

●「文字を通して音楽性を感じる力が弱まったから声で演じたくなる。」
☆ 誤っている、何の根拠もない決め付けだと思います。いつの時代にも続けられ愛されてきた詩を声で伝え感じとることを、彼または「現代詩人」が、独りよがりに止めているだけです。なぜ詩歌を、文字だけの表現に閉じ込め、黙読だけで読み取れと押し付けるのでしょう?
 言葉の音楽性を繊細に表現している作品は黙読しても美しく、音読、朗読でさらに発見、驚き、喜びをもたらしてくれます。詩の響きはいいなと、伝えてくれます。わからないのでしょうか? 朗読が好きじゃない、苦手、できない、したくないのは、個人の勝手ですが、他の方の表現努力、その魅力や良さを感じる心も度量もないのをさびしく思います。

●「文字言語を通して考え、味わう力を詩人が捨てたら詩に未来はない。」
☆ 伝える方法のひとつとして朗読を選ぶことと、何の結びつきもない無意味な主張なので批判もできません。
私は、この国にはもう詩人はいない、詩は生まれていないと一般の大多数の方に思われている悲しい現在の状況を見るとき、文字面だけの知と理屈の暗喩パズルの組み立てと黙読による解読遊びに閉じこもっている、「現代詩」にはもう未来がないと考えています。
 文学と詩が何より好きな私でも、「現代詩」は虚しく好きになれません。

●「朗読はやめて討論しよう。」
☆ 討論しよう、という呼びかけが、私にはとても奇異です。詩歌、文学は、創作され、伝えられ、感じとられるものです。どうして、朗読と討論が結びつくのでしょう? 討論して、「知を研ぎ澄まし言葉で無思想を築く」のでしょうか? 「暗喩の暗号化と解読方法」を研究するのでしょうか? 「現代詩」に討論はあっても、もう詩はないのではないでしょうか?

④ 言葉の音楽、言葉の歌を、よりゆたかに
 楽曲のある歌謡はメロディーやリズムの印象が強烈なだけに、言葉の音はおし隠されがちです。言葉の響きや音色そのものは詩歌ほどには大切にされません。
 言葉の音楽、言葉の歌を、ふるえと響きと音色、調べを感性で表現し伝えることができるのが詩歌です。詩であり短歌であり俳句です。

 黙読しながら人は無意識に舌を微かに動かし音をさがしたりします。音を意識し声に出し耳で確かめながら書く詩人もいます。さらに言葉の響き、声そのもの表現方法を工夫し朗読で伝える才能と情熱のある詩人がいます。

 どのように表現し伝えるか、それは詩人が独自の個性と才能をみつめて選び試みれば良いことです。
 伝えていく方法を工夫し、可能性を探り見つけ、言葉の音楽、言葉の歌である詩歌がより豊かになってゆくこと、心に響き続けてゆくことを、私は願っています。

 次回は、田川紀久雄さんの詩集『かなしいから』の作品を通して、言葉の音楽と言葉の歌を聴きとりたいと思います。

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永方ゆか『ものさびしの、ハナ』。詩って、ほんとはなんだろ? (二)

 今回から、標題のテーマ「詩って、ほんとうはなんだろ?」について、4冊の詩集の作品を感じとりながら考えていきます。
 最初にとりあげる詩集は、詩人・永方ゆか(ながえゆか)さんの『ものさびしの、ハナ』(2012年3月11日、土曜美術社出版販売)です。
 発売日が私の新しい詩集『こころうた こころ絵ほん』と同じ日、東日本大震災から一年目の鎮魂の日です。同じ思いで詩集をだされた詩人、私よりずっと若い詩人の存在を知りました。永方さんは詩集の売り上げは被災地に届けたいとの意思を持たれていらっしゃいます。被災地へのボランティアにも参加されたそうです。購入して読んでみました。

 東日本大震災のあと生まれ出た多くの詩について、現代詩人の荒川洋治が「詩の被災」だと批判しています。私は逆に、彼が書いてきたような「現代詩」のとても偏狭な嗜好に過ぎない視野にはとても収まらない、豊かな「詩」の世界全体を、彼があたかも俯瞰し代表しているようにしゃべるのはとても傲慢だと感じます。彼の詩集『水駅』は読みましたが虚しくなりました。「現代詩」の貧しさの典型だと私は感じます。
 被災の困難をくぐりぬけてそれでも失われない詩心、芽吹いた詩を見つけ見つめ伝えるのが詩人にできることではないでしょうか。できないなら黙っていればいいと思います。

 わき道から戻ります。上述のようにしてこの詩集『ものさびしの、ハナ』と出会いましたが、読んで終わりにせずにここに書きたいと私が考えたのは、詩心を感じ感動する、私が好きな、読み返したい詩集だったからです。この詩集には前回記した、詩の本質、詩になくてはならない大切なものが息をしています。

 (ホームページの「好きな詩・伝えたい花」でも3篇の詩をご紹介させて頂きました。☆リンク:詩人・永方ゆかさんの詩)。

① なぜ書くのか?
 永方ゆかさんは、心ゆたかな、日本語を大切にし、歌うことができる、抒情詩人だと感じます。社会についての硬質な批評を核とする詩人ではないようです。それでもこの詩集が生まれたのは、被災した方々と同じ時間いる人間の一人として、自分をヨソモノと自覚しながらも、深い「痛み」を感じて、書かずにはいられなかったからだと思います。

 詩集の「序」の冒頭の言葉を引用します。

 「あの荒波は、安らいで日々を過ごしていた人々の身に、どんなにやにわで、おそろしかったでしょうか。ましてや野山や海のウラハラさをしっかり心にとどめて、懸命に構えて日々を送っていたのに、それでもかなわなかった人の話などを聞くとたまらず、やりきれない気持ちになります。寄せる心の先が喪われた悲しさ寂しさを、どうぞともに悼ませていただきたいということを、まずお願いしたいと思います。(略)」。

② なにを書くのか?
 書かずにはいられない思いと向き合い言葉を探しながら、詩人は生きる意味を、死を見つめ問いかけずにいられません。
 抒情詩人は自らの詩心を深く見つめるとき同時に、ともに生きている人たちの思い、心と交感します。そのとき詩人の言葉はあくまで個人の視点に立ち個人の心を表現しながらも、社会性を帯びた声となります。

 永方さんの繊細な感性がふるえる言葉には、悲しんでいる方々を思う気持ちの強さと偽りなさが響いているから、私の心は自然に木魂せずにはいられません。

 詩心は、愛、思いやり、人情と、感情の水源でつながり揺れている泉です。ですから、センチメンタルであり、感情ゆたかであることは、詩にとって本来的なこと、とても大切なことだと、私は考えています。
 センチメンタルな要素を否定し排斥し、乾いた知性によるカチコチの散文の連なりを良いとする「現代詩人」は、詩歌のゆたかさをほとんど見失っていると私は思います。

 永方さんの詩「ワタツミノコ」にゆれうごく感情はとても豊かに揺れ動きます。読者が自分の心の声のようにも感じてしまう、深い思いの込められた表現、美しい詩です。☆リンク:詩「ワタツミノコ」。
 詩「そういうことじゃ、ないのだ。」の詩句「涙が /ぽろり、こぼれるじゃないか。」や、詩「おふね」にもこの特徴があらわれていて私は共感します。

④ どのように書くのか?
 永方さんの詩は、美しい歌だと感じます。そのように感じるのは、この作者が、日本語の個性を表現に生かそうと試みているからです。それができるのは彼女が日本文学のゆたかな伝統で培われた言葉と心の表現を好きであり、学んでいるからだと思います。

 彼女の詩の、リズム、詩句のくりかえしは、詩が言葉の歌であるうえで欠かせないものです。中原中也や宮澤賢治の詩が歌であるのは、彼らがこのことを意識して創作しているからです。永方さんの言葉の響きには彼らの詩ととても通い合う歌を私は感じます。
(多くの現代詩は歌うことをやめ散文化しました。そのことが詩歌をとても貧弱にしています)。

 彼女の、言葉の響き、語の音、韻、強弱への感性、言葉の選び方、言葉のかたちへの意識、ひらがな・漢字・カタカナの織り交ぜかた、詩連の並べ方も、作為性を残さないけれども、とてもきめこまかく、日本語の調べを生かしていて優れていると感じます。

 詩「いわてやま、きたかみがわ」は、言葉による美しい歌、詩歌そのものだと私は感じます。この詩の音楽から私は、高村光太郎の『智恵子抄』の好きな詩「人に」の「いやなんです/あなたのいつてしまふのが―」との木魂を聴きとりました。☆リンク:詩「いわてやま、きたかみがわ」。

 詩「ゆきのふる。」の詩句「ほ、ほ、ほ。」や「ひっそり、/ほろふり。/ふりつもり」といった語感。
 詩「ヨソモノのウタ」の詩句、詩連が織りなしていくリズムにも、彼女の作品が詩歌であることを強く感じ共感します。

 詩「たまもの」では本歌取りを試みていることもよいと私は思います。詩は和歌が培ってきた掛け言葉や縁語などの言葉の技法を工夫してもっと生かせばよいと私は考えています。

⑤ 何より大切なこと
 最後に、何よりも良い詩であるうえで、私が大切だと思い、永方さんの詩を生かしているのは、次のことです。詩によって、心を伝えようとしていること。言い換えれば、言葉の意味を捨てていないことです。

 詩にとって、詩語の、詩句の、詩連の、詩そのものの、意味はいのちです。それらの意味の結合と流れの変化と反発と断絶と照応が織りあげる意味がいのちです。意味は、言葉の芸術表現である文学の、鼓動、息を生み出すものです。
(逆に言うと「現代詩」の悪い典型は、意味を捨てた暗喩遊戯、ばらばらの意味をなさない詩語と暗喩の積み木、知的パズルで死んでいて、読むと虚しさが後味悪く残ります。)

 言葉の意味といういのちを、言葉の響きと文字の形と心象と共に、できうるかぎり美しく豊かな作品にまで織りあげることによって、詩は、心を、感動を伝えることができる芸術です。
  
 詩「ものさびしの、ハナ」の願いの響きはとても澄んでいて心を打たれます。☆リンク:詩「ものさびしの、ハナ」。

 詩「アリガトウのかなし―岩手県野田村」、詩「聞えるか」にも、彼女の思いがとても強く響いていて、私の心が木魂します。

 このような優しい抒情ゆたかな詩歌による鎮魂の花束、永方さんの詩集『ものさびしの、ハナ』が、詩を好きな方、詩心を歌を求めている方の心に届き、木魂することを、私は心から願います。

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詩って、ほんとはなんだろ? (一)

 少し間があいてしまいましたが、詩集を読み、考えていました。
 今回から、私が詩心を感じ感動する、好きな詩、読み返したい詩、逆に、詩を感じない、読むのが苦しい現代詩について、私なりの詩想を記していきます。

 初回は、私が詩を感じ感動する作品に必ず息づいている、詩の本質、詩になくてはならない大切なものだと私が感じてきて、今もそう考えている事柄をメモします。これから、書きながらより丁寧に感じとり、詩想を深めていきたいと願います。
 いわゆる現代詩、現代詩人を自称する作者の作品の多くは、これらのことがらを否定しひどいものは馬鹿にしているので、私はそこに詩を、文学としての魅力を感じることができません。詩界(というものが意味あるものならば)、そこでは、現代詩の愛好家が偏狭な詩観、特権を押しつけて、詩を貧しくしていると、私は感じてきました。正直に言うと、現代詩人どうしが与えあう仲間うちの賞の受賞作に、私が感動する詩はあまりありません。(ただし、現代詩というくくりは曖昧で、わたしが心から共感する詩を今、書かれている詩人はいらっしゃるので、全ていっしょくたにしてしまうのは愚かです。詩はあくまで一人きりの個性からの表現ですから。)。
現代詩人は、詩も進歩するものであるべきだと、現代社会のスピード変化と同期しなければならないと、見え隠れする信念を抱いていますが、私は詩は昔も今も変わらない、人としての心の表現だから、共感し感動するのだし、すべて進歩よしと押し付ける世の中にあって、進歩しないことが詩の生命だと考えています。表現の技巧の探究は芸術家として当然することだけれど、進歩ではありません。
誰もが裸の赤ん坊として産声をあげるように、詩もひとりの初めての産声です。進歩ではありません。
 私は現代詩がつまらなければ、もっと深い感動を与えてくれる古典を大切に感じとるほうが良いと思います。生きること、いのちを感じとれる感受性、心は、衰えてしまっているかもしれません。謙虚にみつめたほうが、よいと思います。

① 詩ってなに?
 こころのうた、感動の言葉による表現。ああ。

② なぜ書くのか?
書かずにはいられないから書いていること。
生きているから、生まれてきた感動があるから、伝えずにはいられない、核となる感動が源にあること。

③ なにを書くのか?
生きる意味を考え問いかけていること。
愛、おもいやり、人情があること。
センチメンタル、感情ゆたかであること。
社会批評性。ともに生きている人の声を、不正に折れず、発すること。

④ どのように書くのか?
言葉の意味を捨てていないこと。題詠でなく暗喩遊戯でないこと。
詩語も、詩句も、詩連も、詩そのもの、詩集構成全体の、つながり、断絶、流れの変化で、
詩を、心を、伝えようとしていること。
美しい言葉、響き、うたであること。
くりかえし、リズム、語の音、韻の繊細さ、強弱を感じとれる感性を持っていること。
言葉の歴史、文学の伝統を大切にしていること。文学が好き、和歌も、短歌も、俳句も、文楽も、言葉による心の表現に学んでいること。

 これらのことについて次回から、私が最近読むことができ、強く詩を感じ感動した、次の詩集の紹介を織り交ぜながら、書いていきます。

永方ゆか(ながえ ゆか)『ものさびしの、ハナ』(2012年3月11日、土曜美術社出版販売)

田川紀久雄『かなしいから』(2005年9月、漉林書房)

神谷恵(崎本恵)『採人点景(さいとてんけい)』(1995年11月、私家版)

坂井のぶこ『浜川崎から』(2012年5月、漉林書房)


その後に、言葉の歌である短歌と詩についての詩想を書いていきたいと思います。

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田川紀久雄と坂井のぶこ『いのちを語ろう』5月12日開催

 詩語りの催しのお知らせです。

詩人の田川紀久雄さんと坂井のぶこさんが、詩語りの催しを開かれます。
今回は、坂井のぶこさんの最新詩集『浜川崎から』(漉林書房、5月15日刊)の朗読が聴けます。

第5回 いのちを語ろう ― 坂井のぶこ詩集『浜川崎から』を語る

語り手:田川紀久雄、坂井のぶこ

日時:2012年5月12日(土) 開演14時より(13時45分開場)。
料金:2000円。
場所:東鶴堂ギャラリーTel.045-502-3049 横浜市鶴見区鶴見中央4-16-2田中ビル3F
(JR鶴見駅より徒歩5分、京急鶴見駅より徒歩2分)  

詩と詩の朗読をお好きな方は、ぜひお気軽にご来場頂けましたら、嬉しいです。

☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』は2012年3月11日イーフェニックスから発売されました。A5判並製192頁、定価2100円(消費税込)です。

 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。

    こだまのこだま 動画
  
 ☆ こちらの本屋さんは店頭に咲かせてくださっています。
 八重洲ブックセンター本店、丸善丸の内本店、書泉グランデ、紀伊国屋書店新宿南店、三省堂書店新宿西口店、早稲田大学生協コーププラザブックセンター、あゆみBOOKS早稲田店、ジュンク堂書店池袋本店、紀伊国屋書店渋谷店、リブロ吉祥寺店、紀伊国屋書店吉祥寺東急店、オリオン書房ノルテ店、オリオン書房ルミネ店、丸善多摩センター店、くまざわ書店桜ケ丘店、有隣堂新百合ヶ丘エルミロード店など。
 ☆ 全国の書店でご注文頂けます。
    発売案内『こころうた こころ絵ほん』
☆ キズナバコでのネット注文がこちらからできます。
    詩集 こころうた こころ絵ほん
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    詩集 こころうた こころ絵ほん
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佐川亜紀の詩集『魂のダイバー』

 詩人・佐川亜紀さんの詩集『魂のダイバー』から、3篇の詩「夢の受胎」「夢の波」「魂のダイバー」を、私のホームページの「好きな詩・伝えたい花」で紹介しました。

   (こちらからお読み頂けます↓)
   佐川亜紀の詩「夢の受胎」「夢の波」「魂のダイバー」

 1993年に潮流出版社から出版されたご詩集です。詩友に借りて拝読して感動し、とても共感しました。
本当の意味で良い詩は、十数年という年月では決して風化しないもの、世相を色濃く反映しながらも、決して一時的な流行には押し流されないものだということを、改めて思い、嬉しく感じました。

 作者は「夢の二面性―あとがきとして」で次のように語ります。
「(略)戦争協力詩を書いた日本の詩人達には、自分の戦争協力をはっきり認め、自己批判する姿勢はあまり見られなかった。現実の社会主義の崩壊に際して、革命運動の負性も含めて荷担したことを見つめないならば、戦争協力詩を書いた詩人と同じになるのではないか。(略)
 しかし、また私は「夢」を全否定もしない。全部誤りだったというのも極論である。反戦運動に果たした役割、人間が個であるとともに社会的存在であること、地球的理想など今も考え、追求すべきである。文明や文化に対しての本質的な批判は、私達が生存さえ奪った先住民族、他民族、死者、他の生き物から現在より強く問われているだろう。
 経験と問を受けながら、「夢」を、概念ではなく、詩的想像力としてより豊かに語れるようになりたい。「夢」を語るのは難しく、端緒についたにすぎないが、私というダイバーが、自分なりのもぐり方、泳ぎ方で、魂の深海に行こうとする時、彼方に普遍の明るみがほの見えるかもしれない。(略)」

 少し脱線しますが、『高村光太郎全詩集』を読み返すと、『大いなる日に』『記録』『をぢさんの詩』と、戦争協力詩にどっぷり染まった光太郎に悲しくなります。けれど救われるのは彼が、軍部・国家の命じるままの言葉を真に受け垂れ流すことで、若者を死に追いやることに荷担した自分は誤っていた、その行為を批判されることも断罪され殺されることさえ仕方がないと、内省し書いているからです。それでも許せないと感じた人には空虚で無意味な言葉だとしても、彼は詩人として本心から自己批判したと、私は思います。

 詩集『魂のダイバー』を読むと、波打つ水のうごき、いのちが生まれくる海のイメージに包み込まれます。ゆたかな抒情性と言葉のリズムのうねりに詩が呼吸しています。
 愛(かな)しく揺れている「夢」、「私達が生存さえ奪った先住民族、他民族、死者、他の生き物」の魂と深く交感したいという作者の願いの深さに、私は共鳴せずにいられません。
 紹介させて頂いた3篇の詩「夢の受胎」「夢の波」「魂のダイバー」は、作者の願いが純化された結晶のよう、祈りに近く、とても美しいと感じます。

 より直接的社会的な詩も、この願いに根ざし、この願いを源にして生まれ出ている、作者にとって書かずにはいられない言葉です。これは言葉が詩であるうえで本質的なことだと、私は思います。
 社会的な主題の作品化はとても難しく、試みるとき、この、自分自身との関係、その主題から自分自身が問われていることを受け止め感じ取り考えることで、初めて発酵する言葉を詩句とする姿勢が必須だと、私は考えています。
 そのような切実さと謙虚さと共感力と言葉を探す努力がない場合には、新聞の記事や傍観者の評論に過ぎないレベルに散文化してしまいます。さらに悪い場合には、
高村光太郎が善意で陥ったように、政治的主張やプロパガンダに容易に変じてしまいます。
 詩は、ひとりひとりの人の、いのちの、魂の表現です。それがない言葉は、センセーショナルで刺激的でも言葉巧みでも、詩ではありません。

 作者の願いは次の詩句に凝縮され輝いています。

「始源の祖母達の雨を祈る声が聞きたい/宇宙の生命の泉に感応する声が聞きたい」(夢の受胎)。
「私達はかすかにふるえ合う/私達はまだ夢に波立てるか/私達はまだ苦しみ合えるか/私達はまだ愛し合えるか」(夢の波)。
「地球の酸素がなくなるまでに/世界の魂と魂が出会うことができるか/もっとも傷ついたものの魂を/息苦しいまでに捜したい/そこに見知らぬ輝きがあるから(魂のダイバー)。


 作者は、「もっとも傷ついたものの魂を/息苦しいまでに捜し」ています。
詩「モノトーンの夢」は、日本赤軍や戦時の庶民の女性をとりあげ、作者が「あとがき」で書くように、負性をみつめ、自らに問いかけています。
詩「クメールの七頭の蛇」では侵略されたカンボジアの人を、詩「家」「障子の家」では家と天皇制と人を、詩「無花果の花」「みずみずしい季節」「キュロットスカートとパゴダ公園」では朝鮮半島から連れ去られた従軍慰安婦の人を、詩「ドーク・トーン(黄金の花)」では売春観光とタイの女性を、詩「舞い狂う樹木」「魂織り」ではアイヌ民族の人を、詩「魂の絵」でも先住民族の人を。
 なぜ、書くのか? 作者はそうせずにいられないからです。押し殺された、隠されている、「もっとも傷ついたものの魂」の声を、伝えずにはいられない思いの強さが心に痛く伝わってきます。
 
 今回の紹介の最後に、私個人の感性で、一読者として一番好きな詩をあげます。詩「出発」です。
 とても長篇の、一般的な詩の形をはみ出した、掌編小説のようでもある作品。青春小説、恋愛小説と読むのも読者の自由ですが、言葉の豊かなリズムと抒情性に言葉が高められ詩心が響いています。
 成田闘争を時代背景にしながら、自己と異性と社会を手探りする姿、思い、感情の揺れ動きに、自分自身の苦く苦しく必死だった過去も重なり、私はとても共感します。
 文学作品として虚構に織りなされていますが、ここに込められた心の真実、ここから、この詩人は歩みだしたんだと、私は思いました。
 詩「人参畑で耳鳴り」も、この詩の反歌のように、独特の詩句のリズムとともに、心に残り私は好きです。

 佐川亜紀という、優れた詩人を、私は今頃になってやっと見つけました。とても嬉しく思います。

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「母をおもふ」 高村光太郎の詩

 久しぶりに、好きな詩の紹介をします。
 『高村光太郎全詩集』(新潮社、1966年)を古本屋で入手して、分厚いので持ち出しては読めず、時間を見つけては読み進めていて、戦時の詩集についてもまた考え直してみたいと考えています。
 今日紹介する詩「母におもうふ」は、これまで記憶していた詩ではなくて、今日読んでいていいなと、心に感じた詩です。確かめてみると、新潮文庫の『高村光太郎詩集』にも収録されていたので、私の心持ちのせいかもしれませんが。
 1927年、光太郎45歳の時に書かれた、解説のいらない、彼の詩人としての個性の、詩心の良いところから響いてくる、好きだと感じる詩です。

 詩は文学作品であり、調書でも告解でもないので、書かれている事柄が実際にあったことそのままか、幻か、虚構かが重要なのではないと私は考えています。
 書かれている事柄や、記された気持ちや思いを、読む人が「これって、本当だ、真実だ」と感じとれる何かを響かせて、共感を呼び起こし心ふるわせてくれる、それが詩作品にとってなくてはならないものです。
 人との共感や愛情が偶然の出会いを通してうまれるように、読む人の心、いつ読むかという心の状態によっても、詩作品への感動の強さは変わってしまいます。だからこそ、文学を読むことは、生きることそのもののようにも、感じられるのだと私は思います。

 光太郎の詩「母に思ふ」に私は素直に感動します。今日は「母の日」ではありませんが、心のうちでは毎日が母の日であっていいと思っていますから、今日記します。


   母をおもふ


夜中に目をさましてかじりついた
あのむつとするふところの中のお乳。

「阿父(おとう)さんと阿母(おかあ)さんとどつちが好き」と
夕暮の背中の上でよくきかれたあの路次口。

鑿(のみ)で怪我をしたおれのうしろから
切火(きりび)をうつて学校へ出してくれたあの朝。

酔ひしれて帰つて来たアトリエに
金釘流(かなくぎりう)のあの手紙が待つてゐた巴里の一夜。

立身出世しないおれをいつまでも信じきり、
自分の一生の望もすてたあの凹(くぼ)んだ眼。

やつとおれのうちの上り段をあがり、
おれの太い腕に抱かれたがつたあの小さなからだ。

さうして今死なうという時の
あの思ひがけない権威ある変貌。

母を思ひ出すとおれは愚にかへり、
人生の底がぬけて
怖いものがなくなる。
どんな事があらうともみんな
死んだ母が知つてるやうな気がする。


☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』は2012年3月11日イーフェニックスから発売されました。A5判並製192頁、定価2100円(消費税込)です。

 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。

    こだまのこだま 動画
  
 ☆ こちらの本屋さんは店頭に咲かせてくださっています。
 八重洲ブックセンター本店、丸善丸の内本店、書泉グランデ、紀伊国屋書店新宿南店、三省堂書店新宿西口店、早稲田大学生協コーププラザブックセンター、あゆみBOOKS早稲田店、ジュンク堂書店池袋本店、紀伊国屋書店渋谷店、リブロ吉祥寺店、紀伊国屋書店吉祥寺東急店、オリオン書房ノルテ店、オリオン書房ルミネ店、丸善多摩センター店、くまざわ書店桜ケ丘店、有隣堂新百合ヶ丘エルミロード店など。
 ☆ 全国の書店でご注文頂けます。
    発売案内『こころうた こころ絵ほん』
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2012福島県現代詩集(三)創作、感動の花

 『2012 福島県現代詩集 第33集 ―銀河の声 心の声 ふくしまの声―』
 (福島県現代詩人会、2011年4月11日刊)。


 この新しいアンソロジーを読み終えて、私が強く感じ、考えずにはいられなかったもうひとつのことは、こんなにどうしようもない状況のなかからでさえ美しい詩は生まれる、心の感動は伝えられるという、悲しい喜びです。
 起こったこと、その深刻さに押しつぶされそうになるなかでも、詩人であることに徹して、ひとりの個性の書かずにはいられない思いからの創作こそが、詩人にできることだという信念が結晶化したような作品が生れていることです。
 その現れ方は多様ですが、そこに共通して響いているのは「心の感動」です。作者の書かずにはいられない思いが、詩の花となり咲く姿は美しいです。
 アンソロジーの編集後記にあるように、思いを詩のかたちの花束にするのが詩人です。この花束に耳を澄ますと、銀河の声、心の声、ふくしまの声が響いていることを知ります。
 悲しみも喜びも祈りも願いも怒りも、詩句の姿でふるえながら、読む者の心を揺り動かしてくれます。気付かずにいた心のこだまを自然に感じとらせてくれます。

 私が尊敬してやまない、広島の原爆を経験した、原民喜や峠三吉もまず、ズタズタの、生の、表現を書きとめました。
 そのうえで、そこから彼らは、生きようとしました。苦しんでいる人たちとともに生きることを願い、詩人としていのちをかけて、美しい創作、詩を書き続けました。詩人にはそれができる、そのように生きるのが詩人だと私は学びました。

 このアンソロジーには、詩人の魂、心の声が織りこめられた感動の花、こころの花、言葉の花、美しい詩が咲いています。
 私の感性によく響いた好きな作品名と詩人名(敬称略)を以下に書きとめます。

「あなたがたは」  有我祥吉。
 「十二月 風たちは言った 知らなかったと」  内池和子。
 「悲/怒」  小田敬二。
 「桃源郷」  木戸多美子。
 「爪/年の暮れ(平成二十三年)」  久間カズコ。
 「新地駅/無題」  古関久美子。
 「飯舘村を越える」  斎藤和子。
 「576は祖母の匂い」  斎藤久夫。
 「思うに、希望とは」  齊藤貢。
 「傷痕」  坂ひろみ。
 「老木」  澤田和子。
 「七か月」  松棠らら。
 「除染」  鈴木洋。
 「どろどろ」  鈴木八重子。
 「海の墓標」  田中絹子。
 「光る文字が」  二階堂晃子。
 「これは「人間」の名だ」  廣川秋男。
 「もうひとつの恐怖について」  前田新。
 「一生懸命」  牧一人。
 「故郷へ帰れる―避難の老人と息子の話―」  三星賢二。
 「喪桜」  若杉縷縷

などです。

 他の作品により強く感動される読者もきっといるかと思います。アンソロジーそのものが、多くの方々にお読み頂ける機会がこれからあることを願ってやみません。


☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』は2012年3月11日イーフェニックスから発売されました。A5判並製192頁、定価2100円(消費税込)です。

 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩のコラボをぜひご覧ください。

    こだまのこだま 動画
  
 ☆ こちらの本屋さんは店頭に咲かせてくださっています。
 八重洲ブックセンター本店、丸善丸の内本店、書泉グランデ、紀伊国屋書店新宿南店、三省堂書店新宿西口店、早稲田大学生協コーププラザブックセンター、あゆみBOOKS早稲田店、ジュンク堂書店池袋本店、紀伊国屋書店渋谷店、リブロ吉祥寺店、紀伊国屋書店吉祥寺東急店、オリオン書房ノルテ店、オリオン書房ルミネ店、丸善多摩センター店、くまざわ書店桜ケ丘店、有隣堂新百合ヶ丘エルミロード店など。
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tag : 詩人 高畑耕治 詩集 こころうた こころ絵ほん 2012福島県現代詩集

2012福島県現代詩集(二)記録・証言としての詩

『2012 福島県現代詩集 第33集 ―銀河の声 心の声 ふくしまの声―』
(福島県現代詩人会、2011年4月11日刊)。


 この新しいアンソロジーを読み終えて、私が強く感じ、考えずにはいられなかったのは、記録し証言することと、詩との関係についてです。
 起こったこと、その深刻さに押しつぶされそうになるなかで、言葉の書き手として、できることを、探し考えるとき、まず、何としても言葉で書き留め、伝えようとされた詩人の意思の踏ん張りが、結実した作品です。
 アンソロジー全体のうちで私の心に強く響いた詩のうち、半数以上は、証言、記録としての詩、だと感じました。
 その現れ方は、起きた事柄を時間軸で書き記した言葉から、起きた事柄を考察し考えなおす思索、感情、怒り、悲しみのむきだしの表現と、作者個人により、とても多様です。
 そこに共通して響いているのは、詩人として生きる人としての「真実」を捉えよう、伝えようとする、伝えずにはいられない意思の強さではないかと思いました。

 記録・証言は、映像や写真がよりリアルな力を示し得る領域、言葉ではルポルタージュなど直接的な散文が生きる領域です。
 韻文、歌、寓意、創作に至る前の場です。
 私は表現者の一人として、虚構を、創作を創っていられない、そんな気持ちになれない、より直接的に言葉をはきだすことしかできない、という思いに浸される、そうすることしかできない時がある、そしてそれは真実だし、そのように差し出された、創作・作品に至らない散文の傷だらけの言葉を、受け止めたい、感じとりたい、と考えます。

 私が尊敬してやまない、広島の原爆を経験した、原民喜や峠三吉もまず、そのような、ズタズタの、生の、表現を書きとめました。そうすることしかできなかった、いのちがけで書き留めたのだと、思います。
 今回のアンソロジーの、証言・記録としての言葉も、彼らの思いと重なり通じ合っていると感じます。
 このアンソロジー自体が祈念碑であり、記録・証言です。真実を伝えようという思いがどの作品にも通底して響き続けています。

 以下に私にとって印象的な作品名と詩人名(敬称略)を書きとめます。

「その時―記録椚山二十九番地」 阿曽十喜子。
『広島・長崎・そしてFUKUSHIMA』 五十嵐定幸。
「この世に生きて/初冬の日に」 井戸川茂。
「東日本震災のその後」 大島ミトリ。
「崩れ落ちた安全神話―放射性物質拡散の地 福島から―」 太田隆夫。
「海よ!」 児玉裕治。
「人の声」 小林きく。
「わが鎮魂」 佐々木勝雄。
「大災難」 佐藤一成。
「花も実もある福島」  鈴木美沙。
「東日本・二〇一一」 鈴木みつこ。
「消えてしまった」 鈴木淑子。
「心の古里フクシマ」 須藤成恭。
「花粉」 高坂光憲。
「二〇一一・三・一一(忘れないために)」 高野良一。
「夜が来て朝が来て」 高橋静恵。
「原発事故に憶う」 高原木代子。
「震災と魔物」 滝口吉雄。
「大震災」 竹林征人。
「だまされてはいけない 四倉より思いを込めて」 つちやみつぐ。
「再会 気仙沼」 生江隆。
「わが浪江町」 根本昌幸。
「地震」 福西トモ子。
「原発事故と限界集落」 福米沢悟。
「一本の藁」 藤原菜穂子。
「どんな靴を」 細谷節子。
「「無常(二)」 松坂佳生。
「省略させてはならない」 みうらひろこ。
「山毛欅の森」 三浦洋子。
「彷徨える牛」 室井大和。
「子どもたちのまなざし/新田川の鮭」 若松丈太郎
などです。

 他の作品により強く感じられる読者もきっといると思います。アンソロジーそのものが、多くの方々にお読み頂ける機会がこれからあることを願ってやみません。


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『詩集 こころうた こころ絵ほん』は2012年3月11日イーフェニックスから発売されました。A5判並製192頁、定価2100円(消費税込)です。

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