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高畑耕治

Author:高畑耕治
愛のうたの絵ほんは、高畑耕治の詩と詩集の海です。
Profile 高畑耕治 たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪府四條畷市出身、早稲田大学政経学部中退。東京都多摩市在住。
詩集『銀河、ふりしきる』(2016年5月イーフェニックス)
詩集『こころうた こころ絵ほん』(2012年同上)
詩集『さようなら』(1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25)
詩集『愛のうたの絵ほん』(1994年同上)
詩集『愛(かな)』(1993年同上)
詩集『海にゆれる』(1991年土曜美術社)
詩集『死と生の交わり』(1988年批評社)
雑誌「エヴァ」に扉の詩(1996~1997サンマーク出版)を連載。
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高田敏子の詩。恋うた、藤の花。

 今回から『日本の詩歌27 現代詩集』(中公文庫、1976年)を読みながら、私がいいなと感じた詩と詩人について書いていきます。タイトルは『現代詩集』ですがより今に近い時に書かれた詩と私はとらえ、それが特定の傾向をもつかどうかは気にしません。繰り返し書いていますが、私は詩の表現は移り変わっても進歩するものとは思いません。古い時代に優れた文学はいくらでも書かれています。
 アンソロジーの性格上、選者・編集者・批評者の好みが大きく影響しているので、この本に採録された詩人が優れているとは、また採録された詩がその詩人の代表作、最もよい詩だとは、考えていません。
 けれど、このような制約の上でも、心に響くいい詩との出会いはきっとあるだろうと、ひとりの読者として期待しています。この本の限界をこえたもっと豊かな出会いを求めて、さらに歩んでいこうと思います。

 この本については、女性の詩から読みとっていきます。同じシリーズの『近代詩集』採録の女性詩人があまりに少なかったからです。
 
今回は、高田敏子(1914年~1989年)です。この方については少し別の記事に記したことがあります。
(詩は花。門田照子『ローランサンの橋』)
 詩に対する姿勢への共感の思いを書きましたが、今回出会うことができた詩はとても心うたれる作品でした。とても嬉しく感じます。
 2作品を見つめます。ともに詩集『藤』所収です。

  別の名
          高田敏子


ひとは 私を抱きながら
呼んだ
私の名ではない 別の 知らない人の名を

知らない人の名に答えながら 私は
遠いはるかな村を思っていた
そこには まだ生まれないまえの私がいて
杏(あんず)の花を見上げていた

ひとは いっそう強く私を抱きながら
また 知らない人の名を呼んだ

知らない人の名に―はい―と答えながら
私は 遠いはるかな村をさまよい
少年のひとみや
若者の胸や
かなしいくちづけや
生まれたばかりの私を洗ってくれた
父の手を思っていた

ひとの呼ぶ 知らない人の名に
私は素直(すなお)に答えつづけている

私たちはめぐり会わないまえから
会っていたのだろう
別のなにかの姿をかりて――

私たちは 愛しあうまえから
愛しあっていたのだろう
別の誰かの姿に託して――

ひとは 呼んでいる
会わないまえの私も 抱きよせるようにして
私は答えている 
会わないまえの遠い時間の中をめぐりながら

 
 詩歌、歌は生まれでた源から今にいたるまで、愛の歌のゆたかな輝く流れでした。この愛の歌を出会い、私は素直な共感と感動につつまれます。
 いのちをみつめるまなざし、なつかしさ、生まれ出会い過ぎ去るとき、思い出し蘇る時の不思議な交錯とあらわれ。こころが歌となり現れでた、切なく美しい恋の歌。とても美しく、よい詩だと思います。


  藤の花
          高田敏子


きものの色が
少しずつ地味になあってきたように
料理も淡白なものが好きになった
「恋」という言葉も もう派手すぎて
恋歌も恋の詩も書けなくなった
書けなくなったころから
古い恋うたのこころがわかり
私の恋もまた 深く ゆたかに
静かに 美しいものになっていった
藤の古木が 千条の花房を咲かせるように。

 
 この落ち着いた恋の歌も、かさねられた年齢でこそ深まる味わいある表情で、風にゆれる藤の花のよう、美しく咲いていて、みつめていたいと感じる詩です。

 前回までの『近代詩集』を読みながら、女性詩人が少ないことともう一点、男女の愛の歌、恋の詩がないことを、私はとても残念に思っていました。
 愛(かな)しく心いっぱいにふるえてくれる恋のうたに出会えて、とても嬉しい気持ちです。

 今回は、私の恋の歌を木魂させます。
   詩「生まれた日から」(高畑耕治『詩集 こころうた こころ絵ほん』所収)。

 次回からは『現代詩集』から気ままに好きな詩を感じとります。女性の詩と詩人については、高田敏子をふくめて、もう少し時間をかけて、じっくり取りあげようと思います。

 ☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2100円(消費税込)です。

 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。

    こだまのこだま 動画
  
 ☆ こちらの本屋さんは店頭に咲かせてくださっています。
 八重洲ブックセンター本店、丸善丸の内本店、書泉グランデ、紀伊国屋書店新宿南店、三省堂書店新宿西口店、早稲田大学生協コーププラザブックセンター、あゆみBOOKS早稲田店、ジュンク堂書店池袋本店、紀伊国屋書店渋谷店、リブロ吉祥寺店、紀伊国屋書店吉祥寺東急店、オリオン書房ノルテ店、オリオン書房ルミネ店、丸善多摩センター店、くまざわ書店桜ケ丘店、有隣堂新百合ヶ丘エルミロード店など。
 ☆ 全国の書店でご注文頂けます。
    発売案内『こころうた こころ絵ほん』
☆ キズナバコでのネット注文がこちらからできます。
    詩集 こころうた こころ絵ほん
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    詩集 こころうた こころ絵ほん
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tag : 詩人 高畑耕治 詩集 こころうた こころ絵ほん 高田敏子

杉山平一の詩。平明な言葉で、詩を。

 『日本の詩歌26 近代詩集』(中央公論社、1979年)を読んでいます。これまで出会う機会のなかった詩人の良い詩が心に響きだすのを感じるとき、私は嬉しくなります。

 今回は、杉山平一(すぎやまへいいち、1914年~2012年)の詩をみつめ感じとります。長く書き続けられた著名な方ですが、『近代詩集』の収録詩をいいと感じたので、詩歴の全体を通してでなく、収録作品に限定させて頂いてみつめます。

 この詩人は平明な言葉で詩を書きました。そこに意思の強さを私は感じます。簡単なようで難しいことです。

 新体詩は、文語定型詩古語や雅語を交える姿で始まりました。韻文としての音楽性を感じとりやすいことと、日常語とは異なる文学の言葉らしく、作品を創ることができるからです。
 やがて口語の定型的な詩が書かれ、続いて口語の自由律詩や散文詩が書かれ、今にいたっています。
 北原白秋の「行分け散文」という評価に特徴的に表されたように、口語の自由律詩や散文詩は、散文との境界がきわめて曖昧です。

 ですから散文ではないと明確に主張できるような詩を創ろうとするとき、日常語から区別されやすい、観念語や抽象語意味を棄てた字形と音だけの言葉などを組み上げ、詩らしく見せたいという誘惑を、言葉に意識的な、詩人と自称したい人ほど強く受けます。その動機を究めようとして最も「詩らしく」作られるのが狭い意味での「現代詩」です。

 私にもこの誘惑と散文作家ではないとの矜持は理解できるけれども、その歩む方向は文学の豊かさを失っていく袋小路です。虚しい独りよがりな飾り言葉を連ねて詩的に見せるのは安易な方法です。

 口語の自由律で、散文ではない、詩だと強く感じる作品を、詩人は創ることができます。杉山平一のように平明な言葉で詩を伝えることは難しいけれども、読み手にとっては心に詩がすっと沁み込んでくるような言葉を書くのが本当の詩人だと私は思います。

 彼の次の詩は、出来事だけを平明な言葉で綴っています。なのに読むと様々な感情や想いが湧きあがり心揺れます。これが詩です。

   よもぎ摘み
             杉山平一


戦争へ行つたまま四年になるのに
良人(をつと)はまだ帰つてゐなかつた

彼女はその日よもぎを摘みに出た
一番末の子をおんぶして

八つの姉妹と五つの子は家で
絵本を見て乏しい昼餉(ひるげ)を待つてゐた

よもぎは線路の近くに随分(ずゐぶん)あつた
彼女が時を忘れるほど

電車の音がしたとき
彼女が線路を避けたとき

そのとき彼女は足元に蛇を見た
思はずとびのき彼女の頭は電車にふれた

頭をくだいて彼女は死んだ
あたりの山に青葉噴(ふ)く五月のまひる。

 もう一篇の詩は、もっとストレートで、日常的な会話、語りかけのすぐ隣にあります。
 けれど、読むと目に情景を呼びさまし、肉声が聴こえ、想いの強さと高まりがあるから、心がゆれだし自然に共感してしまいます。これが詩です。

    はたらく娘たち
             杉山平一
   

はたらく娘たち
お前たちがゐると
職場をおほふざわめきも
調子のいいミシンのひびきのやうに
僕らの心の破れを縫ひあはせる
お前たち
明るく笑ってばかりゐるが
本当はその手提げのやうに疲れてゐる
僕は見たのだ
ある退屈な仕事場の少女が
いぢらしい独白にふけつてゐるのを
それが疲れを少しでもなほすのならば
娘たちよ
いくらでも夢みるがいい
僕もまた
お前たちのみんなに
やさしい良人がえらばれるやう
お前たちの母とともに
祈る

 今回は私の次の詩を木魂させます。
  詩「染まらないで」(高畑耕治詩集『愛(かな)』所収)。

 これで『近代詩集』を通した詩想は終了し、次回からは『日本の詩歌 現代詩集』を読みとっていく予定です。


 ☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2100円(消費税込)です。

 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。

    こだまのこだま 動画
  
 ☆ こちらの本屋さんは店頭に咲かせてくださっています。
 八重洲ブックセンター本店、丸善丸の内本店、書泉グランデ、紀伊国屋書店新宿南店、三省堂書店新宿西口店、早稲田大学生協コーププラザブックセンター、あゆみBOOKS早稲田店、ジュンク堂書店池袋本店、紀伊国屋書店渋谷店、リブロ吉祥寺店、紀伊国屋書店吉祥寺東急店、オリオン書房ノルテ店、オリオン書房ルミネ店、丸善多摩センター店、くまざわ書店桜ケ丘店、有隣堂新百合ヶ丘エルミロード店など。
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大木実の詩。どのような時代にも揺るぎなく。

 『日本の詩歌26 近代詩集』(中央公論社、1979年)を読んでいます。これまで出会う機会のなかった詩人の良い詩が心に響きだすのを感じるとき、私は嬉しくなります。

 今回は、大木実(おおきみのる、1913年~1996年)の詩をみつめ感じとります。
 彼は詩集『故郷』を1943年、昭和18年に出版しています。第二次世界大戦、太平洋戦争のまっただなかです。
 そのような時に彼が、次のような、政治や時局に左右されない、ひとりの人間の心からの、愛する人への詩を書き、発表していることに、私は敬愛の想いを抱かずにはいられません。
 生きている者、生活している者にとって、本当に大切なものは何か、嘘偽りなく表現しているからです。
 政治的な視点では、この時局で、お国のために我慢しろ、何もかも率先して犠牲にして提供しろ、と命ずるだけです。そのなかで、静かにひとりの生活者の視点から問いかけている言葉には、時代と政治への抵抗の意思が示されているようにも、私は感じます。
 この詩は、どのような時代にも、人を、異性を、愛する心、想いやる心が、詩の源にあることを、教えてくれます。

   冬夜独居
              大木実


悲しくはないといふ
辛(つら)くはないといふ
晴衣や肩掛けを失くしてしまつたことも
祝福(いはひ)享けぬわたし達であることも
ちひさなひとつの部屋で
鍋で飯を炊(た)き
味噌汁をすする
ままごとのやうな生活(くらし)を幸(しあは)せだと喜ぶ
妻よ
おまへは本当に幸せなのか
おまへの笑ひがあどけないほど
おまへは泣いてゐるのではないか
哀しみを
おまへは包んでゐるのではないか

あすの朝餉(あさげ)の
買物に出ていつた妻のゐない部屋で
湯の沸(たぎ)る音を聴きながら
わたしはおもふ

これが生活(くらし)といふものか
幸福とはかうも静かに悲しいものなのか――

 もう一篇は、詩集『路地の井戸』(1948年、昭和23年)におさめられています。敗戦後の混乱、政治的な価値の百八十度の転換のなかでも、作者の詩の中心には、ヒューマニズムが揺るぎなくあることを感じます。私にとっても詩はそのように政治の手段では左右できない、人間にとって本来的で自然な価値です。時代に左右され壊されてはならない、人間の広く深く遥かで豊かな想い、心と感情の表現です。良い詩は、時代を越えます。
 次の優しい、子どもこころの詩は、今の子どもの心をも歌っていて、ほんとうだなあ、同じだなあ、と心温まります。

   おさなご
            大木実


おもちゃ屋の前を通ると
毬(まり)を買ってね
本屋の前を通ると
ごほん買ってねと子供は言う
あとで買ってあげようね
きょうはお金をもって来なかったから
私の答もきまっている
子供はうなずいてせがみはしない
のぞいて通るだけである
いつも買って貰えないのを知っているから

ゆうがた
ゆうげの仕度のできるまで
晴れた日は子供の手をひき
近くの踏切(ふみきり)へ汽車を見にゆく
その往きかえり 通りすがりの店をのぞいて
私を見あげて 子供は言う
毬(まり)を買ってね
ごほん買ってね

 
 私の詩を木魂させます。
  詩「おおきくなったら」(高畑耕治『詩集 こころうた こころ絵ほん』所収)

 次回は、わかりやすい言葉で詩を書き続けた詩人です。


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新しい詩「かもの赤ちゃん」をHP公開しました。

 私の詩のホームページ「愛のうたの絵ほん」に、新しい詩「かもの赤ちゃん」を、公開しました (クリックでお読み頂けます)。

   詩「かもの赤ちゃん」

お読みくださると、とても嬉しく思います。

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新しい詩「青い空のあの白い」をHP公開しました。

 私の詩のホームページ「愛のうたの絵ほん」に、新しい詩「青い空のあの白い」を、公開しました (クリックでお読み頂けます)。

   詩「青い空のあの白い」

お読みくださると、とても嬉しく思います。

 ☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2100円(消費税込)です。

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永瀬清子の詩(二)。母。歌。

 『日本の詩歌26 近代詩集』(中央公論社、1979年)に女性の詩人の掲載が極端に少ないことから前回は考えました。
 今回は永瀬清子(ながせきよこ、1906年~1995年)の作品そのものをみつめます。

 私の詩作品のなかには、女性が語っている創作作品もあります。太宰治の『斜陽』などと同じように、生れようとする作品にとって自然なふさわしい形と時があるからです。
 あたかも男女の性別は受精しはじめてさだまり、胎児となり出生するのと似通っています。

 創作者としてそのように考えつつ、読者のひとりとして出会う作品に対しては次のように感じることがあります。「このような詩、作品は、女性にしか書けない。男性として生まれ生きている私には書けない」という想いです。
 この想いには同時に必ず、見つけた心の感動が伴っています。永瀬清子の詩「母」を読むと私は感動し、とてもいいなと感じます。
 これまで私自身の作品もふくめて男性による母の詩をとりあげましたが、この作品ほど、母そのものとわかちがたく生理的な感覚と心のひだ、痛みにまでからまり合った表現はありませんでした。

   
                  永瀬清子


母つて云ふものは不思議な脅迫感にも似た、かなしいもので
わたしの意識の底ではいつも痛みを伴つてゐる。
母はほんとに貝殻みたいにもろく、こはれやすく
しかも母の影を負つて生れたことが、私にはどうすることも出来ない。
つらい、なつかしい夢みたいなもので
目がさめてもいつまでも神経がおぼえてゐる。
どこへ自由に行くことも出来はしない。
一寸動くとすぐこはれて、とげのやうにささる気がする。
実に痛い。どうすることも出来ない。

 もう一篇は、詩は詩歌、美しい歌だと、感じとらせてくれる作品です。
 前回、新体詩・近代詩で女性詩人が見落とされているか、短歌との違いを考えました。短歌はより心の歌そのものです。私は詩もその源は心の歌、切ない歌だと思っています。そのことを忘れてしまい感じとれない作品は漢詩と同じように、機智と観念と言葉の技巧の目新しさを競う遊戯に堕して、短期の流行にはのってもすぐに消えてしまいます。心に響かない、詩歌ではない、行分け体裁を整えただけの散文だからです。
 永瀬清子のこの詩は、やさしく心に響く美しい詩歌だと感じます。

   繭(まゆ)一つ
                 永瀬清子


苦しみとよろこびを貴方(あなた)は私に下さいました
それは私の中で切ない歌となりました
お穿(は)きと云つて翅(はね)のある小さい靴を今そろへて下さる。
おゝ私は蝶(てふ)になるのですか
さやぎあふ樹々のかげりの中を
歌はしづかにひらめきのぼり
はるかにしげみの方をみかへれば
むなしい繭(まゆ)が白くのこる


 今回は、この美しい蝶もきっと一緒にひらめいてくれると想う私の詩「うた」を木魂させます。

  詩「うた(高畑耕治『詩集 こころうた こころ絵ほん』所収)。

 次回は私の好きな、とても心優しい詩人です。


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永瀬清子の詩(一)。女性、詩と歌。

 『日本の詩歌26 近代詩集』(中央公論社、1979年)を読んでいます。これまで出会う機会のなかった詩人の良い詩が心に響きだすのを感じるとき、私は嬉しくなります。

 今回は、永瀬清子(ながせきよこ、1906年~1995年)の詩をみつめ感じとります。
 新体詩・近代詩と詩人を感じとろうとする今回の一連のエッセイについて、私は読みながら順次、良いと感じた詩、好きな詩を紹介してきました。お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、今回初めて女性の詩人をとりあげます。
 私はどちらかというと、女性の心の詩が好きな人間です。
 だから驚きました。この本には、63人の詩人が取りあげられています。が、そのうち女性の詩人は、今回紹介する永瀬清子ただ一人です。

 気になって、『日本の詩歌』シリーズの他の巻、著名な詩人ごとに編まれた個別の巻の構成も確認し直しました。女性は、与謝野晶子だけでした。

 この『近代詩集』のあと、『日本の詩歌27 現代詩集』を読みとるつもりですが、そこには64人の詩人中、9人の女性詩人が取りあげられています。
 ほんのわずかばかりましになっていますが、私の感覚では、紹介される詩人は、男性と女性がほぼ同じ人数であるのが自然です。では、『近代詩集』でそうでなかったのはなぜか?

 歌人の道浦都母子の『女歌の百年』(2002年、岩波新書)を少し前に読んでいました。この本には『近代詩集』と重なる時代に生きた個性輝く女性歌人の生きざまが紹介されていて感銘を受けました。
 20世紀前半の戦前、短歌と詩のあいだで、女性の作者の存在感に、なぜこのように大きな格差が生じてしまったのかについて、私は次のように思います。

① 新体詩・近代詩は、奈良・平安時代の漢詩に似ている。
 漢(中国大陸)と西欧の差異はありますが、ともに輸入品であること。輸入し真似たのは、学者・知識階級、官僚、高僧であり、その地位を独占していた男性であること。
② 新体詩・近代詩と短歌の関係は、漢詩と和歌の関係に似ている。
 和歌は男女問わず愛され歌われ、発生時から相聞歌としての伝統があります。短歌も同じです。

 では、どうしてそうだったのか
① エリートの独占物の性格がある。
 近代詩人も大学出身者が多く、当時女性の大学進学率は極めて低かったと思われます。
 彼ら大学進学者は女性が母親として育て上げ世に出そうとした息子たちです。支えていたのは母、自らの表現を息子に託した女性だったのではないでしょうか。

② 自分の詩集を出せるお金などなかった。
 息子の学費を優先させ犠牲になったのだと思います。

③ 女性は家事・育児に忙しすぎて詩をつくれる時間なんてなかった。
 私も子育てに追われた期間は詩が書けなくなりました。だから、この要因はとても大きいと感じます。
 前褐の本で道浦都母子が述べていますが、短歌なら、その限りなく僅かな時間に、家事をしながらも、生れ出た思いを書きとめることができる、と。
 実際は短歌であっても育児との両立はとても難しいことです。命だから目を離すことは許されません。
 さらに逆の意味で、命より以上に愛おしくかけがえのないものなどないことを肌身でふれ感じられる幸せを知るから、言葉や文字にむかう気持ちはうすれてしまいます。
 このように思う私は、子育てと執筆を並行し続けた与謝野晶子を心から尊敬しています。

④ 女性の作品の真実、良さを、評価できる詩人がほとんどいなかった。
 与謝野晶子にとって、与謝野鉄幹という、情熱的で詩と恋愛を愛する、女性の才能を見抜く心をもつ男性と出会ったことはやはり大きいと思います。
 金子みすゞの詩・童謡の素晴らしさを、西条八十は見抜き応援したけれども、彼女は因習・生活に圧し殺されてしまいました。それほど、女性に対して過酷すぎる時代が続き過ぎました。

 以上のように女性の詩を見出し紹介するという点で、この詩のシリーズの編集の限界を私は感じます。
 詩人を選ぶ基準に、詩集を出しているかどうかが、あったのではないでしょうか? お金がなくて詩集がだせないけれど、本当にいい詩を書いている女性はきっといます。作品そのものの価値は詩を出版して収録したかどうかと関係ありません。
 同人誌に、それも無理だった人は、ノートに、日記に、女性は詩を必ず書きつけていたと思います。
 なぜなら私は、恋愛に命までかけることさえできる女性、命の間近に寄り添い育む女性のほうが、男よりよっぽど、詩心ゆたかだと思うからです。

 日本の文学、とくに詩歌の心をうつ、いちばん大切なところは、紫式部、和泉式部、式子内親王、万葉の作者不詳歌、民謡、女性の心からあふれでた泉のような歌と祈りにあるのは、素直にみつめれば自然に感じることです。そのことを知らない、感じとれない者に文学を語る資格はありません。

 今回は、私の強く感じたことだけを、書き記しました。次回は、永瀬清子の詩作品そのものを紹介し、向き合って詩想を記します。

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tag : 詩人 高畑耕治 詩集 こころうた こころ絵ほん 永瀬清子

坂本遼の詩。恋人。お母ん。

 『日本の詩歌26 近代詩集』(中央公論社、1979年)を読んでいます。これまで出会う機会のなかった詩人の良い詩が心に響きだすのを感じるとき、私は嬉しくなります。

 今回は、坂本遼(さかもとりょう、1904年~1970年)の詩をみつめ感じとります。
 インターネットのウィキペディアで調べると、この詩人の詩集は『たんぽぽ』(1927年、昭和2年)一冊、彼は23歳です。
 その後は、小説集『百姓の話』、童話集『虹、真っ白いハト』、童話『きょうも生きて』を創作し、児童詩誌『きりん』の編集に協力しています。

 次の詩は部分の抜粋ですが、やわらかな抒情がひらがなの調べに香るようです。

  恋人     (*部分抜粋)
          坂本遼

やぶのなかに
かそかにしろくひかるものがあるでせう
あれがくらのしらかべです
をかのうへをわたる
ことりが
ゆふべ
あのしらかべにぶちあたつて
しんださうです

恋人はそのなきがらを
うづめてやつたといひました

 このようにやわらかな魂の詩人だから、次のような、日常語、方言のままの、心の語りかけのような、農村生活に密着した詩を書けたのだと思います。
 とても心に響く詩です。
 彼が子どもの心を失わない人であったこと、童話を生める魂の持主だったことが良く伝わってきます。


  
         坂本遼


おかんはたつた一人
峠田(たうげた)のてつぺんで鍬(くは)にもたれ
大きな空に
小ちやいからだを
ぴょつくり浮かして
空いつぱいになく雲雀(ひばり)の声を
ぢつと聞いてゐるやろで

里の方で牛がないたら
ぢつと余韻(ひびき)に耳をかたむけてゐるやろで
大きい 美しい
春がまはつてくるたんびに
おかんの年がよるのが
目に見えるやうで かなしい
おかんがみたい

 今回は、私の次の詩の木魂を聴きます。
  詩「ここにいて」(高畑耕治『詩集 こころうた こころ絵ほん』所収)。

 次回は、この本でただひとりの女性の詩人です。このことについても考えます。

 ☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2100円(消費税込)です。

 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。

    こだまのこだま 動画
  
 ☆ こちらの本屋さんは店頭に咲かせてくださっています。
 八重洲ブックセンター本店、丸善丸の内本店、書泉グランデ、紀伊国屋書店新宿南店、三省堂書店新宿西口店、早稲田大学生協コーププラザブックセンター、あゆみBOOKS早稲田店、ジュンク堂書店池袋本店、紀伊国屋書店渋谷店、リブロ吉祥寺店、紀伊国屋書店吉祥寺東急店、オリオン書房ノルテ店、オリオン書房ルミネ店、丸善多摩センター店、くまざわ書店桜ケ丘店、有隣堂新百合ヶ丘エルミロード店など。
 ☆ 全国の書店でご注文頂けます。
    発売案内『こころうた こころ絵ほん』
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tag : 詩人 高畑耕治 詩集 こころうた こころ絵ほん 坂本遼

小熊秀雄の詩。真実は孤独を破り時を越え。

 『日本の詩歌26 近代詩集』(中央公論社、1979年)を読んでいます。これまで出会う機会のなかった詩人の良い詩が心に響きだすのを感じるとき、私は嬉しくなります。

 今回は、小熊秀雄(おぐまひでお、1901年~1940年)の詩をみつめ考えます。(彼の作品はインターネットの青空文庫にも豊富に掲載されていて多様な作品を読むことができます。)

 前回紹介した岡本潤はアナーキーな表現者として生命力旺盛で長命でしたが、小熊秀雄は「しゃべりまくる」詩人であってもプロレタリア運動を押し進めようとした直進するような詩人です。良し悪しでなく、もって生まれた資質です。
 また前々回の大木惇夫が戦時に戦地で生き延びた体験詩や軍歌をつくり盛んに書きまくっていたとき、小熊秀雄は弾圧され「黙らされ」苦しみつつ病気に倒れ短い生涯を終えたこと、極端に違う生涯を思わずにいられません。

 この本には優れた詩の読解者である伊藤信吉が彼の詩を選び出しています。私は「蹄鉄屋(ていてつや)の歌」、「馬の胴体の中で考えていたい」、そして紹介する次の詩が特に心に響きました。
「蹄鉄屋(ていてつや)の歌」は彼が「しゃべりまくった」時期の独特な個性ひかる詩です。
「馬の胴体の中で考えていたい」は戦時下の言論統制と弾圧が激しくなり発表の場を奪われた時期の嘆きの詩です。
 そして次の歌は、苦しみのなか希望を絶たれそうなときに、それでも、自分に言い聞かせながら絞り出した叫びのような詩です。


  馬車の出発の歌
               小熊秀雄


仮りに暗黒が
永遠に地球をとらえていようとも
権利はいつも
目覚めているだろう、

薔薇(ばら)は闇(やみ)の中で
まっくろに見えるだけだ、
もし陽(ひ)がいっぺんに射(さ)したら
薔薇色であったことを証明するだろう
嘆きと苦しみは我々のもので
あの人々のものではない
まして喜びや感動がどうして
あの人々のものといえるだろう、
私は暗黒を知っているから
その向うに明るみの
あることも信じている
君よ、拳を打ちつけて
火を求めるような努力にさえも
大きな意義をかんじてくれ

幾千の声は
くらがりのなかで叫んでいる
空気はふるえ
窓の在(あ)りかを知る、
そこから糸口のように
光りと勝利をひきだすことができる

徒(いたず)らに薔薇の傍らにあって
沈黙をしているな
行為こそ希望の代名詞だ
君の感情は立派なムコだ
花嫁を迎えるため
馬車を支度しろ
いますぐ出発しろ
らっぱを突撃的に
鞭(むち)を苦しそうに
わだちの歌を高く鳴らせ。


 暗闇の中にある薔薇についての詩句は、とても美しいと思います。
 詩が進むにつれて、言葉が直線的になり、命令調になっているのは、彼がどうしようもない暗闇におかれ、絶望の淵にいるからです。そのようなとき人間は、短く直接的なきつく硬い叫びを絞り出し、生きていることを自分で確かめ、それでも生きろと自分に言い聞かせるのではないでしょうか。孤独のどん底で見えない人間に向けて絞り出す声。
 その声にとって、詩として整っているか非がなく優れているかどうかという評価はもうどうでもいいものです。肉声の真実は、歌となり、人の心に届き、響きます。

 小熊秀雄は戦争の終わりを見ずに亡くなりました。戦争は終わり、戦争に踊り庶民を虐げ戦火に殺した為政者も消えました。今もなお、小熊秀雄の詩の真実は、孤独を破り時を越え人の心に出会い、生きています。

 今回は、私自身がとても苦しいとき自分に言い聞かせ自分を励まし書いた詩を木魂させます。
  詩「瞳のおくに」(高畑耕治『死と生の交わり』所収)。

 次回は関西弁の心優しい詩人をみつめます。


 ☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2100円(消費税込)です。

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tag : 詩人 高畑耕治 詩集 こころうた こころ絵ほん 小熊秀雄

岡本潤の詩。お母さん!「罰当りは生きてゐる 」

 『日本の詩歌26 近代詩集』(中央公論社、1979年)を読んでいます。これまで出会う機会のなかった詩人の良い詩が心に響きだすのを感じるとき、私は嬉しくなります。

 今回は、岡本潤(おかもとじゅん、1901年~1978年)の詩をみつめ考えます。
 彼は、萩原恭次郎、壺井繁治とともに、未来派を標榜しました。三人の詩を読み、萩原恭次郎の第一詩集『死刑宣告』(1925年大正14年)の詩「愛は終了され」も紹介しようか迷いましたがやめました。恭次郎の人間性はたぶんきらいではないけれど、詩そのものへの感動が弱かったからです。

 文学運動であっても、運動の主張は声高に叫びアピールするものだけれど、強調符号!!!を繰り返し執拗に重ねることを私は好みません。表現として今までなかった奇抜さ、新奇さはあっても、詩そのもの、こころのゆらぎ、感動を伝えることは逆に弱められ、おろそかにしてしまうのではないかと、私は思います。

 萩原恭次郎と壺井繁治の作品への共感は薄かった私ですが、彼らとともにいた岡本潤の次の詩には、心に響くものがありました。なぜ? 説明できないことですが、私が彼に似ているのかもしれません。詩が好きと感じるのは、知らないまに木魂してしまう心を知ることだからです。


  罰当りは生きてゐる
                        岡本潤


あなたは一人息子(ひとりむすこ)を「えらい人」に成らせたかつた
「えらい人」に成らせるには学問をさせなければならなかつた
学問をさせるには金の要(い)る世の中で
肉体よりほかに売るものをもたないあなたは何を売らなければならなかつたか
だのにその子は不良で学校を嫌つた
命令と服従の関係がわからなかつた
先生の有難味(ありがたみ)といふものがわからなかつた
強(し)ひられることには何でも背中を向けた
学校へは上級生と喧嘩(けんくわ)をしに行くのであつた
一から十まであなたに逆らふ手のつけられない「罰当り」だつた
その子はあなたを殴りさへした
――その時その子が物陰で泣いてゐたことをあなたは知つてゐますか
それでもあなたはその因果な罰当りを愛さずにはゐられなかつた

学校を追はれた不良児は当然社会の不良になつた
社会の不良は「えらい人」が何より嫌ひでそいつらに果し状をつきつけた
「善良な社会の風習」に断乎(だんこ)として反抗した
その罰当りがここに生きてゐる
正義とは何かを掴(つか)んで自分を負けずに生き抜かうとする叛逆者の仲間に加はつて
警察へひつぱられたり あつちこつち渡り歩いたり
飢ゑて死んでも負けるかと言つて生き通してゐる

お母さん!
あなたが死んで十年
だがあなたの腹から出てあなたを蹴つた罰当りの一人息子は此の世に頑然と生きてゐます


 この詩にうたわれた心、生きざまに共感する心を私は抱いて生き、書いています。
  ブログ「権威が、学歴が、賞が、現代詩が、嫌いだから、詩歌が好き。」

 詩は、文学、創作だから、書かれていることが実際にあったことかどうかは、作品の価値に関係ありません。事実と虚構の境界はあいまいなものです。その境界を行き来する心の糸が織りあげた作品が、美しいか、真実を響かせているか、心うつものかどうか、大切なのはそのことにつきます。

 岡本潤のこの作品と、響きあっていると感じた、私の作品を木魂させます。
   詩「好きやねん」(高畑耕治詩集『愛(かな)』所収)。

 次回は独自の強い個から表現したことで岡本潤と似通うものがある同年生まれの詩人、小熊秀雄をみつめます。


 ☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2100円(消費税込)です。

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    こだまのこだま 動画
  
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tag : 詩人 高畑耕治 詩集 こころうた こころ絵ほん 岡本潤

大木惇夫の詩。言葉の音楽、うた。

 『日本の詩歌26 近代詩集』(中央公論社、1979年)を読んでいます。これまで出会う機会のなかった詩人の良い詩が心に響きだすのを感じるとき、私は嬉しくなります。

 今回は、大木惇夫(おおきあつお、1895年~1977年)の詩を見つめ感じ考えます。私は彼をまったく知りませんでした。インターネットのウィキペディアで調べると、戦時の戦争文学、戦争協力詩を戦後は批判、黙殺された、と記されています。
 ほとんどの文学者が戦時に戦争文学、戦争協力詩を書きました。価値観の180度の転換によって、翻弄されました。そのことだけをとらえて、全人格、全作品を、抹殺、黙殺するのは間違っていると私は思います。

 政治の思考、政治的な枠組みで、文学作品の価値を断定できるという驕りは誤っています。権力、時勢に迎合して、その時その時の正義・良識であるかのように振るまい主張し瞬時に化ける組織に統制されたマスコミの言説は、文学から遠く、私にはよっぽど厭わしく思えます。

 文学の表現は、政治的な立場や言動もその一面とする人間について、こころ、いのち、善と悪、罪、とらえがたいものを、ひろく深い根源から問う、ひとりの心が発する意思のあらわれです。文学表現の政治的な側面を誤りだと言及できる資格があるとしたら、自らの意思で、権力権威の変化、価値の転換まえから抵抗を貫いていた者だけです。

  以下の文章は、このような大木惇夫の生涯を調べる前に、作品だけから感じたまま書きましたが、そのままにします。作品そのものの評価は、政治思考の変化で左右され判定されるような貧しいものではないと私は考えるからです。

 第一詩集『風・光・木の葉』(1925年、大正14年)の巻頭の詩を感じとります。伊藤信吉の解説によると、この詩は北原白秋と山田耕筰の「詩と音楽」創刊号に発表されました。北原白秋のことを前回記しましたが、言葉の音楽性、うたについて鋭敏だった彼がこの詩集をなぜほめたのか。私もこの詩の良さは音楽性にあると感じます。

  風・光・木の葉
              大木惇夫


一すぢの草にも
われはすがらむ、
風のごとく。

かぼそき蜘蛛(くも)の糸にも
われはかゝらむ、
木の葉(このは)のごとく。

蜻蛉(あきつ)のうすき羽(はね)にも
われは透(す)き入らむ、
光のごとく。

風、光、
木の葉とならむ、
心むなしく。


 この詩の言葉はなぜ音楽的で美しいと感じるのか。
 個人的には3連がとてもいいと感じます。「透きいらむ、光のごとく」は「i(い)音」が表象と溶け合っていて、紀友則の「ひさかたの光のどけき春の日に静心(しづごころ)なく花の散るらむ」と響き合う美しさがあります。
 音数律は、四連とも、1行目九音(十一)、2行目七音(八音)、3行目六音(七音)と、繰り返しと微妙な変化があり、最終連のより大きな変化で印象を高めています。(詩人自身のこころが高まっています)。最終連初行の、「風、光、」は句読点「、」に二音、三音ほどの間(ま)をもたせることで、かぜ(**)ひかり(***)で十音としています。

 次に頭韻、脚韻については、1、2、3連とも「われは**らむ」をくりかえしつつ**を変奏し、最終連はよりおおきな変化「木の葉とならむ」で高めています。
1、2、3連の最終行の行末は「のごとく」と脚韻させ、最終連は「心むなしく」と変化した韻で印象を強めています。

 1、2、3連の最終行の行頭に題名の、風、木の葉、光を、意識的に、順序は変化させ置いています。

 最後に、次のように音が美しく響き合っています。
1連1行目「すぢ」2行目「すが」。2連1行目「かぼ」2行目「かか」。3連1行目「あきつ」「うすき」2行目「すきい」。最終連2行目「このは」最終行「こころ」。
 音を呼び、音が呼ばれ、波のようなゆらめく流れを感じます。

もう1篇の良い詩を。


 ふるさと
        大木惇夫


朝かぜに
こほろぎなけば、

ふるさとの
水晶山も
むらさきに冴(さ)えたらむ、

紫蘇(しそ)むしる
母の手も
朝かぜに白からむ。

 音数律は五音と七音、十音(五音+五音を早く連結)でくりかえしを感じとらせます。また、2連末と3連末の「らむ」の脚韻も響き合って心に残ります。。

 この詩について伊藤信吉の解説に良い言葉を見つけました。「聴覚、視覚、嗅覚によって、秋の清涼の気と郷愁の思いとを抒情している。」
 1連「こほろぎ」の音、2連「むらさき」の色、3連「紫蘇」の色と香り、朝かぜの「触れる感覚」、「母の手」の色。短い詩の言葉に豊かな変化を織りこめています。

 5行目行頭の「むらさき」と、6行目行頭の「紫蘇」も、日本語のひらがなと漢字ならではの美しい照応を感じさせてくれます。

 今回の最後に、私の言葉の音楽、こころのうたを木魂させます。
  詩「うたをさがして」(高畑耕治詩集『愛のうたの絵ほん』所収)。 

次回は未来派、アナーキズムの詩人をみつめます。

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生田春月の詩。生と死、魂の境界で。

 『日本の詩歌26 近代詩集』(中央公論社、1979年)を読んでいます。これまで出会う機会のなかった良い詩を見つけると私は嬉しくなります。

 今回は、生田春月(いくたしゅんげつ、1892年~1930年)の詩を見つめ感じ考えます。
 二十歳前後に私は彼の詩集を手元にもって読んでいました。彼は昭和五年に自殺しています。その頃私は生と死の境界線上にいたので、彼の言葉は死にひっぱる力として心に刺さりました。今回この本に掲載された詩を読むと。今もまた私の心に響くものがあります。彼の詩「誤植」を紹介します。

  誤植
           生田春月


我が生涯はあはれなる夢、
我れは世界の頁(ページ)の上の一つの誤植なりき。
我れはいかに空(むな)しく世界の著者に
その正誤(しやうご)をば求めけん。
されど誰か否(いな)と云ひ得ん、
この世界自らもまた
あやまれる、無益なる書物なるを。

 この作品を詩と感じるかどうかは、読者次第です。告白に近い言葉です。でもとても強く迫ってくるものがあります。
 この考え、感じとり方が正しいかどうかは、人間にはわからないけれど、世界、宇宙に対しての、否定です。
 この世界、宇宙は間違っている。
 彼はそのように語り、その言葉、考えに殉じるかのように自殺したから、そこに嘘はないと私は思います。嘘がない、真実であることだけが詩だと私は思っています。
 私の心のなかにも、この言葉に強くひっぱられる思いが今もあります。
 けれど、私はそれでも生きたいという思いにかけています。そこにも嘘はないと思います。
 この世界、宇宙は間違っている、かもしれないけれど、生きたい。
 死にたい、けど生きたい。死にたい、だから生きたい。
 その思いは、祈り、信仰とほとんどわけがたいものです。

 私は、生きることを選ぶのなら、生きたいという願い、祈りに、寄り添い、ほんの少しでもこころを温める作品を書こうと誓って書いています。

 いじめ、自殺が絶えません。私の想いを記したエッセイを引用します。
  自殺を思うひとに

 今回記した想いを凝縮した私の詩を木魂させます。

  詩「あどけない星魂の話」(高畑耕治『詩集 こころうた こころ絵ほん』所収)。

 次回はまだ未定です。詩心との出会いを求めて旅しています。


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白鳥省吾、反戦の詩。言語表現と主題。

 『日本の詩歌26 近代詩集』(中央公論社、1979年、解説・伊藤信吉)を読んでいます。これまで出会う機会のなかった良い詩を見つけると私は嬉しくなります。

 今回は、白鳥省吾(しろとりせいご 1890年~1973年)、宮城県生まれの詩人です。この詩人の名は知っていましたが、作品はまだ読んだことがありませんでした。
 伊藤信吉の解説によると、民衆詩派の一人と称された彼は、農民詩、戦争批判の詩を書いています。

 「詩人・白鳥省吾を研究する会のホームページ」を今回見つけました、とても充実しています。
 そのHP中の次の記事で彼の反戦詩の代表作といわれる詩「殺戮の殿堂」を読むことができ、戦争について考えさせられます。靖国神社の軍事博物館・遊就館を直視した優れた作品だと私は思います。

  白鳥省吾物語 第二部会報十五号、二、民衆派誕生 大正七年、(二)「殺戮の殿堂」

 このHPの記事にはまた、民衆詩派の口語自由詩が、彼とほぼ同年代の北原白秋から「行分け散文」と批評されたことが書かれていました。
このことについて、私の考えを記します。
 

 私は、詩は一人の人間の心、個性を通して現れ出る普遍なのだから、まず、「派」として異なる個性を枠に閉じ込めくくるのは、交友関係を示すものさしとしての便宜にはなっても、作品の評価においては、意味がないと考えています。

 次に、「行分け散文」は日本語の口語自由詩の作品ほとんど全てに当てはまる評価です。
 もともと散文的な口語を用いていることを自覚して、韻文的な響きをどのようにどれだけ表しうるかに、作者としての天性・技量・能力を注ぎ込み見えない苦闘をしているから詩は芸術だといえるけれども、口語自由詩の韻文的な性質はとても微かなものです。
 そして、より社会的な批評性のある詩、農民詩、反戦詩としての性格があることと、作品がより「行分け散文」であるかどうかの間に、直結する因果関係はありません。象徴的、幻想的な主題の作品でも、主題のない言語至上的な作品でも、口語自由詩の大部分は「行分け散文」です。
 だから「民衆詩派の詩、社会的な批評性のある詩、農民詩、反戦詩」は「行分け散文」という考えは、批評とはいえません。

 詩の、言語表現としての美しさを私は愛しますが、同等に、主題の切実さ・書かずにはいられない核があることに私は感動します。良い詩にはこの両面が切り離されないほど緊密に結びつき一体となって織り込まれています。

 北原白秋は前者、言語表現そのもの、言葉の音楽面に多彩な才能を現した詩人です。一方で後者の主題については弱くて空疎な表現も多くしています。
 私にとって彼は巧い詩人だけれど作品に感動することが少ないから、学ぶ人ではあっても、好きな敬愛する詩人とはいえません。

 この本に掲載されている白鳥省吾の5作品「耕地を失ふ日」、「死者の子守唄」、「夕景」、「遠い日」、「比喩」のうち、次の「死者の子守唄」が、上述した言葉の織物として優れた作品だと私は感じます。

 宮城県生まれの詩人。この作品はお盆の鎮魂の花。
 東日本大震災で亡くなられたひとりひとりの方にとっても、鎮魂の花でありますように。


  死者の子守唄
                  白鳥省吾
       

荒磯(ありそ)の疎(まば)らな松林のなかに
いくつかの墓が並ぶ
墓のほとりに盆火がとろとろと燃え
墓の面を照らしてゐる
星空の下に
波の音に慄(ふ)るへて。

この世から去れる祖先や知人の墓のまへに
潮風にも消されず火は静かに燃える
海辺に育ち海辺に死に
或は海に溺(おぼ)れ死んだ人々の墓
その死の眠にも絶えず通ふ荒磯のひびき
人間のさびしさ。

永遠の波のさびしさ
これらの墓の底に眠るなつかしい素裸の魂も波の音に慄へる
そして大地を揺籃として人々は寂しく眠る
それにしても海は何といふ雄々しい子守唄だ。

生ける者にはまだしも
死せる者の眠には余りに力強い響きではないか
然し海潮の高鳴りに遠く耳を澄ませば
その底に幽(かす)かに
優しい子守唄が咽(むせ)びきこえる。

 
今回は最後に、この詩と響きあう私の詩、戦争を厭う海と鎮魂の詩を木魂させます。

 詩「たこ」(高畑耕治詩集『海にゆれる』所収)。

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中川一政の詩。かなし、いとし、いとほし。

 『日本の詩歌26 近代詩集』(中央公論社、1979年、解説・伊藤信吉)を読んでいます。これまで出会う機会のなかった良い詩を見つけると私は嬉しくなります。

 前回は武者小路実篤の詩と白樺派について書きましたが、そこでふれた有島武郎が推奨した詩人と出会いました。独学で油絵を学んだという画家でもある中川一政(1893年~1991年)です。
 (インターネットで調べると記念館もある方なので、ご存知の方も多く、不勉強な私が知らなかっただけかもしれません)。
 この本に収録された彼の詩「貧しき母」や「黙つてゐる蝉」を読むと、武郎の共感が私にも伝わってきました。
 「貧しき母」でこの詩人は、「かなし」「いとし」「いとほし」という言葉を繰り返します。これらの気持ちが入り乱れ交じり合ったこころを表す「愛(かな)し」という心の感動が、私の詩の通底音、泉の源です。

 
  貧しき母
            中川一政


人はなべてかなし
さ夜ふけし夜のみち
米何升を買ひてかへるもの
あにわが母のみならんや

われはけふ
しほ鮭のひときれを
買ひてかへるまづしき人を見たり
顔あおざめて
この世にいまは為(な)すことなきが如(ごと)けれど
背には子を負へり
何も知らざるをさな児よ
汝が母の背はあたゝかくして
汝が母がくるゝものはうまきかな

ねむれ、いとし児
みちたりて
ねむれいとし児
なが幼児なる日
母は世にも貧しきくらしをなしつゝ
なをそだてあぐるなり

すべて人は労苦す
すべてのものはみなかなし
されど子を守る母はありて
をのれひときれの塩鮭を
紙につゝみて買へども
なほ世のどん底に
死なせずしてとらふる力あり
なほ世のためになさしむるなり
いとほしの汝が児を
おのがじし
わが児を負へる
ちまたの母は涙ぐましきかな。

 「貧しき母」は、過去の時代の詩ではありません。現代にも同じように幼子を一身に背負って生活苦に耐えている貧しい母はとても多いと思います。時おり虐待などの破綻した悲劇が報道され、母だけが加害者として非難されています。が、そこまで追いつめてしまう弱者切り捨て社会のひずみもまた加害者であることを忘れてはいけないと思います。
 もう一篇、画家らしい眼差しで、いのちをとらえ、言葉にした良い詩を引用します。


  黙ってゐる蝉
            中川一政


手の掌(ひら)にのせても
ひつかりかへしても
黙つてゐる蝉
強かつた羽根(はね)の力が今は失(う)せたが
苦しくても
さびしくても
じつとこらへてゐるやうに
何事も語らない
強い引きしまつた鋼鉄色の
ぐわんけんな身体(からだ)も今は弱つたが
時々何をか思ふ羽ばたきして
黙つて
短い一生を送らんとする


 今回は最後に、これらの詩と響きあう私の詩、愛(かな)しい蝉の詩を木魂させます。

   詩「かなかな」(高畑耕治詩集『愛(かな)』所収)。

 次回もこの本から、民衆詩派の詩人を見つめます。


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『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2100円(消費税込)です。

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 ☆ こちらの本屋さんは店頭に咲かせてくださっています。
 八重洲ブックセンター本店、丸善丸の内本店、書泉グランデ、紀伊国屋書店新宿南店、三省堂書店新宿西口店、早稲田大学生協コーププラザブックセンター、あゆみBOOKS早稲田店、ジュンク堂書店池袋本店、紀伊国屋書店渋谷店、リブロ吉祥寺店、紀伊国屋書店吉祥寺東急店、オリオン書房ノルテ店、オリオン書房ルミネ店、丸善多摩センター店、くまざわ書店桜ケ丘店、有隣堂新百合ヶ丘エルミロード店など。
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武者小路実篤の詩「戦争はよくない」と、原発。

 今回からは、新体詩に続く時代に書かれた詩、近代の詩と詩人『日本の詩歌26 近代詩集』(1970年、中央公論社)を通してみつめ考えていきます。
 
 この本で最初に印象深く心に響いたのは、武者小路実篤でした。伊藤信吉の解説(以下同じ)によると、彼は1910年明治43年「白樺」を創刊。理想郷「新しき村」を宮崎県日向に1918年大正7年開設しています。

 私は彼の小説を中学生のとき読んだ記憶があります。夏目漱石の『こころ』などとともに読書の入り口の時期に良く読まれる本ではないでしょうか。
 白樺派はなぜか好きで親しみを感じ、志賀直哉の『暗夜行路』も良く分からないまま読んだこと自体に満足して、大山に登山したおりなど主人公に自分を重ね感慨深く感じた思い出があります。

 青年期になり、小説家を目指し始めた頃は有島武郎に深い共鳴を感じほとんどの作品を読みました。
 その後、私は、思集・詩想集ともいえる『死と生の交わり』を書き、次作品の『海にゆれる』からは詩集を創作し生きていますが、彼の人間性、作品では「惜みなく愛は奪ふ」や「クララの出家」など、今も変わらず心に残っています。(彼と太宰治と原民喜を日本の作家として私は心から敬愛しています。)

 白樺派の作家(ただ志賀直哉は太宰の『斜陽』にたいする鈍さで幻滅しましたが)に共通して響いているのは、人間、いのちをみつめるまなざし、ヒューマニズム、文学の根源にある泉です。
 
 『近代詩集』には、武者小路実篤の詩が3篇掲載されていますが、どれも強い個性を感じる言葉です。「火を」、「一個の人間」と、引用する「戦争はよくない」です。

 解説によるとこの詩は、プロレタリア文学運動の先がけの役割を果たした無産階級文学の先駆的雑誌「種蒔く人」に、1921年大正10年12月号に発表されました。第一次世界大戦後、数年の時期です。


  戦争はよくない

             武者小路実篤

俺は殺されることが
嫌ひだから
人殺しに反対する、
従って戦争に反対する、
自分の殺されることの
好きな人間、
自分の愛するものゝ
殺されることの好きな人間、
かゝる人間のみ戦争を
讃美することが出来る。
その他の人間は
戦争に反対する。
他人は殺されてもいゝと云ふ人間は
自分は殺されてもいゝと云ふ人間だ。
人間が人間を殺していゝと云ふことは
決してあり得ない。
だから自分は戦争に反対する。
戦争はよくないものだ。
このことを本当に知らないものよ、
お前は戦争で
殺されることを
甘受出来るか。
想像力のよわいものよ。
戦争はよしなくならないものにせよ、
俺は戦争に反対する。
戦争をよきものと断じて思ふことは出来ない。
 
 とてもまっすぐな言葉です。詩としては最小限の技巧、形をたもつだけです。それでも、訴えかけてくるものの強さを受け止めたいと感じさせる力強い作品だと私は思います。このような言葉がもっとあっていいと思います。

 表現のかたちは異なりますが、込めた思いの強さは通じている私の作品をここに木魂させます。

   「おばあちゃんの微笑み」(『詩集 こころうた こころ絵ほん』所収)。

 政治が絡むテーマの主張は、プロパガンダ、煽動に転じやすい危うさをもちます。イデオロギーと同じ言語レベルの頭だけで考えたことの発言と化してしまうと。ひとりの人間の眼差しが見つめた、心の揺れ動きに生まれた言葉でなければ。でも、そのことを意識しつつ、「本当のこと」を伝えるのが詩人だと私は考えています。

 この詩「戦争はよくない」を読むと、いま私の胸のうちに聞こえる声があります。直接の結びつきはなくても、重なるその心の響きは単なる政治主張ではない、もっと人間にとって大切な本当のことだと、聴きとり感じとる方は私だけではないと思います。

「原発はよくない」。声が木魂しています。


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土井晩翠の詩「星と花」

 新体詩、近代詩の黎明期についての雑感を前回書き記しました。
 書きもらしたことを、まず補記します。

 雅語と古語
 薄田泣菫と蒲原有明は、その詩に、雅語と古語(既に使われない死語)をちりばめています。泣菫自身が言っているように、日本語による新体詩をより豊かにしよう、語彙を増やそうと意識しての開拓意思によります。
 私は試みる意思に共感しますが、この挑戦は失敗だったと思います。

 文語は口語と隔たっていますが、さらに文語でももちいない雅語と古語(死語)を取り込んだことで、口語からかけ離れた作品になってしまいました。声、息遣いを失ってしまったひとりよがりな言葉遊びです。
 二人の詩が、とても読んで苦しいのはここに原因があります。現代詩の病弊と通じています。

 言葉に対する理解が浅かったのではないでしょうか。詩語、詩句といっても、詩人がないものを創り出すものではありません。そこには驕りがあります。
 私は古い言葉を大切にとても愛しく思います。そして、古代、万葉の時代に、話されていた、和歌に用いられていた言葉で、受け継がれてきて、今もなお用いられる言葉のいのちはすごいと思います。いのちとおなじように、受け渡されてきたのですから。   
 だからこそ、その美しさを伝え、輝かせ響かせ、言葉のいのち、言魂を受け渡すのが、詩人の役割ではないかと考えます。詩人は神様ではないのですから、無から生みだすことはできません。また、死語を復活させることもできません。
 古典を古典として愛することは過去の遡り、解読し理解しようとすることだから、別のことです。
 新しい詩をつくること、詩の創作は、他のどの文学ジャンルよりも、受け渡されてきた言葉、人と人との間で今生きている共有されている言葉の、表情、声音、ニュアンス、かたち、明暗、歴史をこそ、限りなくゆたかに響かせようとする試みなのだと思います。

 以上、詩想を書き連ねましたが、そのうえで、私は、詩は作品がすべて、と思っています。作品は表情、個性をもったかけがえのない言葉の花、いのちです。
 批評は大切であっても、詩の美しさは理屈ではありません。初恋の一目ぼれのように、好きならそれでいい、理由はいりません。感じとれることのほうが大切だし、詩の喜びは、こころを、感動を感じることです。

 今回この詩人集を読んで、私が一目見て心ときめいた詩を咲かせます。この作品を見つけたから、読んでよかったと思っています。文語ですが、雅語や古語はまったく使っていないので、口語のすぐとなりにある詩です。
 詩にとって百年の歳月の隔たりはあるようでないようなもの、今、いい詩だな、好きだなと私は感じます。

 出典は『日本の詩歌2 土井晩翠、薄田泣菫、蒲原有明、三木露風』(1976年、中公文庫)です。


  星と花 
          土井晩翠


同じ「自然」のおん母の
御手にそだちし姉と妹(いも)
み空の花を星といひ
わが世の星を花といふ。

かれとこれとに隔たれど
にほひは同じ星と花
笑みと光を良い宵々(よひよひ)に
替はすもやさし花と星

されば曙(あけぼの)雲白く
御空の花のしぼむとき
見よ白露のひとしづく
わが世の星に涙あり。


 私も星や花が好きですので詩を書いています。一篇咲かせます。こころのこだまが聴こえるでしょうか?

 すず虫とちいさな花(高畑耕治詩集『愛のうたの絵ほん』から)。


 次回は、白樺派に想うことです。


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