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高畑耕治

Author:高畑耕治
愛のうたの絵ほんは、高畑耕治の詩と詩集の海です。
Profile 高畑耕治 たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪府四條畷市出身、早稲田大学政経学部中退。東京都多摩市在住。
詩集『銀河、ふりしきる』(2016年5月イーフェニックス)
詩集『こころうた こころ絵ほん』(2012年同上)
詩集『さようなら』(1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25)
詩集『愛のうたの絵ほん』(1994年同上)
詩集『愛(かな)』(1993年同上)
詩集『海にゆれる』(1991年土曜美術社)
詩集『死と生の交わり』(1988年批評社)
雑誌「エヴァ」に扉の詩(1996~1997サンマーク出版)を連載。
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若山牧水の詩歌。破調。壊れた心から言葉はこぼれ。

 前回は与謝野晶子の短歌を見つめました。出典の同じ本には、若山牧水の短歌集も収められていて、読むことができました。

1.牧水の代表歌
 彼の短歌で、私がいちばん好きなのは、おそらくいちばんよく知られている「白鳥は…」の歌で、白鳥と空と海が目に浮かび、海にいきたい想いがつのります。
 この歌を含め第一詩集『海の声』から選び出した好きな歌四首はどれも、いのちの旅人である歌人の詩心をまっすぐ響かせていて、抒情がとても美しいと思います。

歌集『海の声』から。若山牧水
(1908年・明治41年、24歳)


われ歌をうたへりけふも故わかぬかなしみどもにうち追はれつつ

白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

けふもまたこころの鉦(かね)をうち鳴(なら)しうち鳴しつつあくがれて行く

幾山河(いくやまかは)越えさり行かば寂しさの終(は)てなむ国ぞ今日も旅ゆく

2.牧水の「破調」
 若山牧水のこれらの代表歌の他に、今回印象深く考えさせられたのは、歌集『みなかみ』の時期に生まれた、定型を破った口語的発想の「破調」の歌です。
 解説文によると、牧水自身はこれらの歌を「長歌」または「新長歌」、「短曲」、「短唱」と名づけようか、と書いています。

「破調」とは、定型詩歌である短歌の決まりごと、三一文字の音を五七五七七の音数律でつくるという基本を「破った調べ」です。一音多い「字余り」や一音少ない「字足らず」は基本の些細な変調とみなせますが、「破調」の場合は音数律の基本を「壊し、はみだす」歌です。

 これらの詩形の約束を「壊れた」「壊した」歌が、牧水に生まれたのは、彼の父が亡くなり帰郷していた時期と重なります。
 私はこの「破調」の歌を読んで、破れた心、壊れた心から、漏れで、こぼれた想いを、転写するように掬いあげるしかなかった、そのように生まれ出るしかなかった言葉を、約束事の音数に取捨選択してはめ込むために推敲することは逆に想いのかたちを壊すことになるように彼には思えたのではないか、と感じます。
 切迫感が静かに薄い氷のように、今にも割れそうなほどに、張りつめています。

歌集『みなかみ』から。若山牧水
(1913年・大正2年、29歳)


納戸の隅に折から一挺(ちやう)の大鎌(おほがま)あり、汝(なんぢ)が意志をまぐるなといふが如(ごと)くに

飽くなき自己虐待者に続(つ)ぎ来たる、朝(あさ)、朝のいかに悲しき

新(あら)たにまた生るべし、われとわが身に斯(か)く言ふとき、涙ながれき

傲慢(がうまん)なる河瀬(かはせ)の音よ、呼吸(いき)はげしき灯(ひ)のまへのわれよ、血のごとき薔薇(ばら)よ

薔薇を愛するはげに孤独を愛するなりきわが悲しみを愛するなりき

愛する薔薇を蝕(むし)ばむ虫を眺めてあり貧しきわが感情を刺さるるごとくに

さうだ、あんまり自分のことばかり考へてゐた、四辺(あたり)は洞(ほらあな)のやうに暗い

御墓(みはか)にまうでては水さし花をさす、甲斐(かひ)なきわざをわがなせるかな

わが厨(くりや)の狭き深き入り口に夕陽(ゆふひ)さし淵(ふち)のごとし噤(つぐ)みて母の働ける

飛ぶ、飛ぶ、とび魚がとぶ、朝日のなかをあはれかなしきこころとなり

かなしき月出づるなりけり、限りなく闇(やみ)なれとねがふ海のうへの夜(よる)に

高まりたかまりつひに砕(くだ)けずにきえゆきし曇り日の沖の浪(なみ)のかげかな

● 出典・『日本の詩歌4 与謝野鉄幹 与謝野晶子 若山牧水 吉井勇』(中公文庫、1975年)。

 次回は、私自身の「破調」について記します。

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与謝野晶子の詩歌(十三)。君への愛を歌う。『みだれ髪』と『白桜集』。

 20世紀の冒頭から半ばまで、ゆたかな詩歌を創りつづけた女性、与謝野晶子の作品をみつめつつ詩想を記してきました。
 与謝野晶子は生涯を通じて社会評論の他に、文学作品として詩や童謡など、とても豊かな詩歌を生み続けたことを、あまり注目されなかった視点を主にして記してきました。

 最終回の今回、彼女自身も、また周囲も評価してきた歌人としての作品、短歌をみつめます。
 今回彼女の第一歌集『みだれ髪』全篇と、生涯に歌われた数万首のなかから晶子自身が自選した歌集を読みました。後者のあとがきとして、彼女の作品の評価が『みだれ髪』を含む初期の歌集に偏っていることへの不満を述べています。初期の歌は、藤村や泣菫(きゅうきん)の詩の影響を強く受け過ぎた模倣でもあり、自分としてはその後の作品の方が良いと思っていると述べて歌集を編んでいます。

 私は短歌の専門家ではありませんので、詩歌を愛する一読者としての感想を率直に述べて、好きな歌を選びました。
私の好みからすると『みだれ髪』と初期歌集の歌は、清新さと情熱、ひとりの異性「君への愛」の想いに満ちあふれていて、魅力的であり、美しいと感じます。古代からの和歌の伝統に洗われた時代を越えた優れた女性歌人たち、額田王や和泉式部や紫式部や式子内親王を受け継ぐちからを感じます。

 晶子自身がより良いとして多く選んだ、それ以降の歌で気づくことは、「君への愛」が歌われなくなったことです。与謝野鉄幹との夫婦生活は、育児と生計に追われて、冷めてもいき、情熱的にはもう歌えなくなったのかもしれません。
 短歌として歌われた題材・モチーフのほとんどは、旅と叙景で、私には晶子でなくても歌えそうな平凡な歌に感じられました。
 創作をかさねて身に付けた短歌の詩法が、端正に、玄人ごのみに秘められた奥行きのある歌であるのを、素人の私がわからないだけかもしれませんが、心を強く揺り動かされるには歌い込まれた思いが弱いと感じました。

 この時期には前回まで見てきたように、自由詩で様々な主題を取りこみ、童謡をやさしく歌い、評論で厳しく社会批評しています。短歌にはそこで表現された主題はほとんど詠まれていません。だからこの時期の彼女の最も優れた表現は、短歌以外にあったと私は感じます。

 ここで終わるのが普通ですが、晶子がすごいと思うのは自選歌集を編んだ後、他者に編まれた遺稿集『白桜集』があり、この最後の歌集で歌人としての魂を燃やし尽くし歌いあげたことです。

 この歌集には、夫の与謝野鉄幹が亡くなった後の鎮魂歌がまとめられています。(出典では解説者の歌人・馬場あき子がこの珠玉の歌集を自選歌集に追加しています。)

 『白桜集』には、初期歌集以降消えていた「君への愛」が亡き人への鎮魂歌として甦っています。最愛の人に取り残された、老齢の、さびしく、悲しい歌ですが、年齢の深みを湛え、とても澄みきっていて美しいと私は感じます。
 
 晶子は、愛の歌人、人間の心と魂を歌わずにはいられない歌人だったと、約40年の歳月を隔てたふたつの歌集が教えてくれます。歌う人と聴く人の心をもっとも痛切にゆらし打つ詩は、愛の歌と、鎮魂の歌です。そのことを自らの生き様で示した晶子は、詩歌の人そのものだと、心から尊敬せずにいられません。

 以下、それぞれの歌集から私の心に特に強く響き、沁みた歌を選び出しました。余計な解説は付け加えなくても、読者の心に強く訴えかけて響き続ける、美しい愛の歌だと、私は思います。

『みだれ髪』から。与謝野晶子
(1901年・明治34年、24歳、東京新詩社)


その子二十(はたち)櫛(くし)にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな

臙脂色(えんじいろ)は誰(たれ)にかたらむ血のゆらぎ春のおもひのさかりの命

清水(きよみづ)へ祇園(ぎをん)をよぎる桜月夜(さくらづきよ)こよひ逢ふ人みなうつくしき

やは肌(はだ)のあつき血潮にふれも見でさびしからずや道を説く君

みだれごこちまどひごこちぞ頻(しきり)なる百合ふむ神に乳(ちち)おほひあへず

乳ぶさおさへ神秘のとばりそとけりぬここなる花の紅(くれなゐ)ぞ濃き

なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな

むね清水(しみづ)あふれてつひに濁りけり君も罪の子我も罪の子

いとせめてもゆるがままにもえしめよ斯(か)くぞ覚ゆる暮れて行く春

春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳(ち)を手にさぐらせぬ


『白桜集』から。与謝野晶子
(1942年・昭和17年、65歳・遺稿集)


人の世に君帰らずば堪へがたしかかる日すでに三十五日

山山が顔そむけたるここちすれ無惨に見ゆるおのれなるべし

鎌倉の除夜の鐘をば生きて聞き死にて君聞く五月雨の鐘

落葉松(からまつ)の上の信濃の夕焼の雲を君来てただ一目見よ

我れのみが長生(ちやうせい)の湯にひたりつつ死なで無限(むげん)の悲みをする

君知らで終りぬかかる悲みもかかる涙もかかる寒さも

多磨の野の幽室(いうしつ)に君横たはりわれは信濃を悲みて行く

我が旅の寂しきこともいにしへもわれは云はねど踏む雪の泣く

伊豆の海君を忍ばず我れもなき千年(せんねん)のちを思ふ夕ぐれ

紅椿君が忌月となりぬれば哀れ哀れと云ひつつも落つ

山荘のランスの鐘よ今振れば君が涙の散るここちする

初めより命と云へる悩ましきものを持たざる霧の消え行く

帰るべき静かならざる都もち身も投げがたし青海の伊豆

木の間なる染井吉野(そめゐよしの)の白ほどのはかなき命抱く春かな

● 出典・『日本の詩歌4 与謝野鉄幹 与謝野晶子 若山牧水 吉井勇』(中公文庫、1975年)。
・『与謝野晶子歌集』(与謝野晶子自選、馬場あき子解説、岩波文庫、1985年改版)。

次回は、若山牧水の短歌を見つめ詩想を記します。

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与謝野晶子の詩歌(十二)。押韻小曲。自由詩の音楽の試み。

 20世紀の冒頭から半ばまで、ゆたかな詩歌を創りつづけた女性、与謝野晶子の作品をみつめつつ詩想を記しています。

 今回は与謝野晶子の詩を見つめる最終回です。「小鳥の巣(押韻小曲五十九章)」について、日本語の口語自由詩に押韻により音楽性をもたせようとした彼女の試みを作品を通して感じとります。
 
 五十九ある小曲から私の好きな作品を選びました。全体の特徴を挙げると、
① いづれも全5行の短い詩で、すべての詩行は音数律七五調です。 
   例)いつもわたしの(七)むらごころ(五)
② 口語を主とした試みです。文語的表現はありますが、晶子の短歌はほとんど文語なのに比べるとずっと。

 以上を踏まえ、口語の自由詩として音韻を踏んだことによる効果と、言葉の音楽性が高まったかどうかについては、以下個々の小曲を通してみつめ、感じたことを●印に続けて記します。なお、各小曲ごとの題名はありません。
(押韻している詩句は赤色文字緑色文字にします)。

  小鳥の巣(押韻小曲五十九章)(抄)
                与謝野晶子

    
いつもわたしのむらごころ
真紅《しんく》の薔薇《ばら》を摘むこころ
雪を素足で踏むこころ
青い沖をば行《ゆ》くこころ
切れた絃《いと》をばつぐこころ

● 五行とも同じ詩句「こころ」の体言止めで結んでいるので、詩行の区切りはわかりやすく、単純ともいえます。

いつか大きくなるまま
子らは寝に来《こ》ず、母の側《そば》。
母はまだまだ云《い》ひたきに
金《きん》のお日様、唖《おし》の驢馬《ろば》、
おとぎ噺《ばなし》が云《い》ひたきに

● 一、三、五行の押韻「にni」はとても弱い音ですが、三行目と五行目は詩句の想いの強さが押韻を強めています。二、三行目の「そば」、「ろば」はわかりやすく耳に残ります。
  
おち葉した木が空を打ち
枝も小枝も腕を張
ほんにどの木も冬に勝ち
しかと大地《たいち》に立つてゐ
女ごころはいぢけがち
    
● 二、四行目の「る」は日常語の語尾なので押韻とまでは感じません。五行目は詩行は面白いけれど。無理やり押韻した不自然さがあります。

誰《た》れも彼方《かなた》へ行《ゆ》きたがる
明るい道へ目を見張る
おそらく其処《そこ》に春がある
なぜか行《ゆ》くほどその道が
今日《けふ》のわたしに遠ざかる

● 二行目詩行中の「道へ」と四行目末の「道が」、二行目末の「張る」と三行目中の「春」が隠れた音の呼び合いをしています。「春があるharugaaru」の2回を含めてaruが5回押韻しているので、音が快いか、しつこいか、感じとり方は読者次第です。

青い小鳥のひかる羽《はね》、
わかい小鳥の躍る
遠い海をば渡りかね
泣いてゐるとは誰《だ》れが知ろ、
まだ薄雪の消えぬ

● 単語の音が小変化する押韻、hane、mune、mineは、同じ詩句の繰り返しとはちがう変奏の快さがあります。
三行の「かね」に少しあるわざとらしさを、四行目の押韻のない行が打ち消している気がします。
    
がらすを通し雪が積む
こころの桟《さん》に雪が積む
透《す》いて見えるは枯れすす
うすい紅梅《こうばい》、やぶつば
青いかなしい雪が積む

● 語句の繰り返し、リフレインは、覚えやすい親しみを生んで、詩行を歌詞に近づけます。

うぐひす、そなたも雪の中
うぐひす、そなたも悲しい
春の寒さに音《ね》が細る
こころ余れど身が凍《こほ》る
うぐひす、そなたも雪の中

● 詩行の繰り返し、変奏も、歌詞のようです。
   
摘め、摘め、誰《た》れも春の薔薇《ばら》、
今日《けふ》の盛りの紅《あか》い薔薇《ばら》、
今日《けふ》に倦《あ》いたら明日《あす》の薔薇《ばら》、
とがるつぼみの青い薔薇《ばら》、
摘め、摘め、誰《た》れも春の薔薇《ばら》。

● 各行末は、同じ詩句「ばら」で押韻してわかりやすくすぐ覚えられます。初行と最終行は同一の繰り返し、リスレインで、「摘め、摘め、」に強いリズム感があり、二、三行目も「今日」で頭韻しているので、全体が歌のよう。詩想からも童謡のようです。
    
論ずるをんな糸採《と》らず、
みちびく男たがやさず
大学を出ていと賢《さか》し、
言葉は多し、手は白し、
之《こ》れを耻《は》ぢずば何《なに》を耻《は》づ。

● 詩想と音数律の七五調が相まって、押韻はその型にはめ込むような役割をしていて、警句のようです。
    
雲雀《ひばり》は揚がる、麦生《むぎふ》から。
わたしの歌は涙から。
空の雲雀《ひばり》もさびしろ、
はてなく青いあの虚《うつ》ろ、
ともに已《や》まれぬ歌ながら。

● 行末の「から」「かろ」「ろ」の組み合わせに流れと変化は童謡のよう。「はてなく青いあのhAtenAkuAoiAno」のように「アa」の音をふくむ詩句が多くその見え隠れが全体の音調をかもしだしています。

玉葱《たまねぎ》の香《か》を嗅《か》がせても 
t A m A n e G i n o KA wO / KAGA s e TEMO
青い蛙《かへる》はむかんか
A o i KA e r u w A / m u KA n KA KU
裂けた心を目にしても
s A K e t A KO KO rO wO / m e n i s i TEMO
廿《にじふ》世紀は横を向く、
n i j u u s e i k i w A / YO KO wO mUKU
太陽までがすまし行《ゆ》く。
t A i YO m a d e g A / s u m a s i yUKU

● この歌は詩想にはほとんど意味がない、詩句の音楽性だけでできた詩です。(音をローマ字で記しました)。一、三行末の押韻「てもTEMO」は二文字音(子音+母音+子音+母音)なので響きがのこります。二、四、五行目の押韻「くKU」をふくめ、全体に子音Kの音、KA,KE,KOがとても多く強く、似通うGA、GIとの音も響き合っています。一、二、五行目はその他の詩句にも母音「A」が多く主調音になり、三、四行目には母音「A」が少なく母音は「I、U、E、O」が散らばり転調になっています。
 音の調べに鋭敏な短歌を書き続けたから、こんな詩も書いたんだと思いました。
 
 最後に、個々の小曲の詩としての完成度はまだ低いとしても、晶子のこの試みは日本語の自由詩にとって、とても貴重だと私は思います。詩と散文を分かつ、言葉の音楽性に、詩人なら無感覚でいられないからです。

 1942年頃からの中村真一郎、福永武彦、加藤周一らの、「マチネポエティク」の押韻の主張などを先取りしています。この主張は日本語の特性を深く見つめずに西欧詩の押韻を規範とすることにこだわりすぎたから自滅したと私は思います。
 でも晶子に続く問題意識に学ばないなら、口語の言葉の音楽性に鈍感であるまま散文の行分けによる書き流しを続けてしまうと思います。散文を書く心は散文化します。詩心は鈍ります。だから音楽性に鈍感であるのは詩歌にとってよくないと私は考えます。

 私自身は、日本語の自由詩で生み出せる音楽性は、ここで晶子が試みた詩法も含め、より古くひろく深く和歌の調べを詩想にふさわしい繊細なかたちで織り合せた音色とリズムにあると考え、言葉の音楽にこだわりながら自由詩を創作しています。
 (詩の音楽性については、萩原朔太郎の『恋愛名歌集』などを通してみつめた記事「歌の韻律美と口語自由詩」で書いていますので、(クリックして)お読み頂ければ嬉しく思います)。

● 出典は、インターネットの図書館、青空文庫
入力:武田秀男、校正:kazuishi。
・晶子詩篇全集。底本:「晶子詩篇全集」実業之日本社、1929年。
・晶子詩篇全集拾遺。底本:「定本與謝野晶子全集第九巻詩集一、同・第十巻詩集二」講談社、1980年。

 次回は、与謝野晶子の短歌を見つめ詩想を記します。

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与謝野晶子の詩歌(十一)。自由詩は詩歌?行分け散文?

 20世紀の冒頭から半ばまで、ゆたかな詩歌を創りつづけた女性、与謝野晶子の作品をみつめつつ詩想を記しています。
 今回は、短歌という短詩形を書き続けた言葉による芸術家としての彼女の横顔を見つめます。

 晶子のさまざまな主題をとりあげた詩をみつめてきて、私は晶子が短歌と詩との形のちがいを意識したうえで、主題にふさわしい詩形で歌っていた、短歌と詩を歌い分けていたと感じます。短歌には歌い込めない雑多な主題、短歌からはこぼれおちてしまう心のありよう、心に映る諸相を、詩の形で歌ったのだと感じます。
 短歌と詩のどちらがいい、どちらが優れていると比較しているのではありません。(短歌だからこそ美しく凝縮された心の結晶のような歌は、最後の回にとりあげるつもりでいます。)

 短歌は三十一文字という厳しい語数制限の枠組みのなかで言葉を選び、言葉の音の流れ、美しい調べを生みだそうとします。その創作に生涯情熱を注ぎ続けた晶子にとって、自由詩は様々な主題、心の表現が可能な器でありながらも、一方で、音数律の制限も音楽性もない、形のうえで行分けしただけの散文にすぎないのではないかという疑念を抱いていました。

 私は晶子が生粋の詩人だからこそ、詩歌を生む人、言葉で歌う人だったからこそ、次の『小鳥の巣(押韻小曲五十九章)』の小序を記せたのだと私は思います。今の日常語に私がしたうえで、その内容について考えてみます。

● 小序。詩を創り終えたときにいつも感じるのは、日本語の詩には押韻の規則が定められている詩形がないので、句の独立性の確実(詩句・詩行を確実な理由があって独立させ改行しているかどうか)について不安です。散文の横書き(西欧詩をまねて散文を横書きして理由もなく適当に改行しただけ)にすぎないという非難は、勝手気ままな自由詩のどの作品にもつきまとうように思います。(詩形に何の規則もないという自由詩の)この欠点を克服するような、押韻の規則をもつ新しい自由詩形(の運動)が生まれてほしというのが、私の長い間の願いでした。私自身でやってみようと折々に試みてみた拙い作品から、以下にその一部だけ抄録します。押韻の技法は唐以前の古い(漢)詩、または欧州の詩を参照し、主として詩句が私の心に生まれ出て自ずから形をなしていくのを創作の基本としたうえで、多少の推敲を加えました。子音も避けずに音韻(の一部と)しているのはフランス近代詩と同じです。詩行ごとに同音で押韻している詩形、また隔たる詩行に同じ詩句を繰り返して押韻している詩形は、古い漢詩にたくさんの例があります。

 晶子は第一歌集『みだれ髪』を、島崎藤村や薄田泣菫(すすきだ・きゅうきん)の大きな影響を、自分で後年模倣というほど強く受けて生みだしました。ですから、藤村の七五調は彼女の心のリズムとなっていたし、泣菫の音数律を七五調から変調する試みの詩も良く知っていたと思います。
 そのうえで、短歌は音数のリズム、音数律で一首が流れ切って美しいけれども、詩行があり詩連がある自由詩はそれだけでは、まとまりのある美しい音楽性に欠けると、感じとっていたように思います。
 ただ散文を適当な長さの個所で行分けして適当なまとまりに分けるのは、歌じゃない、美しい調べが足りない、心たかまる、心をうつ音楽が欠けている、と。
 藤村の詩にも、泣菫の詩にも、各詩行に音数律の調べが、作品の最初から最後まであるけれど、それだけでは、足りない、弱いのではないか、漢詩や西欧近代詩にある押韻規則が生む音楽性のある作品としてのまとまりが、日本の自由詩にはないのではないか?
 押韻すらないのなら、同じ主題を変奏する、短歌の連作のほうが、音楽性のある言葉の芸術として、歌として美しいのではないか?

 私自身がいつも考えている重なり合う問題意識で、晶子の想いを増幅させてしまったかもしれません。日本語で作品を創ろうとする詩人にとって、とても自然で大切な意識だと私は思っています。

 小序に述べられた試みとしての押韻小曲の五十九の作品群については次回詳しくみつめますが、タイトルとされた小曲一篇だけ、小序につづけて引用します。愛らしい歌です。

● 以下は、出典の原文です。
小鳥の巣(押韻小曲五十九章)
                与謝野晶子

小序。詩を作り終りて常に感ずることは、我国の詩に押韻の体なきために、句の独立性の確実に対する不安なり。散文の横書にあらずやと云ふ非難は、放縦なる自由詩の何れにも伴ふが如し。この欠点を救ひて押韻の新体を試みる風の起らんこと、我が年久しき願ひなり。みづから興に触れて折折に試みたる拙きものより、次に其一部を抄せんとす。押韻の法は唐以前の古詩、または欧洲の詩を参照し、主として内心の自律的発展に本づきながら、多少の推敲を加へたり。コンソナンツを避けざるは仏蘭西近代の詩に同じ。毎句に同韻を押し、または隔句に同語を繰返して韻に押すは漢土の古詩に例多し。(一九二八年春)

小鳥の巣(押韻小曲)
           与謝野晶子


高い木末《こずゑ》に葉が落ちて
あらはに見える、小鳥の巣。
鳥は飛び去り、冬が来て、
風が吹きまく砂つぶて。
ひろい野中《のなか》の小鳥の巣。


●出典は、インターネットの図書館、青空文庫
入力:武田秀男、校正:kazuishi。
・晶子詩篇全集。底本:「晶子詩篇全集」実業之日本社、1929年。
・晶子詩篇全集拾遺。底本:「定本與謝野晶子全集第九巻詩集一、同・第十巻詩集二」講談社、1980年。

次回は、与謝野晶子の詩歌を見つめ詩想を記します。

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tag : 与謝野晶子 詩人 高畑耕治 詩歌

与謝野晶子の詩歌(十)。8、8、8、8、……

 20世紀の冒頭から半ばまで、ゆたかな詩歌を創りつづけた女性、与謝野晶子の作品をみつめつつ詩想を記しています。

 今回は、晶子が短歌と詩の違いをどのように感じてそれぞれの作品を生みだしていたのかを少し考えてみます。


 詩「詩に就《つ》いての願《ねがひ》」は、作品というよりも、創作のための覚書とも受けとれます。
 そこで晶子は、詩における行と節(詩行のかたまり、連のこと)意識していることが伺えます。
 短歌の三十一文字という、数少ない語数に、出来得る限りの心情と美を凝縮して表現しようと生涯試み続けた晶子にとって、口語自由詩のあまりの決まりごとの無さ、無制約は、ただそのままでは受け入れがたい、言葉の芸術として受け入れがたい、許しがたいものであったように感じます。(次回、行分け散文についての晶子の意識と試みをとりあげます。)

 だからここでは、詩行とは、「自然の肉の片はしが/くっきりと」浮き上がる、凝縮した表現でありたいとの願いを記しています。
 そして、短歌にはない、詩の特徴としての、行と行、連と連の、間(改行、余白、息の休止)は、陰影と奥行ある表現でありたいとも記します。
 
 これまで読みとってきた作品から、晶子は短歌での表現に比べて、詩のかたちでは貪欲に様々な主題を表そうとしていますが、それはあらわせるものの違いを意識したうえであったことがわかります。詩のかたちとその音楽性であらわすことがふさわしいものを、そのかたちで生みだそうとしていたのだと思います。

 詩行の一行一行を短歌のように厳しく制約してしまっては表現できないものを表現するときにも、安易に散文化して行分けするのではなく、行と行、連と連、余白を意識し、形づくろうとしたのは、晶子が詩人だったからだとわかります。
 詩は、散文では表せない、心の高まり、感動です。抑揚、リズム、鼓動、息を止め、息を吸い吐く、呼吸の変化、音と沈黙が、言葉を歌にすることを、晶子はとても良く知っていたのだと思います。

  詩に就《つ》いての願《ねがひ》
                 与謝野晶子

詩は実感の彫刻、
行《ぎやう》と行《ぎやう》、
節《せつ》と節《せつ》との間《あひだ》に陰影《かげ》がある。
細部を包む
陰影《いんえい》は奥行《おくゆき》、
それの深さに比例して、
自然の肉の片はしが
くつきりと
行《ぎやう》の表《おもて》に浮き上がれ。

わたしの詩は粘土細工、
実感の彫刻は
材料に由《よ》りません。
省け、省け、
一線も
余計なものを加へまい。
自然の肉の片はしが
くつきりと
行《ぎやう》の表《おもて》に浮き上がれ。

 
 次の作品は、子どものための詩歌で、前回記した言葉の音楽でできていますが、面白いのは、はち、はち、はち、はち、というリズムの良い響きと同時に、文字の形、8、一文字で、アリ一匹の姿も表していることです。8、8、8、8、とアリの行列を楽しく面白く歌っています。
 文字の形と並びも詩の大切な表現要素だということを踏まえた優れた試みだと私は思います。
 短歌の凝縮した表現への使命感から解き放たれた、自由なのびのびとした心でこそできる楽しい表現だと思います。


  蟻の歌(少年雑誌のために)
              与謝野晶子


蟻《あり》よ、蟻《あり》よ、
黒い沢山《たくさん》の蟻《あり》よ、
お前さん達の行列を見ると、
8《はち》、8《はち》、8《はち》、8《はち》、
8《はち》、8《はち》、8《はち》、8《はち》……
幾万と並んだ
8《はち》の字の生きた鎖が動く。

蟻《あり》よ、蟻《あり》よ、
そんなに並んで何処《どこ》へ行《ゆ》く。
行軍《かうぐん》か、
運動会か、
二千メエトル競走か、
それとも遠いブラジルへ
移住して行《ゆ》く一隊か。

蟻《あり》よ、蟻《あり》よ、
繊弱《かよわ》な体で
なんと云《い》ふ活撥《くわつぱつ》なことだ。
全身を太陽に暴露《さら》して、
疲れもせず、
怠《なま》けもせず、
さつさ、さつさと進んで行《ゆ》く。

蟻《あり》よ、蟻《あり》よ、
お前さん達はみんな
可愛《かは》いい、元気な8《はち》の字少年隊。
行《ゆ》くがよい、
行《ゆ》くがよい、
8《はち》、8《はち》、8《はち》、8《はち》、
8《はち》、8《はち》、8《はち》、8《はち》………

● 出典は、インターネットの図書館、青空文庫
入力:武田秀男、校正:kazuishi。
・晶子詩篇全集。底本:「晶子詩篇全集」実業之日本社、1929年。
・晶子詩篇全集拾遺。底本:「定本與謝野晶子全集第九巻詩集一、同・第十巻詩集二」講談社、1980年。

 次回も、与謝野晶子の詩歌を見つめ詩想を記します。

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tag : 与謝野晶子 詩人 高畑耕治 詩歌

新しい詩「天の川」をHP公開しました。

 私の詩のホームページ「愛のうたの絵ほん」に、新しい詩「天の川」を、公開しました (クリックでお読み頂けます)。

   詩「天の川」

お読みくださると、とても嬉しく思います。

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tag : 詩人 高畑耕治 詩歌 天の川

新しい詩「ゆき、愛(かな)しみの」をHP公開しました。

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   詩「ゆき、愛(かな)しみの」

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tag : 詩人 高畑耕治 うた 絵ほん ホームページ ゆき 愛しみ

田川紀久雄さんの詩語りライブ、明日です。

 詩人の田川紀久雄さん、坂井のぶこさん、野間明子さんの詩語りライブが、明日19日行われます。

第九回 いのちを語ろう詩語りライブ
2013年1月19日(土) 午後二時より
東鶴堂ギャラリー
(京浜急行鶴見駅前一分)
 
料金 2000円
参加者 野間明子・・八木重吉詩集より。
    坂井のぶこ・・麻生知子詩集より、 自作詩。
    田川紀久雄・・宮澤賢治詩集より、自作詩。


申し込みは 詩語り倶楽部(044‐366‐4658)
当日でもご覧になれます。

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tag : 田川紀久雄 坂井のぶこ 野間明子 詩人 高畑耕治

与謝野晶子の詩歌(九)。子ども心、ときめきの歌。

 20世紀の冒頭から半ばまで、ゆたかな詩歌を創りつづけた女性、与謝野晶子の作品をみつめつつ詩想を記しています。
 今回は晶子の子ども心の詩、子どものための詩です。

 前回まで詩のかたちでの、多様な主題についての、表情がとても豊かな、変化と創意に富んだ作品たちを見つめてきました。
 心豊かに深く詩歌を愛する優れた詩人に共通しているのは、童心、子ども心を生涯失わないことです。晶子がその一人であることを、私はとても嬉しく感じ、晶子をますます好きになります。

 詩心は深く童心に根ざしているので、優れた詩人の作品のきらめきには、必ず子ども心に通うみずみずしい輝きが顔をのぞかせていると私は思っています。心打たれる詩句、心洗われるのを感じる詩句、心ふるえる旋律の詩句を読めた時に感じることのできる、心の感動は、童心が新しい世界をまぶしく感じ目を大きく見開く姿と、通い合っていて、ほとんど同じだからです。

 選んだ3篇はどれも、子どもたちの心をときめかせる大切なものを、言葉の音楽、歌となり響かせています。
 ・シンプルな言葉。想像はその言葉から子どもがひろげてゆけばいいので、修飾語でガチガチに狭く固めてしまわないこと。
 ・耳で聞きとれること。覚え、口ずさみたくなるからです。
 ・母音、ア、イ、ウ、エ、オののびやかさ、やわらかさ。長母音。まあるい。
 ・リズム。はぎれのよさ。きり、きり、きり。
 ・繰り返し。繰り返される詩句、詩行リフレインは、歌を心に焼きつけます。
 ・問いかけと呼びかけ、会話。なんで? 不思議、おどろき。子どもはお母さんとの会話が好きで言葉を覚えます。

 この詩ができたときの晶子はきっと楽しかったと思います。大好きな子どもとお話している時のままの、優しい目を心に咲かせていたでしょう。そうでないと、このような良い詩は生まれません。

  花子の目
           与謝野晶子


あれ、あれ、花子の目があいた
真正面をばじつと見た。
泉に咲いた花のよな
まあるい、まるい、花子の目。

見さした夢が恋しいか、
今の世界が嬉しいか。
躍るこころを現はした
まあるい、まるい、花子の目。

桃や桜のさく前で、
真赤な風の吹く中で、
小鳥の歌を聞きながら、
まあるい、まるい、花子の目。


  噴水と花子
           与謝野晶子


お池のなかの噴水も
嬉しい、嬉しい事がある。
言ひたい、言ひたい事がある。

お池のなかの噴水は
少女《をとめ》のやうに慎ましく
口をすぼめて、一心に
空を目がけて歌つてる。

小さい花子の心にも
嬉しい、嬉しい事がある。
言ひたい、言ひたい事がある。

小さい花子と噴水と
今日は並んで歌つてる。
ともに優しい、美くしい
長い唱歌を歌つてる。


   紙で切つた象
           与謝野晶子


母さん、母さん、
端書《はがき》を下さい、
鋏刀《はさみ》を下さい、
お糊を下さい。

アウギユストは今日、
古い端書で
象を切ります。
きり、きり、きり、きり。

そおれ、長い長いお鼻、
そおれ、脊中、
まんまるい脊中。
きり、きり、きり、きり。

それから、小さな尻尾《しつぽ》、
後脚とお腹、
さうして前脚。
きり、きり、きり、きり。

少し後脚が短い、
印度《インド》から歩いて来たので、
くたびれて、
跛足《びつこ》を引いて居るのでせう。

象よ、板の上に、
足の裏を曲げて、
糊をば附けて、
さあ、かうしてお立ち。

可愛い象よ、
お腹が空いたら、
藁を遣ろ、
パンを遣ろ。

母さん、母さん、
象の脊中には何を載せるの。
人間ですか、
荷物ですか。

象の脊中に載せるのは
書物ですつて。
それは素敵だ、
僕がみんな読んで遣らう。

それから、象よ、
僕が書物を読んで仕舞つたら、
僕をお載せ、
さうして一散に駆け出して頂戴。

アウギユストは象に乗つて
何処へ行かう。
兄さんの大学へ行かう、
兄さんをおどかしに。

いや、いけない、いけない、
兄さんはお医者になるのだから、
象に注射をして、
象を解剖するかも知れない。

母さん、何処へ行きませう、
宣しい、
母さんの云ふやうに、
広い広い沙漠へ行きませう。

象は沙漠が好きですとさ、
淋しい沙漠がね。
其処を通れば
太陽の国へ帰られる。

(註「アウギユスト」は作者の幼い四男の名です。)


● 出典は、インターネットの図書館、青空文庫
入力:武田秀男、校正:kazuishi。
・晶子詩篇全集。底本:「晶子詩篇全集」実業之日本社、1929年。
・晶子詩篇全集拾遺。底本:「定本與謝野晶子全集第九巻詩集一、同・第十巻詩集二」講談社、1980年。

 次回も、与謝野晶子の詩歌を見つめ詩想を記します。

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tag : 与謝野晶子 詩人 高畑耕治 詩歌

与謝野晶子の詩歌(八)。喜怒哀楽の潮騒を歌にして。

 20世紀の冒頭から半ばまで、ゆたかな詩歌を創りつづけた女性、与謝野晶子の作品をみつめつつ詩想を記しています。

 今回は晶子の生活者としての表情がにじむ、母親としての心情を吐露した2篇の詩です。
 短歌だけで晶子をしっているつもりでいた私にとって、詩のかたちで、このように自分の生活の様子を歌っていることがわかったことは、驚きでもあり、新鮮でもあり、喜びでした。

 歌人も詩人も人間です。喜び、楽しみ、悲しみ、嘆く人間です。
 磨きあげられた端正で流暢な短歌は美しく心に響きますが、人間味もあふれる歌はもっとゆっくりじんわり心に沁み、訴えるちからがあると私は思います。
 形式を比較することが生業の批評家は好まないかもしれませんが、私はきめられた形からはみだしてしまう、人間の肉声の息づかいのする歌が好きです。

 詩「日曜の朝飯」は、心はずむ、笑顔いっぱいの、母親の愛情あふれる歌です。読むと心が楽しく温かく成ります。
 対照的に、詩「冷たい夕飯」は、やりくりに行き詰り、どうにもならなくなった嘆きの歌です。

 海の波のように大きく揺れ動くのが人間の心です。そして詩人は感受性の敏感さがいのちです。
 この2篇の詩の、天国と地獄のような喜怒哀楽のとても大きな浮き沈みこそ、晶子がまぎれもなく心におおきな海を抱え、海の波の揺れ動く変化に生まれる潮騒を歌にして生きた詩人だったと教えてくれる気が私にはします。

  日曜の朝飯
            与謝野晶子


さあ、一所《いつしよ》に、我家《うち》の日曜の朝の御飯。
(顔を洗うた親子八人《はちにん》、)
みんなが二つのちやぶ台を囲みませう、
みんなが洗ひ立ての白い胸布《セルヴェツト》を当てませう。
独り赤さんのアウギユストだけは
おとなしく母さんの膝《ひざ》の横に坐《すわ》るのねえ。
お早う、
お早う、
それ、アウギユストもお辞儀をしますよ、お早う、
何時《いつ》もの二斤《にきん》の仏蘭西麺包《フランスパン》に
今日《けふ》はバタとジヤムもある、
三合の牛乳《ちち》もある、
珍しい青豌豆《えんどう》の御飯に、
参州《さんしう》味噌の蜆《しゞみ》汁、
うづら豆、
それから新漬《しんづけ》の蕪菁《かぶ》もある。
みんな好きな物を勝手におあがり、
ゆつくりとおあがり、
たくさんにおあがり。
朝の御飯は贅沢《ぜいたく》に食べる、
午《ひる》の御飯は肥《こ》えるやうに食べる、
夜《よる》の御飯は楽《たのし》みに食べる、
それは全《まつた》く他人《よそ》のこと。
我家《うち》の様な家《いへ》の御飯はね、
三度が三度、
父さんや母さんは働く為《ため》に食べる、
子供のあなた達は、よく遊び、
よく大きくなり、よく歌ひ、
よく学校へ行《ゆ》き、本を読み、
よく物を知るやうに食べる。
ゆつくりおあがり、
たくさんにおあがり。
せめて日曜の朝だけは
父さんや母さんも人並に
ゆつくりみんなと食べませう。
お茶を飲んだら元気よく
日曜学校へお行《ゆ》き、
みんなでお行《ゆ》き。
さあ、一所《いつしよ》に、我家《うち》の日曜の朝の御飯。


  冷たい夕飯
           与謝野晶子


ああ、ああ、どうなつて行《い》くのでせう、
智慧も工夫も尽きました。
それが僅《わづ》かなおあしでありながら、
融通の附《つ》かないと云《い》ふことが
こんなに大きく私達を苦《くるし》めます。
正《たゞ》しく受取る物が
本屋の不景気から受取れずに、
幾月《いくつき》も苦しい遣繰《やりくり》や
恥を忘れた借りを重ねて、
ああ、たうとう行《ゆ》きづまりました。

人は私達の表面《うはべ》を見て、
くらしむきが下手《へた》だと云《い》ふでせう。
もちろん、下手《へた》に違ひありません、
でも、これ以上に働くことが
私達に出来るでせうか。
また働きに対する報酬の齟齬《そご》を
これ以下に忍ばねばならないと云《い》ふことが
怖《おそ》ろしい禍《わざはひ》でないでせうか。
少なくとも、私達の大勢の家族が
避け得られることでせうか。

今日《けふ》は勿論《もちろん》家賃を払ひませなんだ、
その外《ほか》の払ひには
二月《ふたつき》まへ、三月《みつき》まへからの借りが
義理わるく溜《たま》つてゐるのです。
それを延ばす言葉も
今までは当てがあつて云《い》つたことが
已《や》むを得ず嘘《うそ》になつたのでした。
しかし、今日《けふ》こそは、
嘘《うそ》になると知つて嘘《うそ》を云《い》ひました。
どうして、ほんたうの事が云《い》はれませう。

何《なに》も知らない子供達は
今日《けふ》の天長節を喜んでゐました。
中にも光《ひかる》は
明日《あす》の自分の誕生日を
毎年《まいとし》のやうに、気持よく、
弟や妹達と祝ふ積《つも》りでゐます。
子供達のみづみづしい顔を
二つのちやぶ台の四方《しはう》に見ながら、
ああ、私達ふたおやは
冷たい夕飯《ゆふはん》を頂きました。

もう私達は顛覆《てんぷく》するでせう、
隠して来たぼろを出すでせう、
体裁を云《い》つてゐられないでせう、
ほんたうに親子拾何人が餓《かつ》ゑるでせう。
全《まつた》くです、私達を
再び立て直す日が来ました。
耻と、自殺と、狂気とにすれすれになつて、
私達を試みる
赤裸裸の、極寒《ごくかん》の、
氷のなかの日が来ました。
       (一九一七年十二月作)


● 出典は、インターネットの図書館、青空文庫
入力:武田秀男、校正:kazuishi。
・晶子詩篇全集。底本:「晶子詩篇全集」実業之日本社、1929年。
・晶子詩篇全集拾遺。底本:「定本與謝野晶子全集第九巻詩集一、同・第十巻詩集二」講談社、1980年。

 次回も、与謝野晶子の詩歌を見つめ詩想を記します。

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tag : 与謝野晶子 詩人 高畑耕治 詩歌

与謝野晶子の詩歌(七)。語りかける愛の言葉。息子に。母に。

 20世紀の冒頭から半ばまで、ゆたかな詩歌を創りつづけた女性、与謝野晶子の作品をみつめつつ詩想を記しています。

 今回は、晶子が優れた愛の詩人だと感じる2篇の作品です。
 短歌では第一歌集の『みだれ髪』で異性・鉄幹への愛を情熱的に歌いあげた作品群と、遺稿集で亡くなった鉄幹へ静かに呼びかける鎮魂の愛の歌の作品群がとても美しく、強く心をうたれます。
 
 短歌のかたちではあまり歌わなかった(自選歌集にはありませんでした)子どもと母親への愛情を晶子は、詩のかたちで生み響かせました。(このことは最後に短歌をみつめる際に考えたいと思います。)

 詩「アウギユストの一撃」は、愛児の四男アウギユストに語りかける愛情あふれる詩。
 みごもった身体でヨーロッパを旅し、オーギュスト・ロダン(地獄門・考える人の彫刻家)と会った記念と
願いを込めて名づけた当時二歳の赤ちゃんに話しかける詩です。
 読むと心が暖かくなります。

 詩「母の文」は、晶子の亡くなった母親への、感謝と鎮魂の想いの静かな詩。
 悲しく、美しいです。

 2篇の詩を読むと、なぜか力づけられるように、励まされているように感じるのは、
晶子がいのちを愛し、その真実をみつめ、歌う、ほんものの詩人であるからだと感じます。

  アウギユストの一撃
              与謝野晶子


二歳《ふたつ》になる可愛《かは》いいアウギユストよ、
おまへのために書いて置く、
おまへが今日《けふ》はじめて
おまへの母の頬《ほ》を打つたことを。
それはおまへの命の
自《みづか》ら勝たうとする力が――
純粋な征服の力が
怒りの形《かたち》と
痙攣《けいれん》の発作《ほつさ》とになつて
電火《でんくわ》のやうに閃《ひらめ》いたのだよ。
おまへは何《なに》も意識して居なかつたであらう、
そして直《す》ぐに忘れてしまつたであらう、
けれど母は驚いた、
またしみじみと嬉《うれ》しかつた。
おまへは、他日《たじつ》、一人《ひとり》の男として、
昂然《かうぜん》とみづから立つことが出来る、
清く雄雄《をを》しく立つことが出来る、
また思ひ切り人と自然を愛することが出来る、
(征服の中枢は愛である、)
また疑惑と、苦痛と、死と、
嫉妬《しつと》と、卑劣と、嘲罵《てうば》と、
圧制と、曲学《きよくがく》と、因襲と、
暴富《ぼうふ》と、人爵《じんしやく》とに打克《うちが》つことが出来る。
それだ、その純粋な一撃だ、
それがおまへの生涯の全部だ。
わたしはおまへの掌《てのひら》が
獅子《しし》の児《こ》のやうに打つた
鋭い一撃の痛さの下《もと》で
かう云《い》ふ白金《はくきん》の予感を覚えて嬉《うれ》しかつた。
そして同時に、おまへと共通の力が
母自身にも潜《ひそ》んでゐるのを感じて、
わたしはおまへの打つた頬《ほ》も
打たない頬《ほ》までも熱《あつ》くなつた。
おまへは何《なに》も意識して居なかつたであらう、
そして直《す》ぐに忘れてしまつたであらう。
けれど、おまへが大人になつて、
思想する時にも、働く時にも、
恋する時にも、戦ふ時にも、
これを取り出してお読み。
二歳《ふたつ》になる可愛《かは》いいアウギユストよ、
おまへのために書いて置く、
おまへが今日《けふ》はじめて
おまへの母の頬《ほ》を打つたことを。

猶《なほ》かはいいアウギユストよ、
おまへは母の胎《たい》に居て
欧羅巴《ヨオロツパ》を観《み》てあるいたんだよ。
母と一所《いつしよ》にしたその旅の記憶を
おまへの成人するにつれて
おまへの叡智が思ひ出すであらう。
ミケル・アンゼロやロダンのしたことも、
ナポレオンやパスツウルのしたことも、
それだ、その純粋な一撃だ、
その猛猛《たけだけ》しい恍惚《くわうこつ》の一撃だ。
(一九一四年十一月二十日)


  母の文
        与謝野晶子


虫干の日に見出でしは
早く世に亡き母の文、
中風《ちゆうぶ》の手もて書きたれば
乱れて半ば読み難し。

わが三度目の産月《うみづき》を
案じ給へる情《なさけ》もて
すべて満たせる文ぞとは
薄墨ながらいと著《しる》し。

このおん文の着きし日に
我れは産をば終りしが、
二日の後に、俄にも
母は世に亡くなり給ひ、

産屋籠りの我がために
悲しき事は秘められて、
母なき身ぞと知りつるは
一月《ひとつき》経たる後なりき。

我れに賜へるこの文が
最後の筆とならんとは、
母みづからも知りまさぬ
天の命運《さだめ》の悲しさよ。

あゝ、いましつる其世には、
母を恨みし日もありき。
いまさずなりて我れは知る、
母の真実《まこと》の御心を。

否、母うへは永久《とこしへ》に
世に生きてこそ在《いま》すなれ、
遺したまへる幾人の
子の胸にこそ在すなれ。

いざ見そなはせ、此に我が
思ふも母の心なり、
述ぶるも母の言葉なり、
歌ふも母の御声《みこゑ》なり。


● 出典は、インターネットの図書館、青空文庫
入力:武田秀男、校正:kazuishi。
・晶子詩篇全集。底本:「晶子詩篇全集」実業之日本社、1929年。
・晶子詩篇全集拾遺。底本:「定本與謝野晶子全集第九巻詩集一、同・第十巻詩集二」講談社、1980年。

次回も、与謝野晶子の詩歌を見つめ詩想を記します。

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tag : 与謝野晶子 詩人 高畑耕治 こころうた こころ絵ほん 詩歌

与謝野晶子の詩歌(六)。其中に女の私もゐる。

 20世紀の冒頭から半ばまで、ゆたかな詩歌を創りつづけた女性、与謝野晶子の作品をみつめつつ詩想を記しています。

 今回は社会におかれた女性の位置を意識した批評性のある詩です。晶子は女性の社会的な立場や生き方について、積極的に評論を書き続けました。評論は直接的に意見を表明し、論理と熱意で納得させ、その意図する方向へ世論を導こうとする表現です。

 いっぽうで文学は論理であらわせないもの、結論のないもの、生活し生きている時間のなかでの真実を、心から心へ伝える表現です。

 晶子は、社会の中の女性を主題にした詩を何篇か書いていますが、熱が入りすぎて評論と同じような一般的な主張を詩行のかたちにした表現が多いと私は感じました。社会を、女性の立場、生き方を変えたいという思いの表れで、詩歌の作品として優れているかどうかは、実現することに比べたら重要ではなかった、そうすることを選んだのだと思います。

 そのなかで、詩「電車の中」は、文学、詩だからこそ、伝えられるものを表現している作品だと感じました。 
 ドキュメンタリー、実写、映像的に、ある出来事を描写してゆき、その流れに想念を織り込んでいます。
繰り返される次の詩句の響きも様々なものを含みこんでいて、読者の思いに沁みいり、揺り動かし、心に残ります。
 「其中に女の私もゐる。」

 晶子は、生涯歌い続けた短歌には、社会的な批評性は詠みこんでいません。短歌として生まれ出るもの、短歌でしか歌えないもの、詩のかたちで生まれ出るもの、詩だからこそ伝えられるもの、これらの違いを、作品を創りながら知り、言葉による表現の可能性を切り拓いていった、歌人、詩人、詩歌人だと思います。
 

  電車の中
        与謝野晶子


生暖かい三月半の或夜《あるよ》、
東京駅の一つの乗場《プラツトホーム》は
人の群で黒くなつてゐる。
停電であるらしい、
久しく電車が来ない。
乗客は刻一刻に殖えるばかり、
皆、家庭へ下宿へと
急ぐ人々だ。
誰れも自制してはゐるが、
心のなかでは呟いてゐる、
或はいらいらとしてゐる、
唸り出したい気分になつてゐる者もある。
じつとしては居られないで、
線路を覗く人、
有楽町の方を眺める人、
頻りに煙草《たばこ》を強く吹かす人、
人込みを縫つて右往左往する人もある。
誰れの心もじれつたさに
何《なん》となく一寸険悪になる。
其中に女の私もゐる。

凡《おほよ》そ廿分の後《のち》に、
やつと一台の電車が来た。
人々は押合ひながら
乗ることが出来た。
ああ救はれた、
電車は動き出した。

けれど、私の車の中には
鳥打帽をかぶつた、
汚れたビロオド服の大の男が
五人分の席を占めて、
ふんぞり反つて寝てゐる。
この満員の中で
その労働者は傍若無人の態《てい》である。
酔つてゐるのか、
恐らくさうでは無からう。
乗客は其男の前に密集しながら、
誰も喚び起さうとする者はない。
男達は皆其男と大差のない
プロレタリアでありながら、
仕へてゐる主人の真似をして
ブルジヨア風の服装《みなり》をしてゐるために、
其男に気兼し、
其男を怒らせることを恐れてゐる。
電車は走つて行く。
其男は呑気にふんぞり反つて寝てゐる。
乗客は窮屈な中に
忍耐の修行をして立ち、
わざと其男の方を見ない振をしてゐる。
その中に女の私もゐる。

一人で五人分の席を押領する……
人人がこんなに込合つて
息も出来ないほど困つてゐる中で……
あゝ一体、人間相互の生活は
かう云ふ風でよいものか知ら……
私は眉を顰めながら、
反動時代の醜さと怖ろしさを思ひ
我々プロレタリアの階級に
よい指導者の要ることを思つてみた。

併しまた、私は思つた、
なんだ、一人の、酔つぱらつた、
疲れた、行儀のない、
心の荒んだ、
汚れたビロオド服の労働者が
五人分の席に寝そべることなんかは。
昔も、今も、
少数の、狡猾な、遊惰な、
暴力と財力とを持つ人面獣が、
おのおの万人分の席を占めて、
どれ位われわれを飢させ、
病ませ、苦めてゐるか知れない。
電車の中の五人分の席は
吹けば飛ぶ塵ほどの事だ。

かう思つて更に見ると、
大勢の乗客は皆、
自分達と同じ弱者の仲間の
一人の兄弟の不作法を、
反抗的な不作法を、
その傍に立塞がつて
庇護《かば》つてゐるやうに見える。
その中に女の私もゐる。


● 出典は、インターネットの図書館、青空文庫
入力:武田秀男、校正:kazuishi。
・晶子詩篇全集。底本:「晶子詩篇全集」実業之日本社、1929年。
・晶子詩篇全集拾遺。底本:「定本與謝野晶子全集第九巻詩集一、同・第十巻詩集二」講談社、1980年。

次回も、与謝野晶子の詩歌を見つめ詩想を記します。

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与謝野晶子の詩歌(五)。この社会の向こうに。

 20世紀の冒頭から半ばまで、ゆたかな詩歌を創りつづけた女性、与謝野晶子の作品をみつめつつ詩想を記しています。

 今回は政治と社会を主題にした2篇の作品です。

 詩「駄獣《だじう》の群《むれ》」は、大日本帝国憲法下の議会と政治家についての、直接的な批判です。
 詩歌は感動から生まれ、人としての感情を伝えることができる表現手段です。不正に対する怒りもそのひとつだと私は思います。
 この作品で次の詩行が私には痛く響きます。

  「まして選挙権なき/われわれ大多数の / 貧しき平民の力にては……」

 当時の憲法下、選挙権はまだ限定されていたこと、女性にはなかったことを忘れてはいけません。(現在でも選挙権のまだない未成年のことを忘れてはいけないと私は思います)。
 社会へ意見を表明することは厳しく制限され、手段は限られ、検閲も厳しさを増しつつある状況での、この意思の表明には、学ぶべきものを私は感じます。
 晶子は社会評論で女性参政権についても書いていますが、怒りの高まりがこのかたちで生まれたのだと思います。
 直接的に「われわれ」と書くことは一つの立場を選ぶことです。味方と敵を分かち、味方のために敵に投げつける表現だから、味方にその時共有される考え方を越えて、より広く普遍性のある共感を生むのはとても難しく、主義の主張、スローガン、罵詈雑言に陥ってしまう危うさもはらんでいます。
 そう思いつつも、強権者におもねることをしない、黙らされている者の一人として意思を表明したこの言葉に、私も味方だから、共感を感じます。批評性は詩の一つの大切な姿です。その表現意思を傍観しつつ冷笑し見下す批評屋より、よほど優れていると私は思います。

  駄獣《だじう》の群《むれ》
                  与謝野晶子

ああ、此《この》国の
怖《おそ》るべく且《か》つ醜き
議会の心理を知らずして
衆議院の建物を見上ぐる勿《なか》れ。
禍《わざはひ》なるかな、
此処《ここ》に入《はひ》る者は悉《ことごと》く変性《へんせい》す。
たとへば悪貨の多き国に入《い》れば
大英国の金貨も
七日《なぬか》にて鑢《やすり》に削り取られ
其《その》正しき目方を減ずる如《ごと》く、
一たび此《この》門を跨《また》げば
良心と、徳と、
理性との平衝を失はずして
人は此処《ここ》に在り難《がた》し。
見よ、此処《ここ》は最も無智なる、
最も敗徳《はいとく》なる、
はた最も卑劣無作法なる
野人《やじん》本位を以《もつ》て
人の価値を
最も粗悪に平均する処《ところ》なり。
此処《ここ》に在る者は
民衆を代表せずして
私党を樹《た》て、
人類の愛を思はずして
動物的利己を計り、
公論の代りに
私語と怒号と罵声《ばせい》とを交換す。
此処《ここ》にして彼等の勝つは
固《もと》より正義にも、聡明《そうめい》にも、
大胆にも、雄弁にもあらず、
唯《た》だ彼等互《たがひ》に
阿附《あふ》し、模倣し、
妥協し、屈従して、
政権と黄金《わうごん》とを荷《にな》ふ
多数の駄獣《だじう》と
みづから変性《へんせい》するにあり。
彼等を選挙したるは誰《たれ》か、
彼等を寛容しつつあるは誰《たれ》か。
此《この》国の憲法は
彼等を逐《お》ふ力無し、
まして選挙権なき
われわれ大多数の
貧しき平民の力にては……
かくしつつ、年毎《としごと》に、
われわれの正義と愛、
われわれの血と汗、
われわれの自由と幸福は
最も臭《くさ》く醜き
彼等駄獣《だじう》の群《むれ》に
寝藁《ねわら》の如《ごと》く踏みにじらる……


 もう一篇の詩「不思議の街」は、反語で現在社会を風刺しながらユートピアを描く試みです。スウィフトの『ガリバー旅行記』第4篇に描かれたヤフーの世界を思い起こさせます。
 
 日本文学でこのような作風の作品は少ない気がします。社会を見つめる目と批評性と想像力の豊かさの資質がないと書けません。たとえば次のような詩句を書ける晶子を私は尊敬します。

  「戦争《いくさ》をしようにも隣の国がない。/ 大学教授が消防夫を兼ねてゐる。」
  「大臣は畑《はたけ》へ出てゐる、/ 工場《こうぢやう》へ勤めてゐる、」

 この作品も、社会的な立場、社会への考え方の違いによって、読者の好き嫌いは分かれると思いますが、詩の表現の可能性をはらんでいると私は感じます。

  不思議の街
         与謝野晶子


遠い遠い処《ところ》へ来て、
わたしは今へんな街を見てゐる。
へんな街だ、兵隊が居ない、
戦争《いくさ》をしようにも隣の国がない。
大学教授が消防夫を兼ねてゐる。
医者が薬価を取らず、
あべこべに、病気に応じて、
保養中の入費《にふひ》にと
国立銀行の小切手を呉《く》れる。
悪事を探訪する新聞記者が居ない、
てんで悪事が無いからなんだ。
大臣は居ても官省《くわんしやう》が無い、
大臣は畑《はたけ》へ出てゐる、
工場《こうぢやう》へ勤めてゐる、
牧場《ぼくぢやう》に働いてゐる、
小説を作つてゐる、絵を描いてゐる。
中には掃除車の御者《ぎよしや》をしてゐる者もある。
女は皆余計なおめかしをしない、
瀟洒《せうしや》とした清い美を保つて、
おしやべりをしない、
愚痴と生意気を云《い》はない、
そして男と同じ職を執《と》つてゐる。
特に裁判官は女の名誉職である。
勿論《もちろん》裁判所は民事も刑事も無い、
専《もつぱ》ら賞勲の公平を司《つかさど》つて、
弁護士には臨時に批評家がなる。
併《しか》し長長《ながなが》と無用な弁を振《ふる》ひはしない、
大抵は黙つてゐる、
稀《まれ》に口を出しても簡潔である。
それは裁決を受ける功労者の自白が率直だからだ、
同時に裁決する女が聡明《そうめい》だからだ。
また此《この》街には高利貸がない、
寺がない、教会がない、
探偵がない、
十種以上の雑誌がない、
書生芝居がない、
そのくせ、内閣会議も、
結婚披露も、葬式も、
文学会も、絵の会も、
教育会も、国会も、
音楽会も、踊《をどり》も、
勿論《もちろん》名優の芝居も、
幾つかある大国立劇場で催してゐる。
全《まつた》くへんな街だ、
わたしの自慢の東京と
大《おほ》ちがひの街だ。
遠い遠い処《ところ》へ来て
わたしは今へんな街を見てゐる。


● 出典は、インターネットの図書館、青空文庫
入力:武田秀男、校正:kazuishi。
・晶子詩篇全集。底本:「晶子詩篇全集」実業之日本社、1929年。
・晶子詩篇全集拾遺。底本:「定本與謝野晶子全集第九巻詩集一、同・第十巻詩集二」講談社、1980年。

次回も、与謝野晶子の詩歌を見つめ詩想を記します。

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与謝野晶子の詩歌(四)。詩と戦争。

 20世紀の冒頭から半ばまで、ゆたかな詩歌を創りつづけた女性、与謝野晶子の作品をみつめつつ詩想を記しています。前回は彼女の詩「君死にたもうことなかれ」と「ひらきぶみ」を通して詩の本質について考えました。

 彼女が生きた時代には、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦(日中戦争、太平洋戦争)を日本の国家はおこしました。
 今回初めて私は、日露戦争の際の詩「君死にたもうことなかれ」の後に、晶子が戦争を主題に書いた詩数篇を読みました。
 良いと感じる詩と悪いと感じる詩がありました。なぜだろう? このことを想いめぐらしました。

 最初に、悪いと感じた詩「戦争」を。
 第三連を読むと悲しくなります。与謝野晶子に限らず、優れた多くの詩歌人が、戦争を主題に表現するとき、時代にのみこまれ、詩歌の本質を見失った言葉を書いてしまいました。

 この作品は詩ではなく、主張に過ぎません。それも個人の言葉ではなく、その時代に勢力をもった考え方をなぞりながら、詩の形にしただけなので、とても無惨です。生活費のために注文に応じて書いたのかもしれません。

 この言葉には「まことの心」の強さがありません。作者にとって書かずにはいられない切実な源、日露戦争時の弟に対する切実な心情の源がないからです。
 「すべての人類に/真の平和を」という言葉は、政治家の演説やマスコミの記事と同じレベルのその場かぎりの放言にな過ぎません。時代を越えて変質しない、個人の「まことの心」の切実さを通してだけ生まれ光り続ける文学価値が見失われています。
 言葉による表現の負の側面を、考えさせられる作品です。


  戦争
      与謝野晶子


大錯誤《おほまちがひ》の時が来た、
赤い恐怖《おそれ》の時が来た、
野蛮が濶《ひろ》い羽《はね》を伸し、
文明人が一斉に
食人族《しよくじんぞく》の仮面《めん》を被《き》る。

ひとり世界を敵とする、
日耳曼人《ゲルマンじん》の大胆さ、
健気《けなげ》さ、しかし此様《このやう》な
悪の力の偏重《へんちよう》が
調節されずに已《や》まれよか。

いまは戦ふ時である、
戦嫌《いくさぎら》ひのわたしさへ
今日《けふ》此頃《このごろ》は気が昂《あが》る。
世界の霊と身と骨が
一度に呻《うめ》く時が来た。

大陣痛《だいぢんつう》の時が来た、
生みの悩みの時が来た。
荒い血汐《ちしほ》の洗礼で、
世界は更に新しい
知らぬ命を生むであろ。

其《そ》れがすべての人類に
真の平和を持ち来《きた》す
精神《アアム》でなくて何《な》んであろ。
どんな犠牲を払うても
いまは戦ふ時である。


 逆に次の2篇の詩には、私は少なくとも詩としての文学価値を感じます。
 政治と同じ次元で世論を動かす力をもつかどうかということとは別の基準でしか感じ取れない大切な価値、「まことの心」、人の心を言葉にして響かせ、伝えているからです。
 詩句の巧拙をあげつらうことを越えて、作者が感じ言葉で詩作品として伝えようとした心、悲しみが、偽りないものとして私の心に沁み入り、その響きを失わないからです。
 時代に押しつぶされない、文学の言葉による表現が生みだす価値を教えてくれる詩です。

 そのうえで詩として「君死にたもうことなかれ」ほどの胸に迫る強い表現にまでなっていないのは、少し離れた傍観者の位置で同情しているからだと思います。切実さの度合いが違うこと、そして彼女も年を重ね、老い、疲れていたのだとも感じます。
 でもこのことは、「君死にたもうことなかれ」が詩として、与謝野晶子からその時に出産されるべき運命にあった、その与謝野晶子だからこそ生み出すことができた心の結晶、文学として時代を越え抜き出ている作品だということを教えてくれてもいるので、考えさせられます。生き続け、書き続けた晶子を、私は敬愛しているからです。


  〔無題〕(昭和十年)
       与謝野晶子


しら布に覆へる小箱、
三等車より下《お》り来たる。
黙黙として抱だきたるは
羽織袴の青年。
名誉の死者の弟か。

知らぬ他国の我れなれど、
この駅に来合せて、
人人の後ろより、
手を合せつつ見送れば
涙先づ落つ。

駅のそとには
一すぢの旗動き、
兵士、友人、縁者の一群《いちぐん》
粛然と遺骨の箱に従ふ。
「万歳」の声も無し。

我れは思ふ、
などか此の尊き戦死者の霊を
此のふるさとに送るに
一等車を以てせざりしや。
我が涙また落つ。


  〔無題〕(昭和十年)
        与謝野晶子


師走の初め、都にも
今年は寒く雪ふりぬ。
出羽奥州の凶作地
如何に真冬のつらからん。

陛下の御代の臣《おみ》たちよ、
人飢ゑしむること勿れ。
国には米の余れるに
恵みて分つすべ無きか。

市人《いちびと》たちよ、重ねたる
衣《きぬ》の一つを脱ぎたまへ。
飢ゑ凍えたる父母に
その少女らを売らしむな。

彼等の子なる兵士らは
出でて御国を護れども、
ああ、その心、ふるさとの
家を思はば悲まん。

ともに陛下の御民なり。
へへひさ是れよそごとか、ただごとか。
いざ、もろともに分けて負へ、
彼等の難は己が難。


● 出典は、インターネットの図書館、青空文庫
入力:武田秀男、校正:kazuishi。
・晶子詩篇全集。底本:「晶子詩篇全集」実業之日本社、1929年。
・晶子詩篇全集拾遺。底本:「定本與謝野晶子全集第九巻詩集一、同・第十巻詩集二」講談社、1980年。

次回も、与謝野晶子の詩歌を見つめ詩想を記します。

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与謝野晶子の詩歌(三)。まことの心をまことの声に。

 20世紀の冒頭から半ばまで、ゆたかな詩歌を創りつづけた女性、与謝野晶子の作品をみつめつつ詩想を記しています。
 今回は彼女の詩「君死にたもうことなかれ」に対する似非詩人の批判に対して、詩歌の本質を示し応えた激しく美しい文章「ひらきぶみ」です。

 日露戦争の戦地、旅順へ応召された弟への手紙に書き添えたという詩「君死にたもうことなかれ」は、日本近代詩以降の作品のなかで深く心に訴え続ける力のある優れた作品だと私は思います。
 この詩「君死にたもうことなかれ」は以前の記事「戦争を厭う歌。『日本歌唱集』(五)」で全文引用しています。

 今回の「ひらきぶみ」は1904年『明星』で発表されました。戦時中です。
 夫の文学者(『明星』主宰者)の与謝野鉄幹宛の手紙の形式で、富国強兵の政府権力におもねった先達の新体詩作者で学者の桂月による晶子の「君死にたもうことなかれ」への「たいさう危険なる思想」という批判に対して、晶子は文学の本質を述べ真っ向から立ち向かい、激しく反論します。
 
 深く共感する核心の言葉を抜きだし、今の日常語に私がしました(引用出典文中の赤字にした箇所です)。

「(この詩は)私が(戦場へ応召された)弟へだした手紙の余白に書きつけ送った詩歌です。なにが悪いというのでしょう、あれは詩歌です。」

「少女はみんな、戦争なんか嫌いです。」

「私の亡き父は、末の男の子(である弟)に、情けを知らぬ獣のような者になれなどとは、人を殺せなどとは、戦場へ勇んで加われなどとは教えませんでした。学校で短歌や俳句を作ることをゆるされていた弟は(心優しいので)、あのように何度も妻のこと母のこと、(妻が)身ごもっている胎児のこと、あなた(鉄幹)と私のことまで心配する言葉を伝えてくれたのです。このように人間らしい心をしっかりもっている弟に、女である私が、今の戦争唱歌の歌詞にあるような(御国のために人を殺し喜んで死ね)ことを歌うことなんてできるでしょうか。」

「(日露戦争が始まってから)近頃のように(兵士として立派に)死になさい、死ぬのが良いことなのだと煽り立てることや、またどんな事柄についても忠君愛国などの文字や教育勅語を引用し(絶対視して)論ずることが横行していることのほうが、(私の詩歌の言葉などより)よっぽど危険なのではないでしょうか。」

「詩歌は詩歌です。詩歌を創作し発表して生きているのですから、私はどうか後の時代の人に恥ずかしくない、真実の心を歌っておきたいのです。真実の心を歌っていない詩歌に、なんの値打ちがあるでしょうか。真実の詩歌や文学を創らない人に、いったいなんの(詩歌や文学にとっての)存在価値があるのでしょうか。」

「長い長い年月の後まで動くことも変わることもない真実の心情、真理に私はあこがれ心寄せているのです。この強い思いを詩歌にしているのです、それがわからぬ桂月様にはほっておいてほしいだけです。」

「私は思うのですが、『無事で帰れ、気を附けよ、万歳』と言っているのは、(その真実の心情をみつめ言葉にすると)私のつたない詩歌(の言葉)『君死にたまふことなかれ』と言っているのと同じなのです、私は真実の心を真実の声に出だすことよりほかには、詩歌の創りかたを知りません。」

「どうしてひ孫のような私ですらおぼろげに知っている詩歌(の本質)と日々の出来事との区別さえわからない桂月様はどうされたのでしょう(、それでもほんとに文学者、詩作者なのでしょうか)。」

 この言葉が、偽りのない言葉として響いてくるのは、まず、彼女の弟への偽りのない思いの強さからあふれでた切実な言葉であることが根底にあります。
 
 そのうえで晶子が、詩歌の本質は、真実の心、まことの心にだけあり、それだけは人間にとって時代を越えても変わることのない価値を伝える表現だと、その時々の世相や政治の利害と力で変転する主義主張とは時限と質が異なる表現だと、見抜いていたからだと思います。
 私は晶子がこのことを、幼少から読み親しんだ古典に心を染めて、知ったのだと思います。だからこそ、次のような、簡潔で忘れられない美しい言葉を伝えてくれたのだと思います。

 「まことの心うたはぬ歌に、何のねうちか候べき。」
 「私はまことの心をまことの声に出だし候とより外に、歌のよみかた心得ず候。」


 私もこの本質にだけは根ざし続ける詩人でありたいと強く願います。

● 以下は出典からの原文引用です。

 ひらきぶみ                  
             与謝野晶子

 (略)
 こちら母思ひしよりはやつれ居給《いたま》はず、君がかく帰し給ひしみなさけを大喜び致し、皆の者に誇りをり候。おせいさんは少しならず思ひくづをれ候すがたしるく、わかき人をおきて出《い》でし旅順《りよじゆん》の弟の、たびたび帰りて慰めくれと申しこし候は、母よりも第一にこの新妻《にいづま》の上と、私見るから涙さしぐみ候。弟、私へはあのやうにしげしげ申し参りしに、宅へはこの人へも母へも余り文おくらぬ様子に候。思へば弟の心ひとしほあはれに候て。(略)
車中にて何心なく『太陽』を読み候に、君はもう今頃御知りなされしなるべし、桂月《けいげつ》様の御評のりをり候に驚き候。私風情《ふぜい》のなまなまに作り候物にまでお眼お通し下され候こと、忝《かたじけな》きよりは先づ恥しさに顔紅《あか》くなり候。勿体《もつたい》なきことに存じ候。さはいへ出征致し候弟、一人の弟の留守見舞に百三十里を帰りて、母なだめたし弟の嫁ちからづけたしとのみに都を離れ候身には、この御評一も二もなく服しかね候。
 私が弟への手紙のはしに書きつけやり候歌、なになれば悪《わ》ろく候にや。あれは歌に候。この国に生れ候私は、私らは、この国を愛《め》で候こと誰にか劣り候べき。物堅き家の両親は私に何をか教へ候ひし。堺《さかい》の街《まち》にて亡《な》き父ほど天子様を思ひ、御上《おかみ》の御用に自分を忘れし商家のあるじはなかりしに候。弟が宅《うち》へは手紙ださぬ心づよさにも、亡き父のおもかげ思はれ候。まして九つより『栄華《えいが》』や『源氏《げんじ》』手にのみ致し候少女は、大きく成りてもますます王朝の御代《みよ》なつかしく、下様《しもざま》の下司《げす》ばり候ことのみ綴《つづ》り候今時《いまどき》の読物をあさましと思ひ候ほどなれば、『平民新聞』とやらの人たちの御議論などひと言ききて身ぶるひ致し候。さればとて少女と申す者誰も戦争《いくさ》ぎらひに候。御国のために止《や》むを得ぬ事と承りて、さらばこのいくさ勝てと祈り、勝ちて早く済めと祈り、はた今の久しきわびずまひに、春以来君にめりやすのしやつ一枚買ひまゐらせたきも我慢して頂きをり候ほどのなかより、私らが及ぶだけのことをこのいくさにどれほど致しをり候か、人様に申すべきに候はねど、村の者ぞ知りをり候べき。(略)私の、私どものこの国びととしての務《つとめ》は、精一杯致しをり候つもり、先日××様仰せられ候、筆とりてひとかどのこと論ずる仲間ほど世の中の義捐《ぎえん》などいふ事に冷《ひやや》かなりと候ひし嘲《あざけ》りは、私ひそかにわれらに係《かか》はりなきやうの心地《ここち》致しても聞きをり候ひき。
 君知ろしめす如し、弟は召されて勇ましく彼地へ参り候、万一の時の後の事などもけなげに申して行き候。この頃新聞に見え候勇士々々が勇士に候はば、私のいとしき弟も疑《うたがい》なき勇士にて候べし。さりながら亡き父は、末の男の子に、なさけ知らぬけものの如き人に成れ、人を殺せ、死ぬるやうなる所へ行くを好めとは教へず候ひき。学校に入り歌俳句も作り候を許され候わが弟は、あのやうにしげしげ妻のこと母のこと身ごもり候児《こ》のこと、君と私との事ども案じこし候。かやうに人間の心もち候弟に、女の私、今の戦争唱歌にあり候やうのこと歌はれ候べきや。
 私が「君死にたまふこと勿《なか》れ」と歌ひ候こと、桂月様たいさう危険なる思想と仰せられ候へど、当節のやうに死ねよ死ねよと申し候こと、またなにごとにも忠君愛国などの文字や、畏《おそれ》おほき教育御勅語《ごちよくご》などを引きて論ずることの流行は、この方かへつて危険と申すものに候はずや。私よくは存ぜぬことながら、私の好きな王朝の書きもの今に残りをり候なかには、かやうに人を死ねと申すことも、畏《おそれ》おほく勿体《もつたい》なきことかまはずに書きちらしたる文章も見あたらぬやう心得候。いくさのこと多く書きたる源平時代の御本にも、さやうのことはあるまじく、いかがや。
 歌は歌に候。歌よみならひ候からには、私どうぞ後の人に笑はれぬ、まことの心を歌ひおきたく候。まことの心うたはぬ歌に、何のねうちか候べき。まことの歌や文や作らぬ人に、何の見どころか候べき。長き長き年月《としつき》の後まで動かぬかはらぬまことのなさけ、まことの道理に私あこがれ候心もち居るかと思ひ候。この心を歌にて述べ候ことは、桂月様お許し下されたく候。桂月様は弟御《おとうとご》様おありなさらぬかも存ぜず候へど、弟御様はなくとも、新橋《しんばし》渋谷などの汽車の出で候ところに、軍隊の立ち候日、一時間お立ちなされ候はば、見送の親兄弟や友達親類が、行く子の手を握り候て、口々に「無事で帰れ、気を附けよ」と申し、大ごゑに「万歳」とも申し候こと、御眼と御耳とに必ずとまり給ふべく候。渋谷のステーシヨンにては、巡査も神主様も村長様も宅の光《ひかる》までもかく申し候。かく申し候は悪ろく候や。私思ひ候に、「無事で帰れ、気を附けよ、万歳」と申し候は、やがて私のつたなき歌の「君死にたまふこと勿れ」と申すことにて候はずや。彼れもまことの声、これもまことの声、私はまことの心をまことの声に出だし候とより外に、歌のよみかた心得ず候。
 私十一ばかりにて鴎外《おうがい》様の『しがらみ草紙』、星川様と申す方の何やら評論など分らずながら読みならひ、十三、四にて『めざまし草《ぐさ》』、『文学界』など買はせをり候頃、兄もまだ大学を出でぬ頃にて、兄より『帝国文学』といふ雑誌新たに出でたりとて、折々送つてもらひ候うちに、雨江《うこう》様桂月様今お一人の新体詩その雑誌に出ではじめ、初めて私|藤村《とうそん》様の外に詩をなされ候方《かた》沢山日本におありと知りしに候。その頃からの詩人にておはし候桂月様、なにとて曾孫《ひまご》のやうなる私すらおぼろげに知り候歌と眼の前の事との区別を、桂月様どう遊ばし候にや。日頃年頃桂月様をおぢい様のやうに敬《うやま》ひ候私、これはちと不思議に存じ候。
 なほ桂月様私の新体詩まがひのものを、つたなしたなし、柄になきことすなと御深切《しんせつ》にお叱《しか》り下され候ことかたじけなく思ひ候。これは私のとがにあらず、君のいつもいつも長きもの作れと勧め給ふよりの事に候。しかしまた私考へ候に、私の作り候ものの見苦しきは仰せられずとものこと、桂月様をおぢい様、私を曾孫と致し候へば、御立派な新体詩のお出来なされ候桂月様は博士、やうやうこの頃君に教へて頂きて新体詩まがひを試み候私は幼稚園の生徒にて候。幼稚園にてかたなりのままに止め候はむこと、心外なやうにも思ひ候。(略)
 汽車中にてまた新版の藤村様御集、久しぶりに彼君《かのきみ》のお作読み候。初《はじめ》のかたは大抵そらにも覚えをり候へば、読みゆく嬉《うれ》しさ、今日ここにて昔の箏《こと》の師匠に逢《あ》ひしと同じここちに候ひし。宅の土蔵の虫はみし版本のみ読みならひて、仮名づかひなど、さやうのことどうでもよしと気にかけず、また和文家と申すもの大嫌ひにて、学校にてもかかるあさはかにものいふたぐひの人にわれ習はじとて、その時間に顔出さざりしひがみ今に残り候私なれど、この御集のちがひやう私にも目につき候は、さはいへあやしき襟《えり》かけし少女をくちをしと見る思《おもい》に候。(略)
 帰る日まで申さじと思ひ候ひしが、胸せまりて書き添へまほしくなり候。そはやはりふるさとは詩歌の国ならず、あさましきこと憂《う》きこと、きのふの夕より知りそめしに候。(略)
                     (『明星』一九〇四年一一月)

● 出典は、インターネットの図書館、青空文庫
「ひらきぶみ」。 入力:Nana ohbe 校正:門田裕志
底本:「与謝野晶子評論集」岩波文庫、岩波書店、1985年。
初出:「明星」新詩社 1904(明治37)年11月号。

 次回も、与謝野晶子の詩歌をみつめ詩想を記します。

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与謝野晶子の詩歌(二)。自然分娩のように。大切な子ども。

 20世紀の冒頭から半ばまで、ゆたかな詩歌を創りつづけた女性、与謝野晶子の作品をみつめつつ詩想を記しています。今回は彼女の、出産を主題にした二篇の詩です。
 与謝野晶子は12人の出産をして11人の子どもを育てました。子沢山の時代とはいえ、すごい、と思わずにいられません。
 一篇は出産直前の女性の心の詩、もう一篇は出産後の女性の心の詩です。
 有無を言わせぬ切迫した言葉には、命を生むということの、畏怖と厳粛さ、真実の裸の姿を感じずにはいられない力が漲っています。
「みんな黙つて居て下さい、」。とても強く鋭く響きで刺すような詩句です。
 このような時間にただ一人で向き合う女性、のりこえて出産する母を、畏敬せずにいられません。

 出産を主題としたこれらの詩句に私は、詩歌の創作と通い合うものを強く感じます。
 詩人の細野幸子さんも、このことについて私が心から共感する次のような言葉をおっしゃっています。
「自然分娩のように詩を生みたい」。「作品は私の大切な子どもたち」。

 自然分娩のように。
 晶子の詩句と響きあっています。「わたし自身の不可抗力を待ちませう。//生むことは、現に/わたしの内から爆《は》ぜる/唯《た》だ一つの真実創造、/もう是非の隙《すき》も無い。」

 創作の本質だと私は思います。創作は出産とおなじで、頭で拵えあげられるものではありません。受精、出産準備や、生まれた後産湯で洗う、整えきれいにする作業は必要ですが、生む瞬間は不可抗力で訪れてきます。
 芸術かどうかはこの点にだけあると私は思います。私は多くの作品を生み出したいといつも願っていますが、出産のときは思いのままには訪れてはくれません。だからこそ、晶子の詩句のように「感激」を感じるのだと思います。

 大切な子どもたち。
 この思いは作品を出産する芸術家なら必ず抱くのではないかと思います。
 習作ではない、売るために拵えた商品ではない、出産した創作作品を、私は捨てることはどんなことがあってもできません。大切なこどもたち、だからです。
 
 大量生産商品と創作作品のどちらが良いということではなく、ただちがう別々のものだということです。日用商品や実用書は特定の用途に役立ち多く安く生産されることが良し悪しの判断基準ですが、芸術品は生活用途については何の役にも立ちません。
 それでも人間には求める心があり、求めたくなる時間があるから、文学がなくなることはないと私は思います。

 二篇の作品のうち、詩「第一の陣痛」は、口語自由詩としても晶子の詩のなかで「君死にたもうことなかれ」と並び優れたものだと私は感じます。この主題でこのように書かれた作品に私は初めてふれました。
 詩の価値が十数年の細かい単位で変わったりするものでもない、進歩する学問とはちがう性質のものだということをもまた、教えられます。

  第一の陣痛
        与謝野晶子


わたしは今日《けふ》病んでゐる、
生理的に病んでゐる。
わたしは黙つて目を開《あ》いて
産前《さんぜん》の床《とこ》に横になつてゐる。

なぜだらう、わたしは
度度《たびたび》死ぬ目に遭つてゐながら、
痛みと、血と、叫びに慣れて居ながら、
制しきれない不安と恐怖とに慄《ふる》へてゐる。

若いお医者がわたしを慰めて、
生むことの幸福《しあはせ》を述べて下された。
そんな事ならわたしの方が余計に知つてゐる。
それが今なんの役に立たう。

知識も現実で無い、
経験も過去のものである。
みんな黙つて居て下さい、
みんな傍観者の位置を越えずに居て下さい。

わたしは唯《た》だ一人《ひとり》、
天にも地にも唯《た》だ一人《ひとり》、
じつと唇を噛《か》みしめて
わたし自身の不可抗力を待ちませう。

生むことは、現に
わたしの内から爆《は》ぜる
唯《た》だ一つの真実創造、
もう是非の隙《すき》も無い。

今、第一の陣痛……
太陽は俄《には》かに青白くなり、
世界は冷《ひや》やかに鎮《しづ》まる。
さうして、わたしは唯《た》だ一人《ひとり》………


  産室《うぶや》の夜明《よあけ》
           与謝野晶子


硝子《ガラス》の外《そと》のあけぼのは
青白《あおしろ》き繭《まゆ》のここち……
今一《ひと》すぢ仄《ほの》かに
音せぬ枝珊瑚《えださんご》の光を引きて、
わが産室《うぶや》の壁を匍《は》ふものあり。
と見れば、嬉《うれ》し、
初冬《はつふゆ》のかよわなる
日の蝶《てふ》の出《い》づるなり。

ここに在るは、
八《や》たび死より逃れて還《かへ》れる女――
青ざめし女われと、
生れて五日《いつか》目なる
我が藪椿《やぶつばき》の堅き蕾《つぼみ》なす娘エレンヌと
一瓶《いちびん》の薔薇《ばら》と、
さて初恋の如《ごと》く含羞《はにか》める
うす桃色の日の蝶《てふ》と……
静かに清清《すがすが》しき曙《あけぼの》かな。
尊《たふと》くなつかしき日よ、われは今、
戦ひに傷つきたる者の如《ごと》く
疲れて低く横たはりぬ。
されど、わが新しき感激は
拝日《はいにち》教徒の信の如《ごと》し、
わがさしのぶる諸手《もろで》を受けよ、
日よ、曙《あけぼの》の女王《ぢよわう》よ。

日よ、君にも夜《よる》と冬の悩みあり、
千万年の昔より幾億たび、
死の苦に堪《た》へて若返る
天《あま》つ焔の力の雄雄《をを》しきかな。
われは猶《なほ》君に従はん、
わが生きて返れるは纔《わずか》に八《や》たびのみ
纔《わづか》に八《や》たび絶叫と、血と、
死の闇《やみ》とを超えしのみ。


● 出典は、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)。
入力:武田秀男、校正:kazuishi。
・晶子詩篇全集。底本:「晶子詩篇全集」実業之日本社、1929年。
・晶子詩篇全集拾遺。底本:「定本與謝野晶子全集第九巻詩集一、同・第十巻詩集二」講談社、1980年。

 次回は、晶子の詩「君死にたもうことなかれ」をめぐる言葉を見つめます。

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tag : 与謝野晶子 詩人 高畑耕治 詩集 こころうた こころ絵ほん 詩歌

与謝野晶子の詩歌(一)。心から歌いたくて。感動を。

 地球も、太陽をつつむ天の川銀河も、うごいている、ひとの鼓動も、こころも。
 それが、時なのでしょうか。
 昔は幼く「正月はきらい」などと反発したりしたけど、暦に時のうごきを感じ、伝えあうのは大切なのだと思います。

 今回からしばらくの間、20世紀の冒頭から半ばまで、ゆたかな詩歌を創りつづけた女性、与謝野晶子の作品をみつめつつ詩想を記していきます。
 彼女は社会評論でも活躍しましたが、文学としての詩歌に限っても、短歌、詩、童謡などとても幅広い創作をしています。
 
 私は詩歌の本来の姿はこのようなもので、ジャンルの狭い垣根に閉じこもり互いに無関心であるのは貧しいことだと思っています。
 晶子や啄木や朔太郎や中也や賢治のように、詩歌の野原全面に花を咲かせる能力は持ち合わせないとしても、
短歌と詩と童謡、それぞれの花の美しさ、香り、可憐さを感じとる心だけは育み大切にもちつづけたいと思います。晶子の花々をみつめたあとは、短歌の高原を散歩してみる予定です。

 初回の今回は「晶子詩篇全集」の彼女による「自序」です。
 記されているように収録詩420篇、しなかったもの約200篇ととても多く、同時に並行して女性の生き方をテーマとした社会評論や数万首の短歌の創作、源氏物語の全訳(関東大震災で草稿全焼後に再度執筆)をしている旺盛な執筆エネルギーは、尊敬するしかありません。
 文学業績についての一般的な評価は、短歌、そのなかでも第一歌集『みだれ髪』に集中していますが、私は今回生涯の短歌選集と詩篇全集を読んでみて、もっとひろくふかくゆたかな作品を生み出していたことを知りました。彼女が短歌、詩、童謡、それぞれのかたちで生んだことについてもこれから記していきます。

 自序の核心は、次の言葉です。
 「心から歌ひたくて、真面目にわたくしの感動を打出したものであること、全く純個人的な、普遍性の乏しい、勝手気儘な詩」
 私は、詩歌の本質は、「心から歌ひたくて、真面目にわたくしの感動を打出したもの」にあると思っています。

 そして、「全く純個人的な、普遍性の乏しい、勝手気儘な詩」であることが逆に、他の人の「純個人的な」心に「勝手気ままなな」感動を揺り起こすのだと思います。

 そのような木魂した他の人が多くなった状態をさして「普遍性をもった」と表現しても間違いではないと思います。ただし、作品そのものに社会的な主張を「普遍的に」表現できる、と考えるのは安易で誤りに陥りやすいと考えていて、このことは晶子の社会性のある詩をみつめる時に書きます。


● 晶子詩篇全集 自序
(略)
 わたくしは今年の秋の初に、少しの暇を得ましたので、明治卅三(33)年から最近までに作りました自分の詩の草稿を整理し、其中から四百廿壱篇を撰んで此の一冊にまとめました。かうしてまとめて置けば、他日わたくしの子どもたちが何かの底から見附け出し、母の生活の記録の断片として読んでくれるかも知れないくらゐに考へてゐました(略)。(略)
この一冊は、(略)唯だわたくしの一生に、折にふれて心から歌ひたくて、真面目にわたくしの感動を打出したものであること、全く純個人的な、普遍性の乏しい、勝手気儘な詩です(略)。
 永い年月に草稿が失はれたので是れに収め得なかつたもの、また意識して省いたものが併せて二百篇もあらうと思ひます。今日までの作を総べて整理して一冊にしたと云ふ意味で「全集」の名を附けました。(略)統一の無いのはわたくしの心の姿として御覧を願ひます。(略)

 今回は、晶子の「心から歌いたい、感動」を詩だと述べた思いに響きあう私の言葉、
詩集『こころうた こころ絵ほん』の序をここに、木魂させます。

 次回は晶子の詩をみつめ詩歌を生むことについての詩想を記します。

● 出典は、インターネットの図書館、青空文庫
入力:武田秀男、校正:kazuishi。
・晶子詩篇全集。底本:「晶子詩篇全集」実業之日本社、1929年。
・晶子詩篇全集拾遺。底本:「定本與謝野晶子全集第九巻詩集一、同・第十巻詩集二」講談社、1980年。

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