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高畑耕治

Author:高畑耕治
愛のうたの絵ほんは、高畑耕治の詩と詩集の海です。
Profile 高畑耕治 たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪府四條畷市出身、早稲田大学政経学部中退。東京都多摩市在住。
詩集『銀河、ふりしきる』(2016年5月イーフェニックス)
詩集『こころうた こころ絵ほん』(2012年同上)
詩集『さようなら』(1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25)
詩集『愛のうたの絵ほん』(1994年同上)
詩集『愛(かな)』(1993年同上)
詩集『海にゆれる』(1991年土曜美術社)
詩集『死と生の交わり』(1988年批評社)
雑誌「エヴァ」に扉の詩(1996~1997サンマーク出版)を連載。
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土屋文明。岡本かの子。歌の花(六)。

 出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性的な歌人たちの歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせた歌人を私は敬愛し、歌の魅力が伝わってほしいと願っています。

 出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。

■ 土屋文明(つちや・ぶんめい、1890年・明治23年群馬県生まれ、1991年・平成3年没)。
吾が言葉にあらはし難く動く世になほしたづさはる此の小詩形  ◆『山下水』1948年・昭和23年
生みし母もはぐくみし伯母も賢からず我が一生(ひとよ)恋ふる愚かな二人  『青南集』1967年・昭和42年
さまざまの七十年すごし今は見る最もうつくしき汝を柩に  ◆同上
終りなき時に入らむに束の間の後前(あとさき)ありや有りてかなしむ  ◆同上

◎一首目は、敗戦後の、短歌、第二芸術論を受けての思いですが、「なほしたづさはる」と字余りの詩句に私は、短歌にかける彼の意思を感じて共感します。

◎二首目は思慕が沁みとおる美しい歌です。上句の終わりに「賢からず」と形容したうえで、下句の終りに「愚かな」と「逆説の言葉」を投げかけて、本当に大切な「恋ふる」人は決して賢しくはなかったと意味を強め、照らし出しています。上句は「*みし母も」「***みし伯母も」と詩句を変奏しての繰り返しのリズムが快く、下句は「恋ふる」まで流れるような旋律が一呼吸止まる「間(ま)」があるので、「愚かな二人」という言葉が強まって浮かび上がり、思慕の想いが沁みこんだ詩句が心に残ります。

◎三首目と四首目は、長年連れ添った妻が亡くなった際の悲しみの歌。死別れる最期のときに、三首目の歌を捧げられた女性を幸せだと思います。
◎四首目は、死の永遠の時を前にして、先に死なれたこと、その数年の差なんてなきに等しいと頭では理解しても、その差が心にどうしようもなくかなしい、との思いを、愛の歌に昇華しています。美しく悲しい鎮魂歌です。

● 岡本かの子(おかもと・かのこ、1889年・明治22年東京生まれ、1939年・昭和14年没)。
力など望まで弱く美しく生れしまゝの男にてあれ  『かろきねたみ』1912年・大正元年
かの子かの子はや泣きやめて淋しげに添ひ臥す雛に子守歌せよ  『愛のなやみ』1918年・大正7年
桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命(いのち)をかけてわが眺めたり  『浴身』1925年・大正14年
鶏頭はあまりに赤しよわが狂ふきざしにもあるかあまりに赤しよ
かなしみをふかく保ちてよく笑ふをんなとわれはなりにけるかも  『わが最終歌集』1929年・昭和4年

◎一首目は、幼い息子に語りかける歌ですが、常識的な「男は強くたくましく」とは逆に「弱く美しく」そして
「生れしまゝの」と願うこの人はすごいなと思います。「力など望まで」と言える母だから、芸術家の岡本太郎が育った気がします。(大阪郊外育ちの私は、大阪万博のシンボル「太陽の塔」を小学校から遠望して絵にも描いたりしました。創作者の彼に親しみを感じます)。

◎二首目も子育てする自分に言い聞かせる歌です。添い臥す自分の子どもを「雛(ひな)」と美しく呼んでいます。情感があふれるような歌、とても好きです。

◎三首目は、桜の花につつまれ自らを重ね歌いかける美しい歌。「いのち一ぱいに咲く」の「一ぱいに」は前後の「いのち」と「咲く」にかかりイメージがあふれます。「生命(いのち)をかけてわが眺めたり」、上句と下句の「いのち」のくりかえし表現が歌に感情のゆたかな波を生んでいます。とても心打つ詩句です。

◎四首目も、鶏頭の赤い花を歌っていますが、花の色合いと個性そのままに、まったく異なる世界が生まれています。詩人、特に抒情詩人として生まれついた者の宿命は、花鳥風月、生き物にも風や海や空や土、あらゆるものに感情移入して自分のこととして感じてしまう、ことだと私は思います。距離を置き突き放し観察し分析することの対極で、そのもののなかに自分を見つけ感じ、自分のなかにそのものを見つけ感じてしまう、感受性の器、塊であることの性(さが)です。彼女はその典型のように感じます。

◎五首目も、人間味あるなあと感じ入ってしまう、生きた歳月に思いは深みをましていけることを教えてくれる歌だと思います。
彼女は激しい生き方をしました。たぶんそのようにしか生きられなかったのだと思います。彼女の心と生き様から生まれた歌に、人間として、女性としての深い魅力を感じます。

出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)から。


 次回も、美しい歌の花をみつめます。

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tag : 土屋文明 岡本かの子 短歌 詩歌 詩人 高畑耕治

釈迢空。みな 旅びと。歌の花(五)。

 出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性的な歌人たちの歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせた歌人を私は敬愛し、歌の魅力が伝わってほしいと願っています。

 出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。

■ 釈迢空(しゃく・ちょうくう、1887年・明治20年大阪府生まれ、1953年・昭和28年没)。

みなぎらふ光り まばゆき
 昼の海。
疑ひがたし。
人は死したり。   『春のことぶれ』1930年・昭和5年

なき人の
今日は、七日になりぬらむ。
 遇ふ人も
 あふ人も、
みな 旅びと

愚痴蒙昧(ぐちもうまい)の民として 我を哭(な)かしめよ。あまりに惨(ムゴ)く 死にしわが子ぞ  『倭をぐな』1955年・昭和30年

◎三首とも、戦争で亡くしたわが子を想う悲しみの歌、胸をうたれます。
◎一首目、二首目は、詩といってもおかしくありません。三十一文字という最小限の短歌の決まりごとをまもりつつ、
一気に続けて書き下ろさずに改行と詩行の並びのかたち、それと一体の、余白、呼吸を止める「間(ま)」、そして詩行の初めと終りの音の響きあい(押韻にちかいもの)にこだわった創作歌であり、抒情詩に限りなく近いといえます。
◎一首目は、初めの二行の情景のイメージがとても鮮明に美しく心に浮かびあがります。その詩の世界のなか続く二行に断念の痛切な想いが突き抜けます。それらを支え溶け合っているのは主調音の母音イi音の、引き締まった音でとても多くなっています。
四行ともに最後の音の母音は「まばゆきkI」「うみmI」「がたしsI」「たりrI」と引き締め閉じられ改行の余白、無音、間(ま)を呼びます。
1、2、4行目の最初の音も「みmIな」「ひhIる」「ひhIと」と呼び合っています。
特に最終行は「人は死にたりhItowa SHInItarI」、死SHIという鋭い音をイI音が包み、この詩全体の緊張感を高めて終わります。意味とイメージと音が詩想にいったいとなり溶け込んだ美しく悲しい詩です。

◎二首目は、同じ主題を歌いながら、受ける印象が大きく異なり、無常観、諦念が滲んでいます。終りの3行は胸に焼き付いて忘れなくなる詩句です。この感じ方の違いをささえているのが、主調音が母音アA音と開かれた広がってゆく音であることと、子音のN音、m音のやわらかなこもる音が多いこと、とくにその子音N音と母音A音の組み合わせの「なNA」が繰り返されているからです。
3、4行目で「遇AふU」「あふAU」と頭韻し、並べながら漢字とひらがなに変奏しています。
1、3、4、5行目の詩行の終わりも、「人のHITOnO」「HITOmO」「HiTOmO」「旅びとBITO」と変奏しながら母音O音での脚韻の木魂が詩行をささえています。美しく悲しい言葉の調べ、抒情詩です。

◎三首目は、詩想の強さ、吐き出さずにはいられない思いの強さが、詩行の形を整え「創る」作業を嫌った、裸のままで生まれ出ることを望んだ、直情の歌です。「(哭かしめ)よyO」と「子ぞkOzO」の上句と下句の最後の音、母音オO音が思いの強さを波動のように、ドン、ドンと読む心に押し放ちます。悲しいけれど忘れられなくなる強い響きの歌です。

 今回の最後に付け加えますが、釈迢空は、民族学者、日本国文学者として著名な折口信夫(おりくち・しのぶ)の歌人としてのペンネームです。彼の古代からの歌謡や和歌、国語、言葉についての考察は、教えられるところの多い豊かなものだと私は思います。(彼の論考は青空文庫でも読むことができます)。

出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。

次回も、美しい歌の花をみつめます。


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tag : 釈迢空 折口信夫 短歌 民俗学 国文学 詩歌 詩人 高畑耕治

土岐善麿。古泉千樫。吉井勇。歌の花(四)。

 出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性的な歌人たちの歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせた歌人を私は敬愛し、歌の魅力が伝わってほしいと願っています。

 出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。

■ 土岐善麿(とき・ぜんまろ、1885年・明治18年東京生まれ、1980年・昭和55年没)。

手の白き労働者こそ哀しけれ。
 国禁の書を
 涙して読めり。       『黄昏に』1912年・明治45年

歌といへばみそひともじのみじかければたれもつくれどおのが歌つくれ  『空を仰ぐ』1925年・大正14年
上舵、上舵、上舵ばかりとつてゐるぞ、あふむけに無限の空へ  『作品Ⅰ』1933年・昭和8年
遺棄死体数百といひ数千といふいのちふたつをもちしものなし  『六月』1940年・昭和15年
あなたは勝つものとおもつてゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ  『夏草』1946年・昭和21年
子らみたり召されて征(ゆ)きしたたかひを敗れよとしも祈るべかりしか ◆同上

◎この歌人の歌にこれまで出会う機会が私にはありませんでしたが、心の深い、心に響く歌をいいなと感じます。
◎一首目は、大正デモクラシーの前夜の時代の歌。「労働者」「国禁の書」という言葉が時代と社会を刻みます。石川啄木の晩年の詩「はてしなき議論の後」と木魂しあっています。
◎二首目は、「無限の空へ」向かう躍動感が新鮮です。
◎三首目は、心にいつも忘れず刻みつけていたい歌。戦時中の歌です。政治も戦争も人間を「数字」としてしか見ず扱わず、「ひとりひとりのいのち」に関心をもちません。詩歌は「ひとりひとりのいのち」からこそ生まれる歌、そこからしか生まれません。この歌の心をもつ人が文学を知る人だと私は思います。
◎四首目と五首目は、敗戦後のとても苦く、心に痛い歌。その場にいなかった者が、事後的に安全な場所から、小賢しく批判することに私は同調しないし、好きではありません。このような苦しい思いをまず聞き、受け止め、自分がそのような状況に置かれたときどうするか、そのような状況に置かれないようどうするか、考えることのほうが、よほど大切なことだと思います。

■ 古泉千樫(こいずみ・ちかし、1886年・明治19年千葉県生まれ、1927年・昭和2年没)

朝なればさやらさやらに君が帯むすぶひびきのかなしかりけり  『屋上の土』1928年・昭和3年
しみじみとはじめて吾子(あこ)をいだきたり亡きがらを今しみじみ抱(いだ)きたり
たたなづく稚柔乳(わかやはちち)のほのぬくみかなしきかもよみごもりぬらし

◎三首とも人肌のあたたかみがそのまま包んだ心のぬくもりが、伝わってくる、人間味の匂う静かなとても良い歌、愛(かな)しみを知り歌う、すぐれた歌人だと感じます。
◎一首目は、愛する女性が朝、和服の帯を結ぶ時間を歌います。その絹がすれあう音の表現「さやらさやら」という詩句はとても美しく耳元に聞こえてくるようです。下句も「ひびきのかなしかりけり」とひらがなで表記していることで、歌全体が、旋律のように、静かな調べを奏でています。この歌の「かなし」は、「愛し」、悲しさと愛のまざりあった思い、愛(いと)しさと切なさを奏でています。
◎二首目は、子を亡くした悲しみの歌。自らに言い聞かせるように、静かに繰り返されるふたつの詩句、「しみじみ」、そして「いだきたり」の調べは、悲歌そのものです。二回目の「今しみじみ」を六音で字足らず(「と」を省略)にしていて、一音の無音に想いが余韻となって沁み響きます。続く最後の詩句を「抱(いだ)きたり」も漢字表記で詩句を強めています。
◎三首目は、愛する妻の美しい乳房のぬくもりに、妊娠した愛(かな)しい喜びを感じとっている歌。「たたなづく稚柔乳」という詩句は古風ですが、乳房の柔らかな山のような優しいまるみを、思い浮かばせてくれます。表記は稚柔乳だけ詩行に埋もれないよう漢字としながら、他はすべてひらがなで、やわらかな形の表音文字の特徴そのままに、言葉の調べ、静かな音楽が、心にしっとりぬくもりを伝えてくれます。

■ 吉井勇(よしい・いさむ、1886年・明治19年東京生まれ、1960年・昭和35年没)。

叱られて悲しきときは円山(まるやま)に泣きにゆくなりをさな舞姫  『祇園歌集』1915年・大正4年
気のふれし落語家(はなしか)ひとりありにけり命死ぬまで酒飲みにけり  『毒うつぎ』1918年・大正7年

◎一首目は、花柳界にいりびたった歌人の、京都の祇園の舞妓の歌集からですが、この歌はまだ幼さが残る女性の悲しみを思う気持ちが素直で、心に響いてきます。
◎二首目も、デカダン、退廃的、頓狂な生き方しかできなかった落語家が亡くなったときの悲しみの歌。生き様への共鳴と自分に重ねる思いの強さが、響いてきます。
 二首の歌を通して私は、どのような生き様から生み出されるに係わらず、歌が他者の心にまで響き沁みてゆく、その一番のちからは、込められた思いの強さ、切実さ、真率さだと、とても当たり前のことを、改めて強く思います。

出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)
から。

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斎藤茂吉。前田夕暮。北原白秋。歌の花(三)。

 出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性的な歌人たちの歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせた歌人を私は敬愛し、歌の魅力が伝わってほしいと願っています。

 出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。

■ 斎藤茂吉(さいとう・もきち、1882年・明治15年山形県生まれ、1953年・昭和28年没)。

死に近き母に添寝(そゐね)のしんしんと遠田(とほだ)のかはづ天(てん)に聞ゆる  『赤光』1913年・大正2年
短歌ほろべ短歌ほろべといふ声す明治末期のごとくひびきて  ◆『白き山』1949年・昭和24年
焼あとにわれは立ちたり日は暮れていのりも絶えし空(むな)しさのはて  『ともしび』1950年・昭和25年

◎一首目の歌は、母の死という悲痛な主題。心に沁み入るように感じられるのは、言葉の意味とイメージに浮かぶ
「添い寝」しながら天にまで広がる「かはづ」の声に包まれている姿の哀しさがまずあります。
 意味・イメージと溶けあるように流れている調べも重要で、まず初句の「死に近きSHInICHIKaKI」一語は、母音イI音の鋭さが、SHI、CHI、KIと細く歯の隙間から息を吐く子音との組合せで高まっていて、これだけでこの歌が厳粛な調べだと宣言します。次に「しんしんSHInSHIn」も同じ調べの特徴をもちつつ、日本語の読者に伝統語としての静寂な世界をもたらします。哀しさが美しく響いてゆく歌だと感じます。
◎二首目は、敗戦後の短詩形、第二芸術論に対し、感慨のように歌われています。反論も擁護もしていません。私自身は、言葉の芸術、文学のスタイルと方法について、こっちが優れてこっちは劣っている、というような縄張り好きな傲慢な批評屋は嫌いです。科学的合理的な進歩観にたち何もかも点数化し優劣判定ができるとの単純なドグマに冒された視点は批評のための批評でとても偏狭です。本当に詩歌が好きな人は、それぞれの形で生まれた歌の良さを、感じとり心に響かせる人です。戦争の勝敗、国際政治力学での優位性、政治上の主義・イデオロギー・党派性を、文学にまで短絡的に結びつけ、詩歌のさまざまな形の優位性を論じるのは、愚かで有害だと私は考えます。
◎三首目も、敗戦後の直情の歌。私は写実、叙景に閉じこもるアララギらしい彼の他の歌より、心に響き、いい歌だと感じます。

■ 前田夕暮(まえだ・ゆうぐれ、1883年・明治16年神奈川県生まれ、1951年・昭和26年没)。

自然がずんずん体のなかを通過する――山、山、山  『水源地帯』1932年・昭和7年
あいあいと人の子の泣く声ひびきみなかみ青き麦畑のみゆ  『耕土』1946年・昭和21年
ともしびをかかげてみもる人々の瞳はそそげわが死に顔に  ◆『夕暮遺歌集』1951年・昭和26年

◎一首目は、作者の表現したいものが、ふさわしい、これしかない、言葉のかたちをとって、まっすぐに心に飛び込んでくるようです。読む私さえそれを体感できるような臨場感を感じさせる優れた歌だと思います。
◎二首目は、「人のこの泣く声」の「ひびき」を表現する詩句「あいあい」の情感が私はとても好きです。五十音の冒頭の二音のそれ自体の調べの美しさ、「愛」の音のイメージを含んで響くこともあり、これだけで好きな歌です。
下句の「み」と「む」の子音M音の重なりから「みゆMiYU」とやわらかく終わる調べも、意味・イメージに浮かぶ情景と溶け合い、遥かで美しいと感じます。なつかしさをかもしだすような歌です。
◎三首目は、死の直前の、辞世の歌。「人々HITObito」の音が「瞳HITOmi」を呼んだ気がしますが、死の直前で思い浮かべる祈りのような言葉には、自分のそのような時までに思いを馳せさせる、厳粛さが強く心に迫って感じられる力があります。

■ 北原白秋(きたはら・はくしゅう、1885年・明治18年福岡県生まれ、1942年・昭和17年没)。

ヒヤシンス薄紫に咲きにけりはじめて心顫(ふる)ひそめし日  『桐の花』1913年・大正2年
病める子はハモニカを吹き夜に入りぬもろこし畑(ばた)の黄なる月の出
下(お)り尽す一夜(ひとよ)の霜やこの暁(あけ)をほろんちょちょちょと澄む鳥のこゑ  『白南風』1934年・昭和9年

◎一首目は、薄紫に咲いたヒヤシンスが美しく眼に浮かびます。「初(はじ)めて」と「初(そ)める」は意味が重複していますが、ともにひらがなで目立たないので静かな強調になっています。何に対して「ふるえた」かは匂わすだけで語らず歌っていることで、歌の印象が深まりと広がりをもっていると思います。初恋ととる読者が多いと思いますが、ちがっていてもかまいません。歌は原因と結果の因果関係を説明し納得させることではなく、はじめて心ふるえたその時花が咲いた、というただそのことを、心に感じて響かせるものだからです。
◎二首目は、白秋らしい病的な異国情緒を醸し出しています。「病める子」「ハモニカ」「黄なる月」、強いイメージを生み出す詩句を、「夜」の「もろこし畑」という特異な情景に投げ込んで、幻想的な、非日常的な、映画のような世界を作り出していて、不思議な魅力があります。
◎三首目は、鳥の澄んだ声をあらわした「ほろんちょちょちょ」という響きがこの歌のいのちです。日本全国に残る民謡や童謡をふかく知り、自らも創った白秋の詩句の音楽性についての感性には、汲み尽くせぬ泉のような豊かさ、深い魅力を湛えていると私は思います。

出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)
から。

 次回も、美しい歌の花をみつめます。

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tag : 斎藤茂吉 前田夕暮 北原白秋 短歌 歌人 詩人 詩歌 高畑耕治

太田水穂。会津八一。歌の花(二)。

 出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性的な歌人たちの歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせた歌人を私は敬愛し、歌の魅力が伝わってほしいと願っています。

 出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。

■ 太田水穂(おおた・みずほ、1876年・明治9年長野県生まれ、1955年・昭和30年没)。

君が手とわが手とふれしたまゆらの心ゆらぎは知らずやありけん  『つゆ草』1902年・明治35年
すさまじくみだれて水にちる火の子鵜(う)の執念の青き首みゆ  『鷺鵜』1933年・昭和8年

◎一首目は、鉄幹と同時代の、恋の歌。上句は、「手と」「手と」が男と女の微妙な距離を浮かび上がらせつつ、音の繰り返しが快く、続く「たまゆら」「心ゆらぎ」の「ゆら」の音が、意味の上での微妙な心の揺れと、よく溶け合っています。最後の「知らずやありけん」という強い問いかけも、異性を思う切ない思いの強さを響かせていて、美しいと感じます。
◎二首目は、鵜飼の歌。かがり火を灯す清流で、鵜に魚を呑み込ませ吐きださせる小舟での漁の情景が、とても鮮やかです。「みだれて水にちる火 mIdarete mIzuniI chIru hI」はかくれた子音との組合せで変奏する子音Iイ音の鋭さが臨場感、緊迫感を高めています。後半の「鵜の執念の青き首」という強くふさわしく言い換えられない詩句を見出したことで、この歌に高まりゆくエネルギーが生まれたのだと、私は感じます。

■ 会津八一(あいず・やいち、1881年・明治14年新潟市生まれ、1956年・昭和31年没)。

ひかり なき とこよ の のべ の はて に して なほ か きく らむ やまばと の こゑ  『寒燈集』1947年・昭和22年
すべ も なく やぶれし くに の なかぞら を わたらふ かぜ の おと ぞ かなしき

◎一見してわかるように、独特の表記法を生み出した詩人です。私自身は、表現方法を模索し試み生み出そうとする芸術家の意思が好きだし、失わずにいつも創作を試みています。
 そのうえで、この歌人の試みについて次のように感じます。
 良い点は、①ひらがなという表音文字だけにしたことで、一音一音をより敏感に伝え感じとれること。また、②ひらがなの文字のやわらかな字体・かたちが、やさしさ、やわらかさ、澄んだ雰囲気を浮かべだしていること。
 悪い点は、①助詞「の」まで含め詩句一語一語ごとに一文字間を空けるので、詩の流れが「ブツ切り」になり、音の流れ旋律が失われている。②歌人が作歌するとき、読むときにも、このように「ブツ切り」には息を吐いたり止めたりしないから、数多い字間は呼吸の「間(ま)」となっていないため、作為、人工的に感じてしまう。言葉の音楽性、流れと間を損ねていることで、この詩形は美しいとは私には感じられません。
 ひらがなの字体のやわらかさは美しいのだから、三十一文字をすべてひらがなで連ねて息の「間」は読むものの自然に任せるほうが、詩形として美しいと私は思います。その場合も、詩想が表記法のやわらかさと溶け合う内容でないと失敗すると思いますが。
◎一首目は、暗い野辺の果てに響くやまばとの声が聞こえてくるようです。でもこの詩形だからこそ詩想がもっともふさわしく表現されている、とまではいえないと感じます。
◎二首目は、直情の歌。この歌は、敗戦のかなしい、むなしい思いが、詩形のひらがなの、風に飛んでしまうような弱さ、軽さと、切れ切れに断ち切られた、とつとつとした心と、あっていて、詩想と詩形がいったいに溶け合い、詩情を深め強めていて、美しいと感じます。

出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)
から。

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tag : 太田水穂 会津八一 短歌 歌人 詩歌 詩人 高畑耕治

佐々木信綱。与謝野鉄幹。歌の花(一)。

 今回まで数回にわたり、出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、私が特に感じるところのあった歌人とその歌を聴きとってきました。
 とりあげなかった歌人についても、心に強く響く好きな歌はおおくありますので、今回からは個性的な歌人たちのいいと感じた歌を数首ずつみつめなおし、私が感じ思った言葉を添えていきたいと思います。

 生涯をかけて歌ったなかからほんの数首しか咲かせられませんが、でも私は歌い心の歌を香らせた歌人を敬愛し好きだという気持ちをいつも強くもっています。少しでも香りの魅力が伝わってほしいと願います。
 あくまで私の今の心に響いた歌ですので、読者の方それぞれが違う歌を良いと感じるのはとても自然なことです。わたしは歌壇での権威も著名度もあまり知らず関心もありません。詩壇についても同じです。

 詩歌は花です。ひそやかに咲く美しい花があり、その花に響きうたれる心があるとだけ、感じていただけたらそれでいいと思います。

 出典に従い基本的には生年順です。各回の人数も決めずに、詩歌、短歌はいいなという思いのままに記していきます。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。

■ 佐々木信綱(ささき・のぶつな、1872年・明治5年、三重県鈴鹿市生まれ、1963年・昭和38年没)。

みづうみを越えてにほへる虹の輪の中を舟ゆく君が舟ゆく  『新月』1912年・大正元年
二本(ふたもと)の柿の木(こ)の間の夕空の浅黄に暮れて水星は見ゆ  『椎の木』1936年・昭和11年
あき風の焦土が原に立ちておもふ敗(やぶ)れし国はかなしかりけり  『山と水と』1951年・昭和26年

◎一首目は、上句の叙景の鮮明なイメージが遥かに広がる美しさと、下句のリズム感が浮かび沈む進む舟の動きそのものに溶け合ってゆくようです。君という一語から思慕もかもし出され、抒情歌へと高まっています。
◎二首目は、歌われ映し出される映像が、リズム感にのりながら、柿の木、背景の空、そして最後の一語で宇宙遥か彼方の水星まで一挙に遠くの一点に焦点が絞り込まれ、鮮やかに心に浮かび輝きます。
◎三首目は、直情の歌、敗戦後の思いが、私の心にも、苦く滲み込んできます。
 
■ 与謝野鉄幹(よさの・てっかん、1873年・明治6年京都市生まれ、1935年・昭和10年没)。

野に生ふる、草にも物を、言はせばや。
  涙もあらむ、歌もあるらむ。   『東西南北』1892年・明治29年

われ男(を)の子意気の子名の子つるぎの子詩の子恋の子あゝもだえの子 『紫』1901年・明治34年
情(なさけ)すぎて恋みなもろく才あまりて歌みな奇なり我をあはれめ

◎一首目は、明星派そのものの抒情、ロマンがあふれ、みずみずしい若い感情の歌で、私はとても好きです。野の草の涙や歌を聴きとり、言葉にするのが詩人だと思います。
◎二首目は、有名な歌で、自らのことを、「***の子」を変奏させて歌います。リズムが単調で奥行きの深い美しい歌ではありませんが、それでも、与謝野鉄幹という、個性そのもの、こんな歌ほかの人には絶対に歌えない、そう感じさせる突出した心の輝きが私は好きです。
◎三首目も、鉄幹が自らの個性と自身の歌をよく知っていたと教えてくれます。「情けすぎ」「恋」多くもろくないと詩人でありえませんが、鉄幹の歌は「才あまりて」「奇」で、主張が勝ち頭で作ってしまい、晶子のような本物の抒情歌は歌えませんでした。でも人間味あふれる彼が好きだし、雑誌「明星」を推し進めた情熱を敬愛しています。

出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂
から。

 次回も、美しい歌の花をみつめます。

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河野裕子の短歌。恋の歌、愛の歌、感性の花。

 ここ百年ほどの時間に歌われた詩歌から、短歌の形で咲いた心の花をみつめています。
 今回の歌人は河野裕子(かわの・ゆうこ、1946年・昭和21年熊本県生まれ)です。

 私が特に好きな18首を選びました。

 最初の5首は、恋の歌で、とてもいいと思います。青春を生きる女性の若さ、みずみずしい感受性、こころとからだの華やぎ、ときめきが、いちどに咲き出したようなみなぎる力が美しいと感じます。花が咲きそよ風にゆれながら歌っているようです。

 次の6首は、子を授かった、身ごもった女性、産んだばかりの女性の歌です。
感受性ゆたかなこの歌人だから生まれたと思える、素晴らしい歌だと思います。肉体的に産むという経験を知らない私にも、そのかけがえのない体験のそばに、歌をとおして寄り添わせてくれるように感じます。

 次の3首からは、母としての、子育ての喜びとそのたいへんさ、よく伝わってきます。懸命な姿に心が温まるのは、歌の基調音のように見えないけれども澄んでいる体温のぬくもりの、が流れているからだと思います。

 最後にあつめた4首は、叙景の歌ですが、抒情歌ともいえます。感情に染め上げられているからです。
 この歌人が、自分を取り巻く世界の音楽を聴き取る感性のみずみずしさ、そして受け止めたものを、言葉を選び歌とする才能がとてもゆたかだと教えてくれます。
歌の調べ、言葉の音楽は美しく流れながら、鮮やかなイメージ、情景が、読む心に広がります。

 彼女は、生きることは悲しみも苦労も多いけれど、わるくない、生きて感じてみようと、静かに思わせてくれる歌があることを気づかせてくれる、人間らしい、優れた歌人だと私は思います。

          『森のやうに獣のやうに』1972年・昭和47年
青林檎与へしことを唯一の積極として別れ気に来り
たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか
夕闇の桜花の記憶と重なりてはじめて聴きし日の君が血のおと
ブラウスの中まで明るき初夏の陽にけぶれるごときわが乳房あり
今刈りし朝草のやうな匂ひして寄り来しときに乳房とがりゐき

          『ひるがほ』1976年・昭和51年
あるだけの静脈透けてゆくやうな夕べ生きいきと鼓動ふたつしてゐる
まがなしくいのち二つとなりし身を泉のごとき夜の湯に浸す
産むことも生まれしこともかなしみのひとつ涯とし夜の灯り消す
しんしんとひとすぢ続く蝉のこゑ産みたる後の薄明に聴こゆ
われの血の重さかと抱きあげぬ暖かき息して眠りゐる子を
胎児つつむ嚢(ふくろ)となりきり眠るとき雨夜のめぐり海のごとしも

          『桜森』1980年・昭和55年
君を打ち子を打ち灼けるごとき掌よざんざんばらんと髪とき眠る
子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る
子を叱る母らのこゑのいきいきと響くつよさをわがこゑも持つ

          『森のやうに獣のやうに』
振りむけばなくなりさうな追憶の ゆふやみに咲くいちめんの菜の花 
          『ひるがほ』
土鳩はどどつぽどどつぽ茨咲く野はねむたくてどどつぽどどつぽ
          『桜森』
水位徐徐に上がれるごとした黄昏れて四囲にみち来るかなかなのこゑ
          『はやりを』1984年・昭和59年
暗がりに柱時計の音を聴く月出るまへの七つのしづく

出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
 次回も、歌人の心の歌の愛(かな)しい響きに耳を澄ませます。

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中城ふみ子の短歌。『乳房喪失』悲しく燃え尽くして。

 ここ百年ほどの時間に歌われた詩歌から、短歌の形で咲いた心の花をみつめています。
今回の歌人は中城ふみ子(なかじょう・ふみこ、1922年・大正11年帯広市生まれ、1954年・昭和29年没)です。

 歌集タイトルにある『乳房喪失』、乳癌のため32歳で夭逝されていますが、死の前の短い期間に、激しく燃え尽くした歌人、その歌に漂う悲壮感と切迫した想いに心打たれます。17首選びました。
 
 最初の5首は、人との距離感についての鋭敏な感覚、尖って感じられる齟齬感、砂を噛んでしまうような、この人の生きにくさが、離婚をめぐる時間のなかで、夫と子を通して歌われていると感じます。
 おそらく誰もが程度の差はあれもっている、自我、エゴという生命力が、周囲と関係を上手く結んでいけない悲しみに、この歌人の露出した神経がふるえているようです。

 次の5首には、彼女の自我の強さがむき出しになり、神経がヒリヒリ痛んでいるような激しさがあります。自己への厳しさに尖ってしまうとき他者や世界と摩擦し傷を負わせ虐げてしまうように感じる意識。
 芸術家はこのような横顔を持たずに生きられない生き物ですが、その自己意識が研ぎ澄まされた歌になっています。

 次の3首は、乳癌そのものから生まれた歌。悲しみが凝結した歌だと感じます。

 最後の4首は、自ら死ぬことを悟った、辞世の歌であることを意識した者だけが、歌える歌。死を目の前にしながら、苦しみの最中での言葉だからでしょうか、ほのかな明るみのようにうかびあがる花のまぼろしは、とても美しい、と感じます。
 この間際まで、このように歌うことを意思し行った彼女は、芸術家、歌人としての生来の資質、運命のもとに生まれ、その重みに押しひしがれ潰されそうになりながらも、生き抜いた人だと私は思います。

 生き難く、おそらく周囲の人を傷つけずにはいられなかった、そのことを知りつつ苦しみ悲しみながらも、最期まで歌い続けた激しく悲しい彼女と彼女の歌に、私の心は揺れうごき、響きあいます。

          『乳房喪失』1954年・昭和29年
追ひつめられし獣の目と夫の目としばし記憶の中に重なる
春のめだか雛の足あと山椒の実それらのものの一つかわが子
灼(や)きつくす口づけさへも目をあけてうけたる我をかなしみ給へ
われに最も近き貌(かほ)せる末の子を夫がもて甘しつつ育てゐるとぞ
子を抱きて涙ぐむとも何物かが母を常凡に生かせてくれぬ

美しく漂ひよりし蝶ひとつわれは視野の中に虐(しひた)ぐ
原色のかなしみをきりきり突きつけるこの画よ立ちてひもじきときに
音たかく夜空に花火うち開きわれは隈なく奪はれてゐる
冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己れの無惨を見むか
大楡の新しき葉を風揉めりわれは憎まれて熾烈に生きたし   ●

もゆる限りはひとに与へし乳房なれ癌の組成を何時よりと知らず
失ひしわれの乳房に似し丘あり冬は枯れたる花が飾らむ
唇を捺されて乳房熱かりき癌は嘲(わら)ふがにひそかに成さる   ●

           『花の原型』1955年・昭和30年
遺産なき母が唯一のものとして残しゆく「死」を子らは受取れ
死後のわれは身かろくどこへも現れむたとえばきみの肩にも乗りて
息きれて苦しむこの夜もふるさとに亜麻の花むらさきに充ちてゐるべし
無き筈の乳房いたむとかなしめる夜々もあやめはふくらみやまず   ●

出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)
●印『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)
 次回も、歌人の心の歌の愛(かな)しい響きに耳を澄ませます。

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田川紀久雄の『慈悲』。あなたの微笑みが。

 詩人の田川紀久雄さんが新しい本『慈悲』(2013年3月20日、漉林書房、2000円)を出版されました。

 この本の表紙絵は画家であるご自身の作品で、優しくぬくもりが溶けた色あいの女性が佇んでいます。どのような本であるかは、あとがきの次の言葉に書き尽されていますので、以下に抜粋します。
ゆ<
「あとがき」
 末期ガン以後ひたすら言葉を書き続けている。それは書かずにはいられないからだ。(略)要は書きたいことだけを書いているに過ぎない。(略)末期ガンを患ったあとの魂の軌道を報告しているとしかいいようがない。(略)。この本もまだ私は生きているぞという報告なのだ。(略)。

 私は、詩人とは書かずにはいられないものも書いている人、ただそれだけだと考えています。
 そして文学は、投げ込まれた時間のなかで、なぜ生きているのか、真理を求め問いかけてもわからない人間が、それでも今生き感じて心に抱いている、自分にとってほんとうのこと、真実を、言葉の花として咲かせること、だと考えています。感動の花の姿は、色とりどり、個性豊かな違いがあればあるほど、いいと思います。

 田川さんの花は、とても素朴な、だからこそ、いちばん美しいと感じてしまう、小さな野の花です。こころのはだかの思いです。見つめ、感じ、微風をともに感じ、同じ瞬間ともにふるえることが、野の花を愛することだと私は思います。

 私の心が木魂した言葉を、とても自由に、以下に抜き出しました。読者ひとりひとりの方が、野の花のいろんな表情を、この本から聴きとって頂けたらと願います。

● 以下はすべて田川紀久雄『慈悲』からの原文引用です。かっこ内は「」は作品名です。

「慈悲」
生きている人たち/亡くなっていった人たちの/いのちと対話することで/心の中にあった罪意識が和らげられていった/すべての存在が宇宙の暗闇に呑まれてゆく/そう思うと生きているものすべてが愛おしい/無心になって生き物と係っていきたい

「交友」
私が末期ガンを宣告されて/蝋燭の焔が消えかけた瞬間に/いのちの中に多くの愛が秘められていることを感知した/いのちが愛おしい/愛するものを/慈しんでゆきたい
これから先どのように生きていけるのか/先がまったく視えてこない/ひたすら詩を書いてゆくだけだ

「哀しみへの考察」
哀しみは何処から来るのだろうか/それは宇宙の誕生からではあるまいか
哀しみは何処から来るのだろうか/それは人を愛することから生まれて来る
哀しみは何処から来るのだろうか/できるだけ多くの人たちの幸せを願う/それなのにこの地球から戦争が絶えることがない/多くの子供たちが犠牲になって行く/多くの人達が難民になってゆく/今の私には何も手助けもできない
愛するものを守るために/世の中の哀しみを抱きしめて生きていくしかない

「落とし穴」
自分だけが救われても/身近な人たちが救われなかったら哀しい
存在そのものの虚しさを身に沁み込ませながら/祈りの中に身を晒すことになる/ひたすら美しい世界を夢見ながら……
私は身近な人を愛していくしかない/裸形のまま素直に/生きていたい/大きな空洞の落とし穴に/埋没したまま/多くの人々の苦しみと共に/生きて往かざるを得ない

「存在と非存在」
人の心は/水面(みなも)のように揺れ動いている/相手の幸せを願いながらも/どこかで裏切ってしまう/所詮自分だけが可愛いのだ
この世の苦しみから逃れる方法は/どこにあるのだろうか/路傍の花々を見て心を癒したり/海辺の微風に身を任せてみたり/生れたての動物たちを見ることで/いのちの聲を聴くことが出来る

「フーガの技法」
風の穏やかな音に包まれる/海辺で渚の音に包まれる/花々の揺れる音に包まれる/夜空の満天の星々に包まれる
すべての生き物の鼓動が聴こえてくる/この宇宙の孤独に包まれていることを感じる

「エゴな愛ほど美しい」
エゴな愛ほど美しい/美しい愛ほど終末は哀しい/哀しい愛ほど激しく燃え上がる
純粋に生きることはとても厄介なことだ
永遠に満たされることのない愛を求めて/エロスの中で溺死するしかない

「意識は踏み絵でもある」
罪意識は人間としての踏み絵である

「無言の祈り」
苦しい時は/苦しみの坩堝の中で溺れるしかない/手足をバタつかせたり踠いたりするしかない/それでもたすからなければ諦めるだけだ

「生きたい」
哀しみを知らない人は不幸だ/でも生きている時は/できるだけ哀しみを味わいたいとは思はない
一番辛く苦しい時が/その人にとって生そのものが濃密でいられたときであるかもしれない/私が末期ガンといわれたときも/いのちにとっては豊かな時であったかも知れない/一瞬一瞬いのちそのものを熱く感じられた/生きたい/このまま死にたくはないという思いが/いのちそのものを身近に感じさせた

「聲をあげる歓び」
聲の中にいのちを吹き込むこと/言葉にいろんな響きや色が隠されています/その響きや色にいのちを吹き込むことによって/聲が踊り出してゆけるのです/いのちの響きには相手のいのちの扉を開ける力が潜んでいます


「慈心」
人間の心はいつも矛盾に満ちている/心では綺麗な事を言っても/心の隅ではいつも悪魔が何事かを囁いている
人にとって何にも役立つことがなくても/精一杯生きていることに/生の意味を求めていたい

「聴く人」
多くの苦しむ人たちの聲が聴こえてくる/耳を澄ましてただその聲に耳を傾けるだけだ
そのようなことを書いても誰も振り向かないよと言われる/私の言葉がこの地上から消え去ってゆくだろう/でも私は生きている限り/詩らしきものを書いてゆくだけだ
ただひたすら耳を研ぎ澄まして/苦しみ悩む人の聲を受け止めるしかない/金銭的にも物質的にも/何もしてやれない/ただ聴く人になり切ることぐらいだ/私は聴く人であり/叫び続ける詩人でありたい

「慈悲 2」
あなたの微笑みが/私の魂を励ましてくれる


☆ お知らせ

田川紀久雄『慈悲』(2000円税送料込)ご注文は、
書店で、漉林書房、地方小出版センター扱いと告げてできます。
②または、郵便振替00160‐5‐18362 漉林書房で送付ご希望先住所をお知らせください。
漉林(ろくりん)書房 〒210‐0852 川崎市川崎区鋼管通3-7-8 2F (問合せTEL:044-366-4658) 

詩語りライブ「いのちを語ろう 第10回」

田川紀久雄 宮澤賢治「青森挽歌」、自作詩『慈悲』
坂井のぶこ 麻生知子詩集、自作詩『浜川崎から』
野間 明子 自作詩
  
日時:2013年3月16日(土)午後2時
より(午後1時40分開場)。
場所:東鶴堂ギャラリー。JR鶴見駅徒歩5分、京急鶴見駅徒歩2分。
   鶴見中央4‐16‐2 田中ビル3F(TEL045‐502‐3049)。
料金:2000円

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