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高畑耕治

Author:高畑耕治
愛のうたの絵ほんは、高畑耕治の詩と詩集の海です。
Profile 高畑耕治 たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪府四條畷市出身、早稲田大学政経学部中退。東京都多摩市在住。
詩集『銀河、ふりしきる』(2016年5月イーフェニックス)
詩集『こころうた こころ絵ほん』(2012年同上)
詩集『さようなら』(1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25)
詩集『愛のうたの絵ほん』(1994年同上)
詩集『愛(かな)』(1993年同上)
詩集『海にゆれる』(1991年土曜美術社)
詩集『死と生の交わり』(1988年批評社)
雑誌「エヴァ」に扉の詩(1996~1997サンマーク出版)を連載。
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富小路禎子。尾崎左永子。歌の花(二一)。

 出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性が心に響いてきた歌人について好きだと感じた歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせる歌人を私は敬愛し、歌の美しい魅力が伝わってほしいと願っています。
 
 出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。

● 富小路禎子(とみのこうじ・よしこ、1926年・大正15年東京生まれ、2002年・平成14年没)。

女にて生まざることも罪の如し秘(ひそ)かにものの種乾く季(とき) 『未明のしらべ』1956年・昭和31年
処女(をとめ)にて身に深く持つ浄き卵(らん)秋の日吾の心熱くす
◎この二首は同じ主題をことなる表情で変奏しています。この歌人が二十歳のときは敗戦の翌年1946年、同じ年頃の男性たちの多くは日中戦争、太平洋戦争で戦死し、女性たちの多くも出会いと結婚の機会を極端に奪われました。この歌の響きの静かな悲しみは、望んでいたけれど叶えられなかった心のふるえのように私には聴こえます。

遮断機の竿上る古き踏切の彼方幼き吾に会へるや  ◆『不穏の華』1996年・平成8年
◎この心象世界は映画の一場面のように鮮やかに心に映写されるようです。踏み切りの向こうに、幼い自分がいるような、幼い頃の世界が今もまだあるような、そんな気がするのは、この歌人や私だけではないと思います。

鶴だけしか折れぬ吾もし惚けなば部屋一杯の折鶴婆(ばば)か  ◆
◎この歌も夫と子がなく、一人老いゆく女性のさびしさと深い悲しみがため息となってこぼれているようです。「折鶴婆か」という自嘲の言葉に、生きてきた年月の深さに降りつもった嘆きがこもり、痛く響き、心に残ります。

● 尾崎左永子(おざき・さえこ、1927年・昭和2年東京生まれ)。

戦争に失ひしもののひとつにてリボンの長き麦藁帽子  ◆『さるびあ街』1957年・昭和32年
◎青春期が戦時と重なった女性の歌人のこの歌も、深い悲しみを静かな言葉で歌っています。「リボンの長き麦藁帽子」、若い女性が自然に大切に感じる身近な、可愛い、素敵な、綺麗な、おしゃれを、禁じられ奪われた時代であったこと、そして同時に、「失ひしもののひとつ」という詩句には、「限りなく多くのもの」を失ってしまったという悲しみが込められていて、心に痛く響きます。

硝子戸の中に対照の世界ありそこにも吾は憂鬱に佇つ  ◆
◎映像が浮かび上がり、似た経験をもつ読者の木魂を呼ぶ歌だと感じます。「そこにも」という詩句に、こちら側の「吾」の「憂鬱に佇つ」姿が逆照射され強められて浮かびあがり感じられます。

ひとりなる時蘇る羞恥ありみじかきわれの声ほとばしる  『彩紅帖』1990年・平成2年
◎この歌は「羞恥」がどのようなものかまでは語りません。だからこそ逆に読者自身が思い当たる自らの「羞恥」に重ねて、同じ経験を思い起こし、自らの歌として共感するのだと思います。

昏(くら)むまで降り積む雪に紛れゆき還らぬものを過去(すぎゆき)といふ 『土曜日の歌集』1988年・昭和63年
◎音楽を情景に溶かし込んだ歌です。「ゆきYUKI」という音を三回繰り返し奏で歌うことに歌人の創意は向けられていて、過去という言葉を「過ぎゆく」時間であることから、音のために「すぎゆきsugiYUKI」と読ませます。そこにはあらわな作為があるので嫌う読者もいる気がしますが、私は雪のイメージと「ゆきYUKI」という音がとて も好きなので、繰り返される調べを美しく感じます。

出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)から。

次回も、美しい歌の花をみつめます。

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tag : 富小路禎子 尾崎左永子短歌 詩歌 詩人 高畑耕治

新しい詩「お花のお話、聴いてごらん」をHP公開しました。

 私の詩のホームページ「愛のうたの絵ほん」に、新しい詩「お花のお話、聴いてごらん」を、公開しました。
(クリックでお読み頂けます)。

   詩「お花のお話、聴いてごらん」

お読みくださると、とても嬉しく思います。


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tag : 詩歌 詩人 高畑耕治 新しい詩

新しい詩「かえで、旅立ちのうた」をHP公開しました。

 私の詩のホームページ「愛のうたの絵ほん」に、新しい詩「かえで、旅立ちのうた」を、公開しました (クリックでお読み頂けます)。

   詩「かえで、旅立ちのうた」

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tag : 詩人 高畑耕治 詩歌 かえで、旅立ちのうた 新しい詩

大西民子。前登志夫。歌の花(二〇)。

 出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性が心に響いてきた歌人について好きだと感じた歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせる歌人を私は敬愛し、歌の美しい魅力が伝わってほしいと願っています。

 出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。

● 大西民子(おおにし・たみこ、1924年・大正13年岩手県生まれ、1994年・平成6年没)。

枕木に雪積もりゐし夜の別れ呼び戻されむことを願ひき  『無数の耳』1966年・昭和41年
◎雪の夜の駅での男女の離別の情景が鮮やかに浮かびあがります。女性の思いの切なさが美しく心染まります。

眉墨を刷(は)きてやらむにせともののやうにつめたし死人の頬は  ◆『雲の地図』1975年・昭和50年
◎詩句「せともののやうに」に、もう命もたない、こわれやすいものとして指先に触れる感覚が伝わってきます。思い知らされ、最後にあきらめのように投げ出される詩句「死人の頬は」に嘆きが悲しく心に響きます。

われの死を見ずにすみたる妹とくり返し思ひなぐさまむとす  ◆
◎静かに愛する思いが響く鎮魂の歌。自らに言い聞かせる心の思いをそのまま声にしたような、とてもまっすぐな表現が、心にそのまま受け渡され広がる思いがします。

このままに埋(うも)るるもよし家ぐるみひしひし雪に包まれてゆく  ◆
◎詩想とイメージが溶け合うとともに、言葉の調べもゆたかな詩情を奏でています。「このkOnO」、「ままmAmA」、「るるrUrU」と母音オO音、アA音、ウU音をそれぞれ二音並べ変奏し音の波が揺れるようです。続く主調音は母音イI音と子音と織られた「しSHI」、「yoSHI IegurumI hISHIhISHIyukInI」、イメージの白の色調とよく溶けています。「雪YUKI」と「ゆくYUKU」の耳に溶けるやわらかな「ゆYU」音もイメージの雪そのもののようです。静かな美しい歌だと感じます。

まろまろと昇る月見てもどり来ぬ狂ふことなく生くるも悲劇  ◆『風水』1981年・昭和56年
◎「狂ふことなく生くるも悲劇」、心に刻まれ、忘れられない詩句です。生き抜くことで初めて得られる、深く強い感慨の言葉に心打たれます。冒頭のやわらかな「まろまろ」という響きに月のひかりが溶け響いています。調べの波の音色の波頭は子音K音が母音と織り交ぜられた「きKi」「くKu」「こKo」で、その鋭い音が、詩想の中心にある「狂う」「悲劇」を強め奏でています。

■ 前登志夫(まえ・としお、1926年・大正15年奈良県生まれ)。

けものみちひそかに折れる山の上(へ)にそこよりゆけぬ場所を知りたり  ◆『子午線の繭』1964年・昭和39年
◎民話的な世界、異界、あの世といったものへの想いを呼び起こす不思議な魅力をもつ歌です。調べのうえでは、「山の上」を「やまのへ」と読ませる「へHE」の息がかすれる弱い一音が、その不思議な場所へと誘っています。

暗道のわれの歩みにまつはれる蛍ありわれはいかなる河か
◎この歌の蛍も、人魂や誰かの想いといった非日常的なひかりを放ちながら、飛んでいます。その象徴性をおびさせているのは、「まつはれる」と「われはいなかる河か」、これらの詩句です。

行け、若葉 さやげる山の夏こだまひるがへるまのかなしみにして  『樹下集』1987年・昭和62年
◎冒頭の詩句「行け、若葉」がとても印象的な美しい歌です。詩句「さやげる」に、次の柿本人麻呂の歌が、意識の音楽となって音のない清流のように流れます。
小竹(ささ)の葉はみ山もさやにさやげども我は妹思ふ別れ来ぬれば
詩句「夏こだま」も美しく、それ以降すべてひらがなにしていることも、透明感のある流れを生みだしています。

こがらしの過ぎたるのちを蝶しろくたかだかとゆく蒼穹(あをぞら)なりき
◎この歌には、心の首を傾けさせ空を見上げさせるちからがあります。見あげる心の目に、蝶の白と蒼穹の青が、鮮やかな色彩で沁みます。色彩とともに、心に空の深さと広さを見つけさせてくれる歌です。

さくら咲くゆふべとなれりやまなみにをみなのあはれながくたなびく  ◆『青童子』1997年・平成9年
◎音楽のような歌です。冒頭「さくら咲くSAKUrASAKU」明るい母音アA音を三音重ね、「さくSAKU」を重ねた快いリズムで情景をいっきに拡げます。続く詩句から転調して、調べの主調音は子音Nと子音Mのなだらか音と子音Yの柔らかな音で、それぞれ母音と織り交ぜられ変化し流れます。「YUubetoNAreri YAMANAMINI oMINANOaware NAgaKUtaNabiKU」。末尾の「くKU」音の軽い押韻も、遠く冒頭の「saKUrasaKU」と木魂していて、静かな美しい調べの歌です。

出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)
から。

次回も、美しい歌の花をみつめます。

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tag : 大西民子 前登志夫 短歌 詩歌 詩人 高畑耕治

岡野弘彦。山中智恵子。歌の花(十九)。

 出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性が心に響いてきた歌人について好きだと感じた歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせる歌人を私は敬愛し、歌の美しい魅力が伝わってほしいと願っています。
 出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。

■ 岡野弘彦(おかの・ひろひこ、1924年・大正13年三重県生まれ)。

うなじ清き小女ときたり仰ぐなり阿修羅の像の若きまなざし  ◆『冬の家族』1967年・昭和42年
◎少女との微妙な感情と距離が美しい歌。冒頭の詩句「うなじ清き少女」で清純な世界に惹きこまれます。「清きKiyoKI」と「きたりKItari」の「きKI」音も爽やかな音を奏で、「きたりkitARI」と「仰ぐなりaogunARI」は脚韻してリズムの波を生んでいます。そこからは母音A音が主調音を奏で「AogunAri AsyurAnozouno wAkAkimAnAzAsi」明るく熱く詩情を染めています。

あたらしく得し恋をわれに聞かせつつ海よりも暗き瞳してゐる  ◆
◎恋と愛の微妙な揺れる感情が美しい抒情歌です。とくに「海よりも暗き瞳してゐる」はとても好きだなと感じる詩句です。

友らみな身を焼く願ひもちゐしが遂げず過ぎにきたたかひの日に
◎主調音は母音イI音で、調べの要所で旋律を引き締めています。特に「願ひnegaI」「もちゐしmochIIshI」「過ぎにきmochIIkI」「たたかひの日にtatakaInohInI」。その調べが戦争で亡くなった友を思う無念、苦味を滲ませています。

辛(から)くして我が生き得しは彼等より狡猾なりし故にあらじか
◎自らを省みて、攻め、問うる感情の強さが、子音K音とG音の硬い音、とくに「かKA」の音に込められて響きます。「KAraKushite waGaiKieshiwa KArerayori KouKAtsunarishi yueniarajiKA」。

しづかなる睦月の海に漕ぎいでて海、そらとなる涯を見むとす  『滄浪歌』1972年・昭和47年
◎私も好きですが、この抒情歌歌人も海をとても美しく歌います。この歌は「海、」と息を止め、続けて「そらとなる涯」と「海、そら」と並べた詩句が、海と空の「あわい」のイメージを立ちのぼらせます。詩情の海に浮かび、そのあわいに向かい漕ぎ進んでいる思いになります。

すさまじく晴れきはまりし秋の海死なむと誘ふ女と見てゐる  『海のまほろば』1978年・昭和53年
◎海の波の揺れ動く美しさは、恋愛の感情の波にとても近しく、この歌人が恋と愛を歌う抒情歌人であるのは、とても自然に感じます。海は生と死もまた想わせます。海のきらめきを前にした鮮やかな情景に、言葉でひろえない微妙な感情が溶け込んでいる詩情を感じさせる歌です。

たましひの澄みとほるまで白鳥の舞ふを見てゐて去りなむとする  『天(あめ)の鶴群(たづむら)』1987年・昭和62年
◎「たましひ」という詩句にこの歌人らしさを感じます。「白鳥」と自然に結びつくのは、古事記以来の日本文学の伝統を踏まえていると感じます。心が洗われるような情景が浮かんでくる美しい歌です。

心中をとげし二人をさまざまに人は言ふとも彼らはいさぎよき
◎恋や愛におよぶ価値など他に何もなく殉じることを尊いと感じる、抒情歌であることをあからさまにする想念のような歌だと思います。

ごろすけほう心ほほけてごろすけほうしんじついとしいごろすけほう  ◆『飛天』1991年・平成3年
◎ふくろうの鳴き声「ごろすけほう」を三回繰り返し、心情を織り込んだ歌。鳴き声だけに音調の歌で「ごろすけほうgOrOsukehOu」の母音オO音が「心ほほけてkOkOrOhOhOkete」を含め全体の主調音です。子音H音との「ほHO」の音も印象深く響きます。「しんじついとしい」と歌人の思いが高まる箇所だけ調べも転調し「SHInjITSUItoSHII」と、母音はイI音、「しSHI」「じJI」「つTSU」と引締った息を吐く強い音で浮き出されています。


● 山中智恵子(やまなか・ちえこ、1925年・大正14年名古屋市生まれ)。

さくらばな陽に泡立つを目守(まも)りゐるこの冥き遊星に人と生れて  ◆『みずかありなむ』1968年・昭和43年
◎この歌を活かしているのは「陽に泡立つ」という詩句です。詩歌が歌人の個性的な感受性の感動を、言葉で伝える芸術だということを教えてくれる、とても美しい表現だと思います。さくらばなも人もこの遊星にともに生まれて咲いている、という思いに私は共感します。

くらげなす漂ひゆくは一生(ひとよ)生き人を殺さぬ文かきしこと 『神末』1986年・昭和61年
◎作者の虚無感、無常観、諦念のような詩情が漂う歌です。「くらげなす」という詩句が漂うくらげのイメージを呼び起こして情感をゆらめかせます。「人を殺さぬ文」という詩句に、この歌人の矜持と文学、短歌への思いが込められていて、ともにゆらめいている思いがします。

出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)
から。

 次回も、美しい歌の花をみつめます。

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tag : 岡野弘彦 山中智恵子 短歌 詩歌 詩人 高畑耕治

塚本邦雄。河野愛子。安立スハル。岩田正。歌の花(十八)。

 出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性が心に響いてきた歌人について好きだと感じた歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせる歌人を私は敬愛し、歌の美しい魅力が伝わってほしいと願っています。
 出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。

■ 塚本邦雄(つかもと・くにお、1922年・大正11年滋賀県生まれ)。

ここを過ぎれば人間の街、野あざみのうるはしき棘ひとみにしるす  ◆『水葬物語』1951年・昭和26年
◎不思議な美しさの響く歌です。ドラマの展開のよう情景描写のようでもあり、心象風景であり想念に流れ込む景色のようでもあり、多様な感じ方ができる歌となるよう、意識的な創作者であるこの歌人は言葉を選んでいます。

夢の沖に鶴立ちまよふ ことばとはいのちを思ひ出づるよすが  『閑雅空間』1977年・昭和52年
◎上句のイメージ、浮かび上がる情景と、下句の想念との間に、一文字分の余白、間(ま)があり、この断裂の受けとめ方、解釈は読者の自由に委ねられています。「夢の沖」に「いのち」を、「立ちまよう」「鶴」に「ことば」を、重ね溶かしこんでいるように、私には感じられます。意識的な構造、構成の歌です。

母に逅はむ死後一萬の日を閲(けみ)し透きとほる夏の日の母にあはむ  『不變律』1988年・昭和63年
◎亡き母を思慕するなつかしく美しい歌。初句と最終句に「母に逅はむ」「母にあはむ」と繰り返し情感を高めています。二度目をひらがなにしているのは、遠いかすむようなはるかさにあっていると感じます。

● 河野愛子(こうの・あいこ、1922年・大正11年宇都宮市生まれ、1989年・平成元年没)。

やがて君は二十となるか二十とはいたく娘らしきアクセントかな  『ほのかなる孤独』初期作品
◎歌人の言葉の響きそのものへの感性と関心がそのまま歌になっています。「二十(はたち)HATACHI」という響きに、弾むもの、膨らんでゆくもの、を聴きとった言葉、「娘らしきアクセント」はいい詩句だなと感じます。

優越の言葉また劣等の言葉あり柩(ひつぎ)の中より人は起き得ず  『光の中に』1989年・平成元年
◎感慨にちかい想念の歌です。短歌としてのまとまりを、「優越」と「劣等」の対比、「の言葉」の繰り返し、「あり」と「より」の変化した呼応、「ひつぎHItsugi」と「ひとHIto」の頭韻が与えています。

● 安立スハル(あんりゅう・すはる、1923年・大正12年京都市生まれ)。

島に生き島に死にたる人の墓目に花圃のごとく明るむ  『この梅生ずべし』以後
◎情景が鮮やかに立ち上るような歌です。音調は導入部は生死感の歌にあった母音イI音と子音SH音とH音が主調の引締った詩句が続きます。「SHImanIIkI SHImanISHInItaru HItono」。「墓」から転調し、墓でありながら明るいイメージを醸しだしているのは意味とともに音も、明るい母音アA音が「墓hAkA」に続いて「花hAnA」「明AkA」に響いているからです。

■ 岩田正(いわた・ただし、1924年・大正13年東京生まれ)。

在りし日もかなしと思ひ死してなほかなしかりけり母といふもの  ◆『郷心譜』1992年・平成4年
◎とても好きな歌です。かなしは「愛(かな)し」、愛する思いと哀しみ、悲しみが、混ざりあった、海のように深い感情です。母に抱く思いにこそ、ふさわしいと私も思います。

出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)
から。

 次回も、美しい歌の花をみつめます。

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tag : 塚本邦雄 河野愛子 安立スハル 岩田正 短歌 詩歌 詩人 高畑耕治

築地正子。安永蕗子。竹山広。歌の花(十七)。

 出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性が心に響いてきた歌人について好きだと感じた歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせる歌人を私は敬愛し、歌の美しい魅力が伝わってほしいと願っています。
 出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。

● 築地正子(ついじ・まさこ、1920年・大正9年東京市生まれ)。

春天の青の充実 人はいま水晶色の管楽器なれ  ◆『花綵列島』1979年・昭和54年
◎美の詩情の歌、美しいと感じる、そのことに徹する意思を感じます。冒頭に詩句は、イメージとともに、「春」と「青」、「天」と「充」と「実」の、漢字の字形が似ていて、まとまりを感じます。「水晶色SuiShoiro」はイメージと子音S音の息の擦れる透明感が、また「管楽器KanGaKKi」は子音K音とG音が金属音を奏でて詩想を響かせています。

わたくしの絶対とするかなしみも素甕に満たす水のごときか  ◆
◎「絶対ZETTAI」という言葉が響きも強く、込められた思いが歌全体に流れるようです。中間部からの内省を、子音M音とN音の閉じられた音の柔らかさが水のイメージに溶けながらふるえているように感じます。「kaNashiMiMo  sugaMeNiMitasu  MizuNo」

卓上の逆光線にころがして卵と遊ぶわれにふるるな  ◆
◎この歌の響きの強さは、最後の詩句「ふるるな」という命令形が生み出しています。調べも直前の詩句の
母音アA音の重韻「卵とあそぶわれにtAmAgoto Asobu wAreni」から、母音ウU音「ふるるなfUrUrUna」の少し沈んだ音に転調することで、その変化が詩句の内面性の印象を強めています。

菜食を守りていくばく生きのびむ鬱の世昏れて赤き月出づ  ◆『菜切川』1985年・昭和60年
◎「菜食」「鬱(うつ)」という強いイメージを呼び起こす詩句を織り交ぜた生きることへの問いかけが、地平近くの大きな「赤い月」のイメージに溶け込んで、不思議な詩情のひかりを放ち夜空に浮かんでいるようです。

モジリァニの絵の中の女が語りかく秋について愛についてアンニュイについて  ◆『鷺の書』1990年・平成2年
◎音楽の調べが美しい歌。前半導入部は主調の母音オO音が、柔らかな子音M音、N音に織り交ぜられた静かな調べ「MOjirianiNo eNONakaNO ONNaga」、転調し、はっきり明るく開かれた母音ア音が繰り返し重ねられます。詩句「語りかくKAtariKAKu」では子音K音が高く響きます。続く詩句はアA音の頭韻「秋Aki」「愛Ai」「アンニュイAnnyui」がとてもきれいです。「について」の三回の繰り返しも調べに大きな波を生んでいます。

● 安永蕗子(やすなが・ふきこ、1920年・大正9年熊本市生まれ)。

何ものの声到るとも思はぬに星に向き北に向き耳冴ゆる  ◆『魚愁』昭和1962年・37年
◎星のひかりを見つめるとき、知らず知らず、耳を澄ませていることに、気づかせてくれる歌です。
終りの詩句「耳冴ゆるMIMISAyuru」は、聴覚に対しては「み」「ゆ」「る」の柔らかさと「さ」の澄む音を響かせ、視覚に対しては「冴」という「きば・牙」の鋭さを孕んだ漢字とひらがな「ゆる」のやわらかな形で、歌全体の詩情を受けとめていて美しいと感じます。

ひとの世に混り来てなほうつくしき無紋の蝶が路次に入りゆく  『蝶紋』1977年・昭和52年
◎「ひとの世」という詩語が、「蝶の世」と「あの世」を見えない世界として背負っています。「無紋の蝶」を何の象徴として感じとるかは、読者に委ねられています。穢れのない死者の魂なのかもしれません。

落ちてゆく陽のしづかなるくれなゐを女(をみな)と思ひ男(をのこ)とも思ふ  『讃歌』1985年・昭和60年
◎静かにもの思いに浸るような、落ち着いた音調を、母音オO音の響きがかもし出していると感じます。夕陽を見つめる心に浮かぶ思いが、くれなゐの微妙な変化ににじみ溶けこみ揺れ動いているようです。

■ 竹山広(たけやま・ひろし、1920年・大正9年長崎県生まれ)。

二万発の核弾頭を積む星のゆふかがやきの中のかなかな  ◆『千日千夜』1999年・平成11年
◎長崎に落とされた原爆で被爆された歌人です。「ゆふ」以下の詩句から、夏の終りの夕暮れに激しく悲しくなくセミ「かなかな」の声が、この星の終末観念を奏でているようです。
 「かがやきの中のかなかなKAGAyAKInonAKAnoKAnAKAnA」と音調も母音アA音の明るさを基調に、子音K音とG音が「か」「が」「き」の音をきらきら悲しく輝かせ光に溶けて響きます。

さくらよりさくらに歩みつつおもふ悔恨ふかくひとは滅びむ
◎過酷な体験を生き抜けてきた歌人のペシミズムは痛く胸に突き刺さります。上句はかない花の美しさを浴びて歩むとき、被爆者の方の心に生まれ流れる想念から、下句の絶望感がぬぐいさられ、希望の詩情となることを私は願ってやみません。悲しく痛い歌です。

出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)
から。

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tag : 築地正子 安永蕗子 竹山広 詩歌 詩人 高畑耕治

詩誌『たぶの木』5号をHP公開しました。

 手作りの詩誌『たぶの木』5号を、私のホームページ『愛のうたの絵ほん』に公開しました。
  
   詩誌 『たぶの木』 5号 (漉林書房)

 漉林書房の詩人・田川紀久雄さん編集・発行の小さな詩誌です。
 私は作品を活字にでき読めて、とても嬉しく思います。
 参加詩人は、田川紀久雄、坂井のぶこ、山下佳恵、高畑耕治です。
 今回5号には、私が敬愛する、美しく澄みきった心の抒情詩を紡がれる詩人・細野幸子さんが、詩「三つの空のうた」をお寄せくださいました。 
 ぜひご覧ください。


 ☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
    こだまのこだま 動画  
 ☆ 全国の書店でご注文頂けます(書店のネット注文でも扱われています)。
    発売案内『こころうた こころ絵ほん』
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テーマ : 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 詩人 細野幸子 田川紀久雄 坂井のぶこ 山下佳恵 高畑耕治

森岡貞香。宮英子。武川忠一。歌の花(十六)。

 出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性が心に響いてきた歌人について好きだと感じた歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせる歌人を私は敬愛し、歌の美しい魅力が伝わってほしいと願っています。
 
 出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。

● 森岡貞香(もりおか・さだか、1916年・大正5年島根県生まれ)。

いくさ畢(をは)り月の夜にふと還り来し夫を思へばまぼろしのごとし  ◆『白蛾』1953年・昭和28年

◎この歌は、月の夜の情景が物語のようですが、その雰囲気をかもしだしているのは、母音オO音の落ち着いた穏やかな音色です。「ikusaOwari tsukinOyOnifutO kaerikOshi OttOwO OmOeba maborOshinOgOtOshi」、子音に見え隠れしながらも基調音を奏でています。敗戦直後の女性の心の景色に包まれる気がします。

つくづくと小動物なり子のいやがる耳のうしろなど洗ひてやれば  ◆

◎母親が子に感じる感覚と感情の微妙な単純には表しがたいものを伝えてくれる歌です。「小動物なり」という詩句に、そのあらゆる感情が湛えられていて、心に響きます。

厚き壁の外なる雨音あふれ来て卒然乳までの水深となる  ◆

◎不思議な体感感覚と心模様の歌だと感じます。音調のうえでは、上句は母音アA音が基調音で「AtsuKiKAbeno sotonAru AmAotoAfureKite」雨音のあふれるイメージに溶け、くっきり鋭い子音K音が耳に残ります。下句はイメージとともに音楽も急に転調していて、「SOTSUZeN CHICHImadeNO SUISHIINtONarU」、母音は少し沈んだウU音とオO音と、細く息を吐く子音S音、Z音、CH音、こもるN音が調べの主音となっています。詩語の「乳」は意味・イメージとともに音もCHICHIと際立ち浮かびあがっています。心象風景の歌はイメージと音色の織物だと気づかされる歌人です。

● 宮英子(みや・ひでこ、1917年・大正6年富山市生まれ)。

坐りゐるわれのうしろに畳擦る幼子きこゆ這ひて来しゆゑ  『婦負野』1969年・昭和44年

◎穏やかな七五調の三十一音で、「ゐるirU」「擦るsurU」「きこゆkikoyU」と押韻して、最後は「ゆゑyuE」と変化し印象を強めています。音で幼子のハイハイを感じとる母心があたたかい歌です。

生きたまへ刹那刹那の呼気吸気ひた目守(まも)りゐつ生きたまふべし  『花まゐらせむ』1988年・昭和63年

◎生死の境をさまよっている愛する人への生きていてほしいという願いが強く心をうちます。初句の「生きたまへ」を終句ではさらに強めた言葉「生きたまふべし」ともう一度いい聞かせます。与謝野晶子の「君死にたまうことなかれ」の強い願いとこだましているように聞こえます。
「刹那刹那」「呼気吸気」は漢字の短く固まりあう印象と「せSE」「つTSU」「こKo」「きKi」どれも鋭く息を吐く音の強さで、切迫感を高めます。全体の基調音とちりばめられた母音イI音の音色が緊迫感の一貫させ支えています。

木犀の香にいざなはれ遊歩道ひと木の立てば夫のまぼろし

◎香りがたちこめ、イメージが美しく浮かびあがる悲しみの歌です。木を「もく」「き」と別音で読ませて並べ、漢字の字形の似通う「木」と「夫」を並べ、「ひと木」の「ひと」の音に「人」を微かに類想させます。終りの詩語「まぼろし」をひらがなにしているのも、その柔らかな細い曲線が意味・イメージと一致し、表音で一音一音のつぶやくように、悲しみの詩情を深めています。

■ 武川忠一(むかわ・ちゅういち、1919年・大正8年、長野県生まれ)。

何時いかなる旗にも従(つ)かずとまた思いいよいよ心愉しまずにいる  『青釉』1975年・昭和50年

◎意思と情感のストレートな表出ですので、好き嫌いが分かれる気がします。生き方において私は共感する思いを抱いているのでここに選びました。

沖にゆく盆燈籠の長きかげくやしき生を人は流るる

◎上句で描き出した情景に、下句で想念を流し込み重ね合わせ溶けこませ流れてゆくような歌です。
上句だけとれば俳句になります。俳句は続く想念や情感は言葉にしないで余情として感じとらせます。私個人は下句の思いが書かれ歌い伝えようとする姿が好きです。ですから、短歌を好むのだと思います。

ずるずると抜くどくだみどくだみのど音だ音が臭いを発す (ど音、だ音、の「ど」「だ」に傍点)  ◆『翔影』1996年・平成8年

◎言葉の音楽、音色とリズムが強烈で、歌われている対象の「どくだみ」の臭いの強さをよく表しています。
「ZUrUZUrUtOnUkU DOkUDAmi DOkUDAmiNO DOOnDAOnGa」。ここまで母音はウU音とオO音がドラムの音色のようなリズムを生みます。「ずZU」「どDO」「だDA」と濁音を連続させて、濁り、臭み、苦味の感覚を強く放出させていて、独特な調べの歌だと思います。

出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)
から。

 次回も、美しい歌の花をみつめます。

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tag : 森岡貞香 宮英子 武川忠一 短歌 詩歌 詩人 高畑耕治

清水房雄。加藤克巳。田谷鋭。歌の花(十五)。

 出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性が心に響いてきた歌人について好きだと感じた歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせる歌人を私は敬愛し、歌の美しい魅力が伝わってほしいと願っています。
 出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。

■ 清水房雄(しみず・ふさお、1915年・大正4年千葉県生まれ)
 
小さくなりし一つ乳房に触れにけり命終りてなほあたたかし  ◆『一去集』1963年・昭和38年
部屋すみの畳に弁当を食ひをはる吾が幼子は涙たれつつ  ◆

◎2首ともに、愛する妻を病いで亡くした悲しみの詩。
一首目は「一つ乳房」という詩語に乳癌のやるせない悲しみが込められています。二首目は「涙たれつつ」に幼子の母を亡くした思いがひかり流れます。
 どちらの歌も感情を表す言葉は用いず、情景を静かに書き記しています。そのことで、一つの言葉では表しきれない感情、想いが、歌全体に沁み込んでふるえているように感じます。

■ 加藤克巳(かとう・かつみ、1915年・大正4年京都府生まれ)。

まったくなんにもなくなり白い灰がふあふあふあふあただよふ世界  『宇宙塵』1956年・昭和31年
樹氷きららのなだれのはての海のはての空のはてのきららのきらら  ◆『球体』1970年・昭和45年

◎これら二首は、心象風景の詩歌です。
一首目は、「まったくなんにも」と口語で投げやりな、虚無的な雰囲気をかもし出し、「白い灰」で灰白色の色彩をおしひろげます。「ふあふあふあふあ」は、軽く息を吹く音の「ふFU」音と浮かぶ感じの「あA」音の連続する抑揚そのものが、空に浮かんびさまよっているような詩句です。「ただよふ」も含め、柔らかく丸い字体のひらがなを多くしているのも、軽い不安定な感覚とあっています。
 二首目は、もっとも強く響く詩句は「きらら」、きららの歌、ひかりのイメージと心象と言葉の音楽が溶け合う歌です。「きららKIRARA」の音は、引締り尖った「KI」と明るく歌のような「RARA」が、輝きを響かせます。
「はての」を三回繰り返すことで、遥か遠くに心を誘います。音楽のリズム感を生んでいるのは、詩句をつなぐ助詞「の」です。合計8回、三十一文字の4分の1以上も使われて独特な言葉の波形の、沈む部分となり、「樹氷」「なだれ」「海」「空」という詩語の波頭の輝きを浮かび上がらせています。ベースギターの低音のリズムに似ています。

鶴の足 かなしみのあし むらさきのつゆくさ蹴って発つときのあし  ◆

◎「足」「あし」と繰り返し、読者の心の焦点を絞りそこに結ばせます。絞りこまれた視点に「むらさきのつゆくさ」が鮮やかに瞬間咲き、「蹴って発つとき」別れを告げます。
「かなしみのあし むらさきのつゆくさ」という詩句はひらがなのやわらかな字形が意味、イメージと溶けています。「つゆくさ」が歌に咲いたのは、紫色がイメージに合うことと、「TSU YU KU SA」という母音U音を基調に「つTSU」「ゆYU」「くKU」「さSA」とそれぞれ静かな儚い音を発する言葉が、かなしみの詩情に呼ばれて咲いたのだと感じます。

下枝(したえだ)を中枝(なかえ)上枝(うわえ)へもみあげて風はごうごうと天へふきあぐ  ◆『ルドンのまなこ』昭和62年
うちふかく成育まったき大根のおのず地上に白をせりあぐ  ◆

◎これら二首は、上方へと向かうこと、上方への志向性を美しく歌っています。最終句の「ふきあぐ」「せりあぐ」はどちらも、最後の「ぐGU」が強い力の音で、それが急停止するので、そのあとの無音、沈黙を感じさせ、沈黙に歌が響き続けているような感覚を生んでいます。

核弾頭五万個秘めて藍色の天空に浮くわれらが地球  ◆

◎言葉に対する感性が細やかなこの歌人が、冒頭七文字の漢字を連ねているのは、意味を伝えることと同時に、その字体の四角い硬い感じで、索漠とした感覚を伝えようとしていると思います。一首のなかで美を響かせる詩句は「藍色の天空」だけです。「われらが地球」も含め全体のリズムも標語のように単調なモノトーンです。醜悪なことを詩歌らしくない美しくない姿で、言わずにはいられない思いが言葉になったのだと感じます。私は美しい詩歌が好きですが、この歌をここに選ぶのも、この思いからです。

■ 田谷鋭(たや・えい、1917年・大正6年千葉市生まれ)。

月昏き菜の花の畑(はた)みな小さき妖精たちの黄の貌(かほ)揺れて  『波涛遠望集』1974年・昭和59年
◎童話のような優しい心の歌。「月」「菜の花の畑」の情景を、美しく感じとり詩情ゆたかに歌います。ほんとうにそうだ、とその物語の世界に惹きこまれ、たたずんでいる気持ちになります。

さき波を覆ひくる波ややにしてその龍頭の奔るたまゆら  『水晶の座』1973年・昭和48年
雲のなか朝日のぼるかおのづから紫陽花いろに浜空は映(は)ゆ 『母恋(ははこひ)』1978年・昭和53年
◎これら二首の歌に私は詩心の木魂を感じました。私も詩集『海にゆれる』の詩「りんどう」で波にりんどうを歌い、詩「テトラポット」で「あじさいいろ」を歌っています。知らない場所で時を越えた交感を嬉しく感じ、きっと私の詩にも交感してくださる感受性をもたれた方がいるはず、と想いが馳せてゆきます。

子をもちて二十三年わが得たる慰藉限りなし与ふるは無く
◎このように感じとり歌えるこの歌人の心を、私は好きだな、いいなと感じます。

出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)
から。

次回も、美しい歌の花をみつめます。

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tag : 清水房雄 加藤克巳 田谷鋭 短歌 詩歌 詩人 高畑耕治

高安国世。山崎方代。岡部桂一郎。歌の花(十四)。

 出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性が心に響いてきた歌人について好きだと感じた歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせる歌人を私は敬愛し、歌の美しい魅力が伝わってほしいと願っています。
出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。

■ 高安国世(たかやす・くによ、1913年・大正2年大阪市生まれ、1984年・昭和59年没)。

時計の音ドアの音水の音きこゆ子の産声今しあがれよ  『Vorfrühling』1951年・昭和26年
◎産声を待ち望む時を印象深く捉えた歌。「の音」を三回変奏することでリズム感を浮き立たせ、音が浮かぶ背景の静寂を伝えています。最終句の「今しあがれよ」と歌い上げる詩句はいのちの誉め歌となって美しく心を打ちます。

ただ浄き娘(こ)のピアノ曲情熱のこもり来ん日を微かにおそる  ◆『街上』1962年・昭和37年
◎娘の成長を見守る父親の想いが奏でられています。意味の上でのピアノ曲が、この短歌の音調では、子音K音が高く澄んだピアノの音を母音との組み合わせで変奏され聴こえてくるようです。「tadaKIyoKI KOnopianoKYOKU jyonetsuno KOmoriKOnhiwo KAsuKAniosoru」

羽ばたきの去りしおどろきの空間よただに虚像の鳩らちりばめ  ◆『虚像の鳩』1968年・昭和43年
◎西欧詩に似通う表現を感じます。鳩が羽ばたき去りいなくなった場を「おどろきの空間」と詩句で示し、「虚像の鳩らが」ちらばって「いる」と詩句で逆説的に表します。日本の新古今和歌集の象徴表現は、たとえば藤原定家の次の歌で、
   見渡せば花ももみぢもなかりけり浦のとまやの秋の夕暮
「花ももみぢもなかりけり」、もうないと歌うことで、その色鮮やかなイメージを歌に立ち昇らせ、海辺の景色に重ね合わせます。どちらも、無いものさえイメージで生み出す象徴表現ですが、この短歌には、言葉ですべてを掴み指し示そうとする西欧詩の影響を感じます。優劣ではなく、どちらを良いと感じるかは好み、私は定家の歌のほうが、はろばろとしていて好きです。

■ 山崎方代(やまざき・ほうだい、1914年・大正3年山梨県生まれ、1985年・昭和60年没)。

こんなにも赤いものかと昇る日を両手に受けて嗅いでみた  『こおろぎ』1980年・昭和55年
◎口語であること、視覚と触覚(体感)と嗅覚が織り込められていて、身近な近しさ、人間味を感じる歌です。

一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております
◎おとぼけ調で最後を丁寧語で終わらせ、人間くささと、恋の告白のはじらいと、恋を大切なものとしている気持ちをさりげなく響かせていて、さわやかな共感を呼び起こします。

べに色のあきつが山から降りて来て甲府盆地をうめつくしたり  ◆『迦葉』1985年・昭和60年
◎色彩のイメージが、初句からとんぼとなって飛び、舞い、歌いちめん、イメージいちめんを彩り尽くすような、美しい歌です。

■ 岡部桂一郎(おかべ・けいいちろう、1915年・大正4年神戸市生まれ)。

天を指す樹々垂直に垂直にして遠く小さき日は純粋なり  『緑の墓』1956年・昭和31年
◎この歌は、「天を指す樹々」と「小さき日」を、重ね強調された詩句「垂直に垂直にして」と、末尾の詩句「純粋なり」が、それぞれ印象深く心に焼きつかせます。単純簡明な言葉が息づいて感じられるのは、作者が感受した「強い印象」から生まれでた詩句、作者がその感動を伝えようとして見出した詩句だからです。感動が清水のように湛えられふるえているかどうかが、詩歌と散文のちがいだと思います。

月と日と二つうかべる山国の道に手触れしコスモスの花  ◆『戸塚閑吟集』1988年・昭和63年
◎この歌の初頭の詩句「月と日」を読むと、詩歌を愛する人には与謝蕪村の次の俳句が微かなイメージで重なります。
   菜の花や月は東に日は西に
さらに遥かに、柿本人麻呂の次の歌も意識にうっすら流れます。
   東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ
本歌取りと意識されるかどうかに関わりなく、日本の詩歌の受け継がれてきた豊かさだと私は思います。豊かな詩歌の野に咲いたこの歌の、コスモスの花は手に触れた触感で忘れられないものになり、読者にも花に触れる肌触りを呼び覚まします。「手触れし」という詩句は、腕と手の曲線と、コスモスの花のしなやかな曲線を、重なるように思わせてもくれます。コスモスの花のように優しくなつかしい気持ちにしてくれます。

出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)
から。

次回も、美しい歌の花をみつめます。

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tag : 高安国世 山崎方代 岡部桂一郎 短歌 詩歌 詩人 高畑耕治

近藤芳美の短歌。新しき生を賭け得るや。歌の花(十三)。

 出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性が心に響いてきた歌人について好きだと感じた歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせる歌人を私は敬愛し、歌の美しい魅力が伝わってほしいと願っています。
出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。

■ 近藤芳美(こんどう・よしみ、1913年・大正2年韓国馬山浦生まれ)

たちまちに君の姿を霧とざし或る楽章をわれは思ひき  『早春歌』1948年・昭和23年
手を垂れてキスを待ち居し表情の幼きを恋ひ別れ来りぬ  
耳のうら接吻すれば匂ひたる少女なりしより過ぎし十年  『埃吹く街』1948年・昭和23年 

◎これら三首は、清純さが薫る異性との恋愛の歌、美しい抒情歌です。
一首目は、恋愛の胸の高鳴る時間を音楽の「楽章」と美しい詩句で捉えています。二首目も、忘れがたく焼きついた恋人の表情、その愛しさが「幼き」に湛えられています。二首とも、逢えた後の別れの切なさを「霧とざし」、「恋ひ別れ来りぬ」に凝縮して響かています。
三首目は接吻の表現がとても美しいです。三首ともに時の流れを湛えている歌です。過ぎた時間を思い起こし歌っているので、過ぎ去った時の流れの向こうに、二人の時間が淡くかすみ、なおさら切なくかけがえのない姿で輝いています。
恋人にとっては数秒前の別れであっても永遠の長い時のよう、逆に十年経てもその美しさが数秒前と変わらないのが恋愛だと、歌っているようです。

この詩型に新しき生を賭け得るや連れ立ち帰る家低き街  ◆同上
まして歌などこの現実に耐へ得るや夜を更(ふ)かし又耳鳴りがする  ◆

◎1945年の敗戦後の精神風景があらわにされています。価値観の百八十度の転換に投げ込まれ、戦中戦前、明治以来の近代短歌のありようを懸命に問うのは、やはり詩歌を歌わずにいられない人だからこそと感じます。この二首の問いは、その時代だけでなく、時代に関わらずいつもあるもの、私も抱いています。それでも歌わずにいられないのが、歌人であり詩人だと、私は思います。

傍観を良心として生きし日々青春と呼ぶときもなかりき  『静かなる意志』1949年・昭和24年
身をかはし身をかはしつつ生き行くに言葉は痣の如く残らむ

◎戦争中に多感な青年期、恋愛や正義に思い悩む季節を剥ぎ取られた世代の、苦渋の歌。「痣の如く」としう詩句が、そのようにしか生きる方法がなかったと、心に苦く痛く、刻まれるようです。

犠牲死の一人の少女を伝え伝え腕くみ涙ぐみ夜半に湧く歌  『喚声』1960年・昭和35年

◎60年安保闘争デモでの樺美智子さんの死を傷む歌。この瞬間の傷みと連帯の想いが凝結し、政治的な価値観に曇らされず潰されずに、屹立した歌として心に響きます。

核兵器地の隈覆いようやくに知るべき虚妄国と呼ぶものに  『樹々のしぐれ』1981年・昭和56年
『殺すな』という一点に立ち返るべき岐路の問い世界の運命として  ◆『希求』1994年・平成6年

◎これら二首は、主張する歌で「知るべき」「返るべき」と意思を明確に表現しています。これは先に見た問いかけの歌「この詩型に新しき生を賭け得るや」「歌などこの現実に耐へ得るや」と呼応しています。
 戦争をくぐりぬけて生き抜いてきた歌人の言葉だからこそ、この言葉には政治的な戦略や力学が押し潰すことの決してできない個人の真実が響いていると感じます。だからこそ、「虚妄国とよぶものに」、「『殺すな』という一点に」という詩句は、主張の押付けにまつわりがちな「口先だけの嘘」だとは感じさせない歌としての真率な響きを、辛うじて持ちえていると思います。
 私個人は、「虚妄国とよぶものに」、「『殺すな』という一点に」、この言葉に強く共鳴します。

出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)
から。

次回も、美しい歌の花をみつめます。

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tag : 近藤芳美 短歌 詩歌 詩人 高畑耕治

宮柊二。素直懸命に。歌の花(十二)。

 出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性が心に響いてきた歌人について好きだと感じた歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせる歌人を私は敬愛し、歌の美しい魅力が伝わってほしいと願っています。
出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。

■ 宮柊二(みや・しゅうじ、1912年・大正元年、新潟県生まれ、1986年・昭和61年没)。

昼間見し合歓(かうか)のあかき花のいろをあこがれの如くよる憶ひをり  『群鶏』1946年・昭和21年

◎言葉の音楽の調べが美しい歌です。合歓は「ねむ」「ねぶ」とも読めますが、「かうかKOUKA」とイメージにふさわしい音調を選らんでいます。「かうかKOUKA」、「あかき花AKAKihAnA」、「あこがれAKoGAre」、「GotoKu」が音調を鮮やかにしていて、母音アA音の明るい鮮やかさが意味と美しく溶けています。子音のK音とG音が、調べに光る波頭のひかりのように輝く音を響かせています。
「昼間見しhIrumamIshI」と母音イI音の締まる音で静かに歌を始め、上述の中間部で大きく情感がふくらみ高まり、
「ごとくよる憶ひをりgOtOkU yOrUOmOIOrI」終曲部は、母音オO音とウU音そしてイI音と内にこもる音、静かに消える音で閉じています。音が情感の波のうねりを生んでいます。

瑠璃色の珠実(たまみ)をつけし木の枝の小現実を歌にせむかな  ◆『小紺珠』1948年・昭和23年

◎敗戦後に盛んに論じられた短詩形、短歌に対する第二芸術論に抗う意思を静かに示した歌。私は、木の枝にゆれる
珠実(たまみ)の瑠璃色の美しさに感動し「ああ」と言葉を発せずにいられない人が、詩歌を愛する人だと思っています。だからこの歌に共感します。賢しらな理知で優劣を断定したり攻撃が平気できる批評屋は、本物の文学者でも詩歌人でもないと思います。

生きゆかむ苦しさ知らず陽に灼(や)ける畳のうへに子は眠りをり  ◆
くるしみて軍(いくさ)のさまを告げし文(ふみ)たたかひ済みて妻のなほ持てり  ◆

◎この二首は、冒頭に、「生きゆかむ苦しさ」、「くるしみて」と歌人の心に深くひろがる思いを差し出してから、続けて出来事を叙述しています。その思いの情感が歌全体をおおっています。そのことがこの二首を、単なる叙述、叙景の言葉ではない、抒情の歌にしていて、心に響くのだと感じます。

耳を切りしヴァン・ゴッホを思ひ孤独を思ひ戦争と個人をおもひて眠らず  『山西省』1949年・昭和24年

◎眠れずにめぐる苦しい想念の歌。この歌の緊張度、緊迫感を高めているのは、三度も繰り返される「を思ひ」という言葉です。
最後を「をおもひ」とひらがなにしたのは、ねむり前の横たわるイメージにはひらがなが合っている、終曲に向かい「をおもひて」と表音文字のひらがなを続けることでリズムをゆるやかに変えた、漢字が連続して並ぶ詰まった感じを避けた、これらのことを感じます。

悲しみを耐へたへてきて某夜(あるよ)せしわが号泣は妻が見しのみ ◆『多くの夜の歌』1961年・昭和36年

◎悲しみと苦しみを吐き出す直情の歌。「号泣したことは妻だけが知っている」と号泣したことを告白する歌です。自らの弱さをさらけだすこの歌を、いいと感じるか、感じないかは、読者に委ねられています。私は人間らしいから、とても好きです。文学だから、詩歌だから伝えること、受けとることができる表現だと思います。
 直情や抒情の歌を厭い嫌い蔑み、知的言語の乱数組立模型を崇拝する風潮が狭義の現代詩に蔓延してきたのは、偏狭でとても貧しいことだと私は考えています。

あきらめてみづからなせど下心(した)ふかく俸給取(ほうきふとり)を蔑まむとす  ◆

◎詩歌は生活の糧ではなく霞を食べても生きられず俸給取に徹して世俗に埋没もできず、苦い歌です。

たましひに見極めたしと思ふもの歌うまきより文うまきより  『獨石馬』1975年・昭和50年
鳥にあり獣にあり他(ひと)にあり我にあり生命(いのち)といふは何を働く
わが歌は田舎の出なる田舎歌素直懸命に詠(うた)ひ来しのみ  『純黄』1986年・昭和61年

◎これらは、この歌人の歌に対する思い入れ、志が響いていて、私は好きです。
一首目は、歌うのは、魂に見極めたいから、表現の巧みさではなく、歌わずにいられないものを。それはこの歌人にとって二首目で強く問いかける生命なのだと思います。「にあり」と四回も繰り返し畳み掛けることで激しく高まるリズムを生みだしています。最後の問い「生命といふは何を働く」は漢詩的表現で、強く厳しく真摯な心に響く歌だと感じます。三首目で自ら言うとおり、素直懸命に、歌う歌人が私は好きです。

中国に兵なりし日の五ヶ年をしみじみと思ふ戦争は悪だ

◎彼の言う田舎歌、素直懸命な歌そのものだと感じます。苦しみの経験からもれ出た声がまっすぐ心を捉えます。「戦争は悪だ」。誰もがこのように素直懸命に言い切る世界を私は願ってやみません。「戦争は悪だ」。

出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)
から。

次回も、美しい歌の花をみつめます。

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tag : 宮柊二 短歌 詩歌 詩人 高畑耕治

窪田章一郎。佐藤佐太郎。歌の花(十一)。

 出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性が心に響いてきた歌人について好きだと感じた歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせる歌人を私は敬愛し、歌の美しい魅力が伝わってほしいと願っています。
出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。

■ 窪田章一郎(くぼた・しょういちろう、1908年・明治41年東京市生まれ)。

父のなき今年の大学受験生多くはいくさに父をうしなふ  ◆『六月の海』1955年・昭和30年

◎この一首は事実をありのままに短く述べた歌です。戦争というものが、戦時だけでなく、戦後に及ぼし続ける災禍の大きさを浮かび上がらせます。初句に「父のなき」、末句に「父をうしなふ」と繰り返し対比させ、「いくさに」の一言を強めていることに、歌人の意思を私は感じます。

弱者なるおもひに徹する人間の生きて積みゆく仕事を信ぜむ  『硝子戸の外』1965~71年・昭和40~46年

◎この一首にも、謙虚で静かな言葉のうちに、歌人の芯のある強い意思が響き、美しいと感じます。大言壮語とは対極にある述志の歌に私は共感します。

手をのべてわが手とらしぬ今に知る末期(まつご)の別れしたまひしなり

◎末期の別れの歌。この歌には第2句の後半から母音イI音が基調に底流し、息の細い緊張感を奏でます。特に4回表れる「しSHI」音には、私には「死」が重なり聴こえます。「とらしぬ今に知るtoraSHInu ImanISHIru」最終句はその緊張の高まり「したまひしなりSHItamahISHInari」、絶句し、無音、沈黙が読後に拡がります。

ちちははに受けにし愛をながき生(よ)に人にわかちて實らせにけむ

◎故人への尊敬の想いが美しく湛えられた歌。私もまたそのようにありたい、という心がふるえて聴こえてくるようです。愛を受けわかちつないでゆきたいという祈りにちかい願いが込められているから、あたたかいと感じます。


■ 佐藤佐太郎(さとう・さたろう、1909年・明治42年宮城県生まれ、1987年・昭和62年没)。

なでしこの透きとほりたる紅(くれなゐ)が日の照る庭にみえて悲しも  『立房』1947年・昭和22年

◎とても静かで素直な歌です。なでしこの淡い色を、「透きとほりたる紅」と美しい詩句としたとき、立ちのぼる言葉の花の表象は「悲しも」そのものとして美しくふるえています。

みるかぎり起伏をもちて善悪の彼方の砂漠ゆふぐれてゆく  『冬木』1966年・昭和41年

◎この歌は、はるかさの心象と情景が溶け合い響いていると思います。人間の価値判断はちっぽけなもので、そんなものに関係なくもっと遥かなものはどこまでもいつまでもある、そんな声が聴こえる気がします。

杖ひきて日々遊歩道ゆきし人このごろ見ずと何時(いつ)人は言ふ  ◆『星宿』1973年・昭和58年 

◎間もなくやってくるだろう死を想うさびしい歌ですが、ありのままの想いの強さが素直な言葉に沁みこんでいるように感じます。

その枝に花あふれ咲く雪柳日々来るわれは花をまぶしむ ◆

◎これも素直すぎるほどの歌ですが、快く情景が鮮やかに浮かび感じられるのは、音調と溶け合っているからだと感じます。基調音は、開口の明るい母音アA音です。「花あふれ咲く雪柳 hAnAAfuresAkuyukiyAnAgi」「われは花をまぶしむwArewAhAnAwomAbushimu」子音と織り成されかくれながら、花のまぶしさを言葉の音楽で奏でています。

出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)
から。

次回も、美しい歌の花をみつめます。

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坪野哲久。葛原妙子。歌の花(十)。

 出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性が心に響いてきた歌人について好きだと感じた歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせる歌人を私は敬愛し、歌の美しい魅力が伝わってほしいと願っています。

 出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。

■ 坪野哲久(つぼの・てっきゅう、1906年・明治39年石川県生まれ、1988年・昭和63年没)。

きやつらは婪(むさぼ)るなきか若者の大いなる死を誰(たれ)かつぐなふ  『桜』1940年・昭和15年

◎戦時中の反戦の意志の歌。望まない戦場と死に追い込まれた若者ひとりひとりがいたことを忘れてはならないと私は思います。

突風にさからひそよぐ一樹(ひとき)あり悲命おそれずわれそよぐべし  ◆『北の人』1958年・昭和33年
かなしみのきわまるときしさまざまに物象顕(た)ちて寒(かん)の虹ある  ◆『碧巌』1971年・昭和46年
夜をこめてわれは識るなりはろばろし光きびしき冬のシリウス  ◆

◎これら三首は、この歌人の心象風景をよく表していると感じます。心象風景が歌の形で生まれでたとも言えます。
 突風にたつ一本の樹、かなしみの極まる寒さにかかるう虹、冬のシリウスの彼方からの光。違う対象を歌い上げながら、響きあい木魂しあっています。悲愴感、透明感を美しく感じます。

つまどいの猫のさわぎも生きもののうつくしさにて春ならんとす  『人間旦暮・春夏篇』1988年・昭和63年

◎この歌には、この歌人の心のちがう横顔と表情を感じます。「生きもののうつくしさ」という詩句は歌人のこころ深くから自然に湧き出た泉のようです。ほのぼのやわらかないい歌だと思います。

無名者の無念を継ぎて詠うこと詩のまことにて人なれば負う
天皇の名による二十一代集支えしはよよの百姓のあぶら  『人間旦暮・秋冬篇』1988年・昭和63年

◎これら二首には、この歌人の歌への志が滲みます。「人なれば」という言葉に一貫したヒューマニズムを感じます。
 「無名者」「百姓」とともに立ち歌うことは、歌人が選んだ生き方、選択で、その善悪、正邪を、人間が判定することはできないけれども、私自身は、私の思い、私の志を歌ってくれているように感じ、込められた思いに共鳴するひとりです。

● 葛原妙子(くずはら・たえこ、1907年・明治40年東京生まれ、昭和60年没)。

アンデルセンのその薄ら氷(ひ)に似し童話抱きつつひと夜ねむりに落ちむとす  『橙黄』1950年・昭和25年

◎この歌のいのちは、「薄ら氷に似し童話」という詩句です。アンデルセンの悲しく美しいお話を感受性で「薄ら氷」と受けとめる心には、木魂がきっと響くと思います。物語のような情景が広がる歌だと思います。

落つるものなくなりし空が急に広し日本中の空を意識する

◎空襲に怯えた経験を経て生まれた言葉だと思います。「日本中の空」という言葉は反語で、ほんの少し前まで「日本中の空に」爆撃機の爆弾の雨が降りしきっていた、との思いを感じます。そして、その下で逃げ惑い、逃げ切れず亡くなった人への思いにもつながっていると感じます。

みどりふかし母体ねむれるそのひまに胎児はひとりめさめをらむか  ◆『葡萄木立』1963年・昭和38年
胎児は勾玉(まがたま)なせる形して風吹く秋の日発眼せり  ◆

◎これら二首は胎児を歌っています。
 初めの歌は、ひらがなのやわらかな調べのながれに、「母体」と「胎児」だけが漢字の字体で浮きだしています。母体のねむりの波間で、めざめている胎児。鮮やかな対比を感受する詩想、美しい歌だと感じます。
 二首目も、胎児の姿と古代の勾玉のイメージの類推と重なりがとでも鮮やかです。そして「発眼せり」という詩句がいのちを響かせます。母体の羊水にいる胎児が初めて眼を開く瞬間を想うこと。女性歌人だからこそ歌えた繊細な感性ふるえる歌だと感じます。

疾風はうたごゑを攫(さら)ふきれぎれに さんた、ま、りあ、りあ、りあ ◆『朱霊』1970年・昭和45年

◎言葉の音楽の歌です。作為を感じさせないのは、このように強く感じる瞬間をこの歌人が体感しているからだと私は思います。このように言葉がきれぎれに舞う瞬間を心に見て聴いたからです。
 いのりの歌声が響いて消えてゆく、見えない姿を、やわらかなひらがなの形と音と間(ま)・無音で、見せてくれるように感じます。音の調べのエコーは、静寂のなかへ解けてなお永遠に響き続けてゆくように聴こえます。とても美しいと感じます。

出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)
から。

次回も、美しい歌の花をみつめます。

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木俣修。われが生きざま。歌の花(九)。

 出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性が心に響いてきた歌人について好きだと感じた歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせる歌人を私は敬愛し、歌の美しい魅力が伝わってほしいと願っています。
 
出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。

■ 木俣修(きまた・おさむ。1906年・明治39年滋賀県生まれ、1983年・昭和58年没)。

うち晴るる雪の野に舞ふ白鷺の羽のひかりは天(あめ)にまぎれぬ  『高志』1942年・昭和17年

◎言葉に浮かぶイメージの色彩感と音楽がとても美しい歌。雪と白鷺の白と光がまばゆく交錯します。
冒頭に母音U音と子音R音で「UchihaRURU」とリズミカルに快く入り、「晴るるHAruru」と「鷺SAgi」、「羽HAne」、「ひかりHikAri」、は、明るい母音アA音で基調音を織りながら子音HとS音の息のかすれでも木魂しています。
 また「雪の野に舞うyukiNoNoNiMau」と「天にまぎれぬaMeNiMagireNu」の詩句は、子音M音とN音によりなめらさな落ち着きある調べとなっています。

毛の帽の下にかがやく瞳(め)を見ればこの夜(よ)発(た)ち征く兵うらわかし
無尽数(むじんず)のなやみのなかにあがくさへけふのつたなきわれが生きざま  『冬暦』1948年・昭和23年
ペシミズムにまたおちてゆく結論にあらがひて夜の椅子をたちあがる  ◆

◎どれも戦争、戦後すぐの時代に、死の影が心を侵食することに、耐え抗っている歌。歌とすること、書くこと自体が、あがきでありつつ、あらがうこと、耐えることであり、たちあがり生きようとすることだと、教えられます。

生(しやう)終へし蜻蛉(あきつ)の翅はひかりつつ落葉のうへにいく日(ひ)保たむ  ◆

◎この歌も同じ心象から生まれつつ、死んだとんぼのはねのひかりが心象の象徴となり、歌として美しく響いています。
 母音はイI音が基調で子音Sとの「しSI」、子音Kとの「KI」、子音Hとの「HI」、子音Rとの「RI」、子音Nとの「NI」へと子音との組合せを変えつつ引き締まった緊張感の流れを生んでいます。

無花果は熟れて匂へどよろこびのこゑあげん高志汝(なれ)はすでになし  『落葉の章』1955年・昭和30年
たちまちに涙あふれて夜の市の玩具売場を脱れ来にけり
亡き吾子にかかはる会話危ふくて妻は林檎に光る刃をあつ  『点に群星』1958年・昭和33年
石仏(せきぶつ)に亡き子の帽子かぶせたるかなしき親の胸をしぬびつ  『去年今年』1967年・昭和42年

◎この四首は、子に先立たれた悲しみの歌。子に語りかけつつ自らにか言い聞かせる、やりばのない悲しみに心が打たれます。残されてできるのはもう歌うことだけ、そのような思いの深みに、ひたされ心が「ああ」とふるえます。それが詩歌だと私は思います。

出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)
から。

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前川佐美雄。柴生田稔。生方たつゑ。歌の花(八)。

 出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、歌人たちの個性的な歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせた歌人を私は敬愛し、歌の魅力が伝わってほしいと願っています。
 出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。

■ 前川佐美雄(まえかわ・さみお、1903年・明治36年奈良県生まれ、1990年・平成2年没)。

野にかへり春億万の花のなかに探したづぬるわが母はなし  『白鳳』1941年・昭和16年
春日野の鈴虫の音を聞かしむと壺(こ)に入れて養(か)ふ病む妻のため  ◆『白木黒木』1971年・昭和46年

◎一首目は、亡き母を偲び恋う、とても美しい歌です。イメージもとても美しく、春の野に咲き薫る無数の花のゆれる姿がみえます。「野にかへり」という冒頭の詩句から、野は生まれでてきたところ・ふるさととして望郷の想いが生まれます。
 咲き乱れる「花HANA」と探し訪ねる「ははHAHA」、音が似通い木魂していて、重なるイメージを強めています。「HAHA」という呼気のかすれた響きからも、いない不在の「母」の面影が立ち上り、花とともに透明な空気のように花と揺れています。
◎二首目の歌が私の心に響くのは、末尾の詩句が「病む妻のため」で、この一語が発せられたとき一首全体が、愛の歌となるからです。短詩形の詩歌である一語の重みを教えられます。

■ 柴生田稔(しぼうた・みのる、1904年・明治37年三重県生まれ、1991年・平成3年没)。

いたく静かに兵載せし汽車は過ぎ行けりこの思ひわが何と言はむかも  『春山』1941年・昭和16年
戦ひて傷き死ぬのみは現實なりこのいきどほり遣らむ方なし
つい近ごろと戦争をわが言ひしかば若き者ども皆哄笑す  『入野』1965年・昭和40年

◎3首ともに日本の戦争が主題です。
◎一、二首目の歌は戦時の深い心の痛みの歌。一首目では、殺し合いの場、戦場に送られる若者を目の当りにしたとき、この歌人は「この思ひわが何と言はむかも」と、反語で、どのようにもいいようのない思い、無言を書き記すしかなかった、のだと感じます。
◎二首目は、戦時の大義「御国、陛下のために」と世論操作、言論統制で隠されている事実を言葉に刻みます。「戦ひて傷き死ぬのみは現實なり」、この時、著名な文学者が軒並み総崩れで軍部に強いられ操られるまま戦争と戦果を称えていたなかで、真実、本当のことを刻んだ言葉を重く受け止め、心にとどめたいと私は思います。
◎三首目は、敗戦の事実の風化を苦く記した歌です。収められた歌集は1965年刊行、敗戦の1945年から20年です。
 戦争があったのは「つい近ごろ」、このように感じとれるかどうかということは、繰り返さないために、とても大切なことだと私は思います。私は1963年生まれですが、戦争は私が生まれる「ほんの少し」前にあったと感じています。そして2013年の今も、日本は戦争を「つい近ごろ」まで繰り返してきた国家の一つだと感じています。

● 生方たつゑ(うぶかた・たつえ、1905年・明治38年宇治山田市生まれ)。

目まひするまで劇しさ欲しき一日あり草食獣のやうに草に坐れば  『北を指す』1964年・昭和39年
「平凡に生きよ」と母が言ひしこと朱の人参を刻めば恋ふる
夫を焼くための点火をわが手もてなさむ無惨をしばしは許せ  『野分のやうに』1979年・昭和54年

◎一、二首目は、自らの心を見つめる内省の歌。外面的な姿と、内面に抱える思いとのずれ、今ある自分と、ありたい自分とのずれ、その微妙で捕らえ表しがたいものがあるというこの歌に、自らも同じ思いを抱いている人は共感すると思います。二首とも上句と下句の対照性が主題を強め響かせています。上句で強い思い言い聞かせるように言葉にした後、下句で「今」の具体的なイメージ「草食獣のやうに」、「朱の人参を刻めば」に反転しその主題の「ずれの感覚」をあらわに具象化して感じ取らせます。
◎三首目は、夫が亡くなり火葬する際の悲しみが、最後の詩語「許せ」で極まり、時間が止まるようです。言い切った後の静寂、無音が心に沁みてきます。

出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)
から。

次回も、美しい歌の花をみつめます。


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結城哀草果。初井しづ枝。山田あき。歌の花(七)。

 出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、歌人たちの個性的な歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせた歌人を私は敬愛し、歌の魅力が伝わってほしいと願っています。
 出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。

■ 結城哀草果(ゆうき・あいそうか、1893年・明治26年山形市生まれ、1974年・昭和49年没)。

貧しさはきはまりつひに歳(とし)ごろの娘ことごとく売られし村あり  『すだま』1935年・昭和10年
五百戸の村をしらべて常食に白米食ふが十戸ありやなし
雪なかを橇(そり)に箱のせ花売れり小花(こばな)エリカの一束あはれ

◎一首目と二首目は、昭和恐慌の過酷な時代の、農村の惨状の記録です。あまりに過酷な状況に置かれたとき、せめてこのことを書き留め、伝えようとする意思を抱く人による記録です。文学の一つのあり方として大切だと私は思います。
 2011年東日本大震災と福島原発事故の後、福島現代詩人会が刊行した詩集について、このことを書きました。
『2012福島県現代詩集(二)記録・証言としての詩』
◎三首目を読むと、この歌人が、美しい情景、雪、花、そして「あはれ」の響く、叙景、抒情を歌える人であることを知ります。そのひとが、歌が本来湛えるゆたかなみずみずしさを排して、ただ事実だけを記録せざるを得ない時間を思うと心が痛みます。東北、福島ではそのような状況が続いています。
 この歌では、エリカという一語が詩行のなかで際立ちます。ひらがなと漢字に溶けず浮き出るカタカナの字形を活かし詩語の花を咲かせています。

● 初井しづ枝(はつい・しづえ、1900年・明治33年姫路市生まれ、1976年・昭和51年没)。

今し征き吾が子いづれぞ兵列のあまたの顔のゆきすぐるのみ  『花麒麟』1950年・昭和25年

◎この一首は、戦場への若者の出征を見送る母の歌です。「吾が子」という一語があり、自らの母としての悲しみを歌っているからこそ、その時代に同じ境遇に投げ込まれた数多くの母一人ひとりの心と共鳴しあう、悲しみの歌になっています。「吾が子いづれぞ」と、最期の別れになるかもしれない場で、近くにいるはずなのに探しても見つけられない母の深い嘆きの思いが強く問いかけられ吐き出された後、下句の意味上の兵列とともに言葉の調べも、単調に表情なくゆきすぎ、虚しく勢いを失い消えてしまう、その寂しさが胸に残ります。

● 山田あき(やまだ・あき、1900年・明治33年新潟県生まれ)。

戦(いくさ)に子を死なしめてめざめたる母のいのちを否定してもみよ  『紺』1951年・昭和26年
被爆者の現身(うつしみ)のあぶら石を灼(や)きそを撫でしわれ永遠(とわ)のつみびと  『流花泉』1973年・昭和48年
子を負える埴輪のおんなあたたかしかくおろかにていのち生みつぐ  『山河無限』1977年・昭和52年

◎一首目は、戦争で子を亡くした母の反戦の強い意思です。「子を死なしめてめざめたる母のいのち」、とても悲痛な詩句だからこそ、読む者の心を目覚めさせるほどの、真率な響きが心に突き刺さってきます。
◎二首目は、原爆で殺された人を思い、その人がそのときそこで殺されたという、永遠に消せない事実を思い、自らを「永遠(とわ)のつみびと」と歌います。政治の言動は自らの非を認めず他を責める力学です。文学がその対極で強いメッセージを心から心へ手渡せる歌であることを教えてくれます。私はこのように感じとり歌える人が好きです。
◎3首目も、いい歌だなあとしみじみ感じます。「おろかにていのち生みつぐ」という詩句に、埴輪の時代から、いつの時代も変わらずに、いのちを生みついできた「おんな」であることへのつつましい誇りと、いのちをおもうあたたかな愛が沁みだしてきて心を洗ってくれるようです。女性だから生み出せた素晴らしい歌だと感じます。

出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)
から。

次回も、美しい歌の花をみつめます。

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