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高畑耕治

Author:高畑耕治
愛のうたの絵ほんは、高畑耕治の詩と詩集の海です。
Profile 高畑耕治 たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪府四條畷市出身、早稲田大学政経学部中退。東京都多摩市在住。
詩集『銀河、ふりしきる』(2016年5月イーフェニックス)
詩集『こころうた こころ絵ほん』(2012年同上)
詩集『さようなら』(1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25)
詩集『愛のうたの絵ほん』(1994年同上)
詩集『愛(かな)』(1993年同上)
詩集『海にゆれる』(1991年土曜美術社)
詩集『死と生の交わり』(1988年批評社)
雑誌「エヴァ」に扉の詩(1996~1997サンマーク出版)を連載。
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立葵。アマリリス。夾竹桃。銀竜草。白根葵。俳句の花(四)。

 花の名を詠んだ俳句を見つめています。出典は、『俳句の花図鑑』(監修:復本一郎、2004年、成美堂出版)です。入門書ですので、花の名にも俳句にも詳しくなくても、美しい写真を眺めながら楽しく読むことができます。俳人は季語として花の名をいつも意識するからでしょうか、季節の移ろいに咲く花の姿をとてもよく知っていて素晴らしいなと、私は素直に感じます。」

 初春から夏の終りまで順に、どちらかというと知らない人もいるような花を主に、出典にあげられたさまざまな俳句から私の心に響いた句を選び、いいなと感じたままの詩想を☆印の後に記します。

 今回は、仲夏、晩夏の、花の名を詠み込んだ俳句です。

●仲夏
 
  門に待つ母立葵より小さし(かどにまつははたちあおいよりちいさし)  岸風三樓

☆母親を愛おしむ想いが滲みでて心うたれる句。母は年老い背が小さくなってゆく、家の門に空に向かい花開く立葵より小さいことに気づく哀しみ。同時に母、母のいのちを美しい花としてみつめています。
 調べには母音の変調があります。前半部は「kAdonitAtuhAhA tAchiAoi」愛のあたたかな気持ちを母音アA音が連続して奏で、後半は「aoIyorI chIIsaSI」淋しい想いが母音イI音に静かに溶け沁みてゆくようです。

  原爆の地に直立のアマリリス(げんばくのちにちょくりつのあまりりす)  横山白虹

  夾竹桃ピカドンの日をさりげなく(きょうちくとうピカドンのひをさりげなく)  平畑静塔

☆広島の原爆の悲惨を直視した文学者の原民喜小説『夏の花』があります。これら二句を読むと私は「夏の花」という言葉と、広島、長崎の被爆された方々の悲しみと苦しみと嘆きと絶望を、思わずにいられません。
 八月、強く眩しい陽射しに咲く花。アマリリス、夾竹桃、それぞれの花の句は、客観的に咲く花の姿を描写していますが、「直立の」、「さりげなく」という短い詩句に、苦しみ、悲しみに折れず、途絶えず、超えて、美しい花は、その生まれ持った姿で、ぞれでも咲くんだ、だから人間もまた、という願いが、ふるえ咲いていると私は感じます。

  銀竜草滝のしぶきを摘みきしや(ぎんりょうそうたきのしぶきをつみきしや)  宮津昭彦

☆花に呼び覚まされた感動をそのまま言葉にしていますが、イメージと音が溶け合い、その感動を高めています。
「滝のしぶき」という鮮烈な輝きのイメージ。「taKIno SIbuKIo tumIKISIya」は細く締まる母音イI音を主調に、鋭く弾ける子音S音と「シSI」、子音K音と「キKI」となり、リズミカルに音の飛沫となって弾けています。

●晩夏

  白根葵咲けりといふよ山彦も(しらねあおいさけりというよやまびこも)  水原秋櫻子

  白根葵うすむらさきは遥けき花(しらねあおいうすむらさきははるけきはな)  林翔

☆高原の美しい花、高嶺の花、シラネアオイ。花びらは薄く儚げで破れそうな花。
一句目は、「山彦」から聞いたよと、のびやかな牧歌調、童謡調で、心が優しくなります。
二句目は、「遥けき」という文語調に、女性への愛、美への憧れ、遥かなものを想う詩心がふるえています。
 どちらも、この花そのもののように、美しく咲いていて、とてもいいなと感じます。

 ■ 出典:『俳句の花図鑑』(監修:復本一郎、2004年、成美堂出版)

 次回も、美しい俳句の花を見つめます。

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tag : 詩歌 詩人 高畑耕治 俳句

田川紀久雄 『いのちのひかり』。純の果て、ムイシュキンの「白痴」の。

 詩人の田川紀久雄さんが新しく『いのちのひかり』(2013年8月15日、漉林書房、2000円)を出版されます。

 この本のカバー、表紙絵は画家であるご自身の作品、ゴッホの自画像ように、苦しげな、生に交錯する死を見据えた。文字によるメッセージが絵の色彩と形となり滲みだし広がっているように感じます。

 この本について著者は、生き方そのものに重ねて、あとがきに書き尽くしています。以下に抜粋します。

「あとがき」
 詩を書かずにはいられないから、詩をかいている。それが詩であるかどうかはわからない。だから詩集という文字は外してある。それは読み手が決めてくれると思っている。(略)自己満足と言われようがかまわない。
 末期ガンと宣告された時から、精一杯生きる事しか考えなくなった。(略)
 
 詩であるかどうかは、読者が決めてくれることだと、私も考えています。専門家が権威づけしたり学者が定義したり翻訳物の模倣度で判定したり人気者集団が宣伝したりするから、言葉が詩に変わるわけではありません。読者の心に詩の木魂が聞こえたら、それこそ詩です。

 この本には、著者の、生きてきた時間での、その時々の想いが、ふっと、浮かびあがります。私は著者が文学に惹きこまれたきっかけに、ドストエフスキーの『地下生活者の手記』があったことを知り、この小説に深く影響された者の一人として共感を覚えるとともに、次のことを想いました。

 田川さんは、ドストエフスキーが小説『白痴』で祈りを込め描きあげ息を吹き込んだ人物と似ている、ということです。
 ドストエフスキーが、読者の心に生きることを強く望んだ「本当に美しい人間」、白痴の、ムイシュキン侯爵に、生きざまが似ています。まるごとの人間性そのもの、心のありようが、とても似通っています。

 洗練されていると感じさせる詩作品も、その時々に流行りで飛びつかれる文芸も、数ヶ月、よくて数年単位で忘れ去られるものが多いのは、人間性そのもの、心のありようにどうしようもなく深く根差して生まれてはいないからだと私は思います。原稿料のため、人気のため、名のため。それはそれで良いけれど、それだけです。読者自身の「ぬきさしならない」いのちの前でそれらは一時の暇つぶしの読み物でしかないからです。

 「詩」と一般的にみなされている形には囚われない田川さんの言葉、詩かどうかは「読み手が決めてくれる」という想いには、著者自身の「ぬきさしならない」いのちが滲んでいます。
 なぜそうのか、そのようにしか生きられないのかは、この本の作品たちが教えてくれます。

 どの言葉も、ムイシュキン侯爵の言葉のように、戸惑い迷い悩んでいて弱々しげに自分を疑っています。悲しいほどに生き方が下手で、世渡りがまったくできません。幼児に似て。白痴に似て。

 でもだからこそ、彼は人間なんだ、本当に美しい人間なんだと、とり憑かれたように語るドストエフスキーの声が、『いのちのひかり』を読み返す私の心に聞こえてきます。
 見失いかけていたムイシュキン侯爵の姿、彼の生き方を敬う思いが、私の心に今も息づいていると気づかせてくれます。
 ムイシュキン侯爵がいま本を書いたら、とても純粋な素直な微笑みのままの、この『いのちのひかり』が生まれる気がします。ロシア語の。

 私の心が木魂した言葉を、とても自由に、以下に抜き出しました。読者ひとりひとりの方がご自分の心に生まれる詩の木魂を、この本から聴きとって頂けたらと願います。


● 以下はすべて田川紀久雄『いのちのひかり』からの原文引用です。かっこ内は「」は作品名です。斜線/は改行箇所です。

「そのひかりはどこから」
闇の中にもかならずひかりがある/観えるときも/観えないときもある/苦しみ悩み絶望している時/静かに祈りを捧げていると/闇のいちばん奥深い所から/微かなひかりがさしていることを感じる/そのひかりは何処から射して来るのか解からないが/苦しみをいくらか和らげてくれる/――さあ、勇気を出して/そのひかりの中から聲が聴こえる

「ひかりと妖精」
こんな私が社会に出ても何の夢も持てなかった/そしてあれほど書物嫌いだった私が/知らないうちに文学書に手を染めていった/そのきっかけは/誰が読んだのか知らないがわが家にあった一冊の本であった/それはドストエフスキーの「地下生活者の手記」である

「ひかりは夢を運んでくれる」
いま私が詩語りに打ちこんでいても/人のために役だってはいない
こころの詩を語ることで/愛を届けたい

「倖せと哀しみの中で」
どんなことがあっても心のひかりを閉じてはならない/自分自身に負けてもいいから/ひかりだけは閉じないでもらいたい/その小さなひかりがこれからあなたを活かしてくれる
あなたはあなた以外にはなれないのだから/いつものあなたでいてもらいたい/哀しい心の庭には美しい花々が咲き乱れている

「闇の中でもひかりを求めて」
誰からも相手にされない

「パラリンピック」
哀しみの中ではひかりが射しこんではこない/一度閉じられたこころは/なかなか開く事が出来ない/謳い 舞い 躍ろうが/ちょっとやそっとでは無理である
心の闇の中で/自ら松明に火を灯す/それが希望のひかりでなくても/消さないように燃やし続けるしかない
苦しみの中でしか味わえない歓びがある
人間の誇りとして闘っている

「あれから一年半」
出来ることと/出来ないことがある/でも一番たいせつなことは/愛するものへの慈しみではなかろうか
人間の欲望によって環境破壊がどんどん進んでいる/その中で放射能汚染がすべての生き物のいのちを破壊する/いまなお福島第一原発からは放射能が漏れだしている/即座に原発をゼロにできないでいる/人間達に置き去りにされた生き物の眼は虚ろだ
被災地に多くの人たちがまだ戻れない/放射能に汚染された土地では/住民が戻る夢は断ち切られている/その間に復興予算が別な所に使われていく/壊れ果てた港の復興はまだほど遠い
年に三万人の自殺者がいても/学校ではいじめがなくならない
眼の前にいる人を愛おしく思っていたい

「産聲」
川崎空襲の中で多くの人たちが亡くなっていった/私は母の背におぶされながら見ていた/その光景はまさに地獄図さながらであった
生まれたいのちは最初の一聲のなかに/苦しみと哀しみと歓びとの感情が込められている/七十を過ぎた今/生まれた瞬間の産聲に還ろうとしているのだろうか

「宇宙船」
小さな宇宙船の中で/憎しみ合い/殺し合い/その果てに/この船を壊そうとしている
だからいつの日にかこの宇宙船が消え去っていくのも自然なこと
いま身近な人を愛してゆくしかない

「生と死」
死は怖いから/魂はきっと生き続けると思いたい
母も父も私の中で生き続けている/だから私は墓参りなどしない
末期ガンと宣告されたときから/死のことを考えないようにしている/どう生きてゆくかだけを考えていた
父母に対しても/生まれてきたことに感謝ができるように/最期まで生を充実させていたい

「永遠のいのち
海の水は生き物たちの悲しみでしょっぱくなったともいえる」/それは愛に満ちた哀しみの涙かもしれない/憎悪は渚で洗い浄められてゆく/海鳥たちは雫を光の中に撒き散らしてゆく/取り残された干潟には稚魚たちが群れになって泳いでいる

「千年杉」
眠りの中で見る夢は過去も未来も今の中で輝いている

「自然のいとなみ」
なぜ生まれてきたのか/永遠の時の中では/そのような問いは意味をなさない/人間の生命はせいぜい七十年前後/その中で答えを見いだせるものではない
倒れた樹から地霊が湧き上がってくる/そのいのちの響きは/私の魂を揺さぶる/たった今が永遠の中に溶け込む

「未来へのひかりを求めて」
希望はいのちのひかりである/どんな小さな望みでもあれば/人は前向きになって生きていられる/そしてその望みが愛の絆に導かれていればなおさら良い/どんな絶望の淵に立たされていても/生きるいのちはその絶望感を越えていける
人は生まれた以上だれでも死を迎える/限られた時の中で/精一杯生きればそれで充分だ/生まれたことに感謝ができれば/死はすこしも怖くはない/希望はいのちのひかりである

「わかちあえるひかり」
魂の存在を喪った言葉には/だれもが見向きもしない
いま私は言葉を書き連ねているが/無性に哀しみにつつまれている
わかちあえるひかりを求めて/詩の言葉にいのちを吹き込むしかない

「愚痴はほどほどに」
この一回限りのいのちを愛しんでいくしかない/哀しくても苦しくても/それを受け入れることでその人自身になれる/生まれたことに不満をいっても/誰も助けてはくれない
自然は厳しい/生き物たちは生と死の狭間でいのちを削っている/一瞬の油断が生死の別れとなる
他のいのちを食べて/他のいのちを支える
精一杯生きていられればよい/それが困難な道ほど生き甲斐を感じる/楽な人生など少しも面白くなどない
生きたいように生きることだ/人生をいつかはさよならといわなければならないのだから

「いのちのひかり」
みんな生きている/みんな哀しんでいる/みんな苦しんでいる/そして/みんな愛している
眼の前の人の歓ぶ笑顔が/哀しみの涙を拭い去ってくれる
いのちは一人一人の心の中にひかりを発している


☆ お知らせ

田川紀久雄『いのちのひかり』(2000円税送料込) ご注文は、

① ハガキで、漉林(ろくりん)書房へ。 
〒210‐0852 川崎市川崎区鋼管通3-7-8 2F (問合せTEL:044-366-4658) 

② 書店へ、地方小出版流通センター扱いで、となります。
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山菫。おおばこ。かたばみ。ねじばな。ひなげし。百合。俳句の花(三)。

 花の名を詠んだ俳句を見つめています。出典は、『俳句の花図鑑』(監修:復本一郎、2004年、成美堂出版)です。入門書ですので、花の名にも俳句にも詳しくなくても、美しい写真を眺めながら楽しく読むことができます。俳人は季語として花の名をいつも意識するからでしょうか、季節の移ろいに咲く花の姿をとてもよく知っていて素晴らしいなと、私は素直に感じます。
 初春から夏の終りまで順に、どちらかというと知らない人もいるような花を主に、出典にあげられたさまざまな俳句から私の心に響いた句を選び、いいなと感じたままの詩想を☆印の後に記します。

 今回は、三春、初夏の、花の名を詠み込んだ俳句です。

●三春

  石仏に供養咲せり山菫(せきぶつにくようざきせりやますみれ)  茨木和生

☆道端の石仏に寄せる素朴な信仰心が、可憐なすみれの姿で咲いている優しく美しい句です。
調べでは、子音S音、Z音が、透明感のある澄みかすれる風にそよいでいます。Sekibutu、ZakiSeri、
Sumire。

●初夏

  おほばこの花に日暮れの母のこゑ(おほばこのはなにひぐれのははのこえ)  大嶽青児

☆野原や道端、どこにでもあるオオバコは、日暮れ時まで遊びつづける子どもたちを迎える母の情景によく似合い、懐かしい気持ちがします。調べのうえでは、子音H音、B音の、はかない音が、o(H)oBako、Hana、Higure、HaHaと情景に説けています。「おほばこ」と「こゑ」の「こKO」の音も、遠く呼び合うようです。

  かたばみを見てゐる耳のうつくしき(かたばみをみているみみのうつくしき)  樺山白虹

☆しゃがんで「かたばみ」の花に微笑む女性のうなじと耳の美しい後姿が眼に浮かびます。かたばみの夜閉じる葉と、耳の、曲線の形を美しく重ねています。
 主調音は母音のイI音、特に、「ミMI音」のやわらかさが、葉と耳たぶのやわらかさに溶けて印象深く響きます。katabaMIo MIteIruMIMIno utukusIkI。

  捩花はねぢれて咲いて素直なり(ねじばなはねじれてさいてすなおなり)  青柳志解樹

☆感動をそのまま素直に言葉にした、素朴な、美しい句。「ねじれて」咲く、とても個性的な野の花の姿は、その花そのままでとても「素直なり」と、発見した喜びが込められていて、心に響きます。

  崖の端のひなげし浅間山さやうなら(がけのはのひなげしあさまさようなら)  川崎展宏

☆崖の端に、細い茎でゆれ咲く可憐なひなげしの背景に、立ち去ろうとしている大きな浅間山がオーバーラップして浮かぶ情景の美しい句。結語の「さやうなら」に、花と山を愛する想いが息づいています。
 調べの主調音が母音アA音であることも、明るく開放感のあるイメージと、溶け合っています。gAkenohAno hinAgesiAsAmA sAyounArA。

  百合の蘂みなりんりんとふるひけり(ゆりのしべみなりんりんとふるいけり)  川端茅舎

☆ゆりの大きな花びらから伸びやかに顔をのぞかせるしべ、「りんりん」という音色の詩句で、ゆりの花の姿から、言葉であらわに出していない「鐘」のイメージを、かもし出し、美しくゆれています。「リRI」の音がひそやかに、こだましあっています。yuRI、RInRIn、keRI。心に美しい鐘の音色が響き続けます。

 ■ 出典:『俳句の花図鑑』(監修:復本一郎、2004年、成美堂出版)

 次回も、美しい俳句の花を見つめます。

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tag : 詩歌 詩人 高畑耕治 俳句

チューリップ。躑躅。花みづき。りんどう。ふたりしずか。山桜。俳句の花(二)。

 花の名を詠んだ俳句を見つめています。出典は、『俳句の花図鑑』(監修:復本一郎、2004年、成美堂出版)です。入門書ですので、花の名にも俳句にも詳しくなくても、美しい写真を眺めながら楽しく読むことができます。俳人は季語として花の名をいつも意識するからでしょうか、季節の移ろいに咲く花の姿をとてもよく知っていて素晴らしいなと、私は素直に感じます。
 初春から夏の終りまで順に、どちらかというと知らない人もいるような花を主に、出典にあげられたさまざまな俳句から私の心に響いた句を選び、いいなと感じたままの詩想を☆印の後に記します。

 今回は、晩春の、花の名を詠み込んだ俳句です。

●晩春(二)

  チューリップの花には侏儒が棲むと思ふ(チューリップのはなにはしゅじゅがすむとおもう)  松本たかし

☆侏儒は小人です。子音K音、T音の響きの強い「こびとKOBITO」より、子音Y音が柔らかく液体的な響きの「しゅじゅSYUJYU」を選んだのだと感じます。童話のような優しい思いをつぶやく口調のさりげなさも、恋人に語りかけるようでいいなと感じます。

  死ぬものは死にゆく躑躅燃えてをり(しぬものはしにゆくつつじもえており)  臼田亜浪

☆つつじの燃えあがる赤は生命の燃焼の激しさそのものだからこそ、寄り添うように死も意識されます。春のいのちの燃え上がりは死への歩み。前半の想念と後半の叙景が響き合い重なり溶け合う鮮烈な句です。

  城出てしんじつ白き花みづき(しろいでてしんじつしろきはなみづき)  宇咲冬男

☆音楽的な句です。主調の母音は引き締める母音イI音です。shIroIdeteshInjItushIrokIhanamIzukI。「城」と「白」は表意の漢字に隠されて同音「しろSHIRO」で頭韻しています。「しんじつSHInjITsu」という清らかな想念、「白きSHIroKI」の色、「みづきmIzuKI」、どの詩句も強く鋭い子音T音、K音を織りまぜられ、真っ白な世界です。その調べの流れにやわらかに、「はなHANA」という柔らかな明るい音の花びらが浮かんでいます。

  息つめて春りんだうの咲くといふ(いきつめてはるりんどうのさくという)  岸田稚魚

☆伝聞体、人づてに、あるいは風に聞いた、教えられたという結句「といふ」が、今山にひっそり咲いている春りんどうに思いを馳せさせ印象を深めています。「息つめて」と擬人化した表現に感動が凝縮し、花のいのちと心を鮮やかに伝えてくれます。初恋の人を前に胸がつまり言葉をのみこむような、可憐な花の表情が目に浮かびます。私はりんどう、その色と形と音「RINDOU」、とても好きです。

  ふたりしづかひとりしづかよりしづか  川崎展宏

☆すべてひらがなの流れるやわらかな文字の形が、しずかな花によくあっています。花のなまえとして二回、そして最後にもう一度置かれた「しづか」、意味のうえでも、調べのうえでも、この詩句がリフレインとなって心に響きます。

  山又山山桜又山桜(やままたやまやまざくらまたやまざくら)  阿波野青畝

☆前の句と対照的に、すべての文字を漢字にした句。連なって切れ目の無いまとまりを、字体でも示そうとした意思を感じます。「山」は(やま)2音を1字に、「山桜」は(やまざくら)5音を2字に、漢字は、複数の表音を文字に閉じ込め、意味・イメージを、くっきり浮き出します。調べも、「ヤマ」が4回、「マタ」が2回、「ザクラ」が2回、すべて繰り返される言葉が、リズムと連なりを生みだしています。印象深い句です。

 ■ 出典:『俳句の花図鑑』(監修:復本一郎、2004年、成美堂出版)

 次回も、美しい俳句の花を見つめます。


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tag : 詩歌 詩人 高畑耕治 俳句

いぬふぐり。白木蓮。薊。錨草。霞艸。俳句の花(一)。

 今回からの数回は、花の名を詠んだ俳句を見つめます。出典は、『俳句の花図鑑』(監修:復本一郎、2004年、成美堂出版)です。入門書ですので、花の名にも俳句にも詳しくなくても、美しい写真を眺めながら楽しく読むことができます。俳人は季語として花の名をいつも意識するからでしょうか、季節の移ろいに咲く花の姿をとてもよく知っていて素晴らしいなと、私は素直に感じます。
 初春から夏の終りまで順に、どちらかというと知らない人もいるような花を主に、出典にあげられたさまざまな俳句から私の心に響いた句を選び、いいなと感じたままの詩想を☆印の後に記します。

 初回は、初春、仲春、晩春の、花の名を詠み込んだ俳句です。

●初春

  いぬふぐり星のまたたく如くなり(いぬふぐりほしのまたたくごとくなり)  高浜虚子

☆とても素直な感動を純真に歌っていて好きです。調べも美しく、「またたくmAtAtAKU」と「ごとくgOtOKU」 は母音アA音からオO音への変化と「クKU音」の脚韻、初句の「ふぐりfUgURI」と最終句の「なりnARI」も母音U音とA音の変化と「リRI音」が遠く脚韻してこだまし心に響きます。

●仲春

  白木蓮に純白という翳りあり(はくもくれんにじゅんぱくというかげりあり)  能村登四郎

☆この句のいのちは、詩句「純白という翳り」、あまりにも真っ白な美そのものが転じる「翳り」、その愁いを受けとめる感受性です。調べは前半は三度現れる「クKU音」がリズム感を生み、「翳りありkageRIaRI」の母音アA音と「リRI音」の畳韻も美しい波を響かせています。

●晩春(一)

  世をいとふ心薊を愛すかな(よをいとうこころあざみをあいすかな)  正岡子規

☆優しい桃色でありながら細く鋭い花と葉に棘ももつアザミ。この花を幼少から愛してきた私の心が「世をいとふ心」と重なっていることに気づかされ、驚きます。調べはその心を音に溶かしていて、母音だけ抜き出すと前半「世をいとふ心」は「オOオOイIオOウUオOオOオO」と沈む内省的な響き、後半「薊を愛すかな」は一転して「AAioAiuAA」と明るい愛の音色A音の波が浮かびあがります。美しい響きです。

  錨草生れかはりて星になれ(いかりそううまれかわりてほしになれ)  鷹羽狩行

  錨草山に咲き出て海の色(いかりそうやまにさきでてうみのいろ)  高橋悦男

☆一句目は、花に話しかける心が私は好きです。優しい願いが心に響きます。花の姿に星の輝きのイメージが重なり包み、美しいと感じます。調べでは、「うまれumARE」と「なれnARE」が遠く呼び合っています。
 二句目は、錨(いかり)という言葉の意味と、花の紫色が、山のなかに、海を浮かびあがらせ、山と海と花を愛する想いが、風にそよぎ、波のように揺れて、とてもいいなと感じます。イメージが美しくたちのぼる句です。

  乳母車通ればそよぐ霞艸(うばぐるまとおればそよぐかすみそう)  石原八束

☆かすみそうの優しい白が風にそよぎ、乳母車の赤ちゃんにささやきかけている情景が、心をあたためてくれます。花の言葉を聴きとれる心、感受性が、詩歌の花を美しく咲かせることは、俳句も短歌も詩も変わらないと教えてくれます。

 ■ 出典:『俳句の花図鑑』(監修:復本一郎、2004年、成美堂出版)

 次回も、美しい俳句の花を見つめます。

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tag : 詩歌 詩人 高畑耕治 俳句

小林一茶。感動、喜びと悲しみ。俳句の調べ(七)。

  『日本の古典をよむ⑳ おくのほそ道 芭蕉・蕪村・一茶名句集』(2008年、小学館)から、小林一茶(こばやし・いっさ、1763~1827年)の俳句を前回に続き、見つめます。

 注解者は、丸山一彦(まるやま・かずひこ、宇都宮大学名誉教授)です。一茶の人間性への共感のうえで、音調についても記されていてよいと感じます。

 以下、俳句の調べについての注解がある句を中心に選び、私が好きな句を加えました。注解者の言葉の引用は、注解引用◎、の後に記します。私の言葉は☆印の後に印します。


  木つゝきの死ねとて敲く柱かな(きつつきのしねとてたたくはしらかな)

注解引用◎この句は、古い朽ちかけた寺の柱などをつついている音に耳を傾けながら、ふと心の一隅をかすめる死の思いを詠みだしたものである。
 ☆ 鋭く痛く苦しい思念を、子音K、子音T、子音S、子音H、これらの鋭く強く息を吐き出す子音が交錯しながら奏でています。「KiTuTuKino SineToTeTaTaKu HaSiraKana」。


  うつくしやせうじの穴の天の川(うつくしやせうじのあなのあまのがは)

注解引用◎障子の穴を額縁にして、そこからのぞかれる小宇宙の深さ、美しさに驚きかつ興じた句である。
☆ 小の奥に無限大を感じるこの歌は、十七字という極小の文芸である俳句そのものでもあるように感じます。障子という身近な卑近なところから美をのぞき見るというのもまた、俳句だといえます。
「穴の天の川AnANO AMANO gAwA」は押韻のようにリズム感と流れの美しい調べです。


  這へ笑へ二つになるぞけさからは(はへわらへふたつになるぞけさからは)

注解引用◎解説:鈴木健一(学習院大学)から。子の成長を願う親心。
☆ 赤ん坊、幼児への愛情があふれでている句。感動と喜びと願いに満ちた人間らしさが、いちばん良い文学だと、感じとらせてくれる、とても良い句です。


  秋風やむしりたがりし赤い花(あきかぜやむしりがたりしあかいはな)

注解引用◎最愛の長女さとを痘瘡で失い、その墓参の句である。(中略)ただ、「赤い花」とだけいい、その名をあげなかったことにより、かえって印象を鮮明にしている。
 ☆ 前の句で、心からの愛情と願いを降り注いだ幼子が、亡くなってしまった深い悲しみに咲いた俳句の花です。悲しみもまた、文学の花が生まれてくる心のふるえの種です。喜びの対極にありながら、どちらも心を揺さぶらずにはおかないのは、人間の愛と思いの真実を咲かせるからです。静かな悲しみの鎮魂の花が亡くなった子に届いたことを祈らずにいられません。


  心からしなのゝ雪に降られけり(こころからしなののゆきにふられけり)

注解引用◎「心から」と思い迫った表現に、降りかかる雪の中で、身も心も凍りついたような暗澹とした心境が詠まれている。
 ☆ 故郷での親類との相続問題などで冷淡にあしらわれた時の、寒々と冷え切り凍えるような思いの句。抒情詩ようにさえ感じられるのは、思いの真実が凝縮しているからだと感じます。真っ白な何も見えない冷たい悲しみの心象風景です。


  亡き母や海見る度に見る度に 

注解引用◎「海見る度に見る度に」というくりかえしに、おさえきれぬ慕情があふれている。
 ☆ この句にも美しい抒情詩の響きがあります。十七字で、感情の大きな海が揺れ動きます。俳句という文芸の素晴らしさを私は教えられます。人間と生き物、生きるということ、苦しさ惨さに苛まれながらも、愛を失わず、優しい目で、童心さえ俳句の調べとした一茶の、魅力に満ちた豊かな文学を私は敬愛してやみません。

出典:『日本の古典をよむ⑳ おくのほそ道 芭蕉・蕪村・一茶名句集』(2008年、小学館) 

 この出典を通しての詩想は今回で終わります。次回は別の角度から、俳句の世界を歩き感じとりたいと思います。


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tag : 詩人 高畑耕治 詩歌 小林一茶 俳句

小林一茶。童心。俳句の調べ(六)。

 『日本の古典をよむ⑳ おくのほそ道 芭蕉・蕪村・一茶名句集』(2008年、小学館)から、小林一茶(こばやし・いっさ、1763~1827年)の俳句を前回に続き、見つめます。

 注解者は、丸山一彦(まるやま・かずひこ、宇都宮大学名誉教授)です。一茶の人間性への共感のうえで、音調についても記されていてよいと感じます。

 以下、俳句の調べについての注解がある句を中心に選び、私が好きな句を加えました。注解者の言葉の引用は、注解引用◎、の後に記します。私の言葉は☆印の後に印します。


  我と来て遊べや親のない雀(われときてあそべやおやのないすずめ)

注解引用◎一茶は三歳で母に死別し、祖母の手で育てられたが、八歳のときに継母を迎え、それより継子としての不幸な日々が始まった。
 ☆ 親のない雀に遊ぼうと話しかけられる一茶の人間性は、詩心そのものだと思います。とても好きな句です。


  夏山や一足づゝに海見ゆる(なつやまやひとあしづつにうみみゆる)

注解引用◎「一足づゝに海見ゆる」には、ひと足ごとにせりあがってくる海への新鮮な驚きがある。
 ☆ 注解の通り、新鮮な驚き、感動が詩歌であることを響かせ伝えてくれるような歌です。山の坂道を歩む一歩ごとに見え拡がってくる海への期待と喜び、私自身の思い出とも重なり、その場にいるような臨場感があります。
 夏山や「nAtuyAmAyA」の母音「アA」音の明るい響き、「づつZUTU」には一歩一歩進む響き、「海見ゆるUMIMIYURU」の母音「ウU」音と子音M音Y音の柔らかな懐かしい響き、調べも美しいと感じます。


  大の字に寝て涼しさよ淋しさよ(だいのじにねてすずしさよさみしさよ)

注解引用◎中七以下は二語を併置しただけで、ずいぶん思い切った表現であるが、詠嘆の「よ」が巧まずして脚韻を踏み、しかも下五にすえた「淋しさ」が一句全体に響き返って惻々(そくそく)としたわびしさを伝えてくる。
 ☆ 優れた注解だと感じます。「涼しさよ淋しさよ」は、加えて子音S音Z音の息を細くかすれて吐き出す音の連続が、語の意味と合っていて、調べを通しても強め感じとらせます。「SuZuSiSayo SabiSiSayo」。


  人来たら蛙となれよ冷し瓜(ひときたらかへるとなれよひやしうり)

注解引用◎この童心の世界は一茶の特色の一つ(後略)。
 ☆ 冷やし瓜の縞模様が、カエルの背の模様そっくりなので、食べられないようにカエルに化けな、と冷やし瓜と話す一茶には、童話に通じる、童心があっていいなと感じます。雀と話し瓜と話す、彼は尊敬できる詩人です。


  りんりんと凧上りけり青田原(りんりんとたこあがりけりあをたはら)

注解引用◎「りんりん」という音調がこころよく、農村の充実した気分が、引きしまった声調のなかに詠みとられている。
 ☆ 「りんRIN」の繰り返しと、「りRI」が四回響いていることが調べに快さを生んでいます。子音Rは音楽的な流動性を孕み感じさせる音です。ラRa、リRi、ルRu、レRe、ロRo、このどの音にも、私は音楽を感じます。そして、「りrI」に含まれる母音の「イI」が、「りんりんrInrIn」「りけりrIkerI」、声調を引き締めています。


  ざぶざぶと白壁洗ふわか葉哉(ざぶざぶとしらかべあらふわかばかな)

注解引用◎「ざぶざぶ」という重い音感の反覆によって、若葉の量感を十分に感じさせる。白壁と新緑との色彩の対照も鮮明で、「洗ふ」という語もよくはたらいている。
 ☆ 「zAbUzAbUto sirAkAbeArAU wAkAbAkAnA」。全体の主調音は、母音「アA」音で、白壁、若葉の明るさを奏でています。また母音「アA」音と、遅れて顔をのぞかせる「ウU」音が、「洗う」イメージの水(風)の波だつ動きのように浮き沈みしています。


蟻の道雲の峰よりつゞきけん(ありのみちくものみねよりつづきけん)

注解引用◎シネスコープの一画面でも見るような、奇妙な立体感がある。この特異な感覚的把握と大胆な表現(後略)。
 ☆大きな情景を十七字に孕んでいて、奥行きと広がりのある映像が心に映し出される思いがします。遥か遠くの道の向こうの雲から並んで歩いてくるアリたちに対しても、共感、がんばれという気持ちが響いているのは一茶ならではの良さです。「けんKEN」という言葉の弾む強さが、その詩心を高めています。イメージの中心にある「道MIchi」と「峰Mine」は、「みMI」音でやわらかに響き合っています。

 次回も、小林一茶の俳句を見つめます。

出典:『日本の古典をよむ⑳ おくのほそ道 芭蕉・蕪村・一茶名句集』(2008年、小学館) 

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tag : 小林一茶 俳句 詩歌 詩人 高畑耕治

小林一茶。見据える目。俳句の調べ(五)。

 『日本の古典をよむ⑳ おくのほそ道 芭蕉・蕪村・一茶名句集』(2008年、小学館)から、今回は小林一茶(こばやし・いっさ、1763~1827年)の俳句を今回から三回、見つめます。

 注解者は、丸山一彦(まるやま・かずひこ、宇都宮大学名誉教授)です。一茶の人間性への共感のうえで、音調についても記されていてよいと感じます。

 以下、俳句の調べについての注解がある句を中心に選び、私が好きな句を加えました。注解者の言葉の引用は、注解引用◎、の後に記します。私の言葉は☆印の後に印します。


花さくや目を縫れたる鳥の鳴(はなさくやめをぬはれたるとりのなく)

注解引用◎「目を縫れたる」は、飼いふとらせるために目を縫いつぶし、暗がりに身動きもできぬようにじっとさせているのであろう。(中略)このいたましい鳥たちの背後に、人間の業(ごう)の深さといったものまで見すえている。
 ☆ 花の明るさと鳥の暗闇、明と暗の対比が強烈な句です。一茶が見据えていたものが、響いてきます。文字数が極めて少なく感情表現を歌えない俳句が、伝えうるものを考えさせられます。


  白魚のどつと生るゝおぼろ哉(しらうおのどつとうまるるおぼろかな)

注解引用◎朧夜の青い水の世界での生命の乱舞を描き、幻想的な美しささえ感じさせる句だ。(中略)印象詩としての鮮潔(せんけつ)な美しさを発揮している。
 ☆ 十七字という短さの流れに大きな抑揚の波を生んでいます。「白魚の」と「シshi音」で静かに低く入り、「どつと生るるDOTTO」で波は一気に高まります。「どっ」ドの濁音と息を詰める「っ」が、とても効いています。「生るるUMARURU」は母音ウU音とRURUの連なりがなめらかな波頭のようです。そして静かに「おぼろかな」へと静まっていきます。調べの美しさとイメージの美しさが溶けあっています。


  ゆさゆさと春が行ぞよのべの草(ゆさゆさとはるがゆくぞよのべのくさ)

注解引用◎「ゆさゆさ」は、風にゆすられる草むらの動態を鮮明にとらえており、(後略)。
 ☆ これも調べの美しい句です。「ゆさゆさ」は繰り返しの響きが軽やかで、「行ぞ」の「ゆYU」音と畳み韻になっています。「はるがゆく」までは、母音のアA音とウU音が口語に奏でられリズム感を生んでいます。「yUsAyUsAto hArUgAyUkU」。続く調べはは転調し、母音オ音によるリズム「ぞよのべのzOyO nObeNO」、最後はリフレインのように母音のアA音とウU音が「kUsA」とこだまします。
 柔らから風に草のそよぎが見えるような、明るい気持ちになります。


  雪とけて村一ぱいの子ども哉(ゆきとけてむらいっぱいのこどもかな)

注解引用◎「村一ぱい」という表現に、空にはね返るような子供らの喚声が聞こえてくる
 ☆ 注解の通り、この句のいのち、調べの高まりの波頭は「いっぱいIPPAI」にあります。この波の高まりは最後の「子ども哉KODOMOKANA」まで保たれています。「子どもkOdOmO」の母音オO音は低い音ですが鼓動のようなリズム「オオオ」と意味の明るさが勝ち、波は沈まず、「かなKANA」の明るい響きに喚声が聞こえるようです。とても好きな句です。


  痩蛙まけるな一茶是に有(やせがへるまけるないっさこれにあり)

注解引用◎江戸在住当時の、四十を過ぎてもまだ妻帯できず、この性の争闘に目を光らせている一茶の相貌を思い浮かべるとよい。ことさらに諧謔調を弄したところにも、一茶の屈折した心理が感じられる。
 ☆ 芭蕉の代表句「古池や蛙飛び込む水の音」と並び知られた一茶の代表句。山下一海教授はエッセイで、江戸時代の「カワヅ」と「カエル」の雅と俗の心理的な読み分けを捉えていました。この二句はそれぞれ「カワヅ」、「カエル」でないといけないと感じるものが日本語を母語とする者には確かにあります。
 注解者の丸山一彦教授の一茶の心理の屈折についての言葉は鋭いと感じます。性に絡んだやるせなさが、闘い交尾するカエルたちとともに水面に波紋をひろげ、諧謔にまとわりつきたゆたっています。


  どんど焼きどんどゝ雪の降りにけり(どんどやきどんどどゆきのふりにけり)

注解引用◎「どんど焼」から「どんど」と続けた頭韻がよくきき、はずみ立つような気分が声調にも生かされている。
 ☆「どんどど」の音には濁音の重さと強さがあって、太鼓の響きのように頭韻しています。母音「オO」音と「イI」音が交錯しつつ「dOndOyakI dOndOdOyukInO furInIkerI」主調を奏でています。
「焼きYaKI」と「雪YuKI」が響きあい、「降りにけりfurInIkerI」にこだまし、母音イI音が脚韻しています。とても音楽的な句です。

 次回も、小林一茶の俳句を見つめます。

出典:『日本の古典をよむ⑳ おくのほそ道 芭蕉・蕪村・一茶名句集』(2008年、小学館) 

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tag : 小林一茶 俳句 詩歌 詩人 高畑耕治

与謝蕪村、恋も童話も。俳句の調べ(四)。

 『日本の古典をよむ⑳ おくのほそ道 芭蕉・蕪村・一茶名句集』(2008年、小学館)から、今回は与謝蕪村(よさ・ぶそん、1716~1683年)の俳句を前回に続き、見つめます。

 注解者は、山下一海(やました・かずみ、鶴見大学名誉教授)で、蕪村の俳句を多様な角度から照らし出し感じとり、特に俳句の調べ、音楽性にも言及していて、私は深く共感しました。

 以下、俳句の調べについての注解がある句を中心に選び、私が好きな句を加えました。注解者の言葉の引用は、注解引用◎、の後に記します。私の言葉は☆印の後に印します。

  燃立て貌はづかしき蚊やり哉(もえたちてかほはづかしきかやりかな)

注解引用◎「かほ・かやり」という頭韻もいい。
☆ 男女の顔が一瞬火に照らしだされ、恥じらいあう、初々しい抒情、恋の感情を俳句でも歌える、歌っていることが、私にはとても新鮮に感じられる句です。


  落穂拾ひ日あたる方へあゆみ行(おちぼひろひひあたるかたへあゆみゆく)

注解引用◎「ひHIろひひHIあAたる方へあAゆYUみゆYUく」と押韻を順を追って重ねた声調は、静かに歩を運ぶ動作を写しており、一句の落ち着いた色調にもふさわしい。
 ☆ 優れた注解です。「ひHI」音、「あA」音、「ゆYU」音がそれぞれ押韻しているので、18音中6音が、句の中で順に呼び合っています。最後の詩語を「あゆみゆく」としたことで、その動きを続けている姿が目に浮かんできます。


  猿どのゝ夜寒訪ゆく兎かな(さるどののよさむとひゆくうさぎかな)

注解引用◎「夜寒訪ゆく」といういかにも俳諧風の表現を童話風に当てはめているところがおもしろい。
☆ 詩心は感動する心だから、詩人は子ども心を忘れず失わない人だと私は思います。いつもしかめ面、厳しい表情をしていることが詩人の証ではありません。やわらかな心の明るさをも、蕪村が俳句で響かせていることを、私は心から尊敬します。


  待人の足音遠き落葉哉(まちびとのあしおととおきおちばかな)

注解引用◎ともかく人を待つ身の焦燥を微妙な感覚で表したこの句は、叙情詩としても逸品であり、落葉の持つ季題趣味からは完全に脱している。
 ☆この注解も優れています。恋の歌です。歌の叙情性は音楽性と結びついています。子音に隠れた母音だけを抜き出してならべてみると、AIIOO AIOOOOI OIAAAとなり、明るい母音の「アA音」、引き締める母音の「イI音」、少し沈む母音の「オO音」が感情の浮かび沈む、期待と不安のを奏でています。


  雪の暮鴫はもどつて居るやうな(ゆきのくれしぎはもどつてゐるやうな)

注解引用◎「居るやうな」という口語調の中に、鴫に対する優しい気持が感じられる。
 ☆ 日本人の心のあり方、会話の特徴は、論理的、断定的に言い切る言説ではなく、語尾を濁し、あるいは消音して言い切らないところにあります。島崎藤村は小説での会話にその特徴を意識的に活かしたと読んだことがありますが、この俳句も口語調で、その特徴を上手く活かしています。
 言い切らない曖昧さが、なんともいえない余情を句の後にも漂わせ、心に波紋をひろげ続けます。

  みどり子の頭巾眉深きいとほしみ(みどりごのづきんまぶかきいとほしみ)

注解引用◎「いとほしみ」といって「いとほしさ」としなかったのは、首尾に「み」を配して中七の「ま」に照応させる整調のためであろうし、また「いとほしむ」という動作の余情をとどめる表現効果が考慮されているとの解がよかろう。
 ☆ 優れた注解です。この俳句にも童心につながる詩人の心、美しい詩歌の源に必ずある人間の愛があります。蕪村は抒情詩人だったのだと、私はとても嬉しくなります。

  葱買て枯木の中を帰りけり(ねぶかかうてかれきのなかをかえりけり)

注解引用◎カ行音を主とした声調は、寒林の乾いた空気と淡白な心情を写し出している。
 ☆カ行音「か」「き」「け」「こ」の音が多く、特に四回あらわれる「か」の音が、よく響き、聞こえてきます。注解の通り、イメージの情景と響きとても合っている、乾いた音が心にエコーを重ねてゆくので、心象風景にも、象徴風景にも、高められて感じられます。俳句の、詩歌の力だと感じます。

 与謝蕪村の文学についてはより深く感じとる機会をつくりたいと考えています。次回は、小林一茶の俳句を見つめます。

出典:『日本の古典をよむ⑳ おくのほそ道 芭蕉・蕪村・一茶名句集』(2008年、小学館)

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tag : 与謝蕪村 童話 俳句 調べ 詩歌 詩人 高畑耕治

与謝蕪村、青春かおる。俳句の調べ(三)。

 『日本の古典をよむ⑳ おくのほそ道 芭蕉・蕪村・一茶名句集』(2008年、小学館)から、今回は与謝蕪村(よさ・ぶそん、1716~1683年)の俳句を前回に続き、見つめます。

 注解者は、山下一海(やました・かずみ、鶴見大学名誉教授)で、蕪村の俳句を多様な角度から照らし出し感じとり、特に俳句の調べ、音楽性にも言及していて、私は深く共感しました

 以下、俳句の調べについての注解がある句を中心に選び、私が好きな句を加えました。注解者の言葉の引用は、注解引用◎、の後に記します。私の言葉は☆印の後に印します。

  白梅や墨芳しき鴻臚館(はくばいやすみかんばしきこうろくわん)

注解引用◎異国趣味にふさわしく漢語を配し、「かんkanばしきこうろくわんkan」と韻を押した用意も注目したい。
 ☆ 水墨画のイメージには「はくばい」が「しらうめ」に比べふさわしく、恐らく「かんばBAしき」という詩語は、白梅の「ばBA」の音に呼び出されて選ばれたと感じます。詩歌の作者はイメージ、意味だけでなく、意識、無意識にこだまする音を探します。「かんkan」についても同じことが言えます。


  春雨や小磯の小貝ぬるゝほど(はるさめやこいそのこかいぬるるほど)

注解引用◎「小磯の小貝」のコの頭韻にいかにもこまやかな感じがあり、「ぬるゝほど」は、春雨のやわらかな感じをそのままに表している。
 ☆ 「ぬるゝほど」は「ぬるるNURURU」が母音「ウU音」の重なるリズムと子音N音の粘着感とR音の流動で、雨と海水を伝え、「ほどhOdO」は母音「オO音」が落ち着いた穏やかさを奏でます。イメージも鮮明に立ちのぼる句です。


  牡丹散て打かさなりぬ二三片(ぼたんちりてうちかさなりぬにさんぺん)

注解引用◎「牡丹散て」の迫らざる字余りが、厚ぼったい感じの豪華な花の散り方をよく表している。
 ☆ 「ぼたんbotaN」「三saN」「片peN」と隠れながら三回繰り返されている「んN」音が、調べに特徴を出していると思います。


  山蟻のあからさま也白牡丹(やまありのあからさまなりはくぼたん)

注解引用◎山蟻の黒色と牡丹の白色との鮮明な対照。十七音中ほぼ三分の二を占めるア段の音が明るく軽快に響く。
 ☆ 注解の「ア段の音」とは、子音に母音「アA音」が結びついた文字のことを言っています。順に抜き出すと、「やyA」「まmA」「あA」「あA」「かkA」「らrA」「さsA」「まmA」「なnA」「はhA」「たtA」と11文字もあります。蕪村の調べにあるこの音色に、萩原朔太郎は青春性の明るさを聴きとったのだと私は思います。私にとっても、「わび」「さび」と「老い」から離れた、この俳句の世界はとても新鮮です。


  三井寺や日は午にせまる若楓(みいでらやひはごにせまるわかかへで)

注解引用◎「日は午にせまる」の声調がとくに引き締まって力強い。
 ☆ 「わかかえでwAKAKAede」という詩語の母音アA音の明るさと子音K音の鋭い響きにも、光に翻る若葉のうすきみどりのイメージと溶け合い、その動く姿が感じられます。


  窓の灯の梢にのぼる若葉哉(まどのひのこずえにのぼるわかばかな)

注解引用◎三つの「の」の重畳(ちょうじょう)も、迫った気息(きそく)として瞬間的な実況にふさわしい。
 ☆重畳は、日本の和歌の調べの大切な要素、リズム感を生み出す、重ねて畳みかける押韻(同音のこだま)のことです。たとえば、上五を切れ字「や」で「窓の灯や」とすると断絶が生まれますが、「灯の」と「窓の」に重畳させたことで、続く詩句になだれこんでゆく勢いリズム感が生じて、離れた「のぼる」まで保たれて押韻と感じさせます。
 「わかばwAKAbA」「かなKAnA」も母音アA音と子音K音が明るくこだまして響いています。


  をちこちに滝の音聞く若葉かな(をちこちにたきのおときくわかばかな)

注解引用◎前半のタ行音と後半のカ行音とが交錯する韻律がことに美しい。
 ☆優れた注解だと感じます。母音と子音の響きに鋭敏に耳を澄ませています。タ行音の子音T音、
カ行音の子音K音が、o[Ti][ko][Ti]ni [Ta][Ki]noo[To][Ki][Ku] wa[Ka]ba[Ka]na、結びつく母音により音色を繊細に変えながら、交錯する韻律は、とても美しいと私も感じます。
 この二つの子音のリズム感のある弾ける響きは、意味・イメージの、滝の音、滝の水を、言葉の調べからも奏でています。

 次回も蕪村の俳句を見つめます。

出典:『日本の古典をよむ⑳ おくのほそ道 芭蕉・蕪村・一茶名句集』(2008年、小学館)

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tag : 与謝蕪村 俳句 調べ 詩歌 詩人 高畑耕治

与謝蕪村、音の美。俳句の調べ(二)。

 『日本の古典をよむ⑳ おくのほそ道 芭蕉・蕪村・一茶名句集』(2008年、小学館)から、今回は与謝蕪村(よさ・ぶそん、1716~1683年)の俳句を今回から三回、見つめます。
 
 注解者は、山下一海(やました・かずみ、鶴見大学名誉教授)で、蕪村の俳句を多様な角度から照らし出し感じとっていて、とても優れていると感じました。
 特に俳句の調べ、音楽性にも言及していて、私は深く共感しました。十七字と限られた詩型でも言葉の表現であるかぎり、何より詩歌である限り、音の美しさはいのちだと私も考えますので、確かめられたことを嬉しく思います。

 以下、俳句の調べについての注解がある句を中心に選び、私が好きな句を加えました。注解者の言葉の引用は、注解引用◎、の後に記します。私の言葉は☆印の後に印します。

  春の海終日のたりのたり哉(はるのうみひねもすのたりのたりかな)

注解引用◎「のたりのたり」は、(中略)海全体ののんびりした感じをいうものであろう。ものうい春の気分がそのままに表れている。
 ☆ この句の子音をとり母音だけをぬきだして並べると、AUOUI IEOUOAI OAIAA アウオウイ イエオウオアイ オアイ アアとなり、最後の2音以外は同じ母音が並んでいません。この変化が波のような浮き沈みを生んでいて「イI音」を最低部・底、「アA音」を最後部・波頭にして、揺れ動いています。


  菜の花や月は東に日は西に(なのはなやつきはひがしにひはにしに)

注解引用◎夕景を描くことは、そこに至る一日の昼間を思わせることである。この大きな明るさは、これまでの発句にはあまり見られなかったものだ。(中略)画家としての構成力でもあろう。
 ☆ 切れ字「や」までは母音「アA音」を重ねてまず歌いあげ、間をおいて主調の母音は「イI音」に転じます。対句「・・・はwA・・・にnI」の繰り返しが大きな抑揚を生みだしています。


  朝日さす弓師が店や福寿草(あさひさすゆみしがたなやふくじゅそう)

注解引用◎切れ字「や」が効果的で「福寿草」が生きている。
☆ 俳句独特の切れ字は、その後に間(ま)を生み、続く言葉への期待感を読者の心にかもしだします。その言葉が期待を裏切らない、期待を上回る鮮やかな驚きをもたらす詩語であるとき、感動が生まれると思います。
 作者の一人として、そのような読者に感動をもたらす詩語は、創作の時間にその言葉を見つけた作者自身が必ず感動している、と私は思っています。


  しら梅に明る夜ばかりとなりにけり(しら梅にあくるよばかりとなりにけり)

注解引用◎ラ行音を主として、調べもなだらかである。
 ☆ この注解はとても優れた感性によるものだと感じました。ラ行音を順に抜き出すと、「ら」「る」「り」「り」「り」で、子音R音と結びつく母音の変化A、U、I、I、Iが快い調べを織りなしています。


  うぐいすの啼やちひさき口明て(うぐいすのなくやちひさきくちあいて)

注解引用◎「や」の切字を受けた後半の声調は「ちiひiさきiくちiあいiて」とイ列音を並べたため、甘美で鋭い声音を伝えるようにも感じられる。
 ☆ 注解の言葉のとおりだと感じます。さらに子音のK音が「くKu」「きKi」「くKu」と三回鋭く声をほとばしらせています。


  二もとの梅に遅速を愛す哉(ふたもとのうめにちそくをあいすかな)

注解引用◎「二もとの梅に」とやわらかい和語の調べを打ち出し、続けて「遅速を愛す」と硬い漢語調に転じた曲節の抑揚は巧みであり、前書(まえがき)の「草庵」と響き合わす用意もあろう。
 ☆ 和語と漢語が織り交ぜる日本語の詩歌の可能性を教えられます。詩歌において和語は基本的には万葉以来表音言語、一音を一文字で表すので、歌い読む時間がかかり、ゆるやかです。漢語はこの句の「遅速ちそく」「愛あい」のように、一文字に二音を詰めることが多く歌い読む時間が早まることで強めもし、また漢字の字形は四角張っているので硬さを感じさせます。この句は、緩急、強弱も孕んでいます。

 次回も蕪村の俳句を見つめます。

出典:『日本の古典をよむ⑳ おくのほそ道 芭蕉・蕪村・一茶名句集』(2008年、小学館) 

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tag : 与謝蕪村 音楽 俳句 調べ 詩歌 詩人 高畑耕治

松尾芭蕉の破調。俳句の調べ(一)。

 俳句に対して私には、まず枯れた世界、抒情の乏しい老成した知性の世界、写実的絵画的でありえても言葉の音楽、調べの乏しい世界というイメージ、勝手な固定観念があったため、学校で名句を習ってからは、読み感じとることをしてきませんでした。
『奥の細道』はそのときから好きでしたが、その魅力は、俳文と一体となってのもので、十七字の発句だけでは文学として発する力は弱いのではないかと考えていました。芭蕉、蕪村、一茶の、好きな名句はありつつも。

 一方で、和歌から連歌、俳句、短歌、詩へと姿を変え受け継がれてきた詩歌の伝統の流れのなかで、連歌と俳句についての知識と感じとる力が欠落しているので、学びなおして読みとりたいという気持ちもずっとありました。ようやく今、その出発地点から私は歩き出しています。
 まず手に取ったのは、親しみやすい次の本です。
『日本の古典をよむ⑳ おくのほそ道 芭蕉・蕪村・一茶名句集』(2008年、小学館)。
 この本を、『奥の細道』、芭蕉の名句と読み進み、蕪村の名句を読み始め、私はとても驚き、感動しました。蕪村の俳句は彼が画家でもあり絵画的であること、また萩原朔太郎「郷愁の詩人」として彼の俳句の青春性、若さを好んでいたことは読んでしましたが、それ以上の発見があったからです。

 俳句の調べです。俳句にも和歌や短歌と同じように、言葉の音楽、調べがあるということです。
 与謝蕪村の項の解説者である山下一海鶴見大学名誉教授が、蕪村の名句の鑑賞の言葉のなかで丁寧に伝えてくれていました。
 俳句は、調べそのものの和歌の流れの下流に生まれた文芸なので、とても自然なことですが、十七字という限られた字数では、言葉の調べ、音数律に加えて、音色、韻、アクセント、抑揚を生むのは難しいから、俳人は調べには意をあまり向けていないと、私は思い込んでいました。

 山下一海は著書『芭蕉と蕪村』(1991年、角川選書208)「蕉蕪少々 三 切字の響き」でも、「俳句は歌うものではない」といい、山本健吉の言葉として「俳句は詠嘆する詩ではなく、認識し、刻印する詩である」と、俳句の本質を教えてくれます
 続く章「四 間(ま)」にかけての、切れ字と間(ま)についての考察は、言葉の韻律を捉え、とても優れていると思います。

 出典の本からまず、松尾芭蕉(まつお・ばしょう、1644~1694年)の三句の調べを聴き取ってみます。注解者は、井本農一(いもと・のういち、お茶の水女子大学名誉教授)、堀信夫(ほり・のぶお、神戸大学名誉教授)で、注解者の言葉の引用は、注解引用◎、の後に記します。私の言葉は☆印の後に印します。

  閑さや岩にしみ入る蟬の声(しづかさやいはにしみいるせみのこゑ)

☆ 私が芭蕉の俳句のなかでこの句がいちばん好きだった理由に気づきました。言葉の調べがイメージと溶け合って響いているからです。SIzuKaSaya IwanI SImIIru SemInoKoe。子音S音の息をかすれさせだす音が句のイメージそのものとなって響き、子音K音も音楽的です。母音はイI音が主調でこれも句のイメージそのものとなり調べを引き締めていますが、冒頭に重ねられた母音アA音は心の感動の明るさを柔らかく響かせています。美しいとあらためて感じました。


  櫓の声波をうつて腸氷る夜やなみだ(ろのこゑなみをうつてはらわたこほるよやなみだ)

注解引用◎ 深川芭蕉庵で敢て貧窮と孤独に耐える試練を己れに課した作者は、上五を思いきった破調にし、それによって世俗的欲望を捨てた自分の調子はずれな精神の律動をみごとに増幅してみせた。
☆ 定型の5音7音5音の十七音の、上五(最初の5音)を10音にしています。5音も字余りにした27音という、破格の破調で、歌としてとても魅力があります。5音を予測して読み進むと10音まで区切りがこないことに心理的な緊張間が生まれます。「なみNAMI」と「なみだNAMIda」、「こゑKOe」と「こほるKOOru」も響きあい、浮かび沈む調べの波、抑揚を生んでいます。


  旅に病で夢は枯野をかけ廻る(たびにやんでゆめはかれのをかけめぐる)

注解引用◎ 作者紹介:鈴木健一(学習院大学)から。『おくのほそ道』自体は推敲に推敲を重ね、旅から五年がたって完成したものの、その元禄七年に芭蕉は「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」の句を残し、五十一歳で没している。
 ☆ 有名な芭蕉の辞世の句ですが、調べに注意して見つめなおすと、この歌も上五が6音、1字字余りで重みを深めています。「やんでYaNde」と「ゆめYuMe」の子音Y音、N音とM音は親しく響きあい、「かれのKAreNo」と「かけKAKeMeguru」の「か」の畳韻をはらむ子音K音のこだま、N音とM音も親しく響きます。母音は、「たびtAbi」「やんでyAnde」「かれのkAreno」「かけめぐるkAkemeguru」と抑揚の波頭にアA音が光っているので、思いを遥かな方向に馳せさせる夢の明るさがあり、けして重く暗くありません。良い歌を最期まで詠んだ、芭蕉は凄さを思います。

 次回は、芭蕉を敬愛し学んだ、蕪村の俳句を見つめます。

出典:『日本の古典をよむ⑳ おくのほそ道 芭蕉・蕪村・一茶名句集』(2008年、小学館)

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tag : 松尾芭蕉 破調 俳句 調べ 詩歌 詩人 高畑耕治

新しい詩「十四歳。いのち、巣立ち。」 をHP公開しました。

 私の詩のホームページ「愛のうたの絵ほん」に、新しい詩「十四歳。いのち、巣立ち。」を、公開しました。
(クリックでお読み頂けます)。

詩「十四歳。いのち、巣立ち。」
  ・公園で ( 福島の同窓生に )
  ・さなぎのうた。はぐれアリの誇り。十四歳、家出。
  ・山鳩、巣立ちのうた ( ふるさと、福島の空へ )

 長い作品ですが、五つの詩篇を独立してもお読み頂けます。お好きな、お気持ちにあいそうな章を、お読みくだされば、とても嬉しく思います。

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tag : 詩人 高畑耕治 詩歌 新しい詩

歌を忘れた現代詩は、詩歌といえるか? 変体仮名(三)。

 詩歌が初めて書き記された記紀歌謡、万葉の時代から明治時代の後半までずっと、日本人は、歌物語も和歌も俳句も、(五十文字以上の異字体を混在させて)ひらがなだけで、書いてきた。言葉の音、調べの美しさを、詩歌にとって最も大切なものとする感性と伝統を育み受け継いできた、と前回記しました。では、現在はどうか? 今回はこのことを考えます。

 私が好きな詩人の八木重吉は、漢字をあまり使わず、ほとんどひらがなばかりの詩を多く書きました。彼の詩が美しく感じられるひとつの源にはこのことがあります。
 ひらがなでつづられた言葉は、一音一音を、読みとり聴きとらせるので、言葉の音楽となって響いてきます。彼の詩は、耳を済ませると美しい言葉の調べです。

 島崎藤村七五調の韻律は言葉の歌そのものです。単調さはありますが音数率と音色のゆたかな調べです。

 中原中也萩原朔太郎、言葉を深くみつめ感じたこの二人も、少年期から青年期に短歌に親しみ、詩に集中してからも、生涯、言葉の音楽性を意識し、言葉で歌うことに、こだわり続けました。

 宮澤賢治は詩で言葉の音楽を奏でるとともに、童話にも言葉の調べを息づかせていています。
 彼らは詩歌の本質、言葉の調べ、歌であることが詩歌の命であることを深く知り、表現しました。だから彼らの作品の言葉には、詩歌の豊かな伝統の清流のせせらぎと繋がる響きを感じます。

 短歌は和歌の流れそのものを受け継いでいるので、明治時代の与謝野晶子から現在に至るまで、言葉の音楽、抒情の調べを奏でる優れた歌人が美しい歌を生み出していると、私は思います。
 (俳句については今後とりあげ、別に書いていきます。)

 小説はもともと散文で言葉の音楽性に重きをおきません。伝統的にも和漢混淆文(わかんこんこうぶん)を受け、明治時代以降に翻訳造語を取り入れて、今もごつごつと生硬な姿です。批評も同じです、この文章のように調べは求めず、意味を伝達することをいちばんの目的としています。

 では、調べのゆたかな言葉が詩歌だという伝統を受け継ぎつつ、そのうえでさらに豊かなものを生み出そうと意識的に創作した近現代の優れた詩人の後、彼らに続き1945年敗戦の年以降に表現してきた詩人たちの作品は詩歌といえるでしょうか?
 言葉の音楽性、調べの豊かな歌を感じとれる詩はあり、優れた抒情詩人はいますが、あまり知られていません。一方で、政治思考と抒情性をまぜこぜにしたうえで全否定して断絶を宣言し現代詩を標榜する現代詩人の多くの作品は歌も調べも干からびていて、詩歌の豊かさも美しさも感じとれません。

 小説ほどの深い構成力も展開の魅力もなく、優れた批評の徹底した散文精神も持ちえず、翻訳詩のまねごとの行分け散文を、狭い仲間内の世界でもてはやさしあい乱造されすぎました。20世紀の後半は、詩の暗黒時代のように私は思います。
 時代が流れてゆき、数百年後の未来から振り返ったとき、この半世紀は良い詩歌が生まれなかった期間と、あっさり素通りされる気がします。

 詩歌が初めて書き記された記紀歌謡、万葉の時代からの和歌、歌物語、短歌、連歌、俳句、その美しさと感動を感じとれずに、おろそかにできるような奢る者に、心に響く詩歌は歌えません。
 言葉の音楽、調べの美しさ、歌であることが詩歌の本質であることは、これまでの二千年を超えた時代にも、これからの数千年間も、日本語で詩歌が創られ伝え合われる限り、変わることはありません。
 この事実に謙虚になったうえで、作品をそれでもそこから創ることができるなら、心の感動が言葉に宿る響き、詩歌が絶えることはない、それだけだと私は思い、創作しています。

次回からは、これまで私が深く感じとれなかった俳句の世界を訪れてみたいと思います。

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tag : 詩歌 詩人 高畑耕治 現代詩

歌物語も和歌も俳句も、表音の歌だった。変体仮名(二)。

 私は万葉の歌が、漢字で書かれていること、万葉仮名が用いられていることは知っていましたが、平安時代から明治時代後半までの長い時代に、日本語がどのように表記されてきたかということについての知識が、不十分だったことを今回知りました。

 漢字からひらがなが生まれたという最低限の知識はもっていても、明治時代後半、百年少し前までは、日本語の五十音それぞれに、異なる字母から生まれた複数の異字体、変体仮名があり、気ままに混在させて書き記されていたことを知りませんでした。

 このことを知った目で、古典や詩歌をみつめなおすと、次のようなことに気づきます。
 伊勢物語や源氏物語、古今和歌集から新古今和歌集、そして江戸時代の俳句に至るまで、日本の物語や和歌、短歌、俳句、文化の精髄が、表音文字で書き、読み継がれてきたということです。
 (文章の用途によっては異なるものもありますので、これは文学、詩歌に限定しての考察です)。

 毛筆で、漢字のくずし字で、多様な異字体を気ままに織り交ぜて、書としての美、文字の流れの美しさを視覚で伝えると同時に、表意文字としての漢字はほとんど使わず、あくまで一文字、一文字のくずし字は、五十音の一音、一音を表しています。
 藤原定家の直筆の和歌でも、漢字の持つ表意の側面は無視しています。あくまで五十音の一音を伝えるための道具として、くずし字を用いています。
 これは、表音文字である西欧言語、アルファベットと同じだということを意味します。
 
 表音である以上、書き手にも、読み手にも、一音、一音の言葉の音にたいする感覚、意識が強められます。まず、音を入り口、きっかけにして、書き手は言葉を選び、読み手は言葉を把握しようとするからです。
 このように音として言葉を敏感に感じつつ用いる表現の精髄が、言葉の歌、詩歌です。
 
 逆に、歌物語、和歌、俳句という、言葉の歌であることを生命とする文芸だからこそ、万葉仮名の時代から平安時代以降、明治時代の後半に至るまでずっと変わらずに、表音文字としての、ひらがな、くずし字で表記されてき続けたとも言えます。
 わかりやすく言うと、詩歌が初めて書き記された記紀歌謡、万葉の時代から明治時代の後半までずっと、日本人は、歌物語も和歌も俳句も、(ひらがな五十文字の字母以上にもっともっと多様な異字体を混在させて)ひらがなだけで(その音に耳を澄ませて)、書いてきた、ということです。
 
 このことは、言葉の音、調べの美しさを、詩歌にとって最も大切なものとする感性と伝統を育み受け継いできた事実を教えてくれると、私は感じます。

 一方で五十文字以上の異字体を混在させられるという字体の多様性は、文字の形の選択に大きな自由度を与えているので、くずし字の連なる流れの見た目の美しさ、書の美を深める可能性をもち続けたのだと思います。

 次回は、連綿と受け継がれてきた表音の歌、この視点から現代の散文化した詩を見つめなおします。

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tag : 歌物語 和歌 俳句 表音 変体仮名 詩人 高畑耕治 詩歌

古典、明治までの日本語がなぜ読めないのか。変体仮名(一)

 新古今和歌集や、源氏物語、伊勢物語など多くの愛する古典や、松尾芭蕉、与謝蕪村、小林一茶、夏目漱石の毛筆の直筆に、私は心から親しい気持ちを抱いてきましたが、最近まで読むことができませんでした。でも、前回紹介した次の二冊の本を学ぶだけで読めるようになりました。

 『入門 日本語のくずし字が読める本』(角田恵理子:つのだ・えりこ、2010年、講談社)。
 『実践 日本語のくずし字が読める本』(角田恵理子:つのだ・えりこ、2011年、講談社)。


 古典、明治までの日本語がなぜ読めないのか、ようやくわかりました。
 変体仮名を教わらず、知らす、学ばなかったからです。くずし字であることは毛筆を眺めれば誰でもわかります。また、ひらがな漢字の字体がくずれてできたことも学校で知識として教わり知っています。私もそれ以上は掘り下げ学ばずに、五十音のひらがなは五十の漢字をくずしてできたから、五十文字と思い込んでいました。ですので、五十の良く知っているひらがなが、毛筆で、くずし字で書かれた途端に読めなくなってしまうのが、不思議でした。

 今回上記の本で初めて知ったのですが、五十音のひらがな、たとえばそのうちの「は」の字母(もとの漢字)は「波」で、この形が崩れてこのひらがなになったのは似かよった字形からなんとなくわかります。
 大切なのはこれ字母以外に「は」の変体仮名(くずし字を同じく「は」と読ませる漢字)には、「者」も「八」も「盤」も「半」もあるということです。当然その文字のかたちは違います。

 平安時代から明治時代までの長い間、文字の書き手は、ひらがなの「は」という一音を表すのに、これらの字母が異なるくずし字を、教わり、覚えて、気ままに使い書いていました。
 五十音それぞれに、字母が異なる複数の変体仮名、くずし字があるので、そのことを知り、それらの字体を覚えなければ、古典も、短歌や俳句の短冊も読めるはずがなかったのです。
  
 書き手の好みや癖によって選ばれる変体仮名は違いますし、同じ書き手でも前後の文字との連なり、見た目の美しさや書きやすさで、同じ一音のひらがなを複数のくずし字を用いて、とても気ままに書いています。
 俳句一句、短歌一首のなかでさえ、同じひらがなの一音を、異なる変体仮名を混在させて平気で書いています。私にとっては驚きでした。

 参考に、たとえば次のウィキペディアの記事「変体仮名」で、変体仮名がどのようなものか、いつ、なぜ、学校で教えられなくなったかを、ご覧になれます。

 五十音の一音に一文字のひらがなを当てる1900年(明治33年)以降の教育は、おそらく識字率の向上に寄与したと思います。その反面、文化の断絶を生み、変体仮名を知らない世代は明治以前の文章を原文のままでは読めなくなりました。
 私は変体仮名が用いられていたことは最低限の文化の連続性を把握するための知識として学校で教えたうえで、変体仮名そのものは古典を読もうとする人が自分の意思で学べばよいと思います。

 日本語を用いて表現する者が、日本語をよく知らず、読めないのでは、その文化は根無し草、皮相で、うすっぺらなのではないかと、反省しています。

 次回は、変体仮名をとおして、日本の詩歌を考えます。

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tag : 古典 日本語 変体仮名 詩人 高畑耕治

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