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高畑耕治

Author:高畑耕治
愛のうたの絵ほんは、高畑耕治の詩と詩集の海です。
Profile 高畑耕治 たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪府四條畷市出身、早稲田大学政経学部中退。東京都多摩市在住。
詩集『銀河、ふりしきる』(2016年5月イーフェニックス)
詩集『こころうた こころ絵ほん』(2012年同上)
詩集『さようなら』(1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25)
詩集『愛のうたの絵ほん』(1994年同上)
詩集『愛(かな)』(1993年同上)
詩集『海にゆれる』(1991年土曜美術社)
詩集『死と生の交わり』(1988年批評社)
雑誌「エヴァ」に扉の詩(1996~1997サンマーク出版)を連載。
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ヘルダーリン『ヒュペーリオン』(一)。その名は美だ。

 今回から数回、ドイツの詩人ヘルダーリン(1770年~1843年)の長編作品『ヒュペーリオン』を見つめます。シラーやゲーテより若い世代で、フランス革命、ナポレオン独裁の時代が青春期でした。ノヴァーリスとも会っています。彼の詩と『ヒュペーリオン』の価値をシラーやゲーテは十分には評価せず、二十世紀にようやく再評価された詩人です。

 私は二十代で彼の作品を知り、とても感動しました。彼の詩については、次のエッセイで以前紹介しています。
     ヘルダーリン、愛の詩 
     ヘルダーリンの愛の祈り

 『ヒュペーリオン』は長編作品のため機会を逸してきましたが、読み返すことができた今やはり、とても好きだと感じて、その想いを深め伝えたいから、私はこの文章を書いています。

 今回は作品全体について想うことを記し、次回以降は作品の大きな流れのまとまりからテーマを掬い上げ、作品の言葉の飛沫のきらめきと、滴をあびて呼び覚まされた私の詩想を記していきます。

1.愛の詩人、愛の言葉であること

 『ヒュペーリオン』は書簡形式、手紙を束ねた、作品です。ですから、話者の想いそのものの流れで、抒情詩にかよいあうものがあり、直接心に言葉が飛び込んできます。
  特に、愛し合うふたりが、愛するひとに、直接語りかけ、思いを訴える手紙は、恋文、ラブレターそのものです。私は、人間が伝えようと言葉のうち、恋文ほど、切実な思いが込められた、強く心に迫ってくるものはないと思っています。同じほどの強さをもっているのは、死を前にした遺書と、死者への鎮魂の想いだけだと思います。

 ヘルダーリンが三十歳頃に書いたこの作品の言葉が、心に強く迫ってくるのは、彼が深く愛した女性への思いそのものを込め、その愛するひとにこそ、語りかけているからです。彼が愛した女性ズゼッテは、彼が家庭教師に赴いた家庭の夫人、4人の子どもの母親でした。 
 二人は引き離された後も逢瀬を重ねましたが、ズゼッテは不幸にも早世します。ヘルダーリンは深いショックを受け、心は彼女とともに亡くなったと感じます。その後の73歳までの彼は、精神の病の薄明をさ迷い続けました。

 『ヒュペーリオン』を捧げた、心から愛した女性ズゼッテがいなくなった世界など、彼はもういらなかったのだと、私は感じます。
 ふたりの豊かな愛の言葉の交感は、次回以降、ふれていきます。

2.美と永遠

 ヘルダーリンが天性の詩人だと感じずにはいられない、もうひとつの個性の強さ、それは、美と永遠を求めずにはいられない、彼の生来の資質です。彼の魂がとても美しく輝き出ている言葉を、『ヒュペーリオン』から今回の最後に引用します。

● 以下、出典からの引用

 おお、最高にして最善のものを知の深淵に、行動の喧騒に、過去の闇に、未来の迷宮に、墓のなかに、あるいは星のかなたに求めているきみたち、きみたちはその名を知っているか、一にして全なるものの名を。
 その名は美だ。

● 引用終わり。

 次回もヘルダーリンの『ヒュペーリオン』を見つめ感じとります。

出典:『ヒュペーリオン ギリシャの隠者』ヘルダーリン、青木誠之訳、ちくま文庫

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tag : 詩歌 詩人 高畑耕治 ヘルダーリン ヒュペーリオン

菊、白菊。鶏頭。すすき。秋、俳句の花(四)。

 秋の花の名を詠んだ俳句を見つめています。出典は『俳句の花図鑑』(監修:復本一郎、2004年、成美堂出版)です。入門書ですので、花の名にも俳句にも詳しくなくても、美しい写真を眺めながら楽しく読むことができます。
 俳人は季語として花の名をいつも意識するからでしょうか、季節の移ろいに咲く花の姿をとてもよく知っていて素晴らしいなと、私は素直に感じます。

 初秋から順に、出典にあげられたさまざまな俳句から私の心に響いた句を選び、いいなと感じたままの詩想を☆印の後に記します。

 秋の最終回は、三秋の花の名を詠み込んだ俳句です。

● 三秋

  有る程の菊抛(な)げ入れよ棺の中  夏目漱石

☆亡き人との最期の別れの時という、息が詰まる悲しみ感情の強さを、「なげいれよ」という命令形表現で強く響かせています。小説家でありながら漱石は、心、感情を知り、表現できた文学者だと、この句に改めて感じます。

  菊うらら翅(はね)あれば出て飛ばぬなき  篠田悌二郎

☆冒頭の詩句「菊うらら」は、短い表現で、いちめん咲きゆれている菊の姿を想い描かせてくれて、短詩形、俳句表現の力を感じます。
 特定の昆虫を言わずに「はねあれば」と、あらゆる翅ある昆虫をさして、浮かび上がるイメージは読者個々のイメージに委ねていることで、句の世界を自然の空間にまで大きく拡げています。読者は好きな昆虫を、蝶、とんぼ、バッタ、ミツバチなど、咲きゆれる菊の世界を飛び交う姿を自由に思い浮かべてしまいます。

  白菊とわれ月光の底に冴ゆ  桂信子

☆幻想的な世界、美しい抒情の句です。「月光」にふさわしい花「白菊」を選び咲かせた作者の感性の繊細さがこの句の命だと感じます。
 最後の詩句「さゆ」は、意味、イメージのうえだけでなく、その音「SAYU」も、月光と白菊のささやきのように、かすれ、澄み、優しく響きます。

  生けられし鶏頭のなほ静まらぬ  相生垣瓜人

☆花の感情を聴きとったような句です。鶏頭の赤の、わきあがる泉のような生命感を、描き出しています。生け花になりながらも、という場面が浮き立たせる、静と動、死と生の、対比が句に強さをもたらしています。

  をりとりてはらりとおもきすすきかな  飯田蛇笏

☆見た目とはちがったすすきの重さへの静かな感動にある愛しむ心がいいと感じます。とても音楽的な句です。
前半は「り」の三度の繰り返し、後半は「き」の二度のくりかえしが、「りrI」、「きkI」と変化しつつ母音イIの響きあいで連なる波を生み出していて、美しいです。
 また子音と織りなされているので目立ちませんが調べの快さを増しているのは、「をりとりOritOri」の母音オO音、「はらりhArAri」の母音アA音、「おもきOmOki」の母音オO音、「すすきsUsUki」の母音ウU音、それぞれの繰り返しです。とてもリズミカルで、日本語の母音の音色の美しさを伝えてくれます。

  芒の穂ばかりに夕日のこりけり  久保田万太郎

☆調べのうえでは「りrI」が快く、「にnI」、「ひhI」の母音イI音と、脚韻のように響きあい、細いさびしい詩情をかもしだしています。
 調べにささえられた、イメージ、情景が映像のように浮かびあがってきます。すすきの美しさがもっとも高まる瞬間を見事にとらえていて、美しい句です。

 ■ 出典:『俳句の花図鑑』(監修:復本一郎、2004年、成美堂出版)

 秋の俳句の花を見つめるエッセイは今回で終わりですが、どの句も秋の「美しさ」に感動する心を伝えてくれていて、俳句は素晴らしいな、花の句にこれからも出会いたいなと思います。

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tag : 俳句 詩歌 詩人 高畑耕治

詩誌『たぶの木』 8号をHP公開しました。

 手作りの詩誌『たぶの木』8号を、私のホームページ『愛のうたの絵ほん』に10月26日公開しました。
  
   詩誌 『たぶの木』 8号 (漉林書房)

 漉林書房の詩人・田川紀久雄さん編集・発行の小さな詩誌です。
 私は作品を活字にでき読めて、とても嬉しく思います。
 参加詩人は、田川紀久雄、坂井のぶこ、山下佳恵、高畑耕治です。ぜひご覧ください。

 なお、次回のブログ公開は10月29日(火)になります。秋の俳句の最終回です。


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tag : 詩歌 詩人 詩誌 たぶの木 田川紀久雄 坂井のぶこ 山下佳恵 高畑耕治

曼珠沙華、彼岸花。竜胆。金木犀。秋、俳句の花(三)。

 秋の花の名を詠んだ俳句を見つめています。出典は、『俳句の花図鑑』(監修:復本一郎、2004年、成美堂出版)です。入門書ですので、花の名にも俳句にも詳しくなくても、美しい写真を眺めながら楽しく読むことができます。
 俳人は季語として花の名をいつも意識するからでしょうか、季節の移ろいに咲く花の姿をとてもよく知っていて素晴らしいなと、私は素直に感じます。

 初秋から順に、出典にあげられたさまざまな俳句から私の心に響いた句を選び、いいなと感じたままの詩想を☆印の後に記します。

 今回は、仲秋の花の名を詠み込んだ俳句です。

●仲秋

  曼珠沙華(まんじゅしゃげ)抱くほどとれど母恋し  中村汀女

☆真っ赤なまんじゅしゃげの花を、摘み取り腕いっぱいに抱きかかえたときの感情が、最後の詩句「母恋し」にどっとあふれんばかりに流れ込んでいて、なつかしさとせつなさが響く、抒情詩です。
 「まんじゅしゃげ」という詩句の音には、子音M音、N音の密着する感じの音と、「ゆYU」音、「やYA」音の柔らかな音の響きがあって、この句の詩情にまるみ、優しさをもたらしています。

  むらがりていよいよ寂しひがんばな  日野草

☆赤く赤く群がり咲くほどに、なぜか寂しさがましてゆく、繊細な感受性を言葉にしています。花の呼び名も「まんじゅしゃげ」とせず「彼岸花」を選んでいるので、お彼岸の死者が意識されます。
 その響きも「HiganBana」の、子音H音の息のかすれる音(B音は、H音の濁音なのでHanaを意識させます)が、その前に置かれた句の感情「さびしSaBISI」の子音S音、母音イI音のかすれた細い息の流れにつらなり、音の花を咲かせています。

  竜胆(りんどう)は若き日のわが挫折の色  田川飛旅子

☆「若き日のわが挫折の色」、感傷の想いの深みから咲きだしたような句です。花言葉「あなたが悲しむとき私は愛します」、悲しみと愛をつつましく香らせる花の色を、とても新鮮に表現しています。
 「若き日のわがWAKAKIHInoWAGA」には「わか」、「わが」の変化した頭韻と、母音アA音とイI音の連なりと変化が、感情の高まり、想いの強さを、その頂点の「ざせつZASETU」に送り込みます。「ZA」「SE」「TU」の3音ともに強く息を吐き出す音で、調べの上でも波の頂点となり、つづく詩句「のいろ」の静かな落ち着いた響きに沈んで閉じ、句の後に余韻を生み出しています。

  月の出は金木犀の色にかな  永井東門居

☆色彩あざやかな、絵画のような句です。地平線近く上り始めたばかりの大きな丸い月の、赤みがかった黄色、
その色合いの美しさは、まさに金木犀の色だ、という発見の感動を、伝えたい、と響かせています。詠むと丸い月と金木犀の花のイメージが重なり交わりながら想いの空にのぼるような気がします。

  木犀をみごもるまでに深く吸ふ  文挟夫佐

☆女性ならではの繊細な感受性の句。花のいい香りを、胸いっぱいに深く吸い込む歓び、感動を、「みごもるまでに」ととても美しく表現しています。そのとき花の精、香りは、作者のからだの奥深くからだといったいとなって受精して、花の命が生まれでるようです。とてもいい句だなと感じます。

 ■ 出典:『俳句の花図鑑』(監修:復本一郎、2004年、成美堂出版)

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tag : 詩歌 詩人 高畑耕治 俳句

薄荷。紫苑。鳥兜。野菊。秋、俳句の花(二)。

 秋の花の名を詠んだ俳句を見つめています。出典は、『俳句の花図鑑』(監修:復本一郎、2004年、成美堂出版)です。入門書ですので、花の名にも俳句にも詳しくなくても、美しい写真を眺めながら楽しく読むことができます。
 俳人は季語として花の名をいつも意識するからでしょうか、季節の移ろいに咲く花の姿をとてもよく知っていて素晴らしいなと、私は素直に感じます。

 初秋から順に、出典にあげられたさまざまな俳句から私の心に響いた句を選び、いいなと感じたままの詩想を☆印の後に記します。

 今回は、初秋と仲秋の、花の名を詠み込んだ俳句です。

●初秋

  薄荷咲くうすむらさきの風匂ふ  今井千鶴子

☆「うすむらさきの風」という詩句が美しいと感じます。haKKaSaKU USUmUraSaKino KazenioU、穏やかな調べの基調には、母音のウU音の静けさと、子音K音と子音S音の、息がかすれる音が、かすかな風を感じとらせてくれています。

●仲秋

  廃園に紫苑(しをん)と佇(た)ちて恋ひわたる  秋元不死男

☆「廃園」というロマンの香る詩句で誘い込まれる世界には、紫苑が美しい女性となって隣に佇んでいて「恋ひわたる」という詩句で一気に抒情が立ち昇ります。遥かな美が開けています。
 十七文字という短い俳句には、知的に、枯れた、わびさびの文芸とのイメージを抱きがちですが、このような抒情詩、愛の物語をも紡げるという発見に、心から喜びを感じさせてくれる、とても好きな句です。

  鳥兜(とりかぶと)毒持ちて海の青透けり  加倉井秋

☆「毒もちて」という句がかもしだす負、醜、怖、闇のイメージの強さが、続く「海の青透けり」の、正、美、喜び、光のイメージを、際立たせています。花びらに海の美しく透きとった世界が浮かびあがってくるようです。

  今生は病む生なりき鳥兜  石田波郷

☆毒をもつことを生まれながらに宿命づけられた花と、人間として生きることの性を、語り合っているように感じる句です。生きることは、病んでいることかもしれない、悲しみの問いかけに、私は染められます。

  心急き歩み遅るゝ野菊濃し  星野立子

☆句が表象するものは、読者によって変わると思います。イメージより私は言葉の音楽、調べに惹かれる句です。
 「こころKOKORO」の母音オO音の繰り返し、「せきせsekI」と「こしkosI」は子音I音と詩句の後に無音の間の強さで脚韻を感じさせます。「おくるるokURURU」にも音の快さがあります。
 「野菊濃し」という短い詩句は、作者の眼に強烈に焼きついた花の姿への強烈な印象、感動からこの句が生まれたことを教えてくれます。

■ 出典:『俳句の花図鑑』(監修:復本一郎、2004年、成美堂出版)

  次回も、美しい俳句の花を見つめます。

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tag : 詩歌 詩人 高畑耕治 俳句

朝顔。女郎花。男郎花。蕎麦の花。露草。秋、俳句の花(一)。

 今回からの数回は、秋の花の名を詠んだ俳句を見つめます。出典は『俳句の花図鑑』(監修:復本一郎、2004年、成美堂出版)です。入門書ですので、花の名にも俳句にも詳しくなくても、美しい写真を眺めながら楽しく読むことができます。
 俳人は季語として花の名をいつも意識するからでしょうか、季節の移ろいに咲く花の姿をとてもよく知っていて素晴らしいなと、私は素直に感じます。

 初秋から順に、出典にあげられたさまざまな俳句から私の心に響いた句を選び、いいなと感じたままの詩想を☆印の後に記します。

 初回は、初秋の、花の名を詠み込んだ俳句です。

● 初秋

  朝顔やおもひを遂げしごとしぼむ  日野草城

☆朝顔のしぼんだ姿には心に残るものがあります。すこしねじれて悲しげでありながら、咲いたという満足感を漂わせているようにも感じます。
 「おもひを遂げし」は直接的には花開いたことを指していますが、私には言葉にされない余韻として、男女の交わり、契りを遂げたという連想が、香りのように漂っているように感じられます。

  女の香放ちてその名をみなえし  稲垣きくの   

☆風にゆらめく女郎花のやさしくやわらかな姿から、美しい女性の香りがほんのりたちのぼってきて、姿が重なって浮かび見えるようです。この花の名と姿が結びつく人には、色彩に加え立ち昇る香りにも包まれ、優しい気持ちにさせてくれる句です。

  女郎花少しはなれて男郎花(おとこえし)  星野立子 

☆花は自然に女性を想い起こさせます。結びつきにくい花と男性のイメージが、この句では、とても女性らしい女郎花のすぐそばにいる恋人の男性というイメージで心に咲きます。男女を、恋を歌うとき、詩歌はありのままの姿でとても自然な姿で美しく咲きます。
 「おみなえし」と「おとこえし」という変化して繰りかえされ言葉の音も、呼び求め合う男女の心を奏でています。

  秩父路や天につらなる蕎麦(そば)の花  加藤楸邨

☆「天につらなる」という詩句が美しい句です。「秩父路や」には、旅愁、その地への愛着の想いが伝わってきます。ずっと向こうまで続く白い花のささめくじゅうたんを歩いて空に登っていけるような、広がりと奥行きある風景が、心を遥かな果てまで広げてくれます。

  露草の露千万の瞳かな  富安風生

☆露草に宿る露のしずくたちが、瞳となってひかり、瞬く美しい感動が、「瞳かな」という静かな詠嘆となってふるえています。好きだなと感じます。
 「露」と「の」の繰り返しが、文字の形と音の両面で、句に鼓動、リズム感を生み出しています。

 ■ 出典:『俳句の花図鑑』(監修:復本一郎、2004年、成美堂出版)

 次回も、美しい俳句の花を見つめます。


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tag : 俳句 詩歌 詩人 高畑耕治

神谷恵の小説。信仰、問い、土着、いのち。

 小説家で詩人の神谷恵(かみや・めぐみ)短編、掌編小説が少しずつですが、彼女のブログサイトで公開されはじめています。

     「天上に吹く風」(カテゴリ:小説) (クリックでお読みになれます)。

 彼女の小説の個性を私なりにお伝えすると、三浦綾子、遠藤周作、シモーヌ・ヴェーユの、クリスチャンとしての信仰と問い、石牟礼道子の土着からの社会への眼差しといのちの表現、その良いところが織り混ぜられているように、感じたりします。

 九州の天草の地から、すさまじい闘病生活をされつつ、発信されています。

 これまでは文芸誌『糾(あざな)う』でしか読めませんでしたので、彼女の作品の輝きに触れうる場が広がったことを、私はとても嬉しく思います。
 小説がお好きな方、この紹介記事で何かしら感じることを持たれた方は、ぜひお読みください。心に鳴り響く余韻が消えない、小説です。


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tag : 詩歌 詩人 高畑耕治 小説 神谷恵

新しい詩「みあげたら」をHP公開しました。

 私の詩のホームページ「愛のうたの絵ほん」に、新しい詩「みあげたら」を、公開しました。

   詩「みあげたら」   (クリックでお読み頂けます)。

お読みくださると、とても嬉しく思います。


 ☆ お知らせ ☆

 『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。
(A5判並製192頁、定価2000円消費税別途)
☆ 全国の書店でご注文頂けます(書店のネット注文でも扱われています)。
☆ Amazonでのネット注文がこちらからできます。
    詩集 こころうた こころ絵ほん

 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。
絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
    こだまのこだま 動画  

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tag : 詩人 高畑耕治 詩歌

新しい詩「惑星」をHP公開しました。

 私の詩のホームページ「愛のうたの絵ほん」に、新しい詩「惑星」を、公開しました。

   詩「惑星」   (クリックでお読み頂けます)。

お読みくださると、とても嬉しく思います。


 ☆ お知らせ ☆

 『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。
(A5判並製192頁、定価2000円消費税別途)
☆ 全国の書店でご注文頂けます(書店のネット注文でも扱われています)。
☆ Amazonでのネット注文がこちらからできます。
    詩集 こころうた こころ絵ほん

 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。
絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
    こだまのこだま 動画  

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tag : 詩歌 詩人 高畑耕治 惑星

詩人・尼崎安四。どのように詩を創るか。

 詩人の尼崎安四と俳人の山田句塔を中心にエッセイを記してきました。そのまとめとして前回は、尼崎安四の手紙の言葉から、詩とは何か、記しました。

 今回は、尼崎安四を師と仰ぐ詩人・諫川正臣の文章を通して、彼がどのように詩を創作したかを見つめ、創作方法について私の考えを記します。

● 以下、諫川正臣の文章、詩誌「黒豹」119号編集後記からの引用です。

★ 安四は詩を批評する時、真剣な表情になった。一行ごとに、一字一句に到るまで丁寧に検討を加え批評した。
詩の言葉として適切でない場合はその理由を克明に説明し、それには説得力があった。併しどのような言葉で作り直せばよいかという実例は殆んど示さなかった。それは自分で考えよということだ。一度書き上げた作品で詩の言葉として不適切な部分を見出し、適切な言葉に置き換えるという作業を繰り返すことによって試作の力が養われる。自分では適切な言葉になったと思っても、なお思い入れが強いため客観的には不充分であることが多い。
日数を置いて何度も見直し書き直すことによって詩の言葉が会得されるのだと思う。「詩は感動した時に作ったものでないと迫力に欠けるのではないか」と安四に聞いたことがある。すると「詩は心で書くものだから、仕上った時がその人のその時の詩の心だ。何年かかってもいい」とのことであった。安四の「蛇」という詩は、二冊のノートを費し、一年がかりで完成された。書き始めた時の作品とは全く違うものになっていた。その作り変えられていく過程を具に見聞できたことは幸いであった。(略)
(諫川正臣の文章、詩誌「黒豹」引用終わり)●

 この文章には、大きく二つの主題がありますので、それぞれについて、記します。

1 詩の批評と修練

 安四は「真剣な表情」で、「一字一句に到るまで丁寧に検討を加え批評した。」「どのような言葉で作り直せばよいかという実例は殆んど示さなかった。それは自分で考えよということだ。」

 詩に向き合う態度として私は深く共感します。文学のさまざまな表現形式のうち、詩は最も「一字一句」を丁寧に選択することに拘り、創りあげる芸術です。前回記しましたが、言葉で表現できる要素すべてを最大限に生かせるように、詩句を織り上げていくのが詩の創作です。

 作り直す場合の実例を殆ど示さなかった、という姿勢にも私は共感します。言葉を見つけ出していく行為そのものが詩作なのだから詩句を差し出してしまったら、代作をしたことになります。創作過程で作者自らが探し出した詩句にだけある息吹、魂が、与えられた言葉にはありません。

2 詩の心、感動

 「詩は感動した時に作ったものでないと迫力に欠けるのではないか」と安四に聞いたことがある。すると「詩は心で書くものだから、仕上った時がその人のその時の詩の心だ。何年かかってもいい」とのことであった。

 安四のこの創作方法についても、私は深く共感します。詩人それぞれの独自の創作方法で生まれる多様な姿の作品があるのはいいことだと考えていますが、安四のこの言葉には、どのような詩であれ、詩になくてはならないものが語られています。

 「詩は心で書くもの」、そうだと私も思います。そして、「仕上った時がその人のその時の詩の心」、完成の瞬間です。これも創作の真実を伝えてくれていると思います。「何年かかってもいい」、この言葉には拡がりがあります。何年かかかってようやく完成、その詩の心を見出せる作品もあれば、短い時間でその詩の心が現れ完成する作品もあり、そちらも否定はしていません。

 安四が前回紹介した手紙で、第一級の芸術としてリルケの『ドゥイノの悲歌』松尾芭蕉の句を挙げていることからもわかるように、試作品の文字数・行数の長短は、創作時間の長短と、あまり関係がありません。例えば、松尾芭蕉や種田山頭火の作品には、短時間に読みあげたと同時に詩の心を響かせた句もあれば、何年もの年月をかけてその詩の心を見つけ完成した句もあります。

 このことは私の作品にもあてはまります。十年かかった作品もあれば、一日で生まれた作品もあります。そのことと、どちらが優れているかは、直接のつながりはありません。

 同じことはもう一点、完成するまでの作品の姿の変化についても言えます。私にも、短い時間、瞬間にあふれでた詩句がそのまま詩の心、完成である作品もあれば、引用の文章にあるように、最初とは全く違う姿で、作者の詩の心を響かせる作品もあります。ここにも優劣はありません。

 どの作品についてもいえるのは、作者にとっては、完成した、詩の心を響かせえた瞬間の、作品の産声はかけがえのないものということです。どんな非難を浴びようと、無視されようと、自分だけは必ず守り抜くと心に誓う、命を灯してくれた、かけがえのない子どもだから、作品を愛さずにはいられません。

 二回にわたり見てきましたが、尼崎安四は、詩の本質と真実を深く理解し、詩を心から愛してやまなかった、本物の詩人だと、私は思います。詩は、感動、心で書くもの、一番大切なことを教えてくれる人だからです。

 最後に、彼の詩を引用して紹介した過去のエッセイをもう一度リンクします。彼の作品のうち、私がもっとも好きな詩、心の花を咲かせています。

   詩人・尼崎安四(一)。詩はいのちの生き様。
   詩人・尼崎安四(二)。詩は愛。


■ 出典:諫川正臣 詩誌「黒豹」119号 編集後記。『哀歌・戦友』細井冨貴子「季刊銀花」第75号。

 次回からは、秋の俳句の花をみつめていきます。


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tag : 尼崎安四 詩人 詩歌 高畑耕治

詩人・尼崎安四の手紙。詩とは何か。

 詩人の尼崎安四と俳人の山田句塔を中心にエッセイを記してきました。

 そのまとめとしての二回は、尼崎安四の詩についての考え、詩と向き合う姿を見つめながら、私の詩想を書き添えていきます。

 まず今回は、尼崎安四の詩についての考えが鮮やかに要約されている、彼が山田句塔へ宛てた手紙を引用したうえで、私の詩についての詩想を記します。出典は、細井冨貴子『哀歌・戦友』「季刊銀花」第75号です。

● 以下、引用
「(前略)・・・・・・私は『写生的なもの』には感動できないのです。感覚を表面的に刺激させられて、刺激したものを素朴に写生するのは芸術ではないとは言えないかも知れないが、第一級の芸術でないことはたしかだろうと思います。第一級の芸術は外物の反射ではありますまい。暗い虚無の如き魂の深淵から流れ出てくる『歌』或いは諧調のある『叫び』だと考えます。そして、この内部からの歌が、象徴となり、形をもつ時、音楽となり、詩となるのではないでしょうか。音と意味との響き合い、思想の連続、文字の形態、印象の織りなす美感、こうした外観を支える内側の『歌』が、『写生的なもの』には感じ難いのです。私の言い方が拙いので判りにくいでしょうが、どうかリルケの『ドゥイノの悲歌』や、芭蕉の句を読んで私の意のある所をご賢察下さい。・・・・・・(後略)」。(引用終わり)●

 手紙での短い文章ですが、詩とは何か、言い尽くして、私は深い共感を覚えます。その要点について、順に記してみます。

1 感動、第一級の芸術
 彼にとって、詩は感動できるもの、そして第一級の芸術、だったことがわかります。感動できないものは、第一級の芸術ではない。このことに私は彼が詩を深く愛していたこと、そして第一級の芸術を創作することへの意思と誇りを感じます。私にとっても、詩は感動であり、芸術です。

2 歌、諧調のある叫び
 彼にとって、詩は暗い虚無の如き魂の深淵から流れ出てくる『歌』或いは諧調のある『叫び』、内部からの歌でした。魂から流れ出てくる歌、詩の本質だと私は思います。叫びであっても詩として高められた表現には、諧調、調べが必ずあります。言葉の歌です。
 
 戦後以降のいわゆる“現代詩”は、このいちばん大切なことを傲慢に否定し疎かにしてきたので、干からびました。詩を愛する多くの方々の素直な心が、近代詩、与謝野晶子、金子みすゞ、宮澤賢治、中原中也、萩原朔太郎、高村光太郎、八木重吉、彼らの詩にいまも感動しながら、“現代詩”には感じとれません。書き手が詩の本質、心、感動から作品を生み出さず、生み出せずに、驕っているからです。そのような“現代詩”には私は魅力も良さも感じません。

3 感覚と感動
 この本質を浮き立たせるために対比する例として彼は、『写生的なもの』、感覚の表面的な刺激を素朴に写生すること、外物の反射、をあげ、第一級の芸術ではないといいます。なぜか? 私は次のように思っています。

 感じとることは詩の入り口ですが、表面的な刺激を感覚で感じるのは、人間以外の他の動物もしていることです。その感覚が強いものであり人間だけがもつ魂、内面世界の深みまで達し、魂の海を波立たせ揺り動かし、作者個人の表現せずにはいられない想い、歌、叫びとして、あふれ出るとき、その表現こそまさに、感動です。

 感覚の繊細さと、感受性の豊かさは、外界との接触点、個性への入り口です。受けとめたものを、魂、内面で浄化し高めた表現とすることが、創作活動、第一級の芸術、感動は他の人間の魂の海に、感動の波立ちを引き起こします。

4 内部からの歌をつつむもの
 内部からの歌、諧調のある叫びを、息づかせる外観、詩となるための形として、尼崎安四は次のものをあげています。
象徴性。音と意味との響き合い。思想の連続。文字の形態。印象の織りなす美感。これらは第一級の芸術としての詩であるために必要な要素を網羅していますが、私は次の点を強調したいと思います。

 まず、音と意味の響き合い。言葉の音と意味を大切に響きあう詩句を選び取ること、
 言葉の音、調べには、音色、リズム、強弱、緩急、押韻があります。散文と詩をわかつのはこの音楽性です。

 言葉の意味を捨てないこと。人間の言葉だけがもつこの一番の本質的な要素を“現代詩”は軽んじ、疎かにしました。このことが詩をとても貧しくしています。音楽にとっての音、絵画にとっての色、文学にとっての言葉の意味。意味の非連続な組み立ての言葉遊びを創作と勘違いしてもてはやす流行が続きましたが、コンピュータにさせることができる並べ替え作業にすぎません。

 言葉の音と意味の響き合いで、美感を織りなすことが、人間だからこそできる、芸術の創作です。

 これ以外の、象徴性、思想の連続、文字の形態、印象の織りなす美感、も大切です。これらすべての言語にできる表現要素を、最大限に生かすことで、内部からの歌を高めて芸術作品とするのが、詩の創作です。

 尼崎安四のこの手紙の言葉には、詩を深く愛する人間が、謙虚に、詩を見つめていて、私は心打たれます。詩が好きだという想いが強められ、嬉しく感じます。

■ 出典:細井冨貴子『哀歌・戦友』「季刊銀花」第75号。

 次回は、尼崎安四がどのように詩を創作したか見つめ考えます。

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新しい詩「秋、好き」をHP公開しました。

 私の詩のホームページ「愛のうたの絵ほん」に、新しい詩「秋、好き」を、公開しました。

   詩「秋、好き」   (クリックでお読み頂けます)。

お読みくださると、とても嬉しく思います。


 ☆ お知らせ ☆

 『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。
(A5判並製192頁、定価2000円消費税別途)
☆ 全国の書店でご注文頂けます(書店のネット注文でも扱われています)。
☆ Amazonでのネット注文がこちらからできます。
    詩集 こころうた こころ絵ほん

 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。
絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
    こだまのこだま 動画  

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tag : ちいさなうた 詩歌 詩人 うた

『定本尼崎安四詩集』と山田句塔、上田三四二、弥生書房。

 詩人・尼崎安四と彼の詩を、世に伝えようとした戦友、友人のことを前回に続き記します。

 自由律俳句の俳人・山田句塔もその一人、安四の戦友です。
 句塔は自分が主宰した雑誌「いずみ」(1968年・昭和五十三年四月に第一号、1988年・昭和六十三年二月・終刊号)の「終刊の御挨拶 山田利三」でその思いを次のように記しています。細井冨貴子『哀歌・戦友』「季刊銀花」第75号から引用します。

● 以下、引用
「(略)・・・・・・本誌発行の目的は第一に、詩人尼崎安四の顕彰にありました。『定本尼崎安四詩集』の発刊に伴ない、(中略)本誌創刊の意図もある程度果たすことが出来たものとして、本号を以て一応終刊といたします」(1987年・昭和六十二年十二月)。(引用終わり)●

 ここに挙げられている『定本尼崎安四詩集』は、山田句塔や詩人・諫川正臣の尽力、そして弥生書房・津曲社長の意思で刊行されました。
 
 今回も少し長い引用となりますが、出版の背景が記された諫川正臣の文章と、その中に挿入紹介されている歌人・上田三四二の文章を引用します。友人と出版社社長の、この詩集の刊行実現に込められた想いの強さと、情熱、意思に、私は心打たれ、尊敬の念を覚えます。

● 以下、諫川正臣の文章、詩誌「黒豹」132号編集後記からの引用です。

★ 『定本尼崎安四詩集』の在庫が遂に無くなった。今後入手するには古書店で探すしかないだろう。本詩集の出版の経緯については既刊百十九号の編集後記に記載したのであるが、再度記載させていただく。句集や歌集の出版で名の通った弥生書房の故・津曲篤子社長は、安四の数編の詩を見ただけで「是非出版させてほしい」と出版を快諾された。三十年近く前に他界した無名の詩人の詩集を、自費出版ではなく、引き受けるというのは希有のことであった。津曲社長に話をもちかけたのは、安四の戦友で俳人の山田句塔氏だった。山田氏は自分の主宰する随筆誌「いずみ」を通して、生涯に亙り安四顕彰に努めた。この事は「既刊銀花」第七十五号に、『哀歌・戦友』と題して細井冨貴子氏が詳述されている。安四の詩集は本来もっと早く世に出すべきであったが、私が非力なため富士正晴氏に相談し、専ら野間宏氏の力に頼っていたが、なかなか埒があかなかった。大体、詩集はそう売れるものではないし、まして無名ともなれば、採算がとれないと考えるのも無理なからぬことである。兎に角、安四の詩は文句なく素晴らしいが、二つ返事で引き受けられた津曲社長も実に素晴らしい眼力の持ち主であったと思う。

★ 歌人の上田三四二氏が、一九八七年の群像三月号の巻頭に『詩人』と題して安四の詩を取り上げ、大いに評価している。「蛇の死」「微笑」「死の微笑」「お母さん泣くのはよして下さい」「魂は賎しい顔つきをして」「バリの踊娘」「夜襲行」「火砲」「微塵」などを特筆している。以下『詩人』の冒頭の部分を引用させていただく。

 ■ 上田三四二のエッセイ『詩人』からの引用。
 世の中にはすくなくとも一人、自分そっくりの人間が居るという。そっくりというのではないが、尼崎安四の生涯を年譜に読んだとき、前方を歩いて行く自分の背中を見るような気がした。彼はひっそりと霧の中から来て、霧の中に消えていった。ほとんど無名に近かったこの詩人は、二冊の未刊詩集『微笑みと絶望』『微塵詩集』を遺して昭和二十七年に満三十八歳十ヵ月で死んでいる。白血病であった。初めての詩集『定本尼崎安四詩集』が世に出たのは、それから三十年近くたった昭和五十四年のことである。その年の秋に『愛のかたち』という評論集を出したのが縁で、版元である弥生書房の津曲社長が「こんな本がありますよ」といってくれたのが、『定本尼崎安四詩集』だった。珍しい名の、聞いたことのない詩人であったが、ページを繰って、惹きつけられるものを感じた。A5判、箱入、百ページそこそこのおとなしいつくりの本である。出版から四ヵ月が経っていた。「売れますか」と訊いてみた。「― 売れません」女社長は静かな声でこたえた。(上田三四二のエッセイ『詩人』引用終り)■

(諫川正臣の文章、詩誌「黒豹」引用の続き)
 篤子社長が他界されて平成二十年に出版部門は廃業となり、ご息女が在庫本の管理をされていた。このところ購入希望者が多くなっていたので、在庫がいつ切れるかと心配していたが、遂にその日が来てしまった。購入していただいた多くの方から感謝の礼状をいただいた。津曲篤子氏のご厚情に深謝する次第である。
(諫川正臣の文章、詩誌「黒豹」引用終わり)●

 歌人の上田三四二の短歌については、エッセイを書いていますので、お読みいただけると嬉しく思います。
   上田三四二の短歌(一)。一日一日はいづみ。
   上田三四二の短歌(二)散文化した時代と、歌。
   上田三四二の短歌(三)意味とイメージと音色とリズムは溶けて。
   上田三四二の短歌(四)。山の稜線のような乳房のまるみのような。
   上田三四二の短歌(五)あふれでる詩想の泉。

 尼崎安四の詩の素晴らしさを感じとれる眼力を備えた歌人であったことは、彼の短歌を読むと、私にはよくわかります。
 二人の詩心、詩歌を深く愛する魂が、木魂しあったのだと思います。安四が存命できていたなら、必ず上田三四二の短歌の良さを感じとれたと私は思います。

 詩歌に垣根は本来ありません。詩歌を愛する者は、俳句も短歌も詩も、その詩心が偽りない真実を奏でていさえすれば、感動を感じます。上田三四二のエッセイはこのことを思い出させてくれます。

 戦後に詩を書いた著名な人たちが、狭い「現代詩」のサークルに閉じこもり、詩歌の豊かさ、詩心を感じとる力を失い、尼崎安四、森英介という、詩人のなかの詩人を見出すことも評価することもできなかったこと自体が、その貧困さを晒しています。
 マスコミの奢った、権威付けされたものにだけ寄りかかる心のない流し書きや宣伝文句を洗い流して、詩が好きだというただそれだけの純な詩心で見つめれば、詩歌は再び輝き響きだします。

 次回は、尼崎安四が山田句塔にだした手紙をとおして、彼の詩想を感じとります。

■ 出典:諫川正臣 詩誌「黒豹」132号 編集後記。細井冨貴子『哀歌・戦友』「季刊銀花」第75号

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詩人・尼崎安四。一兵卒として。戦友、戦後。

 俳人・山田句塔の自由律俳句を二回にわたり感じとりました。今回は、彼の戦友であった詩人・尼崎安四について記します。

(尼崎安四と彼の詩については、次のエッセイでも紹介しています。ご覧いただけたら、嬉しく思います。  
   詩人・尼崎安四(一)。詩はいのちの生き様。  詩人・尼崎安四(二)。詩は愛。)。

 最初に、心を深く打つ彼の詩「お母さん泣くのはよして下さい」の詩行「あなたの子供はほんたうに正直に生き抜いてきました」そのままのように、彼の人間性を想わずにはいられないエピソードを、細井冨貴子『哀歌・戦友』「季刊銀花」第75号から引用します。

● 以下、引用
 彼は京都大学をとうとう卒業しなかった。卒業試験の日、涼香と富士正晴が彼の腕をつかんで大学へ連れていき、教室に入るまで見届けたのだが、彼は別の扉から遁走してしまった。大学を卒業すると軍隊に入って将校になれるのだが、安四は戦争に反対で、将校のような責任者で戦争するのがいやだったのだろう。
(引用終わり)●

 安四は一兵卒として従軍しました。戦場で死への行動を兵卒に命じる将校を忌避して、命ぜられる一兵卒でいました。これは死の危険に自らを晒す行為です。死を覚悟して出征したと思います。
 それでも反対する戦争で弱者に死を命ずる立場をとることをよしとせず、「ほんたうに正直に」生きようとした彼の生きき方を、私は心から尊敬します。
 そのような彼だったからこそ、芸術を愛し深く理解しあった戦友たちも、彼を死と仰ぐ詩人も、自分の生涯をかけて、彼と彼の詩を、世に伝えようとし続けてきたのだと、私は感じます。

 詩人・諫川正臣は、主宰する詩誌「黒豹」で、詩の師と仰ぐ尼崎安四のことを伝え続けてきました。今回の私の一連のエッセイはすべて、この詩人がお伝えくださった資料に基いています。その情熱と意思、込められた思いに感じて、少しでも伝えることができればと、書いています。

 次の記事には、尼崎安四の戦場での姿と、戦後の姿、病気で亡くなった後に戦友たちがどんなに彼を想い尽力したかが伝えられていて、心打たれます。少し長い引用となりますが、記録の意味でも書き伝えたいと願います。

● 以下、諫川正臣の文章、詩誌「黒豹」133号編集後記からの引用です。

★ 尼崎安四は戦場でも多くの詩を書いたが、三人の戦友がそれぞれに書き写して復員し、安四の詩の顕彰に努めた。境港市の佐々木謙氏は謄写印刷の手作り詩集を昭和四十一年に発行している。詩二十六篇と漢詩五作品を掲載。本号掲載の「きよに」のほか、『定本尼崎安四詩集』の作品、「雪の書物」「雪の面輪」「竹」「バリの踊り子」「火砲」「夜襲行」「蓮の歌」が殆どそのまま掲載されている。その冒頭に記された佐々木氏の序文を掲げたい。

■ 佐々木謙氏の序文の引用
 「昭和二十年七月 敗戦前夜の濠北戦線ケイ群島フィシタンの陣地にあって、戦友尼崎安四と詩を論じた。彼は自らの過去を語ることが好きではなかった。生まれは京都、大学は法科とか。彼にも何か『人間の条件』の主人公に似た過去があったと見えて、部隊幹部から睨まれたインテリ兵士であった。私とはケイ群島で、原住民指導班としてナデ部落に二人だけで住んだのが縁で親交をふかめた。明日知れぬ戦陣、その激動の中になお詩を捨てず、この詩集は彼が密林の中で私の手製のノートに烏賊の墨で書いたもの。復員帰国の後、消息が不明、一時岡山蓮台寺に居たといい、やがて不遇のうちに世を去ったともいう。こよなく美しいこの詩集に私は“雪の面輪”と銘した。彼もまた南島に雪を恋うた兵であったからである。 昭和四十一年八月 佐々木 謙」
(序文引用終わり)■

(諫川正臣の文章、詩誌「黒豹」引用の続き)
なお、佐々木氏は考古学者と伺って居る。この詩集の「きよに」には題名がなく、詩の前に「君待つとわが恋居ればわが宿の簾うごかし阿騎の風吹く 額田王」があり、詩の後に「風をだに恋ふるは羨し風をだに来んとし待たば何か歎かん 鏡王女」が掲げられているが、安四自身の編集した詩集『微笑と絶望』の「きよに」にはこれが無い。安四自身も戦場で作った詩を持ち帰ったと思うが、殆ど捨てたと聞いたことがある。『定本尼崎安四詩集』には戦場で作られた作品が十一篇あるが、殆ど手が加えられてない。安四の属した加古川編成の野戦高射砲大隊には俳人や挿絵画家、考古学者など美意識の高い兵士にめぐまれたことは幸いであった。「蓮の歌」や「バリの踊女」など、多くの兵士たちで朗読されたと聞いている。

安四は妻の郷里である愛媛県西条市に居住。海人草やパルプ材の仲買などの商売に従事して、最初は好調だったが、集金がままならず、借財が増え、一時は大阪の山田氏を頼って居候していたこともあり、日雇いの仕事などをしながら、「噴水」「微塵」「バス」「風」などを書いている。昭和二十六年九月、西条高校英語科教師となるも翌年一月に骨髄性白血病を患い、別子住友病院に入院。多くの生徒からの献血もあったが、五月五日に他界された。(略)(諫川正臣の文章、詩誌「黒豹」引用終わり)●。

 尼崎安四が病死した後、佐々木氏が謄写印刷による手作りの尼崎安四詩集を発行しました。その後も、彼の友人たちは彼の詩を世に出す尽力を続け、実現しました。

 次回は『定本尼崎安四詩集』を刊行した人たちの情熱に対する敬意を記します。

■ 出典:諫川正臣 詩誌「黒豹」133号 編集後記。細井冨貴子『哀歌・戦友』「季刊銀花」第75号。

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山田句塔の自由律俳句(二)。私を泣いてくれた。

 俳人・山田句塔の自由律俳句を感じとっています。前回の、戦場という極限状況での句に続き、今回は敗戦の年1945年・昭和二十年以降に、彼が詠んだ句です。

 以下、引用する俳句の出典は、細井冨貴子『哀歌・戦友』「季刊銀花」第75号によります。(尼崎安四を師とされる詩人の諫川正臣氏がコピーを下さいました)。

● 山田句塔の自由律俳句

  はげしく人を恋い人をさけて暮らしている冬
  人になじめぬ性(さが)もち人のなかはたらいている
  独居四年の秋がわたしの机と壁の穴と
  貧しければ友情も春寒くて発たせる
  友に遠く山の町のパチンコ屋でいる秋
  かばかりの金をば賭けて一途にも幾何(いくばく)の金得んとす人らは

☆ 彼の戦場の句は、自分の生を飲み込もうとする強大な暴力に取り込まれている状況をただひたすら刻みつける緊迫した記録でした。
 それら戦場での句と読み比べると、これら戦後の日常の句には、内省するまなざし、思いの揺れ動き、人間本来の心の自由があります。山田句塔の人間性が滲みだしています。逆に言えば、戦場では彼本来の心が抑圧され奪われていたのだと思います。
 ここにある彼の心のあり方は、芸術家、文学者の、俗世にいながら、染まらず厭い、孤独と愛を求め、悩み惑う心性が響いていて、私は共感します。句中の「友」は彼の生涯の戦友、詩人・尼崎安四です。
 
  すずしく畑の土おこしてゆく
  赤ん坊の微笑へ夏夜の夫婦でいる
  子よ春なれば滴る水に手をだす

☆ 彼の心の穏やかさと柔らかさがもれ出たような句です。三句目の呼びかけの言葉「子よ」にヒューマニズムを感じます。

  温みまだあれば死んだともおもえず      (妻急逝)
  骨(こつ)あげも終りこんや父子(おやこ)三人
  まだ死にたくなかった心           (妻を憶う)

☆ 妻が急逝した際の句。三句目には鎮魂の想いが響いていて、心打たれます。真率さそのものの器である、自由律俳句の美しさを感じます。
  
  私を泣いてくれた
  運命、私が足萎えとなる
  名もない人として消えてゆく
  私より若く逝った誰彼
  知人の急死また訊く
  わが七十年幸運でありすぎた
  空の見えない病室で冬をすごすか

☆ 最晩年、病床で、自らの生を振り返り、出会い友に過ごした人達を想い、死を想う句。生き抜いた歳月に、余計な装飾、虚飾をすべて洗い流された後のような、真率な、清潔感があります。贅肉、脂肪を必要としなくなったお年寄りの肌が、白く、透けるほど、陽射しに照らし出されているような。
 自由律俳句という、心のあらわれそのものの響きが、美しいです。

 戦場へ送られ殺されかけながら死の淵から生還し、無数の戦友の死を生涯、脳裏に焼き付けつつ、戦後の困難な生活を生き抜き、生涯をかけて戦友・尼崎安四の人と詩を世に伝えようと尽力した、俳人・山田句塔の人間性と生き様に、私は静かな尊敬の念を覚えずにはいられません。
 彼の自由律俳句に心洗われ、負けるな、甘えるな、生きろと、励ましてくれる声が聞こえてくる気がします。

■ 出典:『哀歌・戦友』細井冨貴子「季刊銀花」第75号

 次回は、俳人・山田句塔の戦友であった詩人・尼崎安四の戦時と戦後を見つめます。

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山田句塔の自由律俳句(一)。極限での瞬間の凝結。戦場の句。

 自由律俳句を感じ取ってきました。今回からは、戦友であった詩人・尼崎安四と自由律俳句の俳人・山田句塔を通して、詩歌についての詩想を記していきます。
 以下、引用する文章と俳句の出典は、細井冨貴子『哀歌・戦友』「季刊銀花」第75号によります。(尼崎安四を師とされる詩人の諫川正臣氏がコピーを下さいました)。

 まず俳人としての山田句塔の自由律俳句の作品そのものを見つめます。山田句塔は『雑木林』(1968年・昭和四十三年)、『椰子の実』(同年)、『自解句集 椰子の実』(1974年・昭和四十九年)、『父子』(1977年・昭和五十二年)の句集を刊行しています。

 今回は、戦争に召集され、戦地で尼崎安四と交友を深めた時間に彼が詠んだ、戦場での俳です。
(次回は、敗戦で日本に戻り戦後を生きた時間に詠んだ句とします。)

● 山田句塔の自由律俳句

『新俳句』(1935年・昭和十五年六月号)、『木槿』(1943年・昭和十八年発刊)に、戦地から五十三句「前線より・濠北派遣 山田利三」として発表された作品、および『自解句集 椰子の実』 (1941年・昭和十六年以降)からの作品。出典から引用します。
一句ごとの鑑賞ではなく、作品のあとに全体を通しての、私の詩想を☆印の後に記します。

  病んで枕べに征旅久しく携えている「句集此君楼」
  炎天草枯れて枯れるばかり
  朝のうららかな干潟蟹があるく
  前線へ船団粛々星あかりの海、
  闇にごうぜんと大火柱の、消えてしまった闇
  敵兵の二人三人炎天の海ただようてくる
  黙祷、舟艇戦死体を乗せ船にかえってきた
  銃声、闇のなかに伏せそれから闇
  青葉明るく南へ来てはじめての手紙書いている
  歩哨の私へほほえみかけて窓の外人の子
  裏町ギターの音がして熱い風ふく
  死傷兵たちそこに伏せ頭上敵機旋回
  雨にあけくれ兵隊犬を捕っては食う
  月が雲に入り雲を出で朝遇うた君はいない
  海へ跳ぼうとして見た甲板の死体いくつか
  劫火のかがやきの海へさき争うて跳ぶ
  浮いて大火傷(やけど)の兵の苦悶を見ているほかない
  救援のにぎり飯一つが食べきれない
  奈落の底へ落ちゆくような、軍装のまま身を伏せ
  上陸そぼふる雨の日本の家、麦の畠
  夜のつめたい日本の水のむ

☆ 戦場という、生と死が紙一重の、一瞬さきにいつ死ぬかもしれない、極限の状況で、山田句塔は、五感に刻みこまれた、特に眼に焼けついた瞬間を、言葉で記録しています。
 俳句という極短小詩型のいちばんの特徴は、極限状況でさえ、感じたものを言葉にでき、記憶できることにあります。

 このことと表裏の関係にあるもう一つの特徴は、揺らぐ感情をたゆたわせるには詩型が短すぎるので感情そのものは言葉にしません。作者は襲いかかってくる状況をどのように捉えるかだけに徹し、瞬間そのものを短小詩型に凝結させています。そこにある感情をすくいあげることは読者に委ねています。

 歌は、心、感情、思いの流れと揺り返しを、繰り返し感じとる時間をとおして、言葉として浮かび上がり、響きだします。牛が草を食むように、思いを反すうする時間が必要です。歌は、個人の自由、心、感情、思いの自由、わがままな、個性の発露そのものだからです。極限状況で人は歌を詠めないと私は思います。
 
 もうひとつ、戦場という極限状況での、創作表現行為にとって、俳句、そして自由律俳句の姿であることが、もっとも真実を表せる形だったことです。十七文字の定型の器、季語を配し、切れ字の約束ごとに合わせて、作品を練るにも、心を自由に遊ばせる時間、余裕が必要です。戦場で、定型句は詠めないと私は思います。

 個人の自由を極限まで奪われた戦場で山田句塔は、それでも人間としての心を動かすという自由の表現、句を刻みつけ、極限状況を記録し、その瞬間を凝結させ、伝えました。彼のその強い意思を、私は尊敬します。

■ 出典:『哀歌・戦友』細井冨貴子「季刊銀花」第75号

次回は、山田句塔の戦後の自由律俳句を見つめます。

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