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高畑耕治

Author:高畑耕治
愛のうたの絵ほんは、高畑耕治の詩と詩集の海です。
Profile 高畑耕治 たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪府四條畷市出身、早稲田大学政経学部中退。東京都多摩市在住。
詩集『銀河、ふりしきる』(2016年5月イーフェニックス)
詩集『こころうた こころ絵ほん』(2012年同上)
詩集『さようなら』(1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25)
詩集『愛のうたの絵ほん』(1994年同上)
詩集『愛(かな)』(1993年同上)
詩集『海にゆれる』(1991年土曜美術社)
詩集『死と生の交わり』(1988年批評社)
雑誌「エヴァ」に扉の詩(1996~1997サンマーク出版)を連載。
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オウィディウス『変身物語』(五)。みずからの涙で溶け去って。

 ローマの詩人オウィディウス(紀元前43年~紀元17か18年)の『変身物語』に私は二十代の頃とても感動し、好きになりました。
 「変身」というモチーフで貫かれた、ギリシア・ローマ神話の集大成、神話の星たちが織りなす天の川のようです。輝いている美しい星、わたしの好きな神話を見つめ、わたしの詩想を記していきます。

 今回は「カウノスとビュブリス」の涙の瞬きです。

 妹として生まれたビュブリスは、兄のカウノスと親しく育つうちに、想いは深まり激しい思慕にまで高まり、兄を一人の異性として愛してしまいます。思い悩み惑った挙句に手紙で愛を告白し、兄に厳しく拒まれます。
 その後の彼女の、悲しみの遍歴を、オウィディウスは見守るように書き記します。
 
 とても悲しい姿を描きます。
 「無言で横になったまま、爪で青草をむしりとり、流れ出る涙で草を濡らしている。」

 そして詩人は最後に歌います。

 「ビュブリスは、みずからの涙で溶け去って、泉に変じた。」

 美しい詩です。悲しみの涙が、こんこんと、いまも、いつまでも、泉から湧いています。
 とても好きな詩です。

● 以下、出典の引用です。

「(略)つまるところ、今のわたしは、『罪を犯してはおりません』などとはいえなくなっている。手紙を書いて、あのひとに迫りもした。そんなわたしのおもいは、汚辱にまみれている。わたしは、これ以上なにもしでかさなくても、罪のない女だとはいえないのだ。ただ、わたしの今後に残されたことは、わたしの願いの実現には役立っても、もう罪になりはしない」
 彼女はこういった。そして、心は大そう不安定で、ちぢに乱れていたので、あんな試みをしたことを悔いてはいながらも、もっとやってみようという気になるのだ。もう、限度をわきまえてはいないから、あわれにも、幾度もはねつけられるはめとなった。とうとう、いつまでもきりがないので、カウノスは故郷を去って、不倫な言い寄りをのがれた。(略)
 ここにいたって、ミレトスの娘ビュブリスも、悲嘆にくれたあげく、すっかり正気をなくしたということだ。胸から着物をはぎ取って、もの狂おしく、われとわが胸をうち叩いた。もう狂乱を隠そうとはしないで、恋の成就への罪深い望みを自認する。その望みを失うと、憎らしい家と、故郷とを捨てる。こうして、逃げた兄のあとを追うのだ。(略)ビュブリスが曠野(こうや)に叫んでいるのを、カリアの女たちが目にした。
 (略)
 とうとう森が尽きたあたりで、追跡に疲れはてたビュブリスは、崩折れるように倒れた。固い地べたに髪を散らして横たわり、落葉に顔を埋める。(略)無言で横になったまま、爪で青草をむしりとり、流れ出る涙で草を濡らしている。(略)それからすぐあとのことだ。(略)アポロンの孫娘ビュブリスは、みずからの涙で溶け去って、泉に変じた。この泉は、今も、あおの谷で、(略)黒ずんだ柊(ひいらぎ)の根かたに、水がこんこんと湧いている。

● 引用終わり。

 今回の最後に、こんこんと湧く泉の水と、木魂する私の詩を響かせます。お読み頂けると嬉しいです。

  「おもいだしてよ」(高畑耕治HP『愛のうたの絵ほん』から)

 次回も、この天の川に輝く、わたしの好きな神話の美しい星を見つめます。

出典:『変身物語』オウィディウス、中村善也訳、岩波文庫

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tag : オウィディウス 変身物語 詩歌 詩人 高畑耕治

詩人・杉野紳江さん。詩を伝える思い。

 詩人の杉野紳江さんがブログ「のんちゃんの杉野書店日記」で、詩誌「たぶのき 8号」に発表した私の新しい作品を紹介してくださり、感想のお言葉を添えてくださいました。とても嬉しく思います。

  「たぶの木 8号」 のんちゃんの杉野書店日記

 杉野さんは今年7月に第二詩集『陽気ぐらしのタンポポ』(土曜美術社出版販売)を、2009年の年の第一詩集『虚空にもどる父』(同)に続き、出版されました。
 初めての詩集は亡くなられた父への鎮魂の想いを主題に、人間味と愛情のあたたかな詩集でした。今回の詩集は、入退院される母への想いの通いあいと、古本屋を営まれていらっしゃるご主人との日常など、つらい場面でも明るく笑顔を失われないお人柄がタンポポのように咲いていて、心が温められます。

 杉野さんはブログを通して、今回の私だけではなく、多くの詩人、詩を、紹介されていらして、私はとても大切なことだと思い、共感しています。

 詩を愛しているなら、自分の詩を伝えようとする努力はあたりまえだけれど、同じ時間に、懸命に書き伝えようとしている詩人の詩に感じる想いを伝えることで、詩を愛する方々の心によりゆたかに咲き開くことを願わずにいられないのではないでしょうか。
 権威となった全国誌やマスコミでの偉ぶった書評より、よほど大切な行いだから、私も続けていきます。


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tag : 詩歌 詩人 高畑耕治 詩集 杉野紳江

オウィディウス『変身物語』(四)。変身、変容、生まれ変わり。

 ローマの詩人オウィディウス(紀元前43年~紀元17か18年)の『変身物語』に私は二十代の頃とても感動し、好きになりました。
「変身」というモチーフで貫かれた、ギリシア・ローマ神話の集大成、神話の星たちが織りなす天の川のようです。輝いている美しい星、わたしの好きな神話を見つめ、わたしの詩想を記していきます。

 今回は「メレアグロスの姉妹たち」の悲痛な瞬きです。

 メレアグロスは諍いで叔父を殺害します。メレアグロスの母は、自分の兄弟を殺害した息子を、激しく惑ったすえに、殺害します。引用した箇所は、その事件に続く、メレアグロスの父、母、姉妹たち、一家の破滅がつづられています。

 オウィディウスの『変身物語』には、悲しみに苛まれた人間が「われとわが胸を打ちたたく」という表現が頻出します。古代ギリシア、ローマの人々は、悲しみの底で、自らの肉体、胸を自らの拳で激しく叩きつけたのでしょう。強烈な表現に、時代と民族性を感じます。

 抗争と殺害、家族、一族の戦闘と皆殺し、破滅の事件は、古代の物語には共通してありますが、ギリシア悲劇、ギリシア、ローマの神話に描かれる情景には、生々しく、血なまぐさい、おぞましさがあります。
 円形闘技場で奴隷同士の殺し合いや、食い殺されるまでライオンと格闘させられる奴隷を、観覧した民族、社会、時代です。
 一般化して、すべての人がそうであったとするのは誤りで、支配され虐げられそのようにさせられた多くの人たちがいたことを忘れてはいけないと思います。
 原始キリスト教団の使徒や信者のとても多くの人たちが、カタコンベが今も語るように、殺害され殉教したことを私は思います。

 そのうえで、私が『変身物語』、そして作者の詩人オウィディウスを心のそこから好きなのは、おぞましい事実、事件を凝視しそのまま記したギリシア悲劇にはない、詩の魂が一貫して流れているからです。
 作品名の、変身、変容、生まれ変わりという、この物語を貫く主題、詩想です。

 メレアグロスの姉妹たちは、叔父が殺害され、父を失い、母が自害し、兄弟メレアグロスが母に殺されるという、おぞましい血塗られた悲劇を目の当たりにして、「悲しみのあまり胸を打ちたたいて、青あざをこしらえ」ます。「涙の雨を降らせ」ます。ギリシア悲劇なら、ここで幕を閉じます。
 でも、この地上でのわずかな時間だけがすべてだと決めつけるのは、偏狭な人間のおごりだと私は思います。

 オウィディウスは、神話という無限の広がりと永遠の宇宙を感じとりながら、メレアグロスの姉妹たちは、鳥に変身、変容、生まれ変わり、大空へ飛び立ったのだ、と歌います。
 詩人だからです。
 詩人が変容の言葉を奏でてくれたことで、残虐このうえない悲劇さえ、遥かな彼方まで永遠に響き続ける美しい歌に変わることができるのだと、感じます。

 さまざまな宗教の信仰、祈りと救いにとても近しい歌です。
 仏教やピタゴラスの輪廻の思想、エンペドクレスを愛したヘルダーリンの死生観、アイヌのユーカラ(神謡)の神々との豊かな交感、日本のアミニズムとも、木魂しあっていると私は感じます。

 『変身物語』は詩、おぞましい現実の矮小さを昇華して立ちのぼり、無限、永遠の森へとかかる、遥かな美、虹です。

● 以下、出典の引用です。

岩山立つカリュドンの町が、いわば谷底に沈んだかのようだった。老若貴賎を問わず、ひとびとは悲しみ嘆き、女たちは、髪をかきむしって、われとわが胸を打ちたたく、メレアグロスの父オイネウスは、大地に伏して、白髪と老いた顔を泥まみれにしながら、みずからの長すぎた寿命をなじった。母アルタイアは、おのれの恐ろしい所業を今さらのごとく思い知って、刃で胸を貫き、みずからの手で罰を受けた。あわれな妹たちの嘆きの言葉を、述べあらわすことは不可能であろう。たとえ、それぞれが雄弁な舌をもった百の口を、そして豊かな才能と、詩歌のわざのすべてを、神から与えられていようともだ。彼女たちは、見栄も体裁も捨てて、悲しみのあまり胸を打ちたたいて、青あざをこしらえるのだ。遺骸が運び出されないうちは、いつまでもそれをかきいだいて、口づけをする。はては、棺にまでもそうするのだ。焼かれたあとは、灰を集めて、胸におし当てる。塚に身を投げかけて、名前を刻んだ墓石を抱き、その名に涙の雨を降らせる。ついには、オイネウス一家の破滅に満足したディアナ女神が、ゴルケと、ヘラクレスの妻となっているデイアネイラとを除く姉妹たちのからだに羽毛を生じさせ、腕には長い翼を広がらせて、固い嘴を(くちばし)を与えた。こうして鳥に変わった彼女たちを、女神は大空へ飛び立たせたのだ。

● 引用終わり。

 今回の最後に、鳥になり大空を飛んでいる彼女たちと、木魂する私の詩を響かせます。お読み頂けると嬉しいです。

   詩「かげろうの湖」(高畑耕治HP『愛のうたの絵ほん』から)

 次回も、この天の川に輝く、わたしの好きな神話の美しい星を見つめます。

出典:『変身物語』オウィディウス、中村善也訳、岩波文庫

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オウィディウス『変身物語』(三)。純愛と死の物語

 ローマの詩人オウィディウス(紀元前43年~紀元17か18年)の『変身物語』に私は二十代の頃とても感動し、好きになりました。
「変身」というモチーフで貫かれた、ギリシア・ローマ神話の集大成、神話の星たちが織りなす天の川のようです。
 輝いている美しい星、わたしの好きな神話を見つめ、わたしの詩想を記していきます。

 今回はピュラモスとティスベの純愛の瞬きです。

 オウィディウスの『変身物語』のこの一節は、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』の源となった、若い男女の純愛と死の物語です。

 お互いを見初め愛しあった若い二人ピュラモスとティスベは、隣り合う住まいの壁のわずかな隙間越しに会話を交わすことしかできない状況にいます。ある日二人は外で会うことを約束します。
 約束の場所に先にたどりついたのは少女のティスベでしたが、近くに獅子がいたため、洞窟へと隠れました。そこへ遅れてやってきた青年ピュラモスは、落ちていたティスベのヴェールに血がついているのを見て、彼女が獅子に襲われたと思い込みます。

 引用した言葉は、青年ピュラモスの言葉。そして、獅子が去っただろうと洞窟から出てきて約束の場所で、倒れ死にかけているピュラモスの姿に驚愕し嘆く少女のティスベの言葉です。

 愛する想いが、激しく燃えひろがる炎のようです。赤く、血の色に染め上げられ、熱く、嘆きと悲しみが、心と肉体までも焼き尽くします。
 純真。純愛。若い激しさが悲劇に突き進み、心を刺します。オウィディウスがまぎれもなく愛の詩人であることを、これらの言葉は響かせてやみません。

 時代と言語を越えて千数百年後に『ロミオとジュリエット』を呼び覚まし、変奏を奏であいながら二千年近くたった今も、色あせず、朽ちないのは、いつの時代にも変わることのない、人間にとってなにより尊く、大切に思える心、愛が歌われていると、誰もが感じずにはいられないからだと思います。

 若い愛しあう二人は、純愛のうちに死を選び自らをほろぼしたことで、永遠にその若さのままで愛しあっていると感じてしまう、そうあってほしいと願い、祈らずにはいられない、美しく悲しく心に響き続ける、愛の詩、愛の星です。

● 以下、出典の引用です。

 『この同じ一夜に、恋人ふたりが死んでゆく。ふたりのなかでは、彼女のほうこそ、生きながらえるのにふさわしかったのに。悪いのはぼくだ。かわいそうに、ぼくがおまえを死なせたのだ。危険にみちたこの場所へ、夜歩きをさせて、させた本人が遅刻するなんて! ぼくのこのからだを、罪深いこのはらわたを、荒々しい牙(きば)で食い尽すのだ、おお、この崖下に住む獅子たちよ! が、口先で死を願うのは、臆病者のしわざだ!』
 ティスベのヴェールを取りあげ、約束の木陰まで持ってゆきます。見知ったそのヴェールに涙をそそぎ、口づけして、こういうのです。『今こそ、さあ、ぼくの血潮も吸ってくれるのだ!』
 腰につけていた剣を、わき腹に突きたてました。

(略)

 でも、しばらくあとで、それが自分の恋人だとわかると、罪もない腕を高らかに打ちたたいて、嘆きをほとばしらせます。髪を引きむしり、いとしいからだを抱いて、傷口を涙で埋めますと、その涙が血と混ざるのです。冷たい顔に口づけしながら、『ピュラモス!』と叫びました。『何という不運が、あなたをわたしから奪ったのでしょう? ピュラモス、答えてちょうだい! あなたの最愛のティスベが、あなたの名を呼んでいるのよ。聞いてちょうだい!うなだれた顔を起して!』(略)
 
 『あなたの手と、そして愛が、あなたの生命を奪ったのね、不しあわせなかた! でも、わたしにも、その同じことをするための雄々しい手と、愛がありますわ。その愛が、みずからを傷つけるだけの力を与えてくれるのよ。あの世へおともをいたしましょう。あなたの死の哀れな原因でもあり、その道連れともいわれましょうよ。死によってのみわたしから引き離されることのできたあなたが、もう、死によってさえも、引き離されることはできないのです。(略)』

● 引用終わり。

今回の最後に、ピュラモスとティスベの純愛に木魂する私の詩を響かせます。お読み頂けると嬉しいです。

  「菜の花のひと、かもの愛」(高畑耕治HP『愛のうたの絵ほん』から)

 次回も、この天の川に輝く、わたしの好きな神話の美しい星を見つめます。

出典:『変身物語』オウィディウス、中村善也訳、岩波文庫


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オウィディウス『変身物語』(二)。愛の悲しみのエコー

 ローマの詩人オウィディウス(紀元前43年~紀元17か18年)の『変身物語』に私は二十代の頃とても感動し、好きになりました。
 「変身」というモチーフで貫かれた、ギリシア・ローマ神話の集大成、神話の星たちが織りなす天の川のようです。
 輝いている美しい星、わたしの好きな神話を見つめ、わたしの詩想を記していきます。

 今回はナルキッソスとエコーの切ない瞬きです。
 ナルキッソス、ギリシア読みではナルシス、自己愛の象徴、泉に映る自分の姿に恋焦がれて死んでしまい、そのまま水仙に生まれ変わった少年のお話で、とても良く知られたギリシア神話です。

 オウィディウスは『変身物語』で悲しく切ない恋の物語として奏でました。
 『変身物語』の星たちのうち、私がこの星をずっといちばんお気に入りだったのは、ナルキッソスの自己愛と水仙への変容に惹かれたというより、木魂になってしまったニンフのエコーの切なく悲しい恋が歌われているからだと気づきました。

 二人の出会いの箇所で、ナルキッソスの「ここで会おうよ」という言葉にエコーは「会おうよ」と答えます。抱きつかれて逃げ出したナルキッソスの「いっそ死んでから、きみの自由にされたいよ!」という言葉に、「きみの自由にされたいよ!」と木魂を返します。
 この感情の揺れ動きの表現は、とてもみごとで、オウィディウスの抒情詩人、愛の詩人としての天性を感じます。

 ナルキッソスに求愛を拒まれ失恋したエコーは、悲しみのあまり肉体を失い、声だけに、声のひびきだけに変身してしまいます。
 
 私自身に、肉体を失くして歌になりたい想いがあるので共鳴したのだ、いまも共鳴するのだと感じます。
 私が詩やエッセイに、「こだま」「木魂」「ひびき」を頻出させてしまうのもその想いがあふれだすためです。
 声、歌、響きの美しさが私はとても好きで、惹かれてしまいます。

 二人の別れの時間、泉に映る己の姿に恋焦がれてやせ細り死にゆこうとするナルキッソスを、見守るエコーの悲しみは、愛する者の想いそのもので心打たれます。

 「ああ!」と嘆きに木魂し、「さようなら!」と最期の木魂を彼女は返しました。

 心に切なく、痛く、響く、悲しいけれど美しい切ない愛の物語です。

● 以下、出典の引用です。

 たまたま、親しい仲間たちからはぐれた少年が、こうたずねかけた。「誰かいないのかい、この近くに?」すると、「この近くに」とエコーが答えた。ナルキッソスは驚いて、四方を見回すと、大きな声で「こちらへ来るんだよ!」と叫ぶ。エコーも同じように、そう呼んでいる彼を呼ぶ。彼はふり返るが、誰も来ないので、ふたたび叫ぶ。「どうしてぼくから逃げるのだい?」すると、彼のいっただけの言葉が、返って来る。その場に立ちつくし、こちらに答えているらしい声にあざむかれて、いう。「ここで会おうよ」すると、これ以上に嬉しい答えを返せる言葉があるはずもないエコーは、「会おうよ」と答える。そして、われとわが言葉にぼーとなり、森から出て来て、あこがれの頸に腕を巻きつけようとする。
 彼は逃げ出した。逃げながら、「手を放すのだ! 抱きつくのはごめんだ!」と叫ぶ。「いっそ死んでから、きみの自由にされたいよ!」彼女が返すのは、ただこれだけだ。「きみの自由にされたいよ!」
 はねつけられた彼女は、森にひそみ、恥ずかしい顔を木の葉で隠し、それ以来、さみしい洞窟に暮らしている。だが、それでも恋心は消えず、しりぞけられただけに、悲しみはつのる。夜も眠られぬ悩みに、みじめな肉体はやせほそり、皮膚には皺が寄って、からだの水分は、すっかり枯渇する。残っているのは、声と、骨だけだ。いや、声だけで、骨は石になったという。以来、森に隠れていて、山にはその姿が見られない。ただ、声だけがみんなの耳にとどいている。彼女のなかで生き残っているのは、声のひびきだけなのだ。

(略)

 もう、赤みをまじえた白い肌の色もなく、元気も、力も、これまでは魅力だった外見も、消えた。かつてエコーに愛された肉体も、あとをとどめてはいない。
 エコーは、しかし、このありさまを見たとき、怒りも記憶も消えてはいなかったにもかかわらず、それでも、大そう悲しんだ。哀れな少年が「ああ!」と嘆くたびに、彼女は、こだま返しに「ああ!」とくり返した。彼が手でみずからの腕を打ちたたくと、彼女も、同じ嘆きの響きを返した。なつかしい泉をのぞきこんでいるナルキッソスの最後の言葉はこうだった。「ああ、むなしい恋の相手だった少年よ!」すると、同じだけの言葉が、そこから返って来た。「さようなら!」というと、「さようなら!」とエコーも答えた。彼は、青草のうえにぐったりと頭を垂れた。

● 引用終わり。

 今回の最後に、エコーの悲しみに木魂する私の詩を響かせます。お読み頂けると嬉しいです。

  「こだまのこだま」(高畑耕治HP『愛のうたの絵ほん』から)

  イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)
   こだまのこだま 動画  

 次回も、この天の川に輝く、わたしの好きな神話の美しい星を見つめます。

 出典:『変身物語』オウィディウス、中村善也訳、岩波文庫


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愛の詩(二)。山下佳恵の新詩集『海の熟語』から。

 私は、詩は愛、だと思います。けれどいま、詩集は毎日出版されても、愛の詩に出会い、こころゆれ、感動することが少ないことを、さびしく、悲しく思っています。

 私も参加している小さな詩誌『たぶの木』に作品を寄せられているお二人の詩人、田川紀久雄と山下佳恵がこの秋、新詩集を出版しました。
 田川紀久雄詩集『寄り添う』、山下佳恵詩集『海の熟語』です。それぞれの個性が、豊かな表情で自由にのびやかに詩の花となって美しく哀しく咲いています。

 こころ揺れる愛の詩が咲いています。それぞれの花園から、一輪ずつ、私の好きな、愛の花を紹介します。

 今回は、山下佳恵詩集『海の熟語』から、せつなく愛(かな)しい、愛の歌です。
 この詩集は作家・詩人の神谷恵ブログ「天上に吹く風」でも、他の詩作品を織り交ぜより深く紹介されていますので、ご覧ください。(クリックでお読み頂けます)。
               現代詩の花束 「海の熟語」編


逢い夢見て咲く 彼岸花
            山下佳恵


逢いたくて
逢いたくて
逢いたくて
逢えなくて
恋こがれて
赤く真っ赤に燃える花

逢えなくて
逢えなくて
逢えなくて
逢いたくて
空に届けと伸びていく葉
赤い夕日を夢見るあなたに重ねながら

花は葉を恋い
葉は花を恋う

相い思い
逢い夢見て咲く赤熱の花
彼岸花
愛夢叶わぬ夢
悲願花


出典:『山下佳恵詩集 海の熟語』(山下佳恵、2013年10月、潮流出版社)

 次回から時間を古代まですこし遡り、敬愛する愛の詩人オウィディウスの『変身物語』をみつめます。


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tag : 田川紀久雄 山下佳恵 詩集 神谷恵 高畑耕治

愛の詩(一)。田川紀久雄の新詩集『寄り添う』から。

 私は、詩は愛、だと思います。けれどいま、詩集は毎日出版されても、愛の詩に出会い、こころゆれ、感動することが少ないことを、さびしく、悲しく思っています。

 私も参加している小さな詩誌『たぶの木』に作品を寄せられているお二人の詩人、田川紀久雄と山下佳恵がこの秋、新詩集を出版しました。
 田川紀久雄詩集『寄り添う』、山下佳恵詩集『海の熟語』です。それぞれの個性が、豊かな表情で自由にのびやかに詩の花となって美しく哀しく咲いています。

 こころ揺れる愛の詩が咲いています。それぞれの花園から、一輪ずつ、私の好きな、愛の花を紹介します。
 今回は、田川紀久雄詩集『寄り添う』から、強く、まっすぐな、愛の歌です。


抱きしめる
       田川紀久雄


抱きしめたい
強く
もっと強く
抱きしめていたい

あなたの哀しみを
抱きしめたい
強く
もっと強く
抱きしめていたい

あなたの愛を
抱きしめたい
強く
もっと強く
抱きしめていたい

苦しみを
共に背負いたい
抱きしめることによって
その辛さに耐えられる
愛に変えてゆきたい
そして
抱きしめたい
強く
もっと強く
抱きしめていたい

抱きしめあえることによって
いま
生きてゆける
あなたの肌の温もりが
わたしに勇気を与えてくれる
だから
抱きしめたい
強く
もっと強く
抱きしめていたい
          (二〇一二年十二月十日)

出典:『寄り添う』(田川紀久雄、2013年11月、漉林書房)

 次回は、詩人・山下佳恵の愛の詩です。


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オウィディウス『変身物語』(一)。作品は完成した。

 ローマの詩人オウィディウス(紀元前43年~紀元17か18年)の長編詩『変身物語』に私は二十代の頃とても感動し好きになりました。
 今回からの数回は、この作品を読み返して、とりあげてみたいと感じた箇所を紹介しつつ、私の詩想を記していきます。
 
 初めに訳者・中村善也の解説にある、この著作と、書かれた状況を要約します。
 オウィディウスは紀元8年、50歳過ぎに、アウグストゥス皇帝によってローマを追われ、黒海西岸のトミスへ追放されました。
 その地で死ぬまでの約十年間に、全15巻、約一万二千行の、最長の作品『変身物語』を彼は完成させました。

 「変身」というモチーフで貫かれた、ギリシア・ローマ神話の集大成です。数多くの珠玉の短い神話が織りなされています。神話の星たちの天の川のようです。

 この作品が、もともと叙事詩のリズムであったヘクサメトロスで書かれているのは、同じくローマの詩人ウェルギリウスの長大な叙事詩『アエネイス』を意識したのではとも解説に記されています。
 詩人ウェルギリウスに深く影響されたダンテの『神曲』も、古代ギリシアのホメロスの叙事詩『イーリアス』『オデュッセイア』も同じように、長大な叙事詩を書きつられていくには、とてもゆるやかな韻律規則がふさわしいのだと私は思います。その最低限の韻律規則も捨て去ったとき文学は散文となります。

 時の最高権力者に追放されたオウィディウスが逆境に耐えて、詩人にできること、天性の詩人にしかできないこと、『変身物語』を書き上げたことに私は深い尊敬の念を抱きます。
 そのうえで、私が叙事詩の『イーリアス』『オデュッセイア』、『アエネイス』などの英雄の戦勝物語ではなく、この『変身物語』を愛してやまないのは、この作品が、愛の物語、愛の歌だからです。(だから私はダンテの『神曲』にも感動します)。 この作品の天の川に輝く愛の星たちはとても美しく、心を打ちます。

 今回はこの作品を締めくくる最後の文章を引用します。
「いまや、わたしの作品は完成した。」、オウィディウスはこの言葉を書きつけたとき、「わたしは生き尽くした」、「この生に与えられた使命をやり遂げた」、「もういつ死んでもいい」と感じ、語っているのだと私は思います。

 「わたしのなかのいっそうすぐれた部分は、不死であり、空の星よりも高く飛翔(ひしょう)するだろう。」

 恐ろしい狂おしい矜持です。が、たとえ追放されようが、虐殺されようが、現世の権力にはけして滅ぼせないものがあるとの想いを命をかけて作品に込め、作品の魂とするのが、詩人です。

 「わたしは、名声によって永遠に生きるのだ。」狂ったこの言葉を語る資格が、作品の天の川を完成させた彼にはあると私は思います。

● 以下、出典の引用です。

いまや、わたしの作品は完成した。ユピテルの怒りも、炎も、剣も、すべてを蝕(むしば)む「時」の流れも、これを消滅させることはできないだろう。あの最後(いやはて)の日が――といっても、それは、わたしのこの肉体だけをしか滅ぼしえないのだ――いつなりと、望みのときに、はかないわたしの寿命を終わらせるがよい! けれども、わたしのなかのいっそうすぐれた部分は、不死であり、空の星よりも高く飛翔(ひしょう)するだろう。わたしの名前も、不滅となる。このローマに征服され、ローマの勢力が及んでいるかぎりの地で、わたしの作品はひとびとに読まれるだろう。もし詩人の予感というものに幾らかの真実があるなら、わたしは、名声によって永遠に生きるのだ。

● 引用終わり。

 今回の最後に、私の第一詩集の冒頭の詩、旅立ちの歌を響かせます。完成させる最後の時まで、この想いは変わりません。お読み頂けると嬉しいです。

  「ねがい」(高畑耕治HP『愛のうたの絵ほん』から)

 次回もヘルダーリンの『ヒュペーリオン』を見つめ感じとります。

 出典:『変身物語』オウィディウス、中村善也訳、岩波文庫

 次回からは、この天の川に輝く神話の美しい星たちを見つめていきます。

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創造する意思。ミケランジェロの、美。

 今回は、上野の国立西洋美術館での「システィーナ礼拝堂500年祭記念 ミケランジェロ展―天才の軌跡」で感じとれた想いを記します。

 美術館の入り口前庭にある、ダンテの『神曲』に喚起されたロダンの彫刻「地獄門」、人物を拡大した「考える人」に再会して、嬉しく思いつつミケランジェロ展に入りました。

 ルネサンスを代表する芸術家ミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564)が生きていたのは500年ほどまえ、それほど遠い過去ではないとわたしは感じます。
 写真で見ることの多い彫刻「ダビデ像」にわたしは、肉体は美しい、と教えてくれました。美しい芸術作品として表現できると教えられた、この表現が正確かもしれません。

 今回、500年のときを越えて、尊敬するミケランジェロの作品と対面できたことに、創作者のひとりとして、深い喜びを感じました。
 彼が完成させた作品を眼前にするとき、わたしは鑑賞者であるとともに、創作しつつあるミケランジェロの作品を凝視する眼差しに、自分の視線をいやおうなく、重ねてしまいます。
「彼もこの位置からこの作品を見つめていた」、そう感じられたことが、わたしにとってはいちばんの刺激、喜びでした。

 そのうえで、わたし自身の詩の創作と重なる、次のことを思わずにいられませんでした。
  
 一点目は、システィーナ礼拝堂に彼が描いた聖書をモチーフにした天井画と、正面壁画の「最後の審判」について。
 現物は現地でしか見られなくても、発見、教えられたことが多くありました。
 天井画は、天上に届く台を組みたて、その頂上に寝そべりながら彼が絵を描いたと聞いて、人間らしさと情熱を身近かに感じました。
 フレスコ画は、漆喰(しっくい)が乾くまでの短い時間に色彩を描き切ることが必要で、そのために事前に彼が綿密に、構図や細部の素描の練習を重ねていることにも、深い共感を感じました。天才も努力してるんだと。

 「最後の審判」は同時代の批評家に、男女の裸体の満ちあふれる迫力を、浴場のようだと酷評され、後世の画家により下半身に布を書きくわえられることで破壊をまぬがれたという、逸話も知りました。
 わたしは、ルネサンスの良さは、人間の肉体を貶めずに、美しいと感じる感情を描きあげ造形したことにあると思います。だからダビデ像を美しいと感じるのと同じように、この巨大な壁画の男女の肉体も美しいと思います。
 壁画の左下部分にはどくろも描かれていて、生死への眼差しを強く感じました。

 二点目は、展示されていた作品について。浅浮彫「階段の聖母」は、なめらかな起伏をとても美しく感じます。人の肌のようです。
 デッサンの線に、絵を描く力量があらわれると感じました。彼も習作を積み重ねて技量を高めていったことに共感と敬愛の思いを抱きます。

 最も心に残ったのは、死の直前に彫られたという、未完成の小型の木彫作品「キリストの磔刑」です。未完成だけに、木彫りのノミ痕が、無数に残っています。その一筋ひとすじが、彼が打ち込み削った痕です。
 とてもあたりまえのことだけど、どんな美しい作品も、壮大な作品も、ノミの一撃ちひとうち、絵筆の一筆いとふでの、模索の積み重ねであること、ミケランジェロもそのように創ったことを目の当たりに感じて、感動しました。

 芸術が好きだ、芸術が好きな人が好きだ、芸術は人間だからこそ生み出せる創作、伝えられる美だと、励まされ、力を授かりました。

 次回から、敬愛する詩人オウィディウスの『変身物語』をみつめていきます。


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ヘルダーリン『ヒュペーリオン』(六)。ひとつの永遠の灼熱する生(いのち)

 敬愛するドイツの詩人ヘルダーリン(1770年~1843年)の長編作品『ヒュペーリオン』を見つめています。
 私は二十代で彼の作品にとても感動し、その変わらぬ想いを深め伝えたいとこの文章を書いています。
 作品の大きな流れのまとまりからテーマを掬い上げ、作品の言葉の飛沫のきらめきと、呼び覚まされた私の詩想を記してきました。

 最終回の主題は、生(いのち)です。 ヘルダーリンは『ヒュペーリオン』の最後に、彼の死生観を、愛しあうふたりの言葉で語ってくれました。

 今回引用した手紙を記したあとディオティーマはなくなります。
 彼女の白鳥の歌、死を覚悟した愛するひとへの最期の言葉、その思いを受けとめたヒュペーリオンの、この作品を閉じる、完成させる言葉は、込められた思いの強さのままに響いてきます。

 「どうしてわたしが、生(いのち)の圏外に去ってしまうことがあるでしょう。」

 「自然の絆のなかでは誠実さは夢ではありません。わたしたちが別れるのは、いっそう親密にひとつになるためにほかなりません。」

 「誰が愛しあう者たちを分かつことができましょう。――」

 私はこれらの言葉に心揺すられ、深い共感の暖かさを胸のうちに感じます。
 ヘルダーリン、彼と愛しあったズゼッテ、ヒュペーリオンとディオティーマ、彼らにとっての真実の想い、言葉だからです。

 文学に真理は説けません。文学は信仰を与える術でもありません。
 けれども文学は人間であるままにひとりひとりの想いの真実だけは響かせ伝えることができます。心を感じあい、響かせあう、文学を通して愛しあうことが人間にはできます。

 ヘルダーリンの『ヒュペーリオン』はそのことを声高にではなく、美しく咲く花のように見つめずにはいられない姿で咲きゆれてくれていて、きづかせてくれます。だからこの花を私は愛してやみません。

● 以下、出典からの引用です。

 あなたの乙女は、あなたがいらっしゃらなくなってから萎れてしまいました。わたしのなかの火がしだいにわたしを焼き、もうわずかな燃えさししか残っておりません。驚かないでください。自然界のものはすべて浄化されます。そして、どんなところでも、生(いのち)の花は粗雑な物質から身をほどき、もっともっと自由になろうとしています。
 最愛のヒュペーリオン、今年のうちにわたしの白鳥の歌をお聞きになろうとは思いもよらなかったことでしょうね。

 わたしは人間の手がつくったつぎはぎ細工から解き放たれ、自然の生(いのち)を、あらゆる思想にまさって気高いものを感じたのです。――たとえわたしが植物になるとしましても、失われるものはそれほど大きいでしょうか。――わたしは存在するでしょう。どうしてわたしが、生(いのち)の圏外に去ってしまうことがあるでしょう。そこでは、万人に共通の永遠の愛があらゆる自然をひとつにまとめています。あらゆる存在を結びつける絆からわたしが離れてしまうことなどどうしてありえましょう。

 そうですとも、自然の絆のなかでは誠実さは夢ではありません。わたしたちが別れるのは、いっそう親密にひとつになるためにほかなりません。すべてのものと、わたしたち自身といっそう神々しく平和に結ばれるためにほかなりません。わたしたちは生きるために死ぬのです。

 わたしたちは、ふたたびめぐりあうことになるでしょう。――

 ディオティーマ、わたしたちも別れているのではありません。あなたを嘆く涙にはそれが理解できないのですが。生き生きとした調べであるわたしたちは、自然よ、あなたの諧音に和しています。誰があなたの諧音を破れるでしょう。誰が愛しあう者たちを分かつことができましょう。――
 おお、魂よ、魂よ、世界の美よ、不壊の美よ、永遠の若さで魅惑する美よ。あなたは存在している。いったい死がなんだろう。そして人間の悲しみがなんだろう。――ああ、これほど多くの空疎なことばは気まぐれ者たちがつくり出したものでしかない。いっさいは悦びから生まれるではないか。いっさいは平和のうちに終わるではないか。
 世界の不協和音は愛しあう者たちのいさかいに似ている。和解は争いのさなかにあり、別れていたものはすべてまためぐりあう。
 血管は心臓で分かれ、ふたたび心臓にもどる。すべては、ひとつの永遠の灼熱する生(いのち)なのだ。

● 引用終わり。

 ヘルダーリンの『ヒュペーリオン』を感じとってきました。エッセイの最後に、ヘルダーリンとズゼッテ、ヒュペーリオンとディオティーマの愛の想いと木魂する、私の詩を響かせます。お読み頂けると嬉しいです。

  「はじめて愛したあのひとは」(高畑耕治HP『愛のうたの絵ほん』から)

出典:『ヒュペーリオン ギリシャの隠者』ヘルダーリン 青木誠之訳、ちくま文庫

次回からは、もうひとりの敬愛する詩人、オウィディウスの『変身物語』を見つめ感じとっていきます。


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