個人的な身辺事情で、ブログの公開ペースが鈍り文筆家として悲しく恥ずかしく思っています。
そのことと直接結びつきませんが、二十歳代からずっと読もうと思いながら二十数年読めずにいた、ダンテの『新生』と『神曲』を、読み終えてから彼の著作について書きたいという思いも重なっています。なぜなら、少なくともダンテは『神曲』を彼の命をかけて、全生涯をかけて書いていること、そのような彼の生きざまを私は心から尊敬し、私もそのような作品を書きたいからです。
読み始めている『新生』と『神曲』は、筑摩世界文学体系11で、神田の古本屋街で、100円で、見つけました。
貧乏者の私にとっては掘り出し物だけれど、全生涯をかけた作品が100円、ダンテはどう思うでしょうか?
たぶん彼は気にしないと私は思います。芸術の真の価値と、経済価値、需要に左右される価格は、ぜんぜん別物です。ダンテにとっても、私にとっても。
私は自分の作品、著作を心から愛するだけで、その子どもたちに価格はつけられません。つけるとしたら無限大しかありません。値切りできるのは生命保険会社だけです。無限大でしかない私にとっては意味のないことだから100円でも、0円でも、どうでもよいです。
私がこの文章で言いたいのは、すべての価値を価格で計れると決めつける現在人は合理的かもしれないけれど、やはりその思慮はとても浅い、と私は考えているということだけです。お金にはかえられないものがあることを、知らない、わからない、人が現在の主流であっても、私はそのような人は、幼なすぎるし、押しつけがましく、嫌いです。
このブログの受け止め方で、その人が文学を心でわかっている人かどうかが、本当にそうか、身振りだけか、わかると思います。また文学にかかわる出版社、編集者が、本物か、偽物か、商売だけのサラリーマンか、文学に志ある人かも、はっきりわかると考えます。
私が敬愛する、心から感動して涙が流れた崎本恵さんの小説を「あなたの小説は面白くない」と言って切り捨てるような情けなく恥ずかしい大手出版社の編集者がいます。
文学を愛する者としてその驕った人に直接私は言いたい、「あなたは稼げる流行のジャンルだけの編集屋に専念しろ、文化に中途半端にかかわるな、有害だ、わかりもしない文学に口をはさんで文学を貧しくするな、せめて心の豊かさを育む文学、文化の障害にだけはならないよう他の儲けを目指すジャンルに行って、サラリーマンに徹しろ。お前の考えや感じ方が、新たな豊かな創造を理解しきれるなんて驕るな。争いが嫌いな私にまでこんなことまで吐かせるお前が嫌いだ」。心がすさむブログになりました。ごめんなさい。
- 関連記事
-
- https://blog.ainoutanoehon.jp/tb.php/220-b729d63a
トラックバック
正論だと思いましたが自分自身は染まってしまって生きている部分が多いなとおもいながら読みました。
ただこのような心の声の記事は読んでいて楽しいのでもっと読みたいと思いました。