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伊藤野枝の詩。若い感情を強く。

 約100年ほど前、明治時代からの詩を、女性の詩人の作品という視点でみつめなおしています。
 『ラ・メール 39号、特集●20世紀女性詩選』(1993年1月、編集発行人:新川和江・吉原幸子、発売:思潮社)に採録されている詩人の一作品・一輪の花たちのなかから、私が好きな、木魂する思いを揺り起こされた詩について、詩想を記しています。

 今回の詩人は、伊藤野枝 (いとう・のえ、1895年明治28年~1923年大正12年)です。
 この詩は、野枝が、平塚らいてうの婦人運動誌『青踏』の主幹を引き継いだ1912年大正元年の11月号で発表されています。17歳の若さです。
 彼女は28歳のとき関東大震災後の混乱期に、大杉栄とともに憲兵に虐殺されました。女性に参政権などない時代に置かれていたことを忘れてはならないと思います。短い生涯を激しく生き抜いた女性です。

(女性の生き方、恋愛についての発言、著作は『伊藤野枝全集 上下』に収録され、インターネットの青空文庫でも読めます。)

 私がこの詩に惹きつけられるのは、真率な感情が吐露されているからです。
 詩の本来の裸の姿に感じる美しさです。若さと感情のゆれうごき。
 表現に幼さと拙さがあるにしても、それを欠点から美点へと変えてしまう、感情の強さをしぶきのように浴びます。
 今の若いミュージシャンの歌詞と響きあうもの、現代詩からは久しく失われている大切なものを感じます。

 海の渦巻く波のような揺り返す動き、潮騒が耳に聞こえてくるような、強い潮風の匂いを鼻腔に吸い込んでしまうような、この情景に包みこんでしまうような力があります。

 恋愛感情の波といってもいいかもしれません。愛に強く惹かれるからこそ、激しい孤独に晒される。感情の波間に裸で飛び込み泳ぎ抜こうとした女性の心の声、海鳥への語りかける声に心うたれます。

 作品の末尾に、――東の磯の渚にて ケエツブロウ=海鳥の名(方言ならん)、と記されています。


  東の渚
         伊藤野枝


東の磯の離れ岩、
その褐色の岩の背に、
今日もとまったケエツブロウよ、
何故にお前はそのように
かなしい声してお泣きやる。

お前のつれは何処へ去た
お前の寝床はどこにある――
もう日が暮れるよ――御覧、
あの――あの沖のうすもやを、

何時までお前は其処にいる。
岩と岩との間の瀬戸の、
あの渦をまく恐ろしい、
その海の面をケエツブロウよ、
いつまでお前はながめてる
あれ――あのたよりなげな泣き声――
海の声まであのように
はやくかえれとしかっているに
何時まで其処にいやる気か
何がかなしいケエツブロウよ、
もう日が暮れる――あれ波が――

私の可愛いいケエツブロウよ、
お前が去らぬで私もゆかぬ
お前の心は私の心
私もやはり泣いている、
お前と一しょに此処にいる。

ねえケエツブロウやいっその事に
死んでおしまい! その岩の上で――
お前が死ねば私も死ぬよ
どうせ死ぬならケエツブロウよ
かなしお前とあの渦巻へ――


次回も、女性の詩人の詩に耳を澄ませます。


 ☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。

 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。

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プロフィール

高畑耕治

Author:高畑耕治
Profile:たかばたけ こうじ
1963年生まれ大阪・四條畷出身 早大中退 東京・多摩在住

詩集
「純心花」
2022年イーフェニックス
「銀河、ふりしきる」
2016年イーフェニックス
「こころうた こころ絵ほん」2012年イーフェニックス
「さようなら」1995年土曜美術社出版販売・21世紀詩人叢書25
「愛のうたの絵ほん」1994年土曜美術社出版販売
「愛(かな)」1993年土曜美術社出版販売
「海にゆれる」1991年土曜美術社
「死と生の交わり」1988年批評社

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